goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「テラー・トレイン」

2023-06-02 06:15:12 | 映画の感想(た行)
 (原題:Terror Train)80年作品。第95回アカデミー賞にて「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」のパフォーマンスが認められて助演女優賞を受賞したベテランのジェイミー・リー・カーティスが、若い頃に得意(?)としていたホラー物の一本。たぶん今見直すと古さは否めないが、彼女の頑張りもあって観た時はけっこう楽しんだのを覚えている。

 大晦日に大学最後のパーティを列車の中で開こうと、一行は豪華なSL列車を借り切る。仮装パーティーも兼ねており、学生たちは思い思いのコスチュームに身を包み、ついでに場を盛り上げるためにマジシャンとその助手も招かれていた。ところが列車が走り出すと殺人事件が発生。実は3年前の大晦日、学生の一人が悪質なイタズラにより重篤なメンタル的障害を負うという事件が発生しており、最初に血祭りに上げられたのはその関係者の一人だったのだ。そしてその一件に加担していた連中が次々に犠牲になる。事件の発生を車掌から最初に知らされた女学生のアラナは、何度かピンチに陥りながらも犯人を突き止めようとする。

 オープニングは「キャリー」風で、エピローグは「殺しのドレス」を想起させる。つまりはブライアン・デ・パルマ監督作品のエピゴーネンであるのは明らかだが、ヒッチコックやペキンパー映画の影響も感じさせて飽きさせない。監督は当時30歳代だったロジャー・スポティスウッドで、実際彼はサム・ペキンパーの助手を務めていた(後にジェームズ・ボンド映画も手掛ける)。だから活劇はお手の物で、どちらかといえばホラー演出よりはアクション映画寄りの展開になっている。

 アラナ役のジェイミー・リー・カーティスは実に元気よく列車内を走り回り、観客に細かい点を突っ込む暇を与えない(笑)。舞台になるチャーターしたSLは1948年型の年代物で、車内はさながらレトロなゲームセンターの趣向。カクテル光線と響き渡るロックが場を盛り上げる。筋書きは終盤に二転三転し、お手軽なシャシンながらよく考えられている。

 ハート・ボシュナーにデイヴィッド・カパーフィールド、デレク・マッキンノン、サンディー・カリー、ティモシー・ウェバーといった面子はライト級ながら良好。車掌に扮しているのがベン・ジョンソンというのも悪くない。なお、この映画は封切り時には「オーメン 最後の闘争」の併映だったらしい。ホラー二本立てという企画は安直ながら、けっこうお得感は高かったと思われる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「デッドゾーン」

2023-05-27 06:03:23 | 映画の感想(た行)

 (原題:THE DEAD ZONE )83年作品。カナダの鬼才デイヴィッド・クローネンバーグ監督の出世作であり、スティーヴン・キングの小説の映画化作品の中でも出来の良い方に属するだろう(まあ、私は原作は未読なのだが ^^;)。取り上げられている主要モチーフは結構アップ・トゥ・デートなものであるし、何よりキャストの力演が光る。

 メイン州に住む高校教師のジョニー・スミスは、ある晩交通事故に遭い昏睡状態に陥る。目覚めたときは5年もの時間が経過しており、婚約者のサラは別の男と結婚して子供もいることを知り彼は落ち込むばかりだった。しかし、事故で脳に刺激を受けたことが切っ掛けになり、彼には他の人間に触れることによってその者の未来を透視するという超能力が備わってしまう。

 ジョニーの能力は周囲の者が知ることになり、テレビでも紹介され一躍脚光を浴びる。ある時、ジョニーは新進の地元政治家グレッグ・スティルソンと握手した際、スティルソンが将来大統領になり、核ミサイルの発射ボタンを平気で押すヴィジョンを透視してしまう。ジョニーは世界を救うべくスティルソンの暗殺を計画する。

 世界は今あちこちで火種を抱え、実際に紛争が起こっている。幸いにも現時点ではすぐさま核兵器の使用に走るような軽率な指導者は見当たらないようだが、強硬手段も辞さない輩がトップを取る可能性もゼロではなく、スティルソンみたいな人間が出てこないとも限らない。それだけに本作の後半の展開は迫真力がある。

 ジョニーに扮するのはクリストファー・ウォーケン。オスカーを得た「ディア・ハンター」(78年)からあまり年月が経っていない時期で、いわば彼が絶好調だった頃の作品である。5年もの“休眠期間”を送ることを余儀なくされ、しかも妙な能力を身に着けてしまい、世間からの好奇の目に晒される。捨て鉢になってもおかしくないが、それでも世のため人のために生きることを選ぶ主人公像を、深い内面演技で表現している。ブルック・アダムスにトム・スケリット、そしてマーティン・シーンといった面子も強力だ。

 クローネンバーグ監督が得意とする変態演出は抑え気味で、ウェルメイドなサスペンス編に徹しているが、それが却って万人に比較的受け入れられやすいテイストに繋がったと言える。とはいえ、日本での公開は完成から5年後の87年であり、それもミニシアターのみの封切りであったことは、当時はこの作家の“芸風”は一般的ではなかったことを示していて興味深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トリとロキタ」

2023-04-22 06:20:22 | 映画の感想(た行)
 (原題:TORI ET LOKITA)ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督作品らしい厳しいタッチが横溢しているが、これまでの彼らの映画に(程度の差こそあれ)必ずあった“救い”というものが見受けられない。それだけシビアな現実をリアルに活写していると言えるが、それで映画としての面白さ喚起されているかは別問題であろう。

 アフリカから地中海を渡ってベルギーのリエージュまでたどり着いた少年トリと年上の少女ロキタは、他人同士ながら本当の姉弟のように支え合って生きていた。特にロキタは情緒不安定で、しっかり者のトリとしては目が離せない。未成年の2人はビザが無いため、ドラッグの運び屋をして金を稼ぐ毎日だ。ロキタは何とか偽造ビザを手に入れるため、さらにヤバい仕事に手を染めることになる。



 アフリカでの辛い生活から逃れるためにヨーロッパに渡っても、別の意味での苦界が待っている。いくら主人公たちが子供でも、容赦しない。看過できないのは、たとえEUの本部があるベルギーのような国でも、麻薬汚染をはじめとする治安の劣化が避けられないことだ。一見何の変哲もないレストランの厨房でドラッグの取引が展開されていたり、郊外の工場がアヘンの精製所になっていたりと、実態は本当にエゲツない。

 それら社会のダークサイドにとって、トリとロキタのような年若い異邦人は絶好の餌食になる。工場で働かされているロキタをトリが探し出すパートこそミステリー的な興趣はあるが、あとはひたすら暗鬱な現状のリポートに終始する。作者はこの有様に怒りを覚えて本作を撮ったのだろうが、出口の見えない筋書きは、映画として重苦しくもある。同監督の「息子のまなざし」(2002年)や「少年と自転車」(2011年)のような、終盤に一縷の光を見出すような建付けにした方がより喚起力が増したと思われる。

 この監督の作品に出てくる若輩者たちは素人同然であるケースが多いが、この映画のパブロ・シルズとジョエリー・ムブンドゥも同様だ。しかし、存在感は格別である。アルバン・ウカイにティヒメン・フーファールツ、シャルロット・デ・ブライネ、ナデージュ・エドラオゴといった他のキャストも好演。2022年の第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、75周年記念大賞を受賞している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「トゥルーマン・ショー」

2023-03-19 06:20:39 | 映画の感想(た行)
 (原題:The Truman Show )98年作品。SF仕立てのメディア風刺劇で、封切り当時は斬新な内容だったのかもしれないが、今から考えるとアイデア倒れの感が強い。何しろあの頃は、まさかネット環境にある多くの者がやがて勝手に情報発信を始め、テレビのバラエティ番組の地位を脅かすようになるとは思いもしなかったのだ。しかも、決して作劇は丁寧ではなく欠点も目立つ。キャストの健闘だけが救いである。

 離島にある町シーヘブンで保険会社に勤めるトゥルーマン・バーバンクは、生まれてから一度も島から出たことは無い。それは子供の頃に父を水難事故で亡くし、海を渡ることに恐怖心を覚えるようになったからだ。ところがある日、彼が雑踏の中で見かけたホームレスの老人が、死んだはずの父親であることに気付く。さらにその直後、その老人は何者かに連れ去られてしまう。



 実はトゥルーマンは出生時から今まで24時間テレビ撮影されており、そのままリアリティ番組「トゥルーマン・ショー」として世界中でオンエアされていたのだった。自らの境遇に疑問を持つようになった彼は、シーヘブンから脱出することを考えるようになる。

 まず、いくら主人公がナイーヴだといっても、斯様なヴァーチャル世界においていい大人が今まで違和感を覚えずに生きていられたはずがない。また、どうして父親が“番組”に入り込めたのかも不明だ。トゥルーマンは学生時代に出会ったローレンのことを忘れられないようだが、彼女も“番組関係者”でもないのになぜ主人公に接触できたのか分からずじまいだ。

 この“番組”を仕切っているチーフプロデューサーのクリストフは、トゥルーマンおよび彼が住む世界に対して全能の神のように振る舞うが、夜郎自大な態度が鼻につき愉快になれない。そもそも、この“番組”が世界中で高視聴率を記録するほどの面白いプログラムであるとは、あまり思えない。リアリティ番組を長期間持続させるには、対象を漫然と映すだけでは成立しないはずだが、そのあたりも本作は適当にスルーしている。

 ラストの処理は思わせぶりながら、観ている側が知りたいのはトゥルーマンの“その後”であるはずなのに、まったく言及されていないのは手抜きだろう。監督のピーター・ウィアーは実績のある演出家だが、この映画はどうも“やっつけ仕事”の感が強い。それでも主役のジム・キャリーは頑張っており、ドラマが深刻になることを回避している。

 エド・ハリスにローラ・リニー、ノア・エメリッヒ、ナターシャ・マケルホーンといった面子も申し分ない。それだけに作品のヴォルテージの低さが気になるところだ。なお、ブルクハルト・ダルウィッツとフィリップ・グラスによる音楽は評価したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ドラグネット 正義一直線」

2023-03-12 06:06:47 | 映画の感想(た行)

 (原題:Dragnet )87年作品。同じ頃に製作された「サボテン・ブラザース」(86年)と似たような案配のシャシンだ。つまりは、(少なくとも日本の観客にとっては)あまり笑えない脱力系コメディである。しかしながら、当時人気があったTV番組“サタデー・ナイト・ライブ”界隈による作品ということで、妙な勢いは感じられる。主要キャストもこの頃は若い。

 ロス市警の捜査官ジョー・フライデーは、堅物でマジメ一筋の敏腕刑事だ。そんな彼の新たな相棒として着任したのは、若くてチャラいペップ・ストリーベックだった。対照的な2人は早速反目し合うが、昨今街中を騒がせている連続盗難事件の解決を命じられ、渋々捜査を開始する。盗まれたのは大量のポルノ雑誌と、有毒物質を積んだ貨物車、そして動物園の大蛇とコウモリとライオンのたてがみという、脈絡のないものばかり。だが、背後にはペガン教団と名乗る謎のカルト集団が暗躍していることは確かのようで、その企みの真相を暴くべく刑事コンビは奔走する。

 ジョーに扮するのはダン・エイクロイドで、ペップ役はトム・ハンクスだ。特にハンクスは新進気鋭の喜劇役者と目されていたらしく、当時すでに有名だったエイクロイドに対して得意の口八丁手八丁で挑発。エイクロイドも受け流すところは巧みにスルーして時おりギャグをやり返す。しかし、字幕スーパーの限られた範囲では面白さは十分伝わっていないせいか、傍目にはウケの悪いしゃべくり漫才に付き合わされているようで居心地は良くない。

 監督のトム・マンキーウィッツはアクション映画の脚本家としては実績があるが、どうも演出も担当すると段取りが分からないらしく、面白そうなシチュエーションを次々と繰り出してはいるものの、テンポが悪くて盛り上がらない。クライマックス(?)のチェイス場面も今一つだ。とはいえ、悪役が新興宗教というのは今風だし、その親玉も意外な人物だったりする。

 また、本作の元ネタは1950年代から70年代にかけて放送されたラジオ・テレビドラマで、お馴染みのテーマ音楽が流れると何となく気分が高揚する。クリストファー・プラマーにハリー・モーガン、アレクサンドラ・ポール、ダブニー・コールマン、エリザベス・アシュレーといった脇のキャストも悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「小さき麦の花」

2023-03-11 06:08:37 | 映画の感想(た行)
 (原題:隠入塵煙 RETURN TO DUST )映画の中身よりも、本国における反響の方が興味深い。中国では若年層を中心に多くの観客を動員したものの、なぜか突然上映が打ち切りになり、ネット配信も取り止めになったという。このような体裁のシャシンは、通常はミニシアター中心の興行で観客の年齢層も高いというのが相場であり、事実日本ではそうなっているようだ。だが、若者たちの心を掴んだ挙げ句に当局側からと思われる横槍が入った彼の国の状況には、穏やかならぬものを感じる。

 舞台は2011年の中国北西部に位置する農村(ロケ地は甘粛省の張掖市花牆子村)。貧しい農民のマー・ヨウティエは兄の家で暮らしているが、中年になっても独身の居候が家にいるというのは兄としても面白くない。そこで近所に住むツァオ・クイインとの見合いをセッティングし、半ば無理矢理にヨウティエに所帯を持たせる。



 実はクイインには身体的ハンデがあり、やはり家族から厄介者扱いされていたのだ。当初はぎこちなかった二人の生活だが、仕事に打ち込むヨウティエをクイインが献身的にフォローするうちに夫婦としての絆が生まれてくる。しかし、周囲の厳しい状況は彼らが平穏な日々を送ることを許容しなかった。

 中国の農村を描いた作品としては過去に陳凱歌監督の「黄色い大地」(84年)や「子供たちの王様」(87年)、呉天明監督の「古井戸」(87年)などの力作があるが、本作がそれらに比べて殊更優れているとは思わない。展開は平板だし、中盤以降には明らかに無理筋のエピソード(血液型がどうのこうの等)が挿入されてくる。そもそも、無口だが努力家で働き者のヨウティエがどうして今まで独り者だったのか、納得できるだけの説明は無い。

 しかしながら、この映画が本国でヒットした理由も何となく分かる。まず、競争過多で世知辛い風潮に嫌気がさした若い観客たちが、主人公たちの素朴で慎ましい生活に惹かれたから。そして都会と地方との絶望的なまでの格差や、土地収用等に関する行政の不備といった社会問題を容赦なく糾弾したからだろう。特に後者は、本作が公開停止の憂き目に遭った原因かと思われる。

 脚本も手掛けたリー・ルイジュンの演出は淡々としすぎる面があるが、主演のウー・レンリンとハイ・チンに対する演技指導は万全だ。ウー・レンリンは監督の叔父で本職の俳優ではないが、本人に近い役柄を振るというアジア映画得意のパターンが功を奏している。ハイ・チンは何と国民的人気女優とのことで、この役作りには感心するしかない。また、二人が飼っているロバが抜群の存在感を示している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「対峙」

2023-03-06 06:16:10 | 映画の感想(た行)
 (原題:MASS)強靱な求心力を持つ映画で、鑑賞後の手応えは万全だ。どうしてこの映画が米アカデミー賞の候補にならなかったのか不明だが、そこにはたぶん諸般の事情があったのだろう。とはいえ、作品のクォリティからすれば作品賞レベルだ。今も世界各地で起こっている悲惨な出来事に、我々はどう向き合えば良いのか、そのヒントを与えてくれるだけでも本作の価値は実に大きい。

 アイダホ州の田舎町にある教会に、二組の中年夫婦がやってくる。この地区では6年前に高校銃乱射事件が発生し、多数の生徒が殺害された。犯人はその高校に通っていた少年で、犯行後に校内で自ら命を絶っている。くだんの夫婦は被害者の両親、そして加害者の父と母だ。4人は教会の奥の小さな部屋で顔を合わせるが、立会人もいない状況で最初は何を話せば良いのか分からない。しかし、事件前のそれぞれの子供の状態が明かされると、次第に道義的責任の所在などに関して激論が交される。



 一見すれば有り得ない話かもしれないが、事件から年月が経っており、加えて法的な問題は民事・刑事とも決着が付いていることが暗示され、それほどの違和感は無い。しかも、劇中での対面はセラピストの発案であり、場所が教会であるという点が大きな意味を持つ。この顔合わせは相手の落ち度を指弾して対立を深めるものではなく、相互理解のためにあるのだ。

 ただ、それでも“加害者と被害者の身内が理解し合えるわけがないだろ!”という突っ込みは入るだろう。ところがこの映画には、その先入観を揺るがすだけのパワーと志の高さがある。加害者の両親は決して“こういう親だから子は道を誤って当然”と思われるような人間ではなく、良識的な人物で銃規制などの社会活動にも関わっている。だからこそ息子の常軌を逸した行動を理解できない。



 被害者の両親は何とか事件の背景を問い質そうとするが、どうにもならない。やがて映画は、この悲劇の道義的責任を突き詰めることは不可能であり、そこに拘泥している限り誰も救われないことを指し示す。ではいったい本当に必要なものは何なのか、それは“赦し”であるというのが本作のテーマだ。舞台を教会に設定したことが大きなモチーフになり、これにはキリスト教とは縁の浅い日本人が観ても大いに心を揺さぶられる。

 脚本も担当したフラン・クランツの演出は堅牢で、(途中でスクリーンサイズが変わるというアイデアはイマイチだが)真剣勝負の対話劇を一歩も引かずに描き切る。主要キャラクターを演じるリード・バーニーにアン・ダウド、ジェイソン・アイザックス、マーサ・プリンプトンのパフォーマンスは素晴らしい。特に若くて可愛かった頃を知っている映画ファンが多いプリンプトンの、老いを隠そうともしない力演には圧倒される。終盤に流れるミサ曲が清冽な感動をもたらし、忘れられない余韻を残す。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「とりたての輝き」

2023-01-27 06:16:31 | 映画の感想(た行)
 81年作品。製作元は東映セントラルフィルムで、どう見ても単館系の興行が相応しい内容と規模のシャシンだが、当時は“諸般の事情”によって井上眞介監督の「夏の別れ」との二本立てで東映系で全国拡大ロードショーの扱いになったらしい。いわば番線の“穴埋め”としての公開で、客の入りも期待できるものではなかったが、昔はこのようなイレギュラーな興行が罷り通っていたのだろう(現在なら在り得ない)。

 タイトルの“とりたて”とは借金取りのことで、語感から受ける爽やかさとは無縁だ。少年院出身の雄也は、兄貴分の英次と組んでサラ金の取り立てを請け負っている。その手口は実に悪質で、サラリーマンの女房は乱暴した挙句に返済のために売春を強要、高校の教師には娘の大学まで押しかけて迷惑行為のし放題と、手段を選ばない。2人の私生活も荒み切っており、付き合う女はモノ扱いだ。

 そんな中、雄也の以前の交際相手であった桂子が赤ん坊を連れて押しかけて来る。子供は雄也との間にできたもので、彼女は別れた後に内緒で産んだという。さらには英次が取り立てた金を使い込んで逃亡。雄也は連帯責任を問われ、窮地に陥る。著名な脚本コンクールである城戸賞の80年度佳作入選作の映画化で、執筆した浅尾政行が監督も担当している。

 とにかく、主人公たちの無軌道な生活を一点の救いもないほどに突き放して描いているのが印象的だ。彼らの過激なおこないは本人たちのプラスにもならないどころか、鬱憤晴らしやストレス解消にさえなっていない。やればやるほど気分が落ち込んでいくだけだ。しかし、他に何もすることが無い。それだけの教養や人生経験を持ち合わせていない。社会から見捨てられた若者のヒリヒリした内面が、痛いほど伝わってくる。

 しかしながら、これが監督デビュー作にもなった浅尾政行の仕事ぶりは万全とは言い難く、思い切った仕掛けや、ここ一番の見せ場が無い。もっとケレンを活かした方が良かった。それでもキャストは健闘しており、主演の本間優二と田村亮のコンビネーションは良好だ。森下愛子や滝沢れい子、原日出子、水島美奈、そして宮下順子など、その頃の旬の女優たちが本領を発揮しているのも嬉しい。音楽を羽田健太郎が担当しているというのも、意外な起用だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ドリーム・ホース」

2023-01-21 06:15:35 | 映画の感想(た行)

 (原題:DREAM HORSE )評判通りの面白さだった。実話を元にしたスポーツ・サクセス・ストーリーで、筋書きは一直線ながらこの手のシャシンでは大正解だ。ヘタに“脇道”の話に拘泥したり、余計な“作家性”を前面に出して観る者を困惑させたりする必要はない。しかも舞台とキャラクターの設定は、元ネタ自体がトレースするだけで興趣を生み出すような訴求力を持っている。何の衒いも無く映像化すれば、好結果が得られるのだ。つまりは企画の勝利だろう。

 英国ウェールズ南部の小さな町ブラックウッドに住む主婦ジャン・ヴォークスは、無気力な夫の相手をしつつ、スーパーでのパートと親の介護に追われる単調な生活を送っていた。ある日、彼女はパブで共同馬主の話を聞き、強く興味を持つ。一念発起して血統の良い牝馬を貯金をはたいて購入するものの、飼育資金まで手が回らない。そこでジャンは周囲の人々に馬主組合の結成を呼びかけ、町全体で競走馬を養う運びになる。

 産まれた子馬は“ドリームアライアンス(夢の同盟)”と名付けられ、地道なトレーニングの末に奇跡的にレースを勝ち進む。やがてその活躍は、町の雰囲気を変えていく。2004年から2009年にかけてウェールズの競馬シーンで好成績を収めた、実在の競走馬とそれを取り巻く人々を描くドラマだ。

 ブラックウッドは元は炭鉱町だったらしいが、閉山後は寂れて住民たちにも覇気がない。そもそもウェールズ自体、イギリスの他の地域に比べて人口当たりの経済的な成果は低い。そんな愉快ならざる環境の中、孤軍奮闘するヒロインが徐々に賛同者を増やし、逆風を跳ねのけていく様子は観ていて気持ちが良い。

 ジャンの他にも、一見頼りなさそうだが実は経験豊富な税理士のハワードや、惰性で人生送っているようだが内心では夢中になれるものを求めている夫のブライアンなど、キャラクターが“立って”いる面子が勢揃いしている。いずれも後ろ向きなポーズは不遇な状況ゆえであり、人間、切っ掛けさえあれば誰しも底なしの行動力を発揮するものだという、ポジティブなスタンスが嬉しい。

 レース場面はかなりの迫力で、日本ではあまり馴染みが無い障害物レースの興趣が存分に味わえる。一時はトラブルでピンチになるが、そこから巻き返すという筋書きは定石通りながら好ましい。ユーロス・リンの演出はスムーズで、ドラマ運びに淀みは無い。主演のトニ・コレットをはじめ、ダミアン・ルイス、オーウェン・ティール、ジョアンナ・ペイジ、ニコラス・ファレル等、キャストは皆好調。キャサリン・ジェンキンスが本人役で出ているのも興味深く、ウェールズ出身のトム・ジョーンズのヒット曲「デライラ」が流れるのも効果的だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ダイアモンドは傷つかない」

2022-12-18 06:12:05 | 映画の感想(た行)
 82年作品。当時はヤクザ映画などに代表されるような男臭い(≒むさ苦しい)実写映画を数多く手がけていた東映が、珍しく若い女性層の動員を狙って仕掛けた一本。しかも、5月の連休明けを勝手に“OL週間”と命名し、東陽一監督の「ザ・レイプ」(田中裕子主演)との二本立てで臨んだという、今から考えると何とも向こう見ずなマーケティングを採用している。

 予備校で国語を教えている三村一郎は、妻の真知子がいながら元教え子で現在は大学生の越屋弓子と不倫している。さらに彼には10年以上前から付き合っている愛人の牧村和子がいた。真知子の弟で事情を知る中山修司は、一郎に奔放な生活を辞めるように忠告するが、聞く耳を持たない。弓子は一郎のかつての教え子として何食わぬ顔で真知子と対面するが、後日和子と会った際は同じ愛人としてライバル意識を丸出しにする。三石由起子の同名小説の映画化だ。

 一郎は実に不謹慎な野郎だが、いくら周囲から何やかやと言われてもまったく意に介さず、堂々と遊び人路線を突き進んで行く様子は見ようによってはアッパレである。しかも、オッサンのくせに若い女子とよろしくやっているあたり、羨ましくもある(笑)。実際にこんなのが身近にいたら迷惑だが、映画で見る分には存在感のあるキャラクターだ。また、彼をめぐる女たちの鞘当てもけっこう生々しくて見応えがある。

 藤田敏八の演出は取り立てて目立つところは無いが、そこそこ手堅い仕事ぶりだ。一郎に扮した山﨑努の傍若無人な怪演も楽しいのだが、圧巻は弓子を演じる田中美佐子である。これが彼女の映画デビュー作で、いきなり主演クラスという抜擢だが、期待に応えるような熱演を披露。全編にわたって服を着ている場面があまり無いという役どころだが(苦笑)、違和感なく奔放な若い女を演じきっている。

 思えば、この頃の若手女優は当たり前のように“身体を張って”くれていて、今とは時代が違っていたことを印象付けられる。加賀まりこに朝丘雪路、石田えり、趙方豪、小坂一也など、脇の面子もにぎやかだ。大林宣彦や高瀬春奈、家田荘子がチョイ役で顔を出しているのも興味深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする