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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「タイトル、拒絶」

2020-12-06 06:28:05 | 映画の感想(た行)
 決してウェルメイドな作品ではないが、観る者によってはかなり心に“刺さる”シャシンである。この映画に出てくる者たちは、大半がロクでもない。社会のメインストリームから外れている。しかし、彼らの苦悩と捨て鉢な感情は、少しでも日々の暮らしに対して違和感を抱えている人間にとっては、決して他人事ではない。スパイスの利いた佳編というべき作品だ。

 エレベーターも無い古い雑居ビルにあるデリヘルの事務所で働くカノウは、主に従業員たちの世話をしている。彼女は当初デリヘル嬢として入店したのだが、最初の仕事で客と重大なトラブルを引き起こし、スタッフに回されたのだ。事務所内はいつもデリヘル嬢たちの嬌声が絶えないが、その中でも一番人気のマヒルは周りの雰囲気を一変させるほどの存在感を有していた。そんな中、支配人は若くてスタイルの良い新人を連れてくる。途端に店内の上下関係は揺らいでくるが、店長がデリヘル嬢に手を出していることが発覚するに及び、従業員全員が抱える屈託が溢れ出してくる。



 冒頭、下着姿のカノウが小学生の頃にクラスで演じた芝居のことを語り出す。出し物の「カチカチ山」では、彼女はタヌキの役をやっていた。でも、可愛らしいウサギばかりが目立っており、観客の誰もタヌキになんか目もくれない。だから、彼女はウサギに憧れていたのだという。しかし、カノウはウサギのように表舞台に立てるキャラクターではなかったのだ。何をやっても上手くいかず、風俗嬢ですら不向きである。

 マヒルはいつも笑っているが、とうに人並みの幸せを求めることを諦めている。彼女が縋るのはカネだけで、楽して余生を送るだけの財力を身に付けることしか考えていない。他にも、明らかに精神のバランスを崩している者や、自分だけの世界に入り込んでいる者がいる。スタッフも異性関係については完全に醒めているか、あるいは惰性で続けているかのどちらかだ。

 そんな彼らが狭い店内で虚勢を張り、互いにマウンティングに励もうとも、それは限られた空間(しょせんは風俗店)の話でしかない。だが、そんな様子を“ドロップアウトした連中の内輪もめ”と片付けることは出来ないのだ。自身が見渡せる範囲内での立ち位置に拘泥し、結局は消耗していく感覚を味わったことがある者は多いはず。その意味で、本作の登場人物たちには大いに共感出来る。終盤の扱いには、逃げ出したいけどそれは叶わない彼らのディレンマを即物的に描き出し、実に痛切だ。

 これがデビュー作となる山田佳奈監督の仕事ぶりは、セリフが聞き取りにくいなどの不手際はあるものの、一貫して堅実なタッチを維持している。主演の伊藤沙莉は好演で、その開き直ったような存在感はインパクトが大きい。恒松祐里に佐津川愛美、片岡礼子、でんでん、モトーラ世理奈といった他の面子もイイ味を出している。あと関係ないが、姉妹を演じた恒松とモトーラが、実は生年月日が同じだということを最近知り、個人的にウケてしまった(笑)。
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「ザッツ・ダンシング!」

2020-12-05 06:10:15 | 映画の感想(た行)
 (原題:That's Dancing)84年作品。歴代の映画に登場したダンス・シーンの傑作場面を厳選し、編集したアンソロジーだ。この手の映画でまず思い出されるのは、74年の第一作から3本作られた「ザッツ・エンタテインメント」シリーズである。本作は一見その“二番煎じ”だと思われるが、実はかなり違う。新しい切り口が用意されていて、訴求力が高い。その意味では、観る価値は大いにある。

 まず、この映画は「ザッツ~」シリーズとは異なり、MGMだけではなく他社のフィルムも使い、総括的な作りになっていることが挙げられる。もちろん、それだけでは突出した特色とは言えない。だが、映画のオープニングに“すべてのダンサーに捧げる”というメッセージが表示され、次に“とりわけ映画が発明される以前のダンサーたちに”と続いた時点で、早くも本作の“意識の高さ”に感心してしまう。



 そうなのだ。どんなに素晴らしいパフォーマンスであっても、映画が発明される以前のダンサーたちの仕事を検証することは不可能なのである。今さらこんなことを言うのはおかしいが、ここで映画というメディアの革新性を痛感した。そして、第一部のナレーターであるジーン・ケリーが19世紀の終わりに発明された“ムーヴィーカメラ”によってダンスの形態が変遷を遂げたことを告げるのだから、尚更である。

 つまりは“ムーヴィーカメラ”は舞台での集団芸から、アップが可能になったことによる個人芸の時代に移行させ、さらにダンスは選ばれた達人たちのパーソナルな芸から、一般ピープルが嗜むものに“進化”させたのだ。本作は映画の黎明期からG・ケリーやフレット・アステアなどの綺羅星の如く洗練されたパフォーマンスを次々と紹介した後、終盤には何と「サタデー・ナイト・フィーバー」(77年)のジョン・トラボルタのディスコダンスが挿入される。

 かつてのミュージカル映画黄金時代のスターたちの圧倒的な力量に比べれば、トラボルタの踊りはいかにも俗っぽい。しかし“ムーヴィーカメラ”とダンスとの関係性を突き詰めると、ダンスの大衆化というフェーズにおいて、ここで「サタデー・ナイト・フィーバー」が出てくることは当然のことなのだ。

 また、「オズの魔法使い」でカットされたレイ・ボルジャーの踊りや、少年時代のサミー・テイヴィスJr.や、伝説的黒人ダンサーのビル・ボージャングルズ・ロビンソンの姿など、未公開フィルムが紹介されているのも興味深い。監督のジャック・ヘイリーJr.の仕事ぶりは大いに評価されるべきだろう。
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「遠い声、静かな暮らし」

2020-11-30 06:30:27 | 映画の感想(た行)
 (原題:Distant Voices, Still Lives )88年イギリス作品。しっかりと作られた佳編である。単なる家族ドラマの枠を超え、描く対象は幅広く、掘り下げは深い。監督のテレンス・デイヴィスはこれが長編処女作で、新人にもっとも権威のあるロカルノ国際映画祭での88年度グランプリ受賞作品である。

 1950年代のリバプール。この日結婚式を迎えたアイリーンの一家は決して裕福ではなかったが、大した災厄も無く、それまで人並みの生活を送ることが出来ていた。ただし、父親は早々に世を去っていた。アイリーンとメイジー、トニーのきょうだいにとって、父親は厳格で融通の利かない厄介な存在だった。



 彼は子供たちのやることに全て反対し、時には暴力を振るっていた。しかし、クリスマスにはそっとプレゼントをくれたり、優しいところもあったのだ。娘の晴れ舞台に父親がいないことは、家族にとってはやはり寂しい。メイジーとトニーもやがて結婚し家庭を持つのだが、いずれも平穏とは言えない日々を送る。ただ、それでも彼らの人生は続いていくのだった。

 回想シーン中心に映画は進んでいくが、これは単なるノスタルジーではなく、過去を描くことこそが現在と未来への意味を生み出すものだという、作者の時間に対する独特の見識が窺われるのだ。事実、本作で展開される過去の出来事は、文字通り“過ぎ去った”ことではなく、今も登場人物たちの傍らに寄り添い、これからも共にあることを示唆している。

 そしてその構図を効果的に表現せしめるのが、彼らが昔から愛唱していた当時の歌である。家族間の確執を赤裸々に描出することだけがホームドラマのメソッドではない。言いたいことも、それぞれの想いも、音楽に乗せて昇華させるという、この手法は作り手の冷静さと賢明さをあらわしており、観ていて感心する。また、音楽のリズムが演出のテンポとシンクロし、相乗効果が現出していることも見逃せない。そして、その表現方法は主人公の一家だけではなく、周囲の者たちの生き方もカバーしている。

 父親役のピート・ポスルスウェイトの演技は、彼の多彩なフィルモグラフィの中では上位に入る。頑固だが、人間味のあるキャラクターの創出は見事だ。フリーダ・ダゥウィーにアンジェラ・ウォルシュ、ディーン・ウィリアムズ、ロレイン・アシュボーンといった他のキャストも手堅い。ウィリアム・ダイヴァーとパトリック・デュヴァルのカメラによる、奥行きのある映像も見逃せない。
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「罪の声」

2020-11-22 06:55:50 | 映画の感想(た行)
 手際の良い作劇で、観ている間は退屈しない。キャストの好演もあり、2時間を超える上映時間もさほど長くは感じられなかった。ただし、エピソードを詰め込んだわりには映画の主題(と思われるもの)があまり見えてこない。これはたぶん、主なスタッフがテレビ畑の者たちであり、映画らしい思い切った仕掛けを用意出来なかったことが原因だろう。

 大阪にある新聞社の文化部に籍を置く阿久津英士は、すでに時効となっている昭和最大の未解決事件を追う特別企画のスタッフに選ばれる。当時の資料を頼りに取材を進めるうち、彼は犯人グループが脅迫電話に3人の子供の声を使ったことに興味を覚える。一方、京都でテーラーを営む曽根俊也は、ある日父の遺品の中から古いカセットテープを見つける。



 さっそく再生してみると、聞こえてきたのは幼い頃の自分の声だったが、それはあの事件での身代金の受け渡しに使用された音声テープと全く同じであることが分かった。事件のことを調べ始めた曽根は、やがて阿久津と接触する。グリコ・森永事件をモチーフにした塩田武士による同名小説(私は未読)の映画化だ。

 本作においては、あの事件には60年代に日本を席巻した安保闘争が大きく関わっていることになっている。70年代初頭にその運動は頓挫したはずだったが、その残党が80年代になって“ある切っ掛け”によって活動を再開するという筋書きが背景のひとつだ。ならば映画としては、70年までと80年代以降との時代の空気感(特に、国民の政治に対する意識)の違いを、鮮明に打ち出す必要がある。

 しかし、ここでは当事者たちの単なる“私怨”で片付けられている。しかも、途中から事件のイニシアティブは犯行の片棒を担いだヤクザ組織に取って代わられており、これでは何のために安保闘争というネタを採用したのか分からない。そもそも、曽根の身内がどうしてそんなヤバい音声テープ等を廃棄せずに現在まで保管していたのか不明だし、阿久津が勤める新聞社が現時点でこの事件を取り上げた理由も判然としない。

 映画はそんな重要なことはサッと流し、曽根の家族および事件関係者の親族を中心にドラマを展開させる。これがまあ、いわゆる“泣かせ”の要素が満載で、過剰なほど繰り返される。それが一般観客の皆さんにはウケているようだが、本格的ミステリーを期待していた向きには、まるで物足りない。

 土井裕泰の演出には破綻が無いように見えるが、やはり“テレビドラマ的”であり、深みに欠ける。主演の小栗旬と星野源をはじめ、松重豊に古舘寛治、市川実日子、火野正平、宇崎竜童、梶芽衣子などキャストは充実している。若手では原菜乃華(園子温監督の「地獄でなぜ悪い」で印象的だった子役だが、いつの間にか成長している ^^;)と阿部純子の仕事ぶりが目立っていた。Uruによるエンディングテーマ曲も悪くない。
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「土曜の午後に」

2020-09-25 06:28:58 | 映画の感想(た行)

 (原題:SATURDAY AFTERNOON)アジアフォーカス福岡国際映画祭2020出品作品。昨今のコロナ禍によってこのイベントも今年度は規模が大幅に縮小され、上映本数も開催期間もスケールダウンした。唯一観たのがこのバングラデシュとドイツの合作による映画だが、内容はかなり強烈でインパクトが大きい。あまりの過激さにバングラデシュ国内では上映禁止となったらしいが、それも頷けるほどだ。

 2016年7月1日、ダッカのレストランに7人のテロリストが乱入。人質を取って警官隊とにらみ合うが、結果として17人の外国人(日本人も含む)をはじめ計20人が殺害される大惨事となった。映画はレストラン内での、人質とテロリストとの駆け引きを描き出す。

 本作の最大のアピールポイントが、86分の上映時間で一度もカメラを切り替えていないことだ。つまり、ワンカットで撮られているのである。しかも、最近公開された「1917 命をかけた伝令」のような“疑似ワンカット”ではなく、正真正銘のカメラ一台での作劇のように見える。実話を基にしており、しかも舞台をレストランのワンフロアに限定している分、この手法が大きな効果を上げている。

 テロリストたちは全員が狂信者で、イスラム教徒(スンニ派)以外はすべて敵だと思っている。たとえ相手が回教徒であっても、難癖を付けて容赦なく始末する。この、ほとんど理屈が通用しない殺戮マシーンである彼らの恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。だが、彼らはインド人に対して病的な敵愾心を抱いており、それを利用して人質の一人が策略を練るあたりが、ドラマとして盛り上がるモチーフになっている。この筋書きは秀逸だ。

 モストファ・サルワル・ファルキの演出は粘り強く、最後まで観る者を引っ張ってゆく。もっとも、テロリストたちが人質のそばに無造作に銃を置いたり、漫然と窓際に立っていたりと、気になる点はあるのだが、それでも映画自体の求心力は衰えない。

 今回の映画祭はコロナの問題によりゲストは誰も呼ばれていないが、上映前には監督からのビデオメッセージが映し出された。監督はここに描かれた事実の陰惨さと共に、未来に対して一筋の希望を織り込んだと述べていたが、劇中の人質たちの勇気ある行動はそのことを体現していると言える。キャストのパフォーマンスも万全で、これはぜひとも一般公開を望みたい。
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「東京の恋人」

2020-09-14 06:25:50 | 映画の感想(た行)
 ハッキリ言って、古臭い映画だ。しかも、キャラクターの作り込みが浅く、各キャストの演技も褒められたものではない。ならば全然面白くない映画なのかといえば、決してそうではないのだ(笑)。本作の持つ、奇妙な懐かしさは独特の魅力がある。もっともそれは、80年代あたりの日本映画をリアルタイムで観た層(私を含む ^^;)に当てはまる話だろう。それ以外の観客は、まるでお呼びではない。

 主人公の立夫は学生時代に撮った短編映画が高評価を得て、卒業後も映画に関わろうとしていたが実績を上げられず、結婚を機に東京を離れて北関東に移り住みサラリーマン生活を送っている。ある日、昔の恋人である満里奈から“会いたい”との連絡を受け、彼は数年ぶりに上京する。彼女も結婚していたが、そんなことはお構いなしに2人は濃密な時を過ごす。だが、すでにそんなに若くはない彼らは、後先考えずアバンチュールを続けられる立場にはなかった。



 一応現代の話なのだが、登場人物たちの佇まいや振る舞いは3,40年前を思わせる。立夫が自主映画がモノになると考えていたこと自体が古い。2人がジム・ジャームッシュ監督の「ストレンジャー・ザン・パラダイス」(84年)のマネをして喜ぶシーンがあるが、今どきの若い衆はそんなことはしない。立夫が使うカメラはフィルム式で、彼を含め周りの連中はところ構わずタバコを吸いまくる。そもそも、2人のファッションは妙にレトロである。

 しかし、それらは観る者によってはノスタルジックに映るのだ。二度と戻らない青春を、昔のエクステリアに投影する方法は、けっこう琴線に触れるものがある。監督の下社敦郎はまだ30代だが、この年代で斯様な古めかしさを演出できるのは、ある種の才能かもしれない。

 立夫役の森岡龍は主役としての“華”はなく、存在感は希薄でセリフ回しも一本調子だ。満里奈役の川上奈々美も同様だが、彼女はけっこう人気のあるAV女優とのことだ。しかし、それにしては色気が不足していて服を着ている方が可愛く見える(笑)。他のキャストも上手い演技をしていない。だが、それらも含めて許してしまえるほど、この映画のノスタルジーは捨てがたい。あと関係ないが、2人が行った小さな食堂で出される“特製カレーライス”が美味しそうだった。
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「トリプル・フロンティア」

2020-05-23 06:51:02 | 映画の感想(た行)

 (原題:TRIPLE FRONTIER )2019年3月よりNetflixで配信されたクライムアクション。製作にキャスリン・ビグローが関与しているので期待出来るかと思っていたが、中身はさほどでもない。有り体に言えば、盛り上がらないまま終わってしまう。ただロケ地の風景は魅力的なので、そこだけに着目すればある程度は満足出来るかもしれない。

 かつて米軍陸軍特殊部隊に所属し、今は南米の民間軍事会社に籍を置いていることサンティアゴ・ガルシアは、麻薬組織のボスであるロレアを追撃している際にロレアが自宅に大金を貯め込んでいるという話を聞きつける。これを強奪することを考えた彼は、早速昔の仲間のトム・デイヴィスに話をもちかける。

 気の進まないトムであったが、別れた妻と娘に生活費を渡さなければならない立場上、しぶしぶ引き受ける。他に3人のメンバーを加えた一行は、ブラジル奥地にあるロレアの邸宅に侵入して見事に金を入手することが出来た。しかし、逃走用のヘリコプターが山中に不時着。彼らはやむなく徒歩で山岳地帯を抜け、国外脱出のための船が待つ海岸線を目指す。

 ロレア邸から金を掠め取る場面はいくらでもサスペンスとアクションが挿入出来そうなものだが、意外なほどあっさりと切り上げている。ひたすら逃げる主人公たちを追って、組織側からは山のような実行部隊が出撃してもおかしくはないが、なぜか姿を見せない。わずかに途中で彼らがトラブルを発生させた村の者が私怨で迫ってきたり、海岸地帯でロレア配下の武装集団(とは名ばかりの、単なる不良少年グループ)が襲ってくる程度。要するに、あんまりスリリングではないのだ。

 その代わりに何があるのかというと、それはサンティアゴたちの内面的屈託なのかもしれない。確かに、登場人物たちが軍を退いてからの虚脱感みたいなものは示されていた。だが、あまり印象的ではなく、描写不足と言ってもいいだろう。とはいえ、バックに映し出される南米の大自然には圧倒される。ロケ地はコロンビアとのことだが、まさに目覚ましい美しさだ。

 J・C・チャンダーの演出は平板で、盛り上がる箇所は少ない。ベン・アフレックにオスカー・アイザック、チャーリー・ハナムといった顔ぶれ自体は悪くないが、目立った仕事はしていない。特にアフレックは昨今出演作こそ多いものの、特に成果を上げていないのは辛いところだ。
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「タイラー・レイク 命の奪還」

2020-05-18 06:51:05 | 映画の感想(た行)

 (原題:EXTRACTION)2020年4月よりNetflixで配信。かなり楽しめるバイオレンス・アクション巨編で、どうしてこれがネット配信のみなのか理解しがたい。映画館のスクリーンで対峙したかったシャシンだ。「アベンジャーズ」シリーズでお馴染みのクリス・ヘムズワースとしても、当たり役の一つになることは必至だろう。

 主人公のタイラー・レイクは、数々の修羅場を乗り越えてきた傭兵だ。今は裏社会からの危険な任務を請け負っている彼は、インドのムンバイを根城にしているマフィアのボスの息子である中学生のオヴィを救出するという仕事を引き受ける。オヴィを誘拐したのはバングラデシュの麻薬組織の親玉アミールで、タイラーは早速ダッカにある敵のアジトに向かう。無事にオヴィを連れ出すことに成功したタイラーだが、アミールは町のギャング共はもちろん軍や警察も牛耳っており、雲霞の如く押し寄せる敵の大軍の攻撃に晒される。ジョー・ルッソ(脚本も担当)によるグラフィック・ノベルの映画化だ。

 正直言って、タイラーの内面は深くは描かれていない。彼の仲間の正体も不明だ。大きな屈託があって傭兵になったことは窺われるが、その背景は示されず、身体中に刻まれた傷が彼の過酷な人生を暗示しているだけだ。しかし、本作ではそれが大きな欠点にはならない。まさにアクションがキャラクターを語るというか、主人公のニヒルな表情と程度を知らない大暴れが、タイラーの存在感を画面上に叩き付ける。

 観る者をアクションでねじ伏せてしまう思い切りの良さが、存分にアピールしている。とにかくタイラーの仲間とオヴィ、そして途中から味方に付くサジュ以外は、出てくる連中は全て敵なのだ。殺しても殺しても、次々と敵は湧いて出てくる。それでもめげずに卓越した身体能力で相手をなぎ倒してゆくタイラーの頼もしさに、驚き呆れるしかない(笑)。

 活劇の段取りはそれぞれよく考えられており、特に激しいアクション場面が連続するにも関わらず、カメラワークは長回しを多用するという大胆さには唸ってしまった。これがデビュー作になるサム・ハーグレイブ監督の仕事ぶりはパワフルそのもので、最初から最後まで弛緩することはない。

 ヘムズワース以外のキャストでは、傭兵の女リーダーを演じるゴルシフテ・ファラハニが相変わらずの美貌を披露して好印象。ランディープ・フーダーやデイヴィッド・ハーバー、パンカジ・トリパティといった脇の面子も良い。ダッカの街の遠景も魅力的だ。続編製作決定とのことで、楽しみに待ちたい。
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「ドライヴ」

2020-05-03 06:31:57 | 映画の感想(た行)

 (原題:DRIVE )2011年作品。スタイリッシュなエクステリアと魅力的な主人公の造型が特徴の、犯罪映画の佳編である。マーティン・スコセッシの「タクシードライバー」(76年)や、ウォルター・ヒルの「ザ・ドライバー」(78年)との類似性が指摘されるかもしれないが、本作独自の美点も存分にフィーチャーされている。

 ロスアンジェルスの裏町に住む主人公の“ドライバー”は、昼間は自動車整備工場に勤め、バイトとして映画のスタントマンを時折引き受けているが、実は犯罪者の逃走を手助けするプロである。ある日、彼は同じアパートに住む若い人妻アイリーンと知り合い、仲良くなる。服役中だった彼女の夫スタンダードはしばらくして出所するが、多額の借金を背負っていた彼はサラ金に押し入ることを債権者から強要されていた。“ドライバー”は彼の逃走をサポートするはずだったが、なぜかスタンダードは逃げる前に射殺されてしまう。どうやら背後で大きな陰謀が進行しているらしく、やがて“ドライバー”にも災厄が降りかかってくる。

 この“ドライバー”のキャラクター設定が絶妙だ。突っ張ったり凄んだりする気配が微塵も無く、淡々と仕事をこなしてゆく。ならば冷徹で愛嬌に欠けるのかというとそうではなく、表情に乏しいながらも感情を露わにするシーンでは内面が観る者に無理なく伝わってくる。実に自然体で好ましいのだ。

 そんなノンシャランな彼が窮地に陥っても、たぶんピンチを脱するだろうとは思うものの、どのようにして乗り切るのか予想出来ない。しかも彼は基本的に銃器類を使わず、金槌だの匕首だのといった“手近な道具”で間に合わせるという意外性を出してくるのだから堪らない。筋書きとしては、仲間だと思っていた奴らが悪党だったり大金の出所がヤバい筋だったりと、いろいろと凝っていて飽きさせない。さらには、アイリーンとの逢瀬もけっこう泣かせるのだ。

 ニコラス・ウィンディング・レフンの演出は相当カッコ付けているが、ケレン味が鼻につく寸前のところで踏み止まっており、これはこれで評価出来る。なお、本作で彼は第64回カンヌ国際映画祭で監督賞に輝いている。主演のライアン・ゴズリングは快調で、甘めのマスクが役柄とアンマッチと思わせて、ロマンティックな味を醸し出すことに成功している。

 アイリーンに扮するキャリー・マリガンは(前にも述べたけど)あまり好きな女優ではないが、ここでは場をわきまえた好演を見せている。ブライアン・クランストンやクリスティーナ・ヘンドリックス、ロン・パールマン、アルバート・ブルックスといった他の面子も良い。ニュートン・トーマス・サイジェルのカメラによる危なっかしいロスの町の風景と、クリフ・マルティネスの音楽も効果的だ。
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「トレーニング デイ」

2020-05-01 06:57:36 | 映画の感想(た行)
 (原題:TRAINING DAY)2001年作品。よくあるベテラン刑事と新人刑事とのバディムービーのルーティンを完全無視し、全編これ悪意に満ちたモチーフと暴力性、そしてキャストの健闘により見応えのある作品に仕上がった。さらには一日の出来事に集約するという思い切りの良さ、ロケーションの魅力も光る。

 所轄の交通課からロスアンジェルス市警の麻薬課の刑事に抜擢されたジェイクは、初出勤を迎えて早起きし、遣り手の捜査官アロンゾとコンビを組んでパトロールを開始した。ところが、アロンゾはとんでもない悪徳刑事で、ギャング共とも完全に癒着。彼はジェイクに、これも治安を守るための必要悪だと嘯く。一時はそれも仕方が無いのかと納得したジェイクだが、アロンゾの遣り口は完全に度を超しており、2人は対立し始める。やがて、アロンゾの所業は職務に関係の無い私利私欲のためだったと知るに及び、ジェイクはアロンゾを完全なる敵として認識する。



 最初は仲違いしていた2人が、事件を追う間に互いを理解して絆を深める・・・・といったこの手の映画の常道からは大幅に逸脱し、当初は若い方は理解しようとしていたが、次第に険悪な仲になり終いには激しく対立するという逆のパターンが展開されているのが面白い。しかも、アロンゾは犯罪が蔓延るロスのダウンタウンで強かに生きているという、全身から滲み出る説得力を持っているのが始末に悪い(笑)。

 演じるデンゼル・ワシントンは素晴らしく、それまで“いい人”ばかりを演じていた彼が斯様なワルに扮すると、凄みは幾何級数的にアップする(本作で第74回米アカデミー賞の主演男優賞を獲得)。ジェイク役のイーサン・ホークも好調で、正義感に溢れて新しい職場に飛び込んでみたものの、肝心の上司が超問題人物で手酷く翻弄されるという役柄を、観る者の共感を呼ぶように演じていた。

 アントワン・フークアの演出は彼のフィルモグラフィの中では上位にランクされる仕事ぶりで、一日という時間制限の中に見せ場を次々に織り込み、それらに乱れが無い。後半の銃撃戦から終盤の息が詰まるような対決シーンまで、存分に引っ張ってくれる。

 しかも脇にはドクター・ドレーやスヌープ・ドッグといったラップ勢、そしてスコット・グレンやトム・ベレンジャーといった重鎮まで控えている。本物のストリートギャングの協力を得て実際の“現場”でロケが決行され、臨場感はかなりのものである。マーク・マンシーナの音楽も的確だ。
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