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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「タイラー・レイク 命の奪還2」

2023-11-26 06:07:17 | 映画の感想(た行)

 (原題:EXTRACTION Ⅱ )2023年6月よりNetflixより配信された活劇編。前作(2020年)のラストでどう見ても主人公は助からないと思っていたが、この続編では冒頭に奇跡的に一命を取り留めて、過酷なリハビリの後“現場”に復帰する。パート1の評判の良さを受けて作られたシャシンだが、正直言ってドラマの組み立ては前回ほどではない。だが、主人公たちが程度を知らない大暴れを始めると、けっこう盛り上がるのだ。あまり難しいことは考えずに対峙するのが得策だろう。

 オーストラリア人の傭兵タイラー・レイクの新たな任務は、ジョージアの残忍なギャングの家族が刑務所に監禁されているので、それを救うことだ。早速タイラーは仲間たちと共に東欧にある刑務所を急襲し、大々的な銃撃戦の末にその家族を救出してオーストリアのウィーンまで行き着く。ところがそのギャングに心酔する十代の息子の密告により、悪者どもは大挙してウィーンまで押し寄せてくる。

 そのギャングの一味とタイラーは過去に確執があったらしいが、ハッキリとは描かれていない。また、たとえ言及されていたとしても大した扱いは期待できないだろう。前回に引き続き、タイラーの内面は詳しく描かれていない。彼の仲間の正体も不明だ。この映画は徹底してアクション描写に特化した作りになっており、一種のアトラクションと言って良いと思う。

 カメラをほとんど切り替えない臨場感溢れる戦闘シーンにはやはり身を乗り出して観てしまうし、後半のウィーン市街地での死闘は活劇の段取りが実に上手く考えられている。例によって相手方の放った銃弾はなかなか当たらないが、タイラーたちの攻撃はことごとくヒットする。このあたりの御都合主義は“お約束”なので野暮は言うまい(笑)。それにしても、東欧のヤクザどもはシシリアン・マフィアなどと同じく血脈や義理を重視する傾向にあるのは興味深い。もちろん土壇場では欲得に走ってしまうのだが、このファミリー的な体裁がくだんの家族の長男がタイラー側に容易に与しない理由でもある。

 連続登板になるサム・ハーグレイブ監督の仕事ぶりは相変わらずパワフル。無理が通れば道理は引っ込むとばかりに、ひたすらに力で押し込んでくる。この割り切り方もアリかもしれない。主役のクリス・ヘムズワースとパートナー役のゴルシフテ・ファラハニは好調で、ほぼ不死身な存在でありながらそれなりに傷付いているのは、けっこう観ていて身が切られる思いがする。

 トルニケ・ゴグリキアーニにアダム・ベッサ、ダニエル・バーンハード、イドリス・エルバら脇の面子も悪くないし、オルガ・キュリレンコとティナティン・ダラキシュヴィリの女性陣も画面に色を添える。ラストは次作もあることが示されるが、公開されればやっぱりチェックするだろう。
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「ドミノ」

2023-11-25 06:07:16 | 映画の感想(た行)
 (原題:HYPNOTIC)まず、この邦題はいただけない。確かに劇中でドミノ倒しのショットが一部入るのだが、原題とは懸け離れているし映画の中身とも大してリンクしていない。だいたい、トニー・スコット監督が2005年に手掛けた作品(あっちは原題通り)と被ってしまうではないか。こういう安易な提供の仕方が、映画の出来自体をも暗示しているようで釈然としない気分になる。

 テキサス州オースティン市警の刑事ダニー・ロークは、公園で一瞬目を離した隙に幼い娘が行方不明になったことが切っ掛けでメンタルを病んでしまう。しばらく休職していたが、何とか正気を保つために職務復帰するロークだったが、銀行強盗を予告するタレコミを受けて現場に向かった彼が見たものは、周囲の人々を自由に操ることができる謎の男だった。この難敵には歯が立たないまま退却を強いられたロークは、藁をもすがる思いで占いや催眠術を熟知している占い師のダイアナに協力を求める。



 序盤は黒沢清監督の快作「CURE/キュア」(97年)に通じるような、刑事と悪意のサイキッカーとの大々的バトルが展開されると思わせて退屈せずにスクリーンと対峙することができた。しかし、中盤からはこの設定そのものが覆されて混迷の度ばかりが増していくことになる。もちろん“今までのハナシは全部ウソで、実はこうでした”という方法論自体は悪くない。上手くやれば映画的興趣は高められる。しかし本作における“ハナシの真相”は、当初のポリス・アクション劇よりもショボいのだ。

 さらにこのドンデン返し(?)が繰り返されるごとにヴォルテージはどんどん下がっていく。挙げ句の果ては、作劇を放り出したように見える思わせぶりなラストに行き着いてしまう。これはひょっとして続編狙いかなのかもしれないが、この調子でパート2以降まで引っ張っても成果は望めないだろう。

 監督のロバート・ロドリゲスはデビュー作を含めた初期のシャシンでこそ存在感を発揮したが、昨今は精彩が無くこの映画も同様だ。キャスト面では主役のベン・アフレック以外は馴染みの無い顔ぶれで、しかも大したパフォーマンスをしておらず脱力するばかり。ただし、上映時間が94分とコンパクトであることは評価したい。無駄に長いハリウッド映画が目立つ中で、この割り切り方は賞賛に値する。
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「大河への道」

2023-11-19 06:12:06 | 映画の感想(た行)
 2022年作品。一つ間違えばキワ物として片付けられそうな題材だが、不必要なケレンや内輪ネタに走ることなく正攻法で作られているのは好ましい。タイトルにある通り、物語の発端こそ大河ドラマがモチーフになっているものの、中身は時代劇と現代劇が上手いバランスで振り分けられており、それぞれが手堅く仕上がっていることに感心した。地味ながら、存在感のある映画だ。

 千葉県香取市役所では、町おこしのために郷土の偉人である伊能忠敬を主人公にした大河ドラマの企画をNHKに売り込もうというプロジェクトが立ち上がる。チームリーダーである池本保治は後輩の木下浩章と共に、大物シナリオライターの加藤浩造に仕事を頼もうとするが、最初は色よい返事はもらえない。



 池本らは何とか拝み倒して引き受けさせたが、忠敬は地図完成の3年前に亡くなっていたという事実が発覚し、加藤は執筆を渋る。ここで映画は時代劇になり、忠敬の死を隠して地図を完成させようとした幕府天文方の高橋景保と忠敬の弟子たちの奮闘ぶりが展開することになる。立川志の輔による新作落語「大河への道 伊能忠敬物語」の映画化だ。

 確かに伊能忠敬の業績は、大河ドラマとして取り上げてもおかしくない。しかし私も恥ずかしながら、忠敬が志半ばに世を去ったことは知らなかった。これではさすがに高視聴率が義務付けられたTVシリーズのネタとしては不向きだ。ところが皮肉なことに、このあたりの事情は映画の素材として悪くない。原作物ではあるが、着眼点としては非凡だと思う。

 面白いのは、時代劇のパートに現代劇でのキャストがそのまま出ていること。誰がどの役を演じているのか、あるいは相応しいのか、そのあたりを見極めるだけでも興趣を呼び込む。しかも、景保らの活躍は面白く綴られており飽きさせない。特に忠敬の生存を疑う幕府側との駆け引きはけっこうスリリングだ。地図作成のプロセスも過不足なく紹介されている。脚本担当の森下佳子は良い働きをしていると思う。もちろん終盤には舞台は現代に戻るのだが、その顛末も瑕疵なくまとめられている。

 中西健二の演出は派手さは無いが堅実だ。噺家の手によるストーリーなのでギャグも盛り込まれているが、上手くこなしている。企画にも関与した主演の中井貴一は好演。松山ケンイチに北川景子、岸井ゆきの、和田正人、西村まさ彦、平田満、草刈正雄、橋爪功と役者も揃っている(立川志の輔も顔を見せる)。玉置浩二の主題歌はあまり合っているとは思わないが、安川午朗の音楽は適切だ。
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「月」

2023-11-12 06:10:08 | 映画の感想(た行)
 観る前は“これは石井裕也監督の持ち味に合っていない題材ではないだろうか”と思っていたら、実際作品に接してみるとその通りだったので脱力した。辺見庸による原作は読んでいないが、実際に起こった凶悪事件を扱っていることは確かで、映画化に際しては真正面から描くことは必須である。ところが、このネタを変化球主体の石井監督に任せてしまうとは、まったくもって製作側の意図が掴めない。

 元有名作家の堂島洋子は、映像クリエーターである夫の昌平と慎ましく暮らしていた。彼女が選んだ新しい職場は、森の奥深くにある重度障害者施設だ。そこで彼女は同僚の陽子やを描くことが好きな青年さとくんと知り合う。やがて洋子はきーちゃんと呼ばれる入居者の一人に興味を持つ。彼は寝たきりで動かないのだが、洋子と生年月日が同じであり、親身になって気を掛けるようになる。一方、さとくんは施設の運営に対して不満を持っていたが、それかいつの間にか入居者の“存在価値”についての疑問に繋がっていく。2016年に発生した障害者施設殺傷事件を下敷きにした作品だ。



 石井裕也作品は出来不出来の差が大きいが、それは彼自身のスタイルと題材とのマッチングの良し悪しによる。彼の映画作りは、まずカリカチュアライズから入る。登場人物およびシチュエーションを戯画化し、そこに時折リアリズムを少し織り込む。そのコントラストが興趣を生むのだが、リアルな事物との接点が見出せずに誇張や歪曲のみに終始してしまうと、失敗作に終わる。だが、本作はそもそも風刺化などが先行してはいけない内容なのだ。

 主人公の洋子は、何と“小説のネタを探すために”施設で働くことにしたのだという。一体何の冗談かと思っていると、同僚の陽子も似たような境遇らしい。旦那の昌平はストップモーション・アニメーションの製作で世に出ようとしているらしいが、この夫婦には現実感が限りなく希薄だ。さらに彼は妻を“師匠”と呼ぶのだが、これがまたわざとらしい。

 洋子は子供を亡くした経験があり、それを犯人の動機とリンクしようという魂胆らしいが、まるで噛み合っていない。昌平の勤務先の上司や、陽子の家族の扱いは過度に悪意が籠もっていて愉快になれず、もちろんこれらも事件とは関係していない。さとくんの交際相手が聴覚障害者というのも、作劇上の意味が見出せない。

 こういうリアルな世界から乖離した絵空事ばかり並べ立て、終盤に取って付けたように犯行場面を提示しても、何ら観ているこちらに迫ってくるものは無い。画面造型も弱体気味で、施設の佇まいやロケーションは不必要に暗くて気が滅入る。だいたい、実際の施設はこういう強制収容所みたいな場所ではないはずだ。

 主演の宮沢りえの起用も疑問符が付く。彼女は演技力がそれほどでもなく、脇役ならばOKかもしれないが主役はキツい。かといって磯村勇斗や二階堂ふみ、オダギリジョーといった他の面子が持ち味を発揮しているわけでもない。加えて144分という長尺は、観ていて疲れるだけだ。おそらくは似たようなテーマを扱っていた「PLAN 75」(2022年)がいかに良い映画だったか、改めて思い当たった次第。
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「高野豆腐店の春」

2023-09-16 06:43:51 | 映画の感想(た行)
 いったい何十年前の映画を観ているのだろうかと思った。最近作られたシャシンとは、とても信じられない。それほどまでに古めかしい建て付けの作品だが、よく考えてみると斯様なテイストの映画はシニア層にはウケが良いことは予想され、マーケティングの面では有効なやり方なのかもしれない。もしも本作の客の入りが悪くないのならば、似たような作品がコンスタントにリリースされるのだろう。

 広島県尾道市の昔ながらの商店街にある高野豆腐店は、頑固一徹の高野辰雄と娘の春の2人が切り盛りしていた。手作りの豆腐は評判がよく、地元の大手スーパーからは取引を打診されているが、辰雄は首を縦に振らない。春は明るく気立てが良いが、いわゆる“出戻り”だ。そんな彼女の行く末を、辰雄や周囲の者たちは心配している。そんな中、定期健診のために病院に足を運んだ辰雄は、独り身の年配の女性ふみえと知り合い、意気投合する。



 豆腐屋の佇まいと、妻を亡くして男やもめの店主、そして如才ない娘という御膳立ては悪くない。しかし、遠慮会釈なく彼らの私生活に干渉してくる近所のオッサンどもの有りようは、完全に時代遅れ。いくら尾道の風情のある街並みを背景にしても、違和感は否めない。そんな御近所さんたちから春の交際相手候補の一覧を提示され、一緒になって“オーディション”に臨む辰雄の姿は、大昔のホームドラマだったら微笑ましく映ったのかもしれないが、今観ると脱力するしかない。

 春は好意的に描かれているものの、実はどんな性格なのかハッキリしない。申し分のない彼氏を紹介されても、あえて拒否して別の冴えない男を選んでしまう事情も不明だ。ふみえが被爆二世であり、所用している家と土地を親族が狙っているという辛口のエピソードは取って付けたようにしか思えず。そもそも、豆腐店を題材にしていながら豆腐作りのプロセスがそれほど詳説されていないのは、明らかに失当だろう。

 三原光尋の演出はレトロ風味に走っているようだが、お年寄りの観客にはアピールしても、こっちは置いて行かれるだけだ。ラストの、春の生い立ちが明かされるくだりも共感できない。藤竜也に麻生久美子、中村久美、徳井優、山田雅人、黒河内りく、小林且弥、赤間麻里子といった顔ぶれは堅実だが、意外性は無い。

 特に藤竜也と中村久美は年齢が20歳も離れており、これで“老いらくの恋”を展開させるのは厳しい。あと関係ないが、タイトルの読み方が“たかのとうふてん”であるのは謎だ。あえて“こうやどうふ”と混同するのを狙ったのかもしれないが、大して意味があるとは思えない。
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「ドリーム 狙え、人生逆転ゴール!」

2023-08-27 06:51:10 | 映画の感想(た行)
 (英題:DREAM )2023年7月よりNetflixより配信された韓国製のスポ根ドラマ。お世辞にも垢抜けた出来とは言えないが、各キャラクターの濃さと強引に繰り出されるギャグのテンポの良さで、最後まで退屈せずに付き合えた。本国公開は同年4月で、その時点で年間韓国映画興行収入ランキング第3位を記録するヒットになっている。

 人気サッカー選手だったユン・ホンデは、その短気な性格が災いして横柄なマスコミのリポーターをシバくという不祥事を引き起こす。彼は謹慎を言い渡されるが、そこに目を付けたのが某テレビ局。彼をホームレスを寄せ集めた即席のホームレス・サッカーチームの韓国代表監督に就任させ、再起を図る姿をドキュメンタリー番組に仕立てて一発当てようと目論む。否応なくこの話に乗せられたホンテだが、若手女性ディレクターのイ・ソミンのわがままに振り回されながらも、何とかチームを作り上げてホームレス・ワールドカップの本大会を目指す。

 一応は2010年に開催されたホームレス・ワールドカップに韓国が初めて出場した事実を元にしているが、その際の会場はブラジルであったのに対し、本作ではなぜかハンガリーのブダペストになっている。現役のプロサッカー選手が監督を引き受けたことはなく、並み居る強豪相手に善戦した事実も無いらしい。だからこの映画は純然たるフィクションだと思った方が良い。

 思わぬ逆境に追い込まれたホンデの手前勝手な懊悩には苦笑するが、その彼と遠慮会釈無く“テレビ的演出”をゴリ押ししてくるソミンとの掛け合いは愉快だ。チームメンバーも実に個性豊かで、離婚して娘の親権を元嫁に取られたものの、娘に良いところを見せようとするオッサンや、キャンプで行方不明になった恋人を探すため加入した小心者のエース、元暴力団員のゴールキーパーなど、けっこう粒ぞろい。サッカーには縁の無さそうな連中が、やがて鍛練を積んで大舞台に臨むという筋立てはスポ根ものの王道で、多少のモタつきがあっても気分を害さず見ていられる。開催地のブダペストの風景も素敵だ。

 脚本も担当したイ・ビョンホン監督の仕事ぶりは幾分泥臭いが「エクストリーム・ジョブ」(2019年)の頃よりも手慣れている。主演のパク・ソジュンやIU(本名イ・ジウン)、キム・ジョンス、ホン・ワンピョ、イ・ヒョヌらキャストは健闘していると思う。それにしても、ホームレス・ワールドカップという大会の存在はこの映画を観るまで知らなかった。面白いイベントがあるものだ。
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「ちひろさん」

2023-07-23 06:03:07 | 映画の感想(た行)

 2023年2月よりNetflixより配信。この主人公像にはまったく共感できないし、そもそも現実感が無い。しかしながら、最後まで退屈させずに見せきったのは、主演女優をはじめとしする各キャストの頑張りと、丁寧な演出の賜物である。積極的に支持できるシャシンではないものの、観て損はさせないだけの中身はある。

 静岡県の海沿いの街にある弁当屋で働く若い女ちひろは、実は元風俗嬢だ。だが、そのことを誰にも隠そうとはしない。完全フラットなスタンスで、周囲の人々に接する。そのため、心に屈託を持つ者たちは彼女のイノセントな有り様に癒されると共に、自分を見つめ直す切っ掛けをも得ることになる。しかし、そんなちひろ自身も幼少時から家族との関係性を築くことが出来ず、彼女なりの孤独を抱えて生きている。

 ハッキリ言ってしまえば、このヒロインの造型は絵空事だ。風俗業にいた者がカタギの仕事に就く場合、自身の前職をカミングアウトすることはまず無い。通常のメンタリティがあれば、自らの“黒歴史”は隠すものだ。ちひろは無垢なようでいて、野垂れ死んだホームレスのおっさんを勝手に“埋葬”するという荒技を平気で披露する(これは刑事案件だろう)。風俗ショップの面接にスーツ姿で現れ、しかも靴は泥だらけだったのは、その前に“ひと仕事”済ませてきたのではないかという疑念さえ生じる。

 現実にちひろみたいな者と接すれば、癒やされるどころか混乱してしまうこと必至だ。だが、今泉力哉の演出はこの浮世離れしたヒロインを上手く実体化させている。それは、周囲の者たちの悩み自体をちひろの存在感により緩和できるレベルの内容に設定しているからだ。また、そのあたりをワザとらしく見せないのも今泉監督の語り口の上手さによる(リアリズムで押し切ろうとすると失敗するだろう)。

 主役の有村架純はノンシャランな妙演で、かなり際どいことをやっても下品に見えないどころか透明感さえ漂ってくる。こういうキャラクターをやらせれば、この年代の女優ではピカイチだと思う。豊嶋花に若葉竜也、佐久間由衣、長澤樹、市川実和子、根岸季衣、平田満、リリー・フランキー、風吹ジュンなど他の多彩な面子にもドラマの空気感を乱さないだけの抑制の利いたパフォーマンスをさせている。“くるり”の岸田繁による音楽と、岩永洋のカメラがとらえたロケ地の静岡県焼津市の風情も的確だ。
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「父の恋人」

2023-07-08 06:04:30 | 映画の感想(た行)
 (原題:SONS)89年作品。地味ながら、とても情感豊かな佳作だと思う。公開当時はほとんど話題にはならなかったはずだが、あまり予備知識がない状態でスクリーンで接した観客にとっては、思わぬ拾い物をした気分になったことだろう。また主役のサミュエル・フラーは好事家の間では絶大な人気を誇った映画監督でもあり、コアなファンにとっては堪えられないシャシンでもある。

 ニュージャ一ジー州に住むフレッド・ジュニアとマイキー、リッチーの3人は腹違いの兄弟だ。彼らが気にかけているのは、年老いて在郷軍人病院で車椅子の生活を送る父フレッドのこと。もう長くは生きられず、失語症も患っているらしいフレッドのために、3兄弟は父を病院からこっそりと連れ出す。そして第二次大戦中にフレッドがフランスに従軍した際に知り合ったかつての恋人を探すため、大西洋を越えてノルマンディまでの旅に出る。



 3兄弟の母親がすべて違うことから父親はかなりの放蕩者だったことが窺えるが、それでも彼らはフレッドを慕っており、何とか最後の願いを叶えようと奮闘する。その意気がまず好ましい。やっとのことで探し出したその相手フロランスが、その後別に悲惨な人生を送ったわけでもなく、パン屋の夫と一人娘と共に平穏に暮らしていたことも悪くないモチーフだ。これがもしフロランスの側にもドラマティックなエピソードが用意されていたら、作劇のバランスが危うくなってきたところである。

 そして終盤、フレッドが3人の息子それぞれに(思わぬ形で)メッセージを伝えるシークエンスは出色で、鑑賞後の余韻を高めることに貢献している。監督のアレクサンダー・ロックウェルはS・フラーの信奉者のようで、主人公をとらえるショットの一つ一つに思い入れが籠っているようだ。ただ、S・フラーのファン以外は楽しめないかというとそうではない(かくいう私もフラーの映画はわずかしか観ていない)。普遍的な家族のドラマとして良く練られている。

 3兄弟に扮するロバート・ミランダにウィリアム・フォーサイス、D・B・スウィーニーはそれぞれ個性を前面に出した好演だ。ステファーヌ・オードランにジュディット・ゴドレーシュら脇の面子も申し分ない。ジェニファー・ビールスが顔を出しているのも驚いた。ステファン・チャプスキーのカメラによる映像はとても美しい。
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「転回」

2023-06-11 06:08:21 | 映画の感想(た行)
 (原題:Oromtriali)86年ソビエト作品。日本では劇場での一般封切りはされておらず、私は第2回の東京国際映画祭で観ている。グルジア共和国(現ジョージア)の映画人同盟書記であった女流監督ラナ・ゴゴベリーゼの手によるヒューマンドラマで、彼女はこの映画祭で最優秀監督賞を獲得。それを裏付けるように、作劇の密度は高い。

 グルジアの首都トビリシで、かつての映画スターであるマナナと学者のルスダンの初老の女性2人が何十年かぶりで会うところから映画は始まる。別れた数分後、ルスダンは交通事故に遭い病院に担ぎ込まれる。マナナは予定していた撮影の仕事がキャンセルになり、金に困った彼女は昔からのファンであるゼネコン社長のアンドロから大金を借りる。

 マナナの19歳の娘サロメは浪費癖のある母親を心配してその金を取り上げてアンドロに返そうとするが、チンピラのバドレに金を盗まれてしまう。一方ルスダンの入院先ではアンドロの若い愛人ナナが幼い娘アンナを残して世を去る。ルスダンを見舞いに来たマナナは病院でアンドロに再会。そしてアンナをめぐってルスダンとマナナ、アンドロとその妻ラウラの思惑が交錯する。

 上映前の舞台挨拶でゴゴベリーゼ監督が“人の運命、性格、行為がもつれ合って織りなす人生というもの、そして各人の行為が他者に与える影響について、いつも興味を持っていた”と述べていたが、その言葉通り本作は各キャラクターの行為が他人と関わって別のエピソードを生み出すというような、鎖のような構成の上に成り立っている。しかも単なるオムニバス・ドラマではなく、各パートが互いに入り組んでいるため観客側でも想像力を働かせないと付いていけない。

 この映画の大きなモチーフとも言えるのが、冒頭のルスダンでの研究室で映写されるフィルムだ。若い女がカメラに向かって何か切実に訴えている。しかし故意に音声を消しているのでしゃべっている内容は分からない。ルスダンはこの映像を同僚や学生に見せて、何を言っているのか予想してもらう。するとそれぞれ“求愛だろう”とか“相手の不実に対して怒っている”とか、勝手な見解を下す。

 この画像は劇中で何度も繰り返されるが、ラスト近くにその内容が明かされる。すると画面の中の女性は、大方の見方とまったく異なることを訴えていたことが分かる。人と人とのコミュニケーションがいかにアテにならないものか、後半に無理解な大人たちに振り回される少女アンナを通じて作者が主張したかったことはこれだろう。だからこそコミュニケーションを積み上げる重要性がクローズアップされる。

 ゴゴベリーゼの演出は観る者を完全に突き放したストイックなもの。愛想は無いが求心力は大きい。寒色系を活かした映像が場を盛り上げる。レイア・アバシゼにリア・エリアバ、グラム・ピルチュカラーバ、オター・メグビネトゥクチェシといったキャストも良い仕事をしている。
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「都会のアリス」

2023-06-05 06:17:21 | 映画の感想(た行)

 (原題:ALICE IN DEN STADTEN)74年西ドイツ作品。日本公開は88年。ヴィム・ヴェンダース監督の初期作品で、以後「まわり道」(75年)「さすらい」(76年)と続く、同監督による“ロードムービー3部作”の第1作だ。90年代以降のヴェンダースは精彩が無いが、この映画を撮っていた時期は感性が研ぎ澄まされていたようで、映像表現やキャストの動かし方は並外れており、鑑賞後の満足度は高い。

 旅行記を書くためアメリカに滞在していたドイツ人青年フィリップは、旅愁や旅情といったものに縁が無い平板なアメリカの風景に失望し、大した成果もあげられないまま帰国を決める。ところが空港で思わぬ足止めを食らい、おまけにそこで知り合った同じくドイツに帰国予定だという女性リザは9歳の娘アリスの世話を彼に押し付けて、自分は行方をくらましてしまう。仕方なくフィリップはアリスと一緒にドイツに飛ぶが、アリスからアムステルダムに祖母がいると聞き出し、おぼろげな彼女の記憶だけを頼りに旅を続ける。

 平たく言えば、これは主人公フィリップの成長物語だ。それまで彼は一人で執筆活動を続けてきた。だから、たぶん彼の書くものは主観的ではあるが一面的であり、アメリカを旅しても何ら強い印象を受けなかったのは、彼自身の洞察力や審美眼が未熟だったためだろう。そんな彼がアリスという今まで付き合ったことのない存在と対峙することになり、多面的な物の見方をせざるを得なくなる。

 何しろ、アリスの立場で考えなければ彼は祖母の元に連れて行くことも出来ないのだ。そのプロセスを、作者は説明的で過度なセリフを廃して登場人物の佇まいと映像描写によって伝えようとする。フィリップ役のリュディガー・フォーグラーは存在感があり、少しずつ内面が変わっていく青年像を的確に演じていた。彼はそれからヴェンダース監督とたびたびコンビを組むようになる。

 アリス役のイエラ・ロットレンダーは実に達者な子役で、フィリップよりも旅慣れていて、しかも“大人”であるヒロインを体現化している。そしてロビー・ミュラーのカメラによるモノクロ映像の美しさは目に染みた。まさに都会がアリスの視点から捉えられたワンダーランドのように展開する。

 関係ないが、同時期にアメリカで作られたピーター・ボグダノヴィッチ監督の「ペーパー・ムーン」と似たような設定とエクステリアながら、感銘度はこちらの方がずっと上だ。また、音楽を担当しているのがドイツの先鋭的ロックグループのCANで、効果的なスコアを提供している。
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