元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ライトハウス」

2021-08-16 06:41:52 | 映画の感想(ら行)
 (原題:THE LIGHTHOUSE)観る者の神経を逆撫でする、かなり暗くマニアックなシャシンだが、個人的にはこういうテイストの映画は嫌いではない。作者が脇目もふらずに自らの世界に耽溺している点は、ある意味天晴れだ。キャストの演技や映像、美術に関しては高いレベルに到達しており、十分に観る価値はある。

 1890年代のメイン州の孤島。そこには灯台があり、4週間交代で2人ずつの灯台守が設備の管理を受け持っていた。今回ペアを組むことになったベテランのトーマス・ウェイクと未経験の青年イーフレイム・ウィンズローは、当初から良好な関係性を築くことが出来ず、何かといえば対立するばかりだった。任期が終わりに近付いたある日、大嵐が島を襲う。そのため帰りの連絡船が島にやってくることは叶わず、2人は島に閉じ込められてしまう。



 極限状態に置かれた者たちが、次第に正気を失ってゆくという筋書きはさほど珍しいものではないが、この映画は随所に巧妙なプロットや映像的ギミックを挿入することにより、作品世界に奥行きを持たせている。灯台の最上階、つまり光源のある場所にはウェイクはウィンズローを決して入らせない。そしてウェイクは時折一人そこに籠り、恍惚の表情を浮かべる。

 またウィンズローか見る幻覚の中には人魚をはじめとするクリーチャーが登場するが、それにはすべて神話的なバックボーンが付与されている。さらに、イーフレイムは偽名であり、実はファーストネームはウェイクと同じトーマスであることが発覚するに及び、物語自体の構造が根底から揺らぐことになる。そのため終盤の展開にはいくつもの解釈が可能になり、一筋縄ではいかない様相を呈してくる。

 ドイツ表現主義を思わせる灯台の造形や、怪物のうめき声のように大音量で響く霧笛、この世の果てのような島の風景もさることながら、重要なモチーフとなる海鳥の群れの不気味さは特筆ものだ。よくもまあ、ここまで生き物を手懐けて撮ったものだと感心する。ロバート・エガースの演出は粘り付くようなタッチで、登場人物の内面をジリジリと焙り出してゆく。その容赦のなさは観ていてある種の爽快感を覚えるほどだ(笑)。

 キャストのロバート・パティンソンとウィレム・デフォーのパフォーマンスは、彼らの大きなキャリアになることは必至で、とにかく圧倒される。ジェアリン・ブラシュケのカメラによる映像は、35ミリのモノクロ・フィルムによるもので、画面もほぼ正方形。そのためシネスコやビスタのサイズに見慣れた観客にとって、圧迫感はかなりのものだ。また、それが作品のカラーと合致していることは言うまでもない。マーク・コーベンの音楽も実に効果的だ。
コメント
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