goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「その手に触れるまで」

2020-07-27 06:57:53 | 映画の感想(さ行)

 (原題:LE JEUNE AHMED)ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督の視点は、相変わらず厳しい。思春期の危うさだけではなく、欧州全体を巻き込む移民問題や、イスラム原理主義の欺瞞性などのグローバルな課題をも見据え、結果84分の尺にまとめ上げた手腕は大したものだと思う。

 ベルギーに暮らす13歳のアラブ移民の子アメッドは、つい最近までテレビゲームにハマっていたが、近所に住む“導師”と呼ばれるイスラム原理主義を唱える男と知り合いになってからは、イスラム教の聖典コーランに夢中になる。“大人のムスリムは女性を避ける”との教えを盲信し、放課後クラスのイネス先生との握手を拒み、父が出て行った後に酒の量が増えた母親を罵倒する。

 そんなある日、イネス先生は歌を通じてアラビア語を学ぶ授業を提案するが、アメッドは激しく反対する。“聖なる言葉であるアラビア語はコーランで学ぶべきで、歌で学ぼうというのは神に対する冒とくだ”というのだ。そのいきさつを“導師”に話すと、“導師”はイネス先生を“背教者”と名指しすると共に、アメッドにジハードの実行を促す。アメッドはイネス先生のアパートを訪ね、ナイフを振りかざして襲おうとするが失敗。警察に自首し少年院に入れられたアメッドだが、イスラム教を理解し何とか更生させようとする少年院のスタッフの思いとは裏腹に、彼はイネス先生への殺意を捨てきれない。

 本作の設定は先日観た「もみの家」と似ているとも言えるが、やはり宗教の邪な面に触れてしまった若者の社会復帰は難しい。アメッドは少年院が主催する農業奉仕活動に参加し、農場の娘に好かれたりもするが、ジハードに対するの執着は捨てられない。彼は農場の洗面所で歯ブラシを盗み、独房で柄の部分を鋭く尖らせる。このあたりの描写は強烈で、宗教の衣をまとった洗脳システムの恐ろしさを強く印象付けられる。

 また、普段あれほど偉そうなことを言いながら、アメッドが検挙されると速攻で行方をくらましてしまう“導師”の胡散臭さを通して、原理主義の底の浅さを描くのも忘れない。ひょっとするとイスラム教徒からは異論の出る作品なのかもしれないが、ヨーロッパの状況は綺麗事など受け付けないほどに切迫しているのだろう。

 ダルデンヌ兄弟の演出はストイックで力強い。急展開して活劇風のテイストを醸し出す終盤まで、観る者を惹き付ける。アメッド役のイディル・ベン・アディをはじめキャストは馴染みは無いが、それぞれ良い仕事をしている。そして、ラストに流れるシューベルトのピアノソナタが大きな効果を上げている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「青春デンデケデケデケ」

2020-07-19 06:29:05 | 映画の感想(さ行)
 92年作品。いかにも大林宣彦監督らしい映像ギミックが満載だが、本作ではそれが鼻に付くということはなく、全編に渡ってビシッと決まっている。音楽を題材としているためか画面展開のノリが良く、特に粒子の粗い映像からクライマックスのコンサート場面での5ミリ撮影に移行する際の開放感は素晴らしい。インサートカットやモノローグの多用も、独特の躍動感を伴っているために、あまり気にならない。

 1965年の春休み、香川県の観音寺市に住む高校入学を目前に控えた僕、ちっくんこと藤原竹良は、ラジオから流れてきたベンチャーズの曲「パイプライン」のギターリフに心を奪われてしまい、高校に入ったらバンドを結成することを決意する。



 集まったのは住職の息子の富士男とギターの得意な清一、ブラスバンド部から強引に引き抜いた巧、そして僕はサイドギターとヴォーカルを担当し、グループ名を“ロッキング・ホースメン”に決めて練習を開始する。彼らはスナックの開店記念パーティで念願のデビューを果たす等、一応の成功を収め、やがてバンド活動も3年生の文化祭の演奏会を最後に終わりを告げる。第105回直木賞を受賞した、芦原すなおの同名小説の映画化だ。

 60年代のエレキブームを題材にはしているが、ノスタルジアは希薄だ。しかも、主人公たちは最初はズブの素人のはずだが、なぜか皆バンド結成当初から上手かったりする。つまりはリアリティは捨象されているのだ。ならばこれは何かといえば、ファンタジーに他ならないだろう。もちろん、凡百のファンタジー映画のようなドラマツルギー無視の御都合主義が目立つわけでは無く、あくまでも“大林印のファンタジー”に音楽ネタを入れ込んだという案配だ。

 バンドの4人組の学生生活には、生々しい思春期の葛藤や苦悩は見られない。ドラマティックな出来事も起こらない。ただフワフワと、夢心地で時が流れてゆくだけだ。しかし、それが面白くないのではない。若い頃はこうであって欲しかったという、年長者の願望があらわれている。それを懐古趣味に走らずにファンタスティックに仕上げられるのは、この監督の特筆だろう。

 林泰文に大森嘉之、浅野忠信、永掘剛敏ら“ロッキング・ホースメン”の面々頑張りに加え、柴山智加、滝沢涼子、岸部一徳、尾美としのり等の脇の面子も的確な仕事を見せる。いつもの“尾道シリーズ”とはまた違う、瀬戸内の風情が映画に花を添える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スペンサー・コンフィデンシャル」

2020-07-06 06:56:35 | 映画の感想(さ行)

 (原題:SPENSER CONFIDENTIAL)2020年3月よりNetflixで配信されたアクション・コメディ。取り立てて評価するようなシャシンではないのだが、良い感じでユルく、気軽に楽しめることは確かだ。ピーター・バーグ監督作品としても「バトルシップ」(2012年)や「バーニング・オーシャン」(2016年)みたいなハードな大作ではなく、小規模で肩の力が抜けたようなタッチで好印象だ。

 ボストン市警のスペンサー巡査は上司ボイランに暴行をはたらき逮捕される。警察をクビになって5年の刑期を終えて出所した彼は、格闘技のジムを経営する友人ヘンリーのもとへ身を寄せるが、ガサツな大男のホークとルームメイトとして同居するハメになり閉口する。そんなある日、ボイランが何者かに殺されるという事件が発生。警察はボイランの相棒テレンスによる犯行だと断定し、テレンスは程なく自殺してしまう。釈然としないものを感じたスペンサーは、ホークやヘンリーと一緒に調査を開始。やがて、警察上層部を巻き込む腐敗の構図が浮かび上がってくる。

 マーク・ウォールバーグ扮する主人公の造型が上手くいっている。事件そのものは陰惨で悪質なのだが、スペンサーは人を殺さないし、やたら銃をぶっ放したりもしない。腕っ節の強さだけで敵をねじ伏せる。ウォールバーグらしい愛嬌の良さも好印象だ。ウィンストン・デューク演じるホークはさらに憎めないキャラクターで、特に、意地悪をされた相手の車にアホな落書きをして一人悦に入る場面など、まるで頭の中が小学生である。

 アラン・アーキン扮するヘンリーに至っては、老人らしいボケたネタを披露して周囲を煙に巻く。こんな奴らが徒手空拳で戦いを挑んできては、さすがの悪の組織も相手にペースを奪われ、ついには自滅に近い形で崩壊するしか無いのだ(笑)。続編の製作を匂わせる幕切れも悪くない。

 P・バーグの演出はいい案配の脱力系で、活劇場面もオフビートながらノリで見せてしまう。イライザ・シュレシンガーやマイケル・ガストン、コリーン・キャンプ(←若い頃は美人でセクシーだったが、今はすっかり太ったオバちゃんだ ^^;)といった脇の面子も良い。

 それにしても、事件の背景にはカジノ建設に伴う莫大な利権の源流があり、ジャーナリストが“健全なカジノなんか無い。あんなものは不正の温床だ”と言い放つ場面は印象的。我が国の政治家にも聞かせたいセリフだ。なお、バックに流れる音楽がエアロスミスやボストンなどの“ご当地バンド”のナンバー中心だったのには笑った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「サン・スーシの女」

2020-07-03 06:05:03 | 映画の感想(さ行)
 (原題:La Passante du Sans-Souci )82年作品。若くして世を去ったロミー・シュナイダーの遺作というだけでも感慨深いが、内容も悲痛で観ていて胸に迫るものがある。また演出も脚本も巧みで、主演女優の魅力を存分に発揮させている点は評価して良いし、見応えがある。

 1981年、国際会議に出席するためパリを訪れていた人権活動家のマックス・ボームスタインは、パラグアイ大使のルパート・フォン・レガートを突然射殺する。妻のニナは留置場でマックスと面会するが、彼はかつてのルパートとの関係を語るのだった。1933年のベルリン、父親をナチスに殺された10歳のマックスは、父の友人で歌手のエルザとミシェルの夫婦に引き取られる。



 ミシェルは反ナチ派の出版社の経営者で、やがて彼は当局側に拘束される。一人になったエルザに言い寄ったのがナチスの幹部ルパートだった。エルザはミシェルを釈放することを条件にルパートと付き合うことにする。拘束を解かれたミシェルとエルザは亡命者たちが集まるカフェ“サン・スーシ”に向かうが、そこで悲劇が起こる。ジョゼフ・ケッセルによる同名小説の映画化だ。

 シュナイダーの活躍の場は主にフランスであったが、実はドイツ出身だ。その遺作がドイツの現代史に暗い影を落とすナチスがらみであったことに、彼女ならではの存在を感じる。しかも過去のこととして決着をつけるのではなく、今もナチスの呪縛から逃れられないヨーロッパの状況とリンクさせたところに、この作品の存在価値がある。

 本作ではシュナイダーはニナとエルザの二役を演じているが、時代は違っても実質的に同一の女であることを感じさせて、このあたりのシナリオのは上手い。しかも、エルザとリナは双方ともその時代の犠牲者となるのだが、いつしかその運命がロミー・シュナイダーその人の不遇な晩年とも重ね合い、観ていて居たたまれない気持ちになる。

 監督ジャック・ルーフィオは、めまぐるしいモンタージュで2人の女を二重写しにするが、このあたりのケレンが鼻につくことも無く、スムーズに流れるのには感心するしかない。ミシェル・ピッコリにヘルムート・グリーム、ジェラール・クライン、マチュー・カリエール、マリア・シェルといったキャスティングに抜かりは無く、皆良いパフォーマンスを披露している。重厚な映像を創出するジャン・パンゼルのカメラと、流麗なジョルジュ・ドルリューの音楽も印象的だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」

2020-06-27 06:43:11 | 映画の感想(さ行)
 (原題:LITTLE WOMEN)以前にも書いたことがあるが、私はエマ・ワトソンが好きではない。ルックスが好みではないのを別にしても(笑)、彼女は表情に乏しく、身体のキレも良くない。欧米の映画で演技に難のある俳優がスクリーンの真ん中に居座ることはめったにないが、ワトソンはそのレア・ケースに該当すると思う。しかしながら、本作では彼女が一番可愛く見えてしまうのだ。もっともそれは彼女が魅力的になったのではなく、周りが酷すぎるからなのである(爆)。

 ルイーザ・メイ・オルコットの有名な原作は若い頃に読んだはずだが、内容はすでに忘却の彼方である。ウィノナ・ライダー主演の94年版も観ているが、これまた中身は覚えていない。要するに、このネタ自体が私には合わないのだろう。



 それは差し置いて、このランダムかつ乱雑に積み上げられた時制はカンベンしてほしい。話の流れが判然としないばかりか、そもそも話自体に興味の持てるモチーフが見当たらない。原作及び過去の映画化作品の好きな観客にとっては全然気にならないのかもしれないが、少しでもストーリーに起伏や意外性を期待する向きには、ほとんど縁の無いシャシンと言って良い。

 さて、エマ・ワトソンはマーチ家の長女メグを演じているが、実質的な主人公の次女ジョゼフィーン(通称ジョー)に扮しているのがシアーシャ・ローナン。これまた御面相が私の好みとは最も遠い位置にある女優で、あの粘着質なセリフ回しと勿体ぶった表情および身のこなしには今回も辟易した。妹2人を演じるフローレンス・ピューとエリザ・スカンレンに至っては、語る価値も無いほど外見の訴求力が低い。これではエマ・ワトソンが無駄に目立ってしまうのも、仕方がない。

 ティモシー・シャラメやメリル・ストリープ、ローラ・ダーン、クリス・クーパーといった普段は出てくるだけで絵になる俳優陣も、この映画においては何とも精彩に欠ける。グレタ・ガーウィグの演出は、大して面白くもないであろう原作を何とか盛り上げようという意図すら感じられず、平板に流れるのみだ。前作「レディ・バード」(2017年)と比べても、質的に落ちる。

 とはいえ、オスカーを獲得したジャクリーヌ・デュランによる衣装デザインは素晴らしい。上手く再現された19世紀アメリカの風俗・文化をバックに、実に良く映えている。ヨリック・ルソーによる撮影、アレクサンドル・デスプラの音楽、いずれも申し分ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ジャンヌ・モローの思春期」

2020-06-21 06:40:06 | 映画の感想(さ行)
 (原題:L'Adolescente )79年作品。12歳の少女の、成長を等身大に描いた映画だが、そこはフランス映画、しかも監督がジャンヌ・モロー、その“成長”の度合は呆れるほど大きい。しかも、そんなにドラマティックな出来事があるわけではなく、夏休みを淡々と過ごすだけでヒロインの内面を(作為的ではなく)著しく変化させるという筋書きを違和感なく展開させているのは、さすがと言うしかない。

 1939年7月、12歳のマリーは例年通り父ジャンと母エヴァに連れられて、祖母の住むフランス中部の小さな村へやって来た。そこで彼女はパリから来た若くハンサムなユダヤ人医者アレクサンドルを一目で気に入ってしまう。ところが、彼に熱を上げたのはマリーだけではなかった。何とエヴァがアレクサンドルと懇ろな仲になってしまったのだ。



 マリーは両親の関係を修復させると共に、母エヴァと別れたアレクサンドルが自分の方を向いてくれることを期待し、魔女のオーギュスタに頼んで仲直りの媚薬を調合してもらい、両親に飲ませる。そしてバカンスは終わり、時代は戦争へと突入する。

 よろめいてしまう母親は娘にとって問題かと思われるが、どうやらエヴァの浮気癖は元からのようで、マリーの関心事はあくまでアレクサンドルである。親の存在も自身の恋の手練手管の一つにしてしまうのは、子供とはいえ、さすがフランス女だ(笑)。さらに、マリーを可愛がるアンドレのような大人に対しては、彼女はその魂胆と底の浅さを見抜いて、とことん冷たく接するというのも興味深い。

 もちろん大人であるアレクサンドルがマリーを本気で相手にするはずもないのだが、それによってマリーは自分が“発展途上”でしかないことを自覚する。アンリエット・ジェネリックと共に脚本も手掛けたモローの演出は、子供の描写に甘さは見せない。マリーが認識する“発展途上”を年齢のせいにするという安易な設定ではなく、しっかりと“成長”の過程として(残酷さも伴って)受け取る周到さが窺われる。

 ピエール・ゴタールとジルベール・デュアドのカメラによる繊細で美しい映像と、フィリップ・サルドの流麗な音楽が印象に残る。マリー役のレティシア・ショヴォーは達者な子役だが、大物女優のシモーヌ・シニョレをはじめとする大人のキャストが脇をフォローしている。第29回ベルリン国際映画祭出品作品である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スターダスト・メモリー」

2020-06-14 06:41:51 | 映画の感想(さ行)

 (原題:Stardust Memories )80年作品。明らかにフェデリコ・フェリーニ監督の「8 1/2」(1963年)を意識した作品ながら、製作当時は先鋭的だったかもしれないが今観ると鼻白むばかりのあの映画より面白い。しかもフェリーニ作品が(こういうネタとしては場違いな)2時間を超える長尺だったのに対し、このウディ・アレンの映画が1時間半にまとめられているのも好印象だ。

 中年男が列車の中で気が付くと、あたりは生気の無い老人ばかり。あわてて彼は列車を降りようとするが、出口が無い。そして列車は霧の中を進み、ゴミの山に到着する・・・・というシーンで、監督兼俳優のサンディ・べーツの新作は終わる。彼は名の知れた作家だが、最近の作品の評価はイマイチだ。なぜなら、サンディは大衆受けする娯楽作から離れて、芸術性を前面に出していこうとしているからだ。

 ニュージャージー州で開かれた映画祭に出席するために会場のスターダスト・ホテルに向かったサンディは、ファンやマスコミの質問に答えながら、付き合ってきた女たちに対する想いに浸っていた。彼の作品に主演したドリーは理想的なパートナーかと思われたが、結局別れた。現在の恋人はフランス人のイゾベルだが、彼女はなんと人妻で、夫を捨てて映画祭の会場に子連れでやって来る始末。ところがサンディは席上で知り合った女性ヴァイオリニストのデイジーが気に入ってしまい、それを見たイゾベルは激怒する。

 どこまでが劇中劇か分からない構成で、アレン扮するサンディの(いつもながらの)インテリぶった態度に閉口する部分もあるが、全編を通して観ればなかなかロマンティックな筋立てで飽きさせない。セリフの面白さは相変わらずで、何回も感心して頷いた(笑)。芸能界の裏側をユーモラスに明かしていくのも興味深く、関係者とのやり取りも皮肉が効いていて見せる。

 現実と虚構が入り混じった展開はフェリーニほど大仰ではなく、ほどほどの線をキープ。それでいて作者の映画に対する愛情が横溢しており、しみじみとした感慨を覚える。終盤は“大仕掛け”が用意されているが、ワザとらしくないのも良い。ゴードン・ウィリスのカメラによる美しいモノクロ映像。ジャズの名曲がバックを彩る。シャーロット・ランプリングにジェシカ・ハーパー、マリー・クリスティーヌ・バローと共演陣も万全。シャロン・ストーンが本作でデビューを飾っているのも見逃せない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ザ・ランドロマット パナマ文書流出」

2020-05-31 06:31:21 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE LAUNDROMAT)2019年10月よりNetflixで配信。本国では賛否両論の評価を受けているらしいが、それも頷ける内容だ。奇を衒ったライト感覚の作劇は、重大なテーマをサラリと見せる効用はあるが、観る者によっては悪ふざけが過ぎるという印象を持つだろう。さらに、キャストが場違いなほど豪華なのも悩ましい。要するに、受け取り方が難しいシャシンである。

 湖の遊覧船が高波で転覆するという事故で、エレン・マーティンは夫を亡くす。犠牲者は彼を含めて21人にもなり、遺族は運営会社にその補償を要求するが、会社が入っていた保険は内実の無いペーパーカンパニーが担当していたことが判明。そのため、保険金はわずかしか払われなかった。自分で事の真相を探るエレンは、どうやらこの絡繰りを仕掛けていたのは、ユルゲン・モサックとラモン・フォンセカという2人の弁護士であるらしいことを突き止める。

 彼らは世界中に山のような数のペーパーカンパニーを作り、富裕層の“税金対策”として売り出していた。それらの所属先は、いわゆるタックスヘイブンである。たが、そんな詐欺に引っ掛かった者達は、次々と不幸を呼び込んでゆく。モサック・フォンセカ法律事務所によって作成された、租税回避行為に関する一連の機密資料“パナマ文書”を題材にしたジェイク・バーンステインのノンフィクションの映画化だ。

 エレンが真相解明の当事者になるのかと思ったら、狂言回しにもなっていない。序盤と、そして“オチらしきもの”が付くラストにしか出てこない。代わりに“主役”を務めるのはモサックとフォンセカで、最初から司会者気取りで観る者に向かって話しかける。あとは、彼らの詐欺の被害者たちの末路がオムニバス的に羅列される。

 小難しい金融用語などは出てこないし、寸劇を観るような雰囲気でスムーズに進行する。ただ、それらのエピソードは徹底的に辛口でブラック。監督はスティーヴン・ソダーバーグだが、いかにも彼らしい冷笑的なスタイルだ。しかしながら、この現在進行形のネタがこういう軽々しい筆致で綴られて良いのかという疑問は残る。

 かつてのソダーバーグもスノッブでシニカルなタッチで素材を料理してはいたが、シリアスな姿勢は崩さなかった。ところが本作では、最初から最後まで緩めの態度で臨んでいる。個人的にはこれもアリだとは思うが、広範囲な支持は得られないだろう。さらにメリル・ストリープをはじめゲイリー・オールドマン、アントニオ・バンデラス、ジェフリー・ライト、ジェームズ・クロムウェル、ロバート・パトリックとキャスティングだけは華やかだ。このあたりのチグハグさを受け入れられない観客が多いのも、納得するしかない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シャフト」

2020-05-22 06:56:20 | 映画の感想(さ行)
 (原題:SHAFT )2019年6月よりNetflixで配信。2000年製作の同名映画の続編で、時制もキッチリとその分経過させているところは良い。出てくる面子も申し分ない。しかしながら、ギャグ方面に振りすぎた分、幾分締まりの無い出来になってしまったのは残念だ。もちろん笑わせるのは結構だが、ディテクティブストーリーらしいキレの良さも強調して欲しかった。

 前回の事件のあと、マフィアの顔役に家族もろとも狙われたニューヨークのハミ出し私立探偵ジョン・シャフトは、妻子を守るため家を出て一人で生きる覚悟を決める。時は経ち、息子のJJは有名大学を出て分析官としてFBIの管理部門に勤務するという、父親とは正反対のエリートコースを歩んでいた。



 ある日、JJの親友カリムが遺体となって発見される。警察は麻薬の過剰摂取による事故として片付けるが、納得出来ないJJは単独で捜査を開始する。しかし、この事件の裏にはいろいろとヤバい連中が絡んでいることが分かり、銃と暴力が嫌いなJJは踏み込んで調べられない。そこで、子供の頃に別れて以来一度も会ったことがなかった父親に、やむを得ず協力を依頼する。

 離れて暮らす父ジョンが、息子の誕生日にいろいろとヘンなものを贈っていたのには笑った。さらにジョンが別れた妻マヤの再婚話にヤキモキして、何かと邪魔をするというのもウケる。全体的に会話のテンポは良く、矢継ぎ早のジョークも万全だ。だが、プロットの組み立ては平凡で驚くような展開はない。敵の正体も、まあ予想が付く。

 アクション場面はスリルよりもお笑いの要素を重視しているようで、さほど盛り上がらない。クライマックスもジョンの父親まで登場して3世代のシャフトが揃って大暴れするのかと思ったら、ベタなズッコケ場面が先行して鼻白むことになる。ティム・ストーリーの演出は前作のジョン・シングルトンほどの力量は無く、軽く流している印象を受ける。

 とはいえ、ジョンを演じるサミュエル・L・ジャクソンが画面の中心に腰を下ろすと、何となく映画としてサマになってしまうのだ。JJ役のジェシー・T・アッシャーは悪くないし、マヤに扮するレジーナ・ホールはシッカリとした演技力でドラマを支える。さらにはジョン・シャフト・シニア役のリチャード・ラウンドトゥリーは、何とこのシリーズの第一作「黒いジャガー」(71年)に主演しており、けっこう感慨深いものがある。もちろん、あの有名なテーマ曲も挿入されており、あまり難しいことを考えずに気楽に向き合うには適当なシャシンかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「しとやかな獣」

2020-04-20 06:37:31 | 映画の感想(さ行)
 昭和37年大映作品。めちゃくちゃ面白い。まさに快作。森田芳光監督の「家族ゲーム」(83年)の原型とも言えるが、ポン・ジュノ監督の「パラサイト 半地下の家族」(2019年)にも通じる現代性、さらには我が国の戦後史をすくい取る奥深さをも併せ持つ、この頃の日本映画を代表するマスターピースである。

 都内の団地に住む前田家の主である時造は元海軍中佐ながら、戦後はドン底の生活を経験していた。マジメに生きても先が見えないと悟った彼は、子供たちに詐欺まがいの行為を奨励し、そうやって得た金でこのアパートに居を構えていたのだ。具体的には、芸能プロダクションに勤めている息子の実には会社の金を横領させ、娘の友子は小説家吉沢の妾として金を貢がせていた。



 実は同僚の三谷幸枝と懇ろな関係にあったが、その幸枝が、事業として旅館を開業することになったから別れたいと言い出す。幸枝は前田一家を凌ぐほどの食わせもので、夫に先立たれて子供を育てなければならない彼女は、男たちの誘惑に乗ったと見せかけて、しっかりと金を掠め取っていた。実に対しても“都合の良い金ヅル”としか思っていない。しかも税務署の神谷を抱き込んでいる社長の香取とも昵懇の間柄である幸枝は、絶対に罪に問われない立場にいた。そんな中、神谷は背任の疑いで懲戒免職になってしまう。

 とにかく、前田家の造型が最高だ。目的のためならば手段を選ばず、阿漕な真似も断じて恥じることは無い。なぜなら、彼らは終戦直後の惨状を知っているからだ。自分たちは意味も無く不憫な境遇に置かれたのだから、そこから這い上がるには非常識な方法を用いて当然だと思っている。

 それが如実に表面化するのは、のべつ幕無くセリフを並べて周囲を煙に巻いてばかりの彼らが、戦争が終わってすぐのことを思い出すと身体が硬直化して寡黙になるという場面だ。世間を欺き、社会に寄生する前田家の面々が、実は敗戦のトラウマに“逆寄生”されている倒錯した構図が焙り出されてくる。そんな理不尽さを忘れようとするかのように、夕陽をバックに実と友子が踊りまくるシーンは強烈だ。

 そして前田一家や幸枝はイレギュラーな遣り口で世の中を渡ってはいるが、立場は“下層”のままである。香取や吉沢のような“上級国民”には絶対になれない。その絶望的な格差のメタファーとして持ち出されるのが、この団地の意匠だ。基本的に、カメラはアパートから出ることはない。

 前田一家のエネルギッシュな生き様があらゆるアングルから活写されるが、それは団地の密室性および彼らの人生の閉塞感を示すのみで、開放感は皆無だ。しかも、前田家を尋ねた幸枝が部屋から外に出ると、不気味な異空間が広がっていたというシークエンスまである。言うまでも無く登場人物たちの孤立感を表現した描写で、強いインパクトをもたらす。

 新藤兼人の脚本を得た川島雄三の演出は天才的で、次々と繰り出されるブラックな笑いと、非凡な映像感覚の連続が観る者を圧倒する。伊藤雄之助と山岡久乃による前田夫妻は胡散臭さが全開で頼もしく、幸枝役の若尾文子は毒々しい美しさを見せつける。高松英郎に小沢昭一、船越英二、ミヤコ蝶々といった面々も実に“濃い”。カメラが初めて団地の外に出るラストも印象深く、これは必見の映画と言える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする