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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「タリーと私の秘密の時間」

2018-09-01 06:33:25 | 映画の感想(た行)

 (原題:TULLY )確かに主演女優の奮闘は大いに評価出来るが、話自体はどうしようもなく、観終わって釈然としない気持ちばかりが残った。ただ、上映時間が約1時間半と短めであることは有り難い。この題材で2時間以上も引っ張ってもらっては、徒労感は増したことだろう。

 ニューヨークの郊外に住む主婦マーロは、仕事や家事を何とかこなしてきたが、3人目の子供が生まれてついに頑張りも限界に達してしまう。しかも、夫は家庭をあまり顧みない。見かねた兄は、夜だけのベビーシッターを雇うことを提案する。マーロの元に派遣されたのは、若い女タリーだった。彼女は外見と喋り方こそ今風だったが、仕事は完璧にこなし、マーロの話し相手にもなってくれる。タリーのおかげでマーロは次第に元気になっていくが、実はタリーにはある“秘密”があった。

 勘の良い観客ならば、タリーの“正体”に中盤あたりで気付くだろう。何しろ、彼女は夜明け前には必ず帰って行くし、マーロ以外と会うことはほとんど無いのだ。しかし、終盤でその“正体”が明かされると、それまでの展開にまったく筋が通らなくなる。

 どうしてマーロが元の輝きを取り戻していったのか説明出来ないし、兄がベビーシッターの費用を負担しているという事実が宙に浮いてしまう。さらに2人が夜中にニューヨークの歓楽街に遊びに行くエピソードも、説得力に欠けるものになる。

 また、長男が問題行動ばかり引き起こしてマーロや学校当局を困らせたり、ダンナがベッドで彼女を無視してテレビゲームに興じている様子は、観ていて不愉快だ。ラストは一応決着させたつもりなのだろうが、よく考えてみると全然解決していない。“家庭の問題は夫婦で何とかしましょう”という、紋切り型の言い分を差し出されているようで、脱力するばかりである。

 ジェイソン・ライトマンの演出は可も無く不可も無し。だが、主演のシャーリーズ・セロンは凄く頑張っている。「モンスター」(2003年)での肉体改造を上回る、20kgもの増量。生活に疲れた女を生々しく演じている。すでに中年に達している彼女にとって、この役作りは相当にハードだったと思われるが、その努力には頭が下がる。ただし、他のキャストはタリー役のマッケンジー・デイヴィスが印象に残る程度で、あとは大したことがない。

 なお、エリック・スティールバーグのカメラによる映像は透明感がある。ロブ・シモンセンによる音楽は悪くなかったが、それよりも既成曲の使い方が上手かった(シンディ・ローパーのナンバーや、「007は二度死ぬ」のテーマ曲など)。
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「読書する女」

2018-07-29 06:22:17 | 映画の感想(た行)
 (原題:La Lectrice )88年フランス作品。とても面白く観た。本作の主題は、ズバリ言って“読書の奥深さと官能性”であろう。本を読む、そして読み聞かせるというのは、日常生活から別の世界に逸脱するということだ。

 ならば映画もそうではないかという意見もあるだろうが、読書においては自分から書物に能動的に対峙しなければ、別世界への扉は開けない。読み聞かせの場合も、言葉だけで情景を想像するという主体的な行為が必要だ。映画(あるいはテレビ)のように、放っておいてもメディアが音と映像を勝手に流していくような構図とは、一線を画している。



 読書が趣味のコンスタンスは、自分の読んだ本の世界を頭の中で創造するのが大好きだ。今日も「読書する女」という本を読んで、本の朗読を職業とする女王人公マリーが遭遇する出来事を空想していた。マリーの訪問先の人々は、いずれも一風変わっている。半身不随のマザコン少年にはモーパッサンの「手」を読んでやるが、刺激が強すぎて彼は発作を起こしてしまう。

 精神病院に足を運べば、医者から“患者に死んだ作家の本を読み聞かせるな”と注意される。離婚して欲求不満が溜まっている中年オヤジにデュラスの「愛人 ラマン」を読んでやると、互いにその気になってしまう。訪問先の幼い女の子は「不思議の国のアリス」が気に入っており、朗読するため2人で遊園地に行くと、マリーは誘拐犯と間違えられる。

 とりとめもない話なのたが、冗長な印象は無い。それは本編がヒロインの読んでいる本の映像化であり、マリーが出会う人々は、その本の中のキャラクターであることが大きいだろう。いわば捻りの利いた三重構造で、この構図自体が興趣を呼び込む。そして登場人物達は悩みを抱えていながら、接した本の内容によって、自分と向き合うことが出来る。

 マリーは狂言回しなのだが、その言動を読者として眺めているコンスタンスの内面とシンクロし、それがまた終盤で現実世界にフィードバックされてゆくという凝った筋書きには唸るばかりだ。

 ミウ=ミウ扮するマリーの造型がとても良い。ベートーヴェンの音楽に乗って飄々と訪問先を渡り歩く様子は、浮き世離れした存在感を醸し出す。それでいてけっこう妖艶なのだから、言うこと無しだ(笑)。ミシェル・ドヴィルの演出には余計な力みが見られず、スムーズにドラマを最後まで持っていく。クリスチャン・リュシェやシルヴィー・ラポルト、ミシェル・ラスキーヌといった脇の面子も良い。
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「デッドプール2」

2018-07-02 06:21:28 | 映画の感想(た行)
 (原題:DEADPOOL 2)前作よりも面白い。もっとも、パート1があまりにも低調だったので、それに比べれば随分とマシに見えるのかもしれないが(笑)、とにかく最後まで退屈せずスクリーンに向き合えたことは確かだ。

 エイジャックスとの戦いから2年後、デッドプールことウェイド・ウィルソンは、犯罪組織を壊滅させるなどの“ヒーロー的活躍”の傍ら、恋人ヴァネッサとお気楽な日々を過ごしていた。そんな時、マッチョな機械人間ケーブルが未来からタイムスリップしてくる。ケーブルは14歳のミュータントの孤児であるラッセルを狙うのだが、彼によればラッセルは未来において世界崩壊の引き金を引く存在になるらしい。



 ヴァネッサの希望もあり、取りあえずはラッセルを守ることにしたデッドプールは、強大な力を持つケーブルに立ち向かうため、仲間を集め“エックス・フォース”を結成する。一方、ラッセルが収容されていた孤児院がミュータントを対象とした施設であったため、若い超能力者の支援を行っているX-MENも事態に介入してくる。

 ウェイドがデッドプールになった経緯はインモラル極まりないのだが、それは前回ですべて紹介されていたため、今回はそのあたりを気にする必要はない。だから、このお調子者ヒーローもどきの破天荒な言動を気軽に楽しむことができる。

 タイムトラベルによって過去を変えるというモチーフは、以前のX-MENのシリーズでも取り上げられており目新しさはない。しかし、その使い古されたネタも主人公をはじめ登場する面々の度を越したおふざけによって、巧みにカバーされている。



 扱われているギャグはMARVELシリーズに精通していなければ分からないものをはじめ、一般の映画ファンだったら理解できるもの、そして誰でも分かる平易なもの等、各種取り揃えられており、しかもそれらが矢継ぎ早に繰り出されるために突っ込むヒマを与えない。各キャラクターも十分に“立って”おり、主人公の悪友どもや個性的すぎる“エックス・フォース”のメンバーなど、それぞれに見せ場が設定されている。

 デイヴィッド・リーチの演出はテンポが良く、戦闘シーンも難なくこなす(特に街中でのカーアクション場面は出色だ)。X-MENからは前作に引き続いてコロッサスとネガソニック・ティーンエイジ・ウォーヘッド(およびその“恋人”)が参加するが、彼らがX-MENの中では二線級キャラであることを強調するくだりには笑った。

 主演のライアン・レイノルズは絶好調。鬱陶しさを感じる一歩手前の時点での怪演が光る。ジョシュ・ブローリンやモリーナ・バッカリン、ザジー・ビーツ、ブリアナ・ヒルデブランド、忽那汐里などの脇の面子も悪くない。たぶんパート3も作られると思うが、果たしてこの主人公がX-MENあるいはアベンジャーズといった“本流”とどう絡んでいくのか<、少し興味がある。
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「逃亡者」

2018-06-01 06:29:11 | 映画の感想(た行)
 (原題:THE FUGITIVE)93年作品。ご存知往年のテレビ・シリーズの映画化で、ずいぶん前から企画はあったらしいが、結局5年間に15回もの改稿を余儀なくされ、ようやく完成にこぎつけた作品。そうまでして映画化しなきゃいけない題材かとは思うけど、「スター・トレック」や「アンタッチャブル」の例をあげるまでもなく、こういうカリスマ的人気を誇った番組にはアメリカ人は特別の思い入れがあるとみえる。日本でもテレビ番組の映画化は珍しくないが、放映時に限っての話であり、昔の番組をわざわざ映画にすることはあまりない。

 シカゴの著名な外科医リチャード・キンブル博士がある晩帰宅してみると、家から怪しい片腕の男が飛び出してくる。しかも、家の中では妻ヘレンが殺されていた。キンブルは妻殺しの容疑で逮捕される。犯人は片腕の男であると主張する彼だが、状況証拠は不利なものばかり。ついには死刑判決が下る。ところが刑務所へ移送される途中に護送車が事故に遭い、キンブルは脱走。身の潔白を証明するために、キンブルは片腕の男を探し求める。一方、捜査責任者となったジェラード連邦保安官補は、キンブルを猛追する。



 さて、監督が「沈黙の戦艦」(92年)のアンドリュー・デイヴィスだからほとんど期待していなかったが、推敲を重ねた脚本のせいか、退屈しないで観られた。キンブル医師(ハリソン・フォード)を追い回すトミー・リー・ジョーンズの刑事が最高の演技で、作品に重みを加えているし、冒頭の列車事故のシーンやキンブルが巨大ダムに飛び込む場面など見せ場も満載だ。

 しかし、満点の出来ではない。テレビ放映時の60年代ならともかく、公開時点においても逃亡者が自分で傷を直し、金もないのにホテルに泊まり、堂々と大都会を歩き回っているのに誰にも知られないなんて不可能である。

 そして、テレビ・シリーズのような人の情けで逃げる場面がまったくないのも不満だ。それはそれで凄いことなのかもしれないが、そこまで主人公を追いつめるなら、彼をスーパーヒーローにしなければならず、そのへんの設定に無理が出てくる(いくらインディ・ジョーンズを演じたフォードでもねぇ)。あまりにも上手くいきすぎて、真相がわかったあともカタルシスは十分得られない。私としては“片腕の男”にもっと活躍してほしかったが、あっけなく出番が終わってしまうのも芸が無い。

 それにしても、同じプロダクションで製作されていた「インベーダー」の映画化の話はどうなったのだろうか。あっちの方を観たい気がする。
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「タクシー運転手 約束は海を越えて」

2018-05-13 06:28:50 | 映画の感想(た行)

 (英題:A TAXI DRIVER )高い求心力とメッセージ性、そして十分な娯楽要素をも兼ね備えた、見応えのある佳編である。また東アジアの激動の現代史を振り返る意味でも、存在価値は大いにある。韓国で1200万人を動員する大ヒットを記録したのも頷けよう。

 1980年、全斗煥が率いる新軍部は全国に戒厳令を布告。対して国民の間では反軍部民主化要求の動きが出ていたが、特に野党指導者の金大中の出身地とされていた全羅南道にある光州市では激しいデモが起こっていた。ソウルのタクシー運転手であるマンソプは、ドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーター(ピーター)から“通行禁止時間までに光州に行ったら大金を支払う”との依頼を受け、検問を潜り抜けて光州市内に入る。

 軍が全てを掌握している光州の状況は外部に知られておらず、そのハードな実態を目の当たりにしたマンソプは絶句するしかなかった。留守番をさせている小学生の娘が気になるため、早いとこ危険な光州から逃れたいマンソプだったが、我が身を省みず取材を続けるピーターや、知り合った大学生のジェシク、親切にしてくれた現地のタクシー運転手ファンらを見捨てるわけにはいかず、自分なりに身体を張って奮闘する。ヒンツペーターの体験を基にした実録映画だ。

 首都ソウルが取り敢えずは日常を保っている間に、そこから車で行ける距離にある光州からは情報が遮断され、軍が民衆を弾圧する地獄のような状態にあったという構図は実にショッキングだ。

 軍はデモ隊を打擲するだけでなく、容赦なく発砲(実際には百数十人もの死者が出ている)。あたりは戦場と変わらない有様だ。そんな中でも、決死の覚悟でカメラを回すピーターのジャーナリズム精神や、人情に厚い光州市民、そしてタクシー運転手という立場を一歩も逸脱することなく、出来ることは全てやろうとするマンソプの心意気などに感動してしまう。

 チャン・フンの演出はパワフルで、序盤のコミカルなタッチから中盤以降のシリアス路線、さらにはカーチェイスなどの活劇シーンも盛り込み、一時たりとも観る側を退屈させることはない。マンソプに扮するソン・ガンホの演技は、彼の数多いフィルモグラフィの中でも上位にランクされる。

 一見、自分のことしか考えていないような主人公が、実は一番責任感が強く、誰よりも行動力があることを映画の進行と共に徐々に浮き彫りにしていくプロセス、そして演技の“呼吸”の見事さには感心するしかない。彼がいることで、韓国映画界は大いに救われていると思う。ピーターを演じるトーマス・クレッチマンも好演。ユ・ヘジンやリュ・ジュンヨルなど、派手さは無いが味のあるキャラクターが映画を盛り上げる。

 それにしても、光州事件をはじめ韓国の現代史は決してホメられるものではないが、それでもあえて映画の題材として取り上げているのは見上げたものである。対して、同じくアジアの一員である日本の映画界は一体どうしたものか。映画のネタになりそうな時事問題は、それこそ沢山あるはずだが。
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「ダンガル きっと、つよくなる」

2018-04-30 06:27:03 | 映画の感想(た行)

 (原題:DANGAL)正統派のスポ根映画。あまりにストレートで捻りがほとんど無いのは欠点にも思われるが、これがインド映画というフィルターを通すと、違和感を覚えずに楽しめる。しかも、彼の地における社会的因習に対するプロテストも適度に取り入れられ、鑑賞後の満足度は高い。インド映画史上、興収1位になったのも頷ける出来映えだ。

 マハヴィルはレスリングの国内チャンピオン。80年代末に現役を引退した彼は、今度は世界王者になる夢を自分の子供に託そうとする。ところが、生まれてきたのは4人とも女の子ばかり。落ち込むマハヴィルだったが、ケンカで男の子をボコボコにした長女と次女を見て、娘たちを女子レスリングの選手として国際大会に出場させることを思い付く。

 指導方法は徹底したスパルタ式で、娘たちは幾度となく反発や“逃走”を試みるが、そのたびに父親に押し切られる。月日は経ち、長女のギータと次女のバビータは遠方にある体育大学に進むが、現代的な指導をおこなう大学側と、昔ながらの父親の教えとの間で彼女たちは揺れ動く。やがてギータはいくつかの国際大会に出るが、結果が出ない。見かねたマハヴィルは一計を案じて勝手に試合会場のバックヤードに乗り込み、娘を指導する。実話の映画化だ。

 前半は少女たちの成長物語のスタイルを取るが、見逃せないのは今も残る彼の地の封建的な空気がクローズアップされていることだ。女の子はスポーツどころか学校にもロクに行かせてもらえず、ちょっと大きくなると直ちに縁談が周囲からセッティングされ、一回も会ったことが無い男の元に嫁がねばならない。本作の上映後も関係者は宗教団体から“リベラルに過ぎる”と批判を受けたらしい。しかし、ドラマツルギーとしては“障害が多いほど盛り上がる”というのは自明の理であり、本作も序盤から終盤までヴォルテージは右肩上がりである。

 レスリングの場面は素晴らしい。カメラが選手に寄っているので、プレーヤーの俊敏な動きや技の掛け合いが鮮明に映し出され、観ていて引き込まれる。選手を演じる役者たちの身体能力はあきれるほど高く、特にギータに扮するファーティマー・サナー・シャイクは美しさと力強さを兼ね備えた逸材で、出てくるだけでワクワクした。

 マハヴィル役のアーミル・カーンはさすがの貫禄。今回は役作りのために27キロ太って撮影後に27キロ戻すという、かつてのロバート・デ・ニーロを思わせる離れ業もやってのけ、それだけに画面全体から気合いが感じられるようだ。ニテーシュ・ティワーリーの演出もソツがない。

 それにしても、映画のクライマックスがオリンピックでもアジア大会でもなく、コモンウェルスゲームズと呼ばれる英連邦競技大会だというのは興味深い(恥ずかしながら、この大会の存在を今回初めて知った)。4年に1回開かれるらしく、イギリス連邦に属する国の住民にとっては特別な意味があるのだろう。
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「トイズ」

2018-04-01 06:30:00 | 映画の感想(た行)
 (原題:TOYS)92年作品。封切り時の世間の評判は芳しくなかったようだが、実際観たらなかなかこれが面白い。真の意味で大人も子供も楽しめる良心作だと思う。子供たちに夢を与えることを生きがいとした前社長(「雨に唄えば」のドナルド・オコナー!)が亡くなって、おもちゃ工場は軍国主義者の弟リーランド(マイケル・ガンボン)に乗っ取られる。おもちゃサイズで本物の殺傷能力のある兵器を大量生産しようという陰謀を知った前社長の息子(ロビン・ウィリアムズ)は、反撃に立ち上がる。

 まずは画面の造形に圧倒される。ダンボみたいな工場の外見や大きく蛇行する通路、おもちゃのカルガモ親子が道を横切るのを待つ社員、ミュージカル仕立ての工場の作業風景、大空を描いた壁紙が張ってある大きな部屋の中にポツンとある寝室、巨大な箱から自動的に組み立てられて出てくる主人公の屋敷、果てはルネ・マグリットの絵を引用したミュージック・ビデオのパロディまである(これは実に楽しかった)。そう、これは飛び出す絵本の映像化なのだ。



 ミニチュアと現実のシーンを巧みに合成し、ファンタスティックな世界を作り上げたのは、「ラストエンペラー」でオスカー受賞のフェルディナンド・スカルフィオッティ。明るくポップなおもちゃ工場の場面と、暗く不気味な軍人の部屋との対比も見事だ。そして工場の回りは見渡す限りの草原。どこか地球以外の天体を思い起こさせる。

 キャラクターも徹底的にユニーク。ロビン・ウィリアムズ扮する主人公レスリーはおもちゃ作りにしか興味のない、まさしく“おもちゃ”みたいな人物だ。煙を吐き出し、奇妙な音の出るジャケット(これは私も欲しい)に身をつつみ、ギャグを飛ばしまくる。

 ジョーン・キューザック演じるレスリーの妹は、それに輪をかけたマンガみたいな怪人物。自らが着せ替え人形のモデルを担当するというのは笑った。リーランドの息子を演じるのはなんとLL・クールJ。特殊工作員で、カメレオンのごとく神出鬼没。レスリーの恋人になるロビン・ライトも本作では可愛い。アカデミー賞候補になったアルバート・ウォルスキーによる衣装が素晴らしい。

 何ら武器を持たないおもちゃたちが、ハイテク兵器おもちゃに踏みにじられていくクライマックスは、けっこうシビアーだ。背景に流れる反戦平和のメッセージが無理なく的確に観客に伝わっていると思う。それにしてもよくこれだけユニークなおもちゃを集めたものだ(当時のキネマ旬報の記事によると、ほとんどが日本製らしい)。人によってはバカバカしいと毛嫌いしそうな題材だが、その題材を多額の製作費と贅沢なスタッフでこれだけの作品に仕上げたバリー・レヴィンソン監督の力量に感心した。
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「丹下左膳余話 百萬両の壷」

2018-02-25 06:26:28 | 映画の感想(た行)
 昭和10年日活作品。若くして戦地で散った伝説の映画監督・山中貞雄の(フィルム断片を除いた)現存している3本の作品の中の一つ。素晴らしく面白い。この映画が作られれてかなりの年月が経過しているが、その間に果たして娯楽映画は進歩したのだろうかと、本気で思ってしまうほどだ。

 江戸享保年間、大和柳生藩の藩主である柳生対馬守は、家に代々伝わる“こけ猿の壷”が百万両のありかを示したものだと知らされるが、壷はすでに弟源三郎の婿養子の引き出物として譲ってしまっていた。柳生家の家臣たちは秘密を知られずに取り戻そうとするが、源三郎の妻は“こんな汚い茶壺には用は無い”とばかりに屑屋に売り払っていた。その壺を偶然手に入れたのが、矢場の居候である丹下左膳。壺をめぐって左膳や源三郎、ほかに左膳と親しい矢場の女将・お藤や、矢場に転がり込む少年・安吉らの人間模様が描かれる。



 通常の「丹下左膳」シリーズの続編というか、セルフ・パロディだが、ニヒルな剣豪を家庭人にしてしまったアイデアが出色。大胆な作劇の省略法で、92分の上映時間の中に多くのエピソードを盛り込んでいながら、全くドラマが破綻しない。二転三転する巧みな脚本といい、キャラクターの立ち具合といい、ギャグの振り方といい、文句のつけようがないほど良く出来ている。招き猫をはじめとする小道具、ムソルグスキーの「禿山の一夜」などのクラシック音楽の採用、仕掛けにも抜かりは無い。

 左膳役は大河内傳次郎で、飄々とした雰囲気や身の軽さは、好人物としての魅力を印象付ける。お藤に扮する喜代三も実に良い味を出しており、左膳とのやり取りは夫婦のような佇まいを感じさせる。沢村国太郎や山本礼三郎、阪東勝太郎といった脇のキャストも申し分ない。子供役の宗春太郎は、後年「鞍馬天狗」(嵐寛寿郎主演版)で杉作を演じる。

 なお、私は本作を福岡市博多区中洲にあったシネ・リーブル博多のクロージング上映で鑑賞した。この劇場はわずか2年で営業を終えてしまったが、市内のスクリーン数が減っている昨今、今でも存続していればと思わずにはいられない。
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「デトロイト」

2018-02-10 06:36:51 | 映画の感想(た行)

 (原題:DETROIT )とても迫力のある映画だとは思うが、釈然としない点が散見され、諸手の挙げての評価は差し控えたい。実話をベースにしているものの、実態が掴めていないためか強引な展開が見られ、そのあたりがアカデミー賞をはじめ主要アワードの候補から外れた原因かと思ってしまった。

 1967年夏、デトロイト市警察が違法酒場の摘発を行った際、現場周辺にいた人々が警官隊に石を投げ始めた。騒ぎはどんどん大きくなり、ついには町全体を巻き込んだ暴動に発展。デトロイト市当局だけでは到底対処できない規模であったため、知事は州警本部とミシガン州軍の動員を決断する。一方、地元デトロイトの黒人によって結成されたソウル・グループのザ・ドラマティックスがコンサートの出番を待っていた。だがステージに上がる直前に、警察が会場のある通りを封鎖し、演奏会は中止になる。

 ザ・ドラマティックスのヴォーカル担当ラリーとその友人であるフレッドは、騒然とする街中を抜けてアルジェ・モーテルに一泊し、取りあえず様子を見ることにした。そこで知り合ったクーパーという若い男が、ふざけてスターター用のおもちゃのピストルを警官隊に向けて鳴らしてしまう。すると本物の発砲だと思った警察と陸軍がモーテルを取り囲み、挙げ句には捜査手順を無視した何人かの不良警官が押し入って、宿泊客たちに不当な強制尋問を行うようになる。道向かいの食料品店の警備をしていたメルヴィンはただならぬ気配を察してモーテルに乗り込むが、混乱が治まる気配は無かった。社会への不満を抱く黒人たちが暴れだし、多くの犠牲者を出した“デトロイト暴動”を題材にした作品だ。

 まず不可解なのが、警官が何度も“銃はどこだ!”と詰問しているにも関わらず、誰も“あれはおもちゃの銃で、本物ではない”と答えないことだ。第一、最終的にこの“おもちゃの銃”は発見できなかったらしいので、本当に存在したのかどうかも分からない。不確かなモチーフを持ち出していながら、それをストーリー上で有効に機能させるための作劇が成されていないので、観ている側としては鼻白むばかりだ。

 しかも、警官の怒号と怯える客の表情ばかりが繰り返して出てくるので、途中から飽きる。騒ぎが終わってからの裁判のシーンも挿入されるが、結局ここでも真相は明らかにされることはなく、映画全体が作者が立てた“仮説”の上で成り立っていることが分かるに及び、何とも言えない気分になってきた。

 キャスリン・ビグローの演出はパワフルだが、臨場感を強調するためか手持ちカメラによるブレる画面の連続で、観ていて疲れる。一応、ジョン・ボイエガ扮する警備員が主人公かつ狂言回しの役どころだが、あまり印象に残らない。横暴な警官役のウィル・ポールターは熱演だが、絵に描いたような人種差別主義者の再現は、感心するより不愉快になってくる。良かったのはラリーを演じるアルジー・スミスと、騒ぎに巻き込まれる白人娘に扮したハンナ・マリーぐらいだ。

 いくら黒人たちが怒りを爆発させようとも、デトロイトは今も貧富の差が大きく、失業率は高く、犯罪は多発し、しかも人口は減り続けている。暴力なんて、何の解決にもならないのだ。
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「トレスパス」

2018-01-19 06:34:56 | 映画の感想(た行)
 (原題:Trespass)92年作品。久々にウォルター・ヒル監督の真骨頂を見たような気がした。かつては「ザ・ドライバー」(78年)「ロング・ライダース」(80年)「ストリート・オブ・ファイヤー」(84年)などの傑作群を放った彼も、80年代後半から作品に力が入らなくなり、「レッドブル」(88年)「48時間PART2」(90年)など凡作の連発。中には「クロスロード」(86年)なんていうワケのわからん映画もあったし、このまま終わってしまうのかと思っていたのだが・・・・。今回の「トレスパス」は、全盛期の作品ほどではないにしても、かなりの線はいってると思う。

 アーカンソー州フォートスミス。深夜、車の中で射殺される男のビデオ画面を見ていたギャングの親分KJとその子分たちは、犯人を郊外の廃屋に呼び出して片付ける算段を始める。一方、消防士のビンスとドンは、火事場で救出しようとした老人から“宝の地図”を無理矢理手渡される。それは50年前その老人が強奪した黄金製のカソリックの祭具(時価数百万ドル)の隠し場所を記したものだった。



 奇しくもその場所が前述のギャングたちが目指す郊外の廃屋の中。こうして殺人を目撃されたKJたちと、黄金を独り占めしようとする消防士たちの血で血を洗う戦いが始まる。重武装したギャングたちに対し、ビンスたちは拳銃一丁。しかしKJの弟を人質にとった彼らは、廃屋に住みついていたホームレスの老人の協力を得て、強行突破をもくろむ。果たして二人は助かるのか。そして黄金は誰の手に。

 まず、何がいいかというと、KJをはじめとするギャング連中の面構えだ。登場人物は消防士二人を除いて全員黒人である。こいつらがめちゃくちゃカッコいいのである。ビシッと高級スーツを着こなし、身のこなしもしなやかに、スクリーン上を走り回る姿が実に美しい。

 KJを演じるのはアイス・T、その一の子分に扮するのがアイス・キューブだと言ったら、音楽ファンはニヤリとするだろう。それに対し白人二人組(ビル・パクストン、ウィリアム・サドラー)は身なりも祖末で、明らかにダサイ。黒人偏重、白人逆差別の映画である(笑)。ノンストップのアクションが展開する一方、携帯電話やビデオカメラといった当時のハイテク小道具が抜群の効果をあげている。

 ヒル作品ではおなじみのライ・クーダーの音楽、そして二人のアイスによるノリのいいラップも当然フィーチャーされている。各キャラクターを短い時間で明確に描き分ける手腕、会話の面白さ、得意の夜のシーンこそないが、まぎれもなくこれはヒルのカラーを示すものだ。消防士という設定があまり生かされないことや、ラストが意外にあっけなかったりする欠点も目につくものの、まずは快作と言っていいだろう。観る価値はある。
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