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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「ジンジャーとフレッド」

2020-12-13 06:48:37 | 映画の感想(さ行)
 (原題:Ginger et Fred)85年イタリア・フランス・西ドイツ合作。フェデリコ・フェリーニ監督の、後期の代表作だと思う。タイトルとは裏腹に、本作は往年のミュージカルスターであるジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアの伝記映画ではない。何しろ主演がジュリエッタ・マシーナ(当時66歳)とマルチェロ・マストロヤンニ(当時62歳)である。これは“アステア&ロジャーズ”を真似して、けっこう売れていた芸人の話だ。一度は解散した2人が、テレビの特集番組で30年ぶりに再会するという設定である。

 クリスマスの特番に出演するため、ローマの駅に降り立ったアメリア。彼女はタップダンス・コンビ“ジンジャーとフレッド”のメンバーだった。久々に会う相方のフレッド役のピッポは年は取っていたが、2人のコンビネーションは健在だ。さまざまな芸人たちが集まる中、彼らの出番が来た。ところが寄る年波には勝てず、昔のようには上手くいかない。それでも最後まで2人は楽しそうに踊るのだった。



 スタジオ内を歩き回る芸人たちは、レーガン大統領やベティ・デイヴィスやクラーク・ゲイブルやプルーストやら他多数のそっくりさんに、やたら高年齢の老人楽団とか、小人の一座やデブ女、殺人犯、はてはローマ教皇逝去の瞬間に鳴いた犬など、要するにマトモではないゲテモノの集まりだ。

 ただしそこはフェリーニ、フリークスたちの扱いには年季が入っていて、賑々しい雰囲気で楽しませてくれる。そんなイロモノ番組の、棺桶に片足を突っ込んだような元海軍大将の“前座”として、実は2人は呼ばれたのである。

 アメリアはピッポが好きだったのだが、彼の女癖の悪さに辟易して30年前にコンビを解消した。それから金持ちと結婚して、今は未亡人だが裕福で、昔の華やかさを失っていない。対してピッポは彼女と別れてから流浪の人生を送り、孤独で経済的にも恵まれず、しかもアル中である。相変わらず傲岸な態度を取るものの、アメリアとの“格差”は隠しようがない。テレビ局にやって来たのも、出演料欲しさでしかなかった。

 このあたりは人生の残酷さを描出して見応えがあるが、それでも2人が昔のようにショーを繰り広げる様子は、見事だ。このスポットライトを浴びる快感を若いときに存分に味わい、今でも機会さえあればそれを“再体験”できる。一瞬の煌めきさえあれば、人はそれを支えに生きていけるものだという、達観したスタンスが感じられる。ラストの処理も申し分ない。主演の2人はまさに“横綱相撲”で、圧倒的な存在感を醸し出している。フランコ・ファブリッツィやトト・ミニョネといった脇の面子も良い。哀歓に満ちた逸品と言える出来だ。
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「ザ・ハント」

2020-11-27 06:21:56 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE HUNT)出来自体は大したことはないのだが、設定はかなり興味深い。特に、敵役の描き方にはこれまで見られなかった独創性が感じられる。そのため本国では物議を醸したらしいが、銃乱射事件が発生したことを受けての公開延期という事態にも見舞われたとかで、いろいろと訳ありのシャシンであることは間違いない。

 12人の男女が森林地帯の中で目覚める。彼らは年齢や職業もさまざまで、互いに面識も無い。そして、ここはどこなのか、どうやって来たのかもわからない。目の前にあるのは巨大な木箱だけ。こじ開けてみると、一匹の豚と多数の武器が出てきた。一同が困惑していると、突然銃弾が飛んでくる。何者かが彼らの命を狙っているらしい。逃げ惑う彼らが思い当たったのは、金持ちが一般市民を殺戮する“マナーゲート”という狩猟ゲームだった。ネット上だけの噂と思われていたが、実在したらしい。かくして、必死のサバイバル劇が始まった。

 こういう“人間狩り”を描いた映画は過去に何本も存在したが、その多くがイカレた連中(たいてい富裕層)の蛮行を取り上げていた。本作も悪者どもは金持ちなのだが、ユニークなのはこいつらが過激な環境テロリストあるいは反レイシズム主義者である点だ。KKK団のような右派のレイシストではなく、リベラル陣営が手前勝手な正義感により狼藉に及ぶという図式が面白い。

 どこの国でもそうだが、ウヨクもサヨクも頭が悪いという点では一緒だ。だから左派がバカなことをやるのも何ら不思議ではないのだが、彼の国では珍しく思われるのだろう。しかも、昨今(アカデミー作品賞の新基準などの)行き過ぎたリベラリズムが米映画界を“侵食”している中、この映画を観て留飲を下げる向きもあるのだろう。

 さて、映画の序盤でいかにも物語の中心人物になりそうな若い男女があっさりと消されたり、12人の中になぜか戦闘能力が極端に高い者が含まれていたり(その理由も示される)と、面白い御膳立ては見られる。また、誰が敵か味方か分からない展開も悪くない。しかしながら、中盤以降は凡庸なサスペンス劇になる。ラストの敵の首魁とのバトルは、あまりにもショボくて見ていられない。

 そもそも12人が送り込まれたのが東欧某国で、(すべてがヤラセとも思えない)中東から来た難民のキャンプなんかも映し出されるというのは、この“マナーゲート”というのは随分と“穴”があるのだと思わざるを得ない。クレイグ・ゾベルの演出はテンポは悪くないが、ドラマの盛り上げ方に関しては不満が残る。

 ベティ・ギルピンにエマ・ロバーツ、アイク・バリンホルツ、そしてヒラリー・スワンクといったキャストは可もなく不可もなし。ただし上映時間は1時間半ほどだし、前述の設定の面白さもあって、観て損したという気にはあまりならない。
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「スパイの妻」

2020-11-13 06:37:55 | 映画の感想(さ行)
 黒沢清監督作品としては、ひどくつまらない。話の設定はもちろん、展開やキャストの演技なども評価するに値しない。第77回ヴェネツィア国際映画祭での銀獅子賞(最優秀監督賞)の獲得は、いわば“功労賞”と言うべきもので、この映画での仕事に対して贈られたものではないことを認識すべきかと思う。

 戦前の神戸で貿易会社を営んでいた福原優作は、その手腕で妻の聡子と共に地元の名士としての人望も厚かった。しかし1940年に訪れた満州の奥地で、彼は国際問題にも発展する重大な事実を知ってしまう。優作はそのことを世界に公表しようと決意するが、軍当局はスパイ容疑で監視するようになる。やがて、優作は聡子と一緒に思い切った行動に出る。



 満州で日本軍によって行われていた重大な行為とは731部隊での一件であると思われるが、いくら企業経営者とはいえ、優作のような民間人が軍の機密事項に接触できるはずがない。そもそも、優作の主義主張には説得力がゼロだ。彼は“自分はコスモポリタンだ”と言い、軍の狼藉を広く知らしめようとするのだが、その目的はどうやら不当行為の告発ではなく、日本国の壊滅であるらしい。

 百歩譲って彼がコスモポリタンだとして、日本はもちろん世界中の国々の主権を否定してもよさそうなものだが、彼が欲しているらしいのは“日本のみの消滅”なのだ。しかも、軍の違法行為を目撃しただけで、簡単に極端なニヒリズムに走ってしまう。これではまるで性格破綻者ではないか。題名にあるような“スパイ”にも成りきっていない。こんなのに付き合わされる部下の竹下や妻の聡子こそ、いい面の皮だ。

 そして聡子が夫を疑うくだりにも、サスペンスは皆無。伏線の張り方がわざとらしく、観ていてシラけてしまう。終盤のオチは誰でも読めるし、それを登場人物たちが大袈裟に驚いているあたりは、もはや茶番としか思えない。黒沢の演出には今回は光る箇所は無く、凡庸な仕事ぶりだ。本作がテレビ番組の再編集版だということを差し引いても、彼らしい才気は認められない。

 出演者では聡子に扮した蒼井優が目立っていたが、彼女にとってはさほど“本気”を出せる役柄ではない。ラストの大芝居なども“軽く流した”程度に見えてしまう。優作役の高橋一生は物足りない。もっと海千山千の俳優を持ってくるべきだった。

 そして酷かったのが将校を演じた東出昌大で、相変わらずの大根ながら、出番は無駄に多い。くだんのスキャンダルで“消えた”と思っていたら、いつの間にか仕事が回ってきているという、日本映画界の憂慮すべき実態をあらわしている(苦笑)。映像面でも見るべきものは無く、良かった点といえば衣装デザインぐらいだ。黒沢監督には純然たる劇場用作品にて本領を発揮してもらいたい。
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「シカゴ7裁判」

2020-11-02 06:25:55 | 映画の感想(さ行)
 (原題:THE TRIAL OF THE CHICAGO 7)アメリカ現代史における重要な事件を扱っているとのこと。しかし、映画を観る限りどうもピンと来ない。法廷劇らしいスリリングなタッチを期待していたが、題材へのアプローチや演出に問題があったとしか思えず、展開が平板で中盤あたりでは観ていて眠気との戦いに終始した。

 1968年8月。シカゴで開かれていた民主党の全国大会では、大統領選の候補者たちのベトナム戦争に対する見解をめぐって活発な議論が行われていた。同じ頃、会場近くのグランド・パークでは、ベトナム戦争に反対する多くの活動家や市民たちの集会が開催されていたが、その中の一部が民主党大会の会場に押しかけようとして警官隊と衝突する。この騒ぎで双方合わせて数百名の負傷者を出し、暴動を扇動した容疑でデモ参加者のうち、リーダー格のトム・ヘイデンをはじめ何人かが逮捕される。大陪審は彼らを起訴し、翌年9月より地裁にて公判が始まる。



 実際の法廷での質疑がどうだったのかは知らないが、ここで描かれる裁判の様子はメリハリが無く漫然と流れていくように思える。せいぜい当時の判事の無能ぶりがクローズアップされる程度で、映画的興趣に乏しい。弁護側と被告人たちとの情報共有や打ち合わせの描写も、何ら目立った進展が無く退屈なだけだ。

 前職の司法長官が証人として呼ばれるくだりでようやく盛り上がるかと思われたが、事態を打破する有効な決め手とはなり得ずにドラマは停滞する。裁判が長引いた挙句、ようやく終盤で事件の全貌が見え始めるのだが、これが釈然としない様相を呈している。今までの審議はいったい何だったのかと言いたくなるほどだ。こんな調子でラストに“感動的”みたいなモチーフを挿入しても、場が白けるだけだ。そもそも、本件では警官側の逮捕者も出ているのだ。そちらの顛末もフォローしなければ物語として不完全なものになるだろう。

 アーロン・ソーキンの演出は冗長で盛り上がりに欠ける。ヘイデンを演じる英国人俳優エディ・レッドメインには、アメリカ人のアンチャン役は似合わない。アレックス・シャープやサシャ・バロン・コーエン、ジョン・キャロル・リンチといった脇の面子も精彩を欠く。フランク・ランジェラやマイケル・キートンといったベテラン勢も、真価を発揮できていない。本国では好意的な受け止められ方をしているらしいが、何となく取り上げた題材のイデオロギー性だけで突っ走っている感じで、個人的には評価しがたい。
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「スローなブギにしてくれ」

2020-10-25 06:58:49 | 映画の感想(さ行)
 81年作品。正直言って出来自体は大したことがないと思う。しかし、この時代の空気感はよく出ていた。東映と角川春樹事務所による製作で、東映洋画が配給したものだが、当時は隆盛を誇っていた角川映画の中では配給収入は振るわず、何とか製作費を回収した程度だった。とはいえ、映像と音楽も効果的で、こういう“小洒落た”エクステリアを持つシャシンを手掛けた意義はあるだろう。

 夕暮の第三京浜をオートバイで走っていた青年ゴローは、白いムスタングから子猫と若い女が放り出される現場に遭遇する。それが切っ掛けになり、ゴローはさち乃と名乗るその女(そして子猫)と一緒に暮らし始める。一方、白いムスタングに乗っていた中年男は福生の旧米軍ハウスで男2人、女1人の奇妙な共同生活を送っている。しかも彼には、別居中の妻と子供がいた。ある日、同居していた男が急死してしまうと、それまで何とかトラブルなくやってきた彼らの生活が揺らいでくる。



 ゴローとムスタングの男との間を行ったり来たりするさち乃の行動は承服しがたいし、彼女をはじめ登場人物の内面描写は希薄だ。すべてがサラリと雰囲気だけで流していくような作劇は、藤田敏八監督の手による映画とも思えない。だが、捨てがたいテイストがあるのも事実。

 まるでヒッピーのような家族観を持つムスタングの男は、明らかに70年代的(それも初期)の風俗を体現化している。対して、気楽なバイト暮らしでノンシャランに生きるゴローは、ネアカ万能主義(?)の80年代の空気をまとっている。時代の変わり目をとらえたこの構図は面白い。片岡義男による原作は読んでいないが、この作家らしいスタイリッシュなタッチはよく表現されていると思う。

 キャストの中では、何といってもさち乃に扮する浅野温子の存在感が圧倒的だ。ゴローはもちろん、いいトシのムスタングの男まで振り回されるのは当然だと思わせるほど、奔放な魅力が爆発している。この頃の若手女優は、当たり前のように“身体を張って”くれたのだが、今から考えると隔世の感がある(笑)。古尾谷雅人と山崎努をはじめ、室田日出男に伊丹十三、岸部一徳、石橋蓮司、原田芳雄と、配役はかなり豪華。当時の角川映画はキャスティングも意欲的だった。安藤庄平のカメラによる清澄な映像、そして南佳孝による有名なテーマ曲も印象的。
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「最後の追跡」

2020-10-19 06:27:01 | 映画の感想(さ行)

 (原題:HELL OR HIGH WATER)2016年11月よりNetflixにて配信。第89回米アカデミー賞の作品賞候補であるにも関わらず、日本での一般公開が見送られた作品だが、ネット経由ながらこうして鑑賞出来るのは有り難い。内容は見応えがある。現代版の西部劇ともいえるエクステリアだが、設定や人物描写に優れたものがあり、筋書きも練られている。本国での高評価も納得だ。

 タナーとトビーのハワード兄弟は、テキサス州西部のテキサス・ミッドランズ銀行の複数の支店に次々と強盗に入る。テキサス・レンジャーのマーカスとアルベルトは、早速事件の捜査に当たる。マーカスは定年退職を間近に控えており、未解決のまま仕事を辞めるわけにはいかないと、着実に捜査を進めてゆく。

 一方ハワード兄弟はオクラホマ州にあるカジノを利用し、奪った金をマネーロンダリングして自宅に持ち帰っていた。2人には手っ取り早く金を集めなければならない事情があり、テキサス・ミッドランズ銀行を狙ったのも理由がある。だがマーカスは犯人たちが特定の銀行しか襲わないことから、行動パターンを調べることに成功。先回りしてハワード兄弟を捕まえようとする。

 粗暴なタナーと慎重派のトビーというキャラクター設定は悪くないが、それにはちゃんと作劇上の裏付けがある。2人がなぜ特定の銀行にしか強盗に入らないのか、どうして金を期限内に揃える必要があるのか、そこには悲しくも厳しい事由があった。アメリカ南部の貧困層のシビアな暮らし、しかしそれでも土地にしがみつくしかない状況、そんな現実がリアリティを伴って提示される。

 マーカスとアルベルトは失われつつある西部魂を持ち続けている存在で、愉快ならざる境遇にあっても正義を貫く心意気はある。この2つのスタンスが正面から激突する終盤近くの展開は、アクションシーンこそ少ないものの、重量感がある。さらには、余韻を持たせたラストの処理にも大いに感心してしまった。

 デイヴィッド・マッケンジーの演出は骨太で、弛緩したところが無い。また脚本担当のテイラー・シェリダン(劇中でカメオ出演している)の仕事も評価されてしかるべきだろう。マーカス役のジェフ・ブリッジスの渋すぎる演技は、長いキャリアを誇る彼のフィルモグラフィの中でも屈指の出来映えと言えよう。ハワード兄弟に扮したベン・フォスターとクリス・パインのパフォーマンスも申し分ない。ニック・ケイヴによるエッジの効いた音楽は場を盛り上げる。
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「シチリアーノ 裏切りの美学」

2020-10-17 06:58:32 | 映画の感想(さ行)
 (原題:IL TRADITORE)イタリア製のギャング・ストーリーなので、血で血を洗う抗争劇とキレの良いアクション場面の連続かと期待していたのだが、それはあっさりと裏切られる。もちろん、非情な悪者どもの跳梁跋扈は見られるが、実話を基にしているだけに娯楽作品向けのケレンやカタルシスは影を潜めている。個人的には好きな映画ではない。

 80年代初頭のシチリアでは、マフィア同士の争いが激化していた。何とか各勢力を仲裁して“休戦”に持ち込もうとしたパレルモ派の重鎮トンマーゾ・ブシェッタだったが、それは失敗に終わる。彼は妻子と共にブラジルに逃れたが、シチリアに残った親族や仲間たちは敵対するコルレオーネ派により皆殺しにされる。逃亡先のリオデジャネイロから別の場所に移ろうとしたブシェッタだったが、その前にブラジル当局に逮捕され、イタリアに引き渡される。



 一方、マフィアを撲滅させようとする判事のファルコーネは、ブシェッタに捜査協力を依頼。最初は躊躇っていたブシェッタだが、判事の真摯な姿勢に動かされ、犯罪組織コーザ・ノストラの実相を告白する。80年代から90年代前半にかけて展開した、イタリア政府当局とマフィアとの“戦争”を描く実録ドラマだ。

 冒頭にも述べたように、本作にはギャング映画らしい派手な場面はほとんどない。ではその代わりに何があるのかというと、裁判のシーンだ。しかもこれが2時間40分もの上映時間のうち、かなりの割合を占める。この法廷場面はけっこう興味深い。

 広い会場には法曹関係者が数多く集められ、その後ろには牢屋があって容疑者が詰め込まれている。そして囚人たちや傍聴席からは、容赦ない突っ込みや怒号やヤジが飛び交う。実際にどうなのかは知らないが、なかなか面白い構図ではある。しかし、そこで繰り広げられる裁判劇は一本調子で工夫が無く、観ている側は眠気との戦いに終始するハメになる。

 マルコ・ベロッキオの演出は起伏に乏しく、また登場人物が多すぎて名前を覚えるヒマもなく次々と“退場”していくのだから閉口してしまう。主演のピエルフランチェスコ・ファヴィーノは面構えが良く、パフォーマンスも達者。ルイジ・ロ・カーショやマリア・フェルナンダ・カンディド、ファブリツィオ・フェラカーネ、ファウスト・ルッソ・アレジとそれらしい佇まいの俳優をズラリと並べていることは評価したいが、あまり効果的に動かされているとは思えない。
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「ソワレ」

2020-09-26 06:55:39 | 映画の感想(さ行)
 まるで要領を得ない映画だ。作者の意図が見えない。もしかしたらアメリカン・ニュー・シネマの“復刻版”を日本映画でやりたかったのかもしれないが、時代も環境も違う中で形式だけ移管させようとしても、上手くいくはずもない。加えて作り手の余計なケレンが目に付き、鑑賞後の印象は芳しいものではない。

 役者を目指して上京した岩松翔太だが、なかなか芽が出ない。所属する小劇団での稽古には身が入らず、小遣い稼ぎのために振り込め詐欺の片棒を担いだりする。ある時、劇団員たちは和歌山県の高齢者施設で演劇を教えることになる。その施設がある町は、翔太の生まれ育った土地だ。そこで彼は介護員の山下タカラと知り合う。



 彼女は複雑な事情を抱えており、誰にも心を開かず、若さに似合わず世捨て人のような生活を送っていた。そんな中、翔太たちは彼女を夏祭りに誘うとするが、そこにムショ帰りのタカラの父親が押し掛けて翔太と揉み合いになる。タカラは彼を助けるために父親を刺殺してしまうが、翔太は彼女に“一緒に逃げよう”と持ちかけるのだった。

 アメリカン・ニュー・シネマの鉄板ネタである“罪を犯した者たちの逃避行”を前面に掲げるが、広いアメリカならともかく、日本国内ではたかが知れている。翔太自身や彼らを追う刑事たちが言うように、これは逃亡ではなく“かくれんぼ”であり、ただのママゴトだ。こんなもので映画的興趣が喚起されるわけがない。

 そもそも、主人公たちにまったく感情移入出来ない。翔太は俳優としては認められず、挙げ句の果ては犯罪に手を染めている。そんな奴に自身の不甲斐なさを独白されても、観ている側は鼻白むだけだ。タカラも不憫な生い立ちのため自主性を失っているようで、それが逃避行の間に少しばかり前を向けたとしても、鬱陶しさしか感じない。

 だいたい、翔太たちの劇団が東京から遠く離れた和歌山で、しかも翔太の地元だというのは御都合主義だろう。そしてタイミング良く(前振りも無く)タカラの父親が施設の寮に乗り込んでくるのも、無理筋だ。また、随所で挿入される(時制を無視した)登場人物の空想だの妄想だのといったシーンも、ワザとらしくてシラけるだけ。ラストの処理は作り手にとっては“してやったり”と得意気だろうが、まさに取って付けたようで脱力した。

 外山文治の演出は平板で、特筆出来るものはない。主演の村上虹郎と芋生悠は頑張っていたとは思うが、映画の出来がこの程度なので“ご苦労さん”としか言えない。なお、本作は小泉今日子らが設立した映画会社“新世界合同会社”の第一弾。とりあえずは次回に期待したい。
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「ザ・テキサス・レンジャーズ」

2020-09-11 06:43:23 | 映画の感想(さ行)

 (原題:THE HIGHWAYMEN)2019年3月よりNetflixから配信。本国での批評家の評価は平凡なものに留まっているらしいが、それも頷けるような内容だ。アーサー・ペン監督の代表作「俺たちに明日はない」(1967年)で知られる強盗犯ボニー&クライドの事件を当局側から描くという設定は興味深いが、ストーリー自体はさほど面白くはない。ただし主要キャストの存在感は印象的だ。

 1934年、アメリカ中西部で銀行強盗や殺人などをはたらいていたボニー・パーカーとクライド・バロウ及びその一味を、警察は約2年間追っていたがその足取りさえ掴めないでいた。業を煮やしたテキサス州知事は、数年前に解散したテキサス・レンジャーの元捜査官フランクに捜査を依頼。フランクは元相棒のメイニーに声を掛け、2人で追跡を開始する。彼らは長年の経験に裏付けられた直感を頼りに、ボニー&クライドの行動パターンを突き止める。フランクたちの活動を快く思っていないFBIからの勧告も無視し、2人は管轄外のオクラホマ州にまで捜査の手を広げる。

 一種のバディ・ムービーといった御膳立てだが、フランクとメイニーの掛け合いは大して盛り上がらない。どっちが車を運転するの何のといったネタも、やり取りのリズム感が希薄なので笑えない。かつてのテキサス・レンジャーズとしての矜持や、FBIなどに対する反骨精神が十分に描かれていたかというと、それも無い。

 アクション場面は冒頭の脱獄のパートぐらいで、有名なラストの銃撃シーンまで活劇的な興趣は見当たらない。ボニー&クライドが当時の民衆に支持されていたようなモチーフが導入されているが、その背景に関しては言及されていない。要するに、映画としての重点ポイントが見当たらないのだ。それは、元々この史実には当局側には大したドラマが存在していないことを意味しているのだろう。

 ジョン・リー・ハンコックの演出にも、いつものキレは無い。とはいえ、主演のケヴィン・コスナーとウディ・ハレルソンの存在は捨てがたい魅力がある。2人とも良い感じにトシを取り、そこにいるだけで絵になる。ジョン・キャロル・リンチやキャシー・ベイツといった他の面子も悪くない。そしてジョン・シュワルツマンのカメラが捉えたアメリカ中西部の美しい風景や、トーマス・ニューマンによる流麗な音楽も記憶に残る。
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「ジョーンの秘密」

2020-09-07 06:31:36 | 映画の感想(さ行)

 (原題:RED JOAN)興味深い映画である。主人公のかつての言動は、今から考えると完全に間違っている。しかし、あの時代にあって斯様な境遇に身を置いた者が、果たして理に適った行動が出来たのかというと、それは議論の余地がある。いずれにしろ歴史を振り返る際は、現在の価値観で物事を結論付けてはいけないということだ。

 2000年、ロンドン近郊のベクスリーヒースの街で穏やかな一人暮らしを送っていた老女ジョーン・スタンリーは、突然MI5の捜査官に逮捕されてしまう。容疑は、第二次大戦直後に核開発の機密情報をソ連のKGBに引き渡したこと。彼女はその頃、イギリスの核技術開発をおこなっていた非鉄金属研究協会に勤めていたのだ。

 ジョーンの息子で弁護士のニックは、母親の無実を信じ彼女の弁護を担当するが、実はMI5は長きにわたってジョーンの身辺を調査し、証拠を集めていたのだ。次々に露わになる彼女の衝撃的な過去に、ニックは動揺を隠せない。スパイ容疑をかけられた元国家公務員メリタ・ノーウッドの人生をモデルにした実録物だ。

 ジョーンが機密情報を東側に漏洩したのは、広島への原爆投下がきっかけだった。その恐るべき破壊力を目の当たりにした彼女は、この兵器を一方の陣営だけが保有すると、いずれ世界中が蹂躙されてしまうという危機感を抱く。それを回避するには、ワールドワイドな戦力の均衡を実現せねばならないという正義感に駆られ、実行に及んだのだ。

 しかし、先日観たアニエスカ・ホランド監督の「赤い闇 スターリンの冷たい大地で」においても示される通り、当時のソ連はナチス・ドイツも真っ青の超独裁国家で、国民は貧窮に喘いでいた。だが、対外的には社会主義の理想ばかりをPRし、それに共感するインテリ層が世界中に溢れていたのだ。だから、ジョーンの所業も愚行として片付けられない。終盤での主人公の独白にも、イデオロギー臭を感じつつも妙に説得力がある。見方を変えると、歴史解釈も大きく異なってくる。そんなアンビバレンツを描き出す本作のスタンスには、納得出来るものがある。

 トレヴァー・ナンの演出はケレン味は無いが、着実にドラマを進めている。ジョーン役のジュディ・デンチはさすがの貫禄だが、若い頃の主人公に扮するソフィー・クックソンの健闘が光る。ジョージ・フェントンの音楽も効果的だ。
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