もうちょっと脚色をリファインした方が良いと思った。85年8月の日航機墜落事故を前にした地方紙の新聞記者たち奮闘ぶりを描く本作、主人公である遊軍記者の悠木(堤真一)を取り巻くエピソードの中には不十分なものが目立つ。
悠木と社主(山崎努)との確執の元になっているものは何か、それがハッキリしないので終盤の展開が宙に浮いている。悠木の母親をめぐるエピソードは、文字通り取って付けたようだ。横暴な販売局長との関係性も深くは描かれない。悠木を駅で待っている間に倒れてしまう登山仲間の扱い方は中途半端で、ドラマを停滞させるだけ。そもそも主人公の家族に対する描写がシッカリしておらず、平行して描かれる(現代が舞台の)登山シーンから息子との和解に至る筋書きは説得力を欠く。
実はこれらは横山秀夫の原作の中では十分説明されていたのだが、2時間の映画の中に全て挿入できるはずもなく、結果として上っ面をなぞる程度に終わっている。どうせ小説版のディテールを網羅できないから大胆なエピソードの刈り込みが必要だったと思うのだが、どうも煮え切らない総花的な展開になってしまったようだ。
しかし、それらに目をつぶれば見応えのあるシャシンであることは確かである。原田眞人の演出は秀作「金融腐食列島/呪縛」でも描いたようなビジネス現場での群像劇に関しては水を得た魚のごとく快調ぶりを見せる。寒色系の映像の中を縦横無尽に動き回るカメラ。引きのショットと移動撮影、幾分オフ気味の音声も臨場感を盛り上げる。今回は特に“締め切り”という新聞社独自の舞台小道具がモノを言い、迫り来るタイムリミットと素材を追い求める記者達とのギリギリの攻防戦がサスペンスフルな映画的興趣を呼び込む。
さらに、社内の部署同士の鍔競り合いも熾烈を極め、過去の栄光を忘れられないベテラン勢と主人公らの駆け引きをはじめ、営業サイドからの突き上げが大々的な“出入り”へと発展するプロセスはまさにジェットコースター的で、さぞかし作り手は撮っていて楽しかっただろうと思わせるヴォルテージの高さだ。
脇のキャストでは悠木の部下を演じた堺雅人がいい。一見頼りないが、強靱な記者魂を内に秘めてマイペースに真相に肉迫してゆくあたりの説得力はかなりのものだ。紅一点とも言える尾野真千子も悪くない。河瀬直美のようなロクでもない演出家と一緒に仕事するより、本作のような骨太の娯楽作で演技の本流を学んだ方が大成する素材だと思った。悠木の上司役である遠藤賢一の海千山千ぶりは言うまでもない。
不満点はあるが、昨今の邦画では題材の重さも相まって見応えのある作品であるのは確かであろう。本作を観て、80年代という激動の時期を今一度振り返ってみるのもいいと思う。