元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ヤコブへの手紙」

2011-03-06 06:40:15 | 映画の感想(や行)

 (原題:POSTIA PAPPI JAAKOBILLE )上映時間が1時間強程度の小品だが、感銘度はかなり高い。テーマの普遍性とそれをフォローする内面描写の確かさにおいて、今年度公開されるヨーロッパ映画のひとつの収穫になることは間違いないだろう。

 70年代のフィンランドの寒村。重罪を犯して12年ものあいだ収監されていた中年女性レイラが、恩赦によって出所することになる。ただし、それは盲目の老牧師ヤコブの家に住み込みで働くことが条件だ。彼女に与えられた仕事は、目の見えないヤコブのために手紙を読んで代返することだ。彼の元には全国の信者から悩みの相談が寄せられ、彼らのために祈ることが使命だと思っている。

 ところが、ある日突然手紙がまったく届かなくなる。郵便配達夫が手抜きをしているのかと疑ってもみるが、どうやら本当にヤコブへの手紙は途絶えてしまったようなのだ。他の者達を導くことに生き甲斐を見出していた彼にとって、これは重大なアイデンティティの危機である。しかし、これをきっかけにヤコブは自分の置かれた立場と、本当にやるべきことを知ることになる。

 ひとことで言えば、本作の主題は“人間はひとりでは生きられない。同等の立場で愛し愛される他者が必要なのだ”ということだ。寄せられた手紙に返事を書くことは、コミュニケーションの形を成しているようでいて、実質はそうではない。悩みを聞いて、それに対して自分が“祈ってやる”という、一方通行の情報伝達だ。いわばドライな需給関係である。信者がヤコブ以外の悩みの捌け口を見つけてしまえば、彼には用はないのである。

 人のために祈っていると思っていたのだが、実は自分の職務を全うするための“手段”に過ぎなかった。ならば彼に残されたものは何か。身近にいる生身の人間しかいない。それがレイラだ。彼女は当初ヤコブに反目する。煙たく思って手紙を勝手に捨てることもあった。だが、次第にヤコブの立場を理解するようになる。

 レイラも取り返しの付かない過ちによって人生の貴重な時間を刑務所の中で浪費している。彼女はヤコブに会うことにより本当の苦悩を打ち明ける相手を見つけ、ヤコブは手紙の字面だけではない本物の他者と向き合うことになる。

 この構図が明らかになる終盤の展開は、本当に感動的だ。いくら信仰が大事だといっても、その信仰の力はリアルな人間の感情と行動によってしか実体化しない。信仰の何たるかを知ったヤコブには悟りの境地が、レイラには希望が与えられる。

 ヤコブ役のヘイッキ・ノウシアイネンとレイラに扮するカーリナ・ハザードの演技は素晴らしい。登場人物は実質この二人しかいないのだが、映画を支えるだけの密度の高いパフォーマンスを披露している。クラウス・ハロの演出は簡潔で力強い。これが4本目だということだが、他の作品も観てみたいものだ。そして映し出されるフィンランドの自然の風景は痺れるほどに美しく、作品の格調高さに貢献している。まずは必見の佳編と言って良いだろう。
コメント
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