元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「インクレディブル・ファミリー」

2018-08-11 06:43:20 | 映画の感想(あ行)
 (原題:INCREDIBLES 2 )退屈はしなかったが、出来は前作「Mr.インクレディブル」(2004年)には及ばない。その理由は明らかで、パート1が作られてから14年もの時間が経過したにも関わらず、このシリーズの方法論自体があまり変わっていないからだ。その間にヒーロー物の映画は次々と作られ、題材も多彩になってきた。しかるになぜ本作は14年前とほぼ一緒の内容を踏襲したのか、よく分からない(まあ、ヒットしているからOKだと言われれば黙るしかないが ^^;)。



 前回のパー一家とシンドロームとの戦いから間もなく、ボブ達は地底から現れて銀行を襲う怪人アンダーマイナーと戦う。しかしその際に街のインフラを大量破壊したため警察に事情聴取され、一家は謹慎処分を食らう。そんな中、スーパーヒーローの大ファンである大企業の社長ウィンストン・ディヴァーと彼の妹イヴリンから、仕事のオファーがある。ところがその内容は“イラスティガール”ことヘレンのみに対する依頼で、ボブはその間子守りや家事のためにヘトヘトになる。ここにきて、テレビ画面などをジャックして人々を洗脳する怪人スクリーンスレイヴァーが出現。街はパニックに陥る。

 スーパーヒーローに対する世間の風当たりが強まり、彼らの行動が政府当局により規制されるが、新たな敵が現れてヒーロー達は復権するという基本コンセプトは前作と変わらない。有り体に言えばマンネリだ。

 この14年間に、マーヴェル陣営やDCコミック陣営は手を変え品を変えバラエティに富んだヒーロー物をリリースしてきた。さらに「ハンコック」(2008年)や「キック・アス」(2010年)といった、従来のヒーロー映画のルーティンとは一線を画する作品まである。このような状況の中で、今さら14年前と同じ体裁の作品を送り出す必要があったのか、甚だ疑問である。パート1でヒーローの社会的な立ち位置というネタを扱ったのならば、2作目はそれを他のヒーロー物シリーズとは違う形で発展させるべきではなかったか。



 確かに技術面では格段の進歩を遂げたような映像が並べられているが、アニメーションでしか表現出来ないモチーフというのは、意外にあまりない(強いて挙げれば、赤ん坊のジャック=ジャックの造型ぐらいだ)。

 ブラッド・バードの演出は淀みがなくスムーズだが、筋書きが斯くの如しなので刹那的なアトラクションのような印象しか受けない。クレイグ・T・ネルソンやホリー・ハンター、サミュエル・L・ジャクソン、イザベラ・ロッセリーニといった声の出演陣は達者。マイケル・ジアッキノの音楽も良い。だが、作品としては評価は出来ない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする