元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「英国王のスピーチ」

2011-03-15 06:45:40 | 映画の感想(あ行)

 (原題:The King’s Speech)丁寧に作られてはいるが、いまいちピンと来ない。それはひとえに、クライマックス場面での国民に向けた英国王のスピーチの内容が今日性を欠いているからだ。

 1930年代のイギリスで、国王ジョージ6世が台頭するヒトラーに対して断固たる姿勢を貫くという決意を表明した演説は、なるほどその時代においては妥当なものであっただろう。しかし、今から考えるとこれは“国民は、戦争への準備を怠るな!”というアジテーションである。先の米国ブッシュ大統領が主導した“テロとの戦いを勝ち抜こう!”といったシュプレヒコールと何ら変わることはなく、聞いていて鼻白むだけだ。

 さらに、このスピーチの中身は国王自らが考案したものではなく、政治家や官僚のお仕着せである。もちろん本作は史実に基づいているので、チャップリンの「独裁者」のラストのように国家のリーダーが“自分の言葉”で演説して感動を与えるようなシチュエーションの構築は無理である。

 ならば、このスピーチの内容が国王の心情とどれだけ一致しているか、さらに言えば国王がどの程度の国家的な危機感と国民への親愛を抱いているか、そういう“伏線”を終盤までに周到に張るべきだと思うが、それが成されていない。見終わってみれば、単なる“吃音を克服して大衆の前でスピーチが出来るようになった男の苦労談”でしかないのだ。

 この吃音治療のくだりは実に良くできている。映画の中では吃音症は後天的なものであり、心因的ストレスによって幼少時に発症するという設定になっている。もちろんこれには異論があり、遺伝学的・脳科学的アプローチも存在することは承知しているが、本作では王室の一員としてのプレッシャーが吃音の遠因になっているというモチーフが映画的趣向をもたらしていることは確かだ。しかも兄のウィンザー公は王位を放り出して恋人の元に走っている。思いがけず跡を継ぐことになったジョージ6世にとって、これ以上のストレスはない。

 そんな彼の治療に当たったのは、オーストラリア出身の平民でなおかつ無免許で専門家を自称しているライオネルなる男だ。藁をもすがる思いで彼の治療院のドアを叩いたジョージ6世は、ライオネルの本音トークに翻弄され憤慨することもしばしばだったが、徐々に治療の効果が現れてくる。この二人のやり取りは、演じるコリン・ファースとジェフリー・ラッシュの好演もあって、すこぶる面白い。トム・フーパーの粘り強い演出も相まって、まるで密度の高い舞台劇を観ているようだ。

 本作がオスカーを得たのは、アメリカ人の英国コンプレックスがあったことはもちろんだが、こういう民衆を導くようなリーダーの待望が背景にあるのだと思う。ただし、前述のような作劇的不備があるこの映画がその“象徴”になり得るのかというと、個人的には疑問を呈したい。ヘレナ・ボナム=カーターやガイ・ピアーズといったその他のキャスト、確かな時代考証と始終天気が悪いロンドンの街の風情も捨てがたい。
コメント
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