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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ミスター・ノーバディ」

2011-07-22 06:37:40 | 映画の感想(ま行)

 (原題:Mr. Nobody)誉めている評論家もいるようだが、私は評価しない。理由はズバリ“誰でも撮れる映画”に過ぎないからだ。人間誰しも自分の歩んだ人生に対して“あの時、別の行動を取っていたら・・・・”という思いを抱くものだ。そして“ひょっとしたら、違う人生が開けていたかもしれない”といった詮無いことを夢想したりもする。映画の作り手だって同様だろう。ただ、そんな明け透けな“願望”をそのままスクリーン上に展開させるだけというのは、まるっきり芸がない。その“芸のないこと”を堂々とやっているのが本作だ。

 人々が医学の進歩により不老不死になった2092年、最後の老衰死者になる予定の老人の様態が世間の耳目を集めていた。彼には名前が無く、出生などの経歴も一切分かっていない。催眠療法によって男の過去を探ろうとする医者や、若い記者によるインタビューによって、彼のプロフィールが徐々に語られることになるが、それは矛盾に満ちたものだった。この男が明かす自己の人生こそが、前述の“あの時、別の行動を取っていたら、違う人生が開けていたかもしれない”という個人的妄想の羅列なのである。

 両親の馴れ初めや、やがて不仲になり離婚する父母のどちらに引き取られるかという二者択一。3人のガールフレンドのうち誰と結婚するかにより、大きく変わるそれからの人生など、全編これ複雑なフローチャートみたいな様相を呈する。いわばパラレルワールドを扱ったSFものとも言えるだろう。

 だが、無数のターニング・ポイントによって次々と枝分かれする人生を精緻に描いても、そこには何の求心力もないのだ。何でも有りの人生なんか、実は何もないのと一緒である。個人的な戯れ言の垂れ流しなど、それこそ“誰にだって撮れる”ネタに過ぎない。いくらプロットや映像ギミックに凝ろうと、焦点になる“自分だけの人生”を作者が構築出来なければ、単なる絵空事である。

 作者のジャコ・ヴァン・ドルマルはこの映画の脚本に長い時間を掛けたというが(確かに前作の「八日目」から13年も経っている)、いわゆる“構想○○年”といったものを謳い文句にしている作品にロクなものはない。何やらデビュー作の「トト・ザ・ヒーロー」だけの“一発屋”のような雰囲気になってきた(苦笑)。

 主演のジャレッド・レトをはじめダイアン・クルーガー、サラ・ポーリーなどのキャストは熱演しているが、映画自体に核となるものがないので全て空回りしているような印象を受ける。作劇を放り投げたようなラストも含めて、観る価値がある映画とは言い難い。

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