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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「バレリーナ」

2023-10-22 06:11:28 | 映画の感想(は行)
 (原題:BALLERINA )2023年10月よりNetflixから配信されている韓国製のアクション編。各キャラクターは“立って”おり、ドラマの流れもスムーズだが、設定上での説明不足の感がある。あまり饒舌になる必要は無いが、それでも最小限の御膳立てはあって然るべきだ。映像処理では見るべき面が多々あるだけに、もう少しシナリオを精査して欲しかった。

 かつて警護の仕事に携わり、腕っぷしの強い若い女子オクジュは、バレエダンサーだった親友のミニがいきなり自殺してしまい、ショックを受ける。ミニはオクジュあてにメッセージを残しており、チョイというヤクザな男から長年暴行を受けており、かたき討ちをして欲しいという。早速オクジュはチョイと接触するが、彼のバックにはドラッグを扱う大規模な犯罪シンジケートが控えていた。彼女は組織を丸ごと叩き潰すため、戦いに身を投じる。



 ヒロインはやたら強いが、プロフィールに関して言及されていないのは納得できない。たとえば元KCIAのエージェントとか、かつて傭兵だったとか、そういう経歴を暗示させても良いと思うのだが、実に残念だ。この点「イコライザー」や「トランスポーター」といったハリウッド製の活劇シリーズには一歩譲る。

 そして、これだけ大々的バトルが巻き起こっているのに警察・公安当局が出てこないのは噴飯ものである。敵の首魁にはもっと見せ場があった方が良かったし、唐突に“武器商人”が出てくるのも失笑するしかない。まあ、ギャグのつもりで挿入したのだろうが、バックグラウンドが紹介されていないので効果はイマイチだ。

 それでも、オクジュに扮するチョン・ジョンソの身体能力には瞠目させられる。チョイをはじめ敵方との立ち回りは、かなりの盛り上がりだ。彼女はイ・チャンドン監督の「バーニング 劇場版」(2018年)にも出ていたが、あまり良い印象は受けなかった。ところが本作では打って変わった好調ぶり。役柄さえマッチすれば、俳優の長所が引き出されることを痛感する。脚本も担当したイ・チュンヒョンの演出は荒削りだがスタイリッシュでスピード感があり、観る者をあまり退屈させない。特にラストのショットは印象的。キム・ジフンにパク・ユリム、シン・セフィといった他のキャストも申し分ない。
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「福田村事件」

2023-10-16 06:05:25 | 映画の感想(は行)
 この題材を取り上げたこと自体は評価する。今まで映画関係者の誰もが興味を示さなかった“日本の負の歴史”に果敢に切り込んだ、その姿勢は見上げたものだ。しかし、ネタの秀逸さと映画のクォリティとは、別の話である。端的に言って、この作品は掘り下げが足りない。ヘヴィな素材に対峙するためには強靭な求心力を持って臨まないと良好な結果には繋がらないはずだが、本作はどうも煮え切らないのだ。

 1923年(大正12年)に千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)で起こった、香川県から来た薬の行商団15名が関東大震災後に狼藉をはたらいていたとされる朝鮮人と間違われて地元の自警団に襲われ、うち9名が殺害されるという凄惨な事件を描くこの映画。最も重要なモチーフは、この出来事の背景であることは論を待たない。



 なぜ一般市民が凶行に走ったのか、どうして朝鮮人が悪者扱いされていたのか、そのあたりをテンション上げて描かないと絵空事になってしまうのだが、本編ではほとんど言及も考察もされていない。ただ群集心理によって流言飛語に惑わされてしまったという、ありきたりな構図が差し出されるだけだ。

 登場人物たちの造形の粗さも愉快になれない。悪さをするのは最初から思慮が浅い無教養の連中で、犠牲者を庇おうとするのは元々リベラルなスタンスを持った人間であるという、大雑把な見解が罷り通るのみ。たとえば普段は善良そうな者がイレギュラーな事態に直面するとインモラルな本性を現すとか、反対に素行の良くない奴がいざという場合に頼りになる行動を起こすとか、そういう映画的に盛り上がりそうな展開は一切出てこない。

 そもそも、当時は日本統治下にあった京城(現・ソウル)で教師をしていたが事情によって故郷の千葉県福田村に帰ってきた澤田智一とその妻のメロドラマ的なパートや、プレイボーイを気取った船頭の“武勇伝”や、旦那の出征中に舅と懇ろになる嫁の話など、映画の本題とは直接関係のない話が必要以上に多い。かと思えば、正義感あふれる若い女性新聞記者に理想論を語らせるといった、取って付けたようなネタまである。

 極めつけは、クライマックスとなるべき凶行場面の描写が生温いことだ。あからさまな残虐描写はマーケティング上(?)不利だと予想したのかもしれないが、そこを避けてしまっては何もならないだろう。監督の森達也はドキュメンタリー畑の人材であり、劇映画を手掛けるのは初めて。作劇がぎこちないのはそのためかもしれないが、この起用は承服しかねる。

 そして気になるのは、映画の企画担当で脚本にも参加している荒井晴彦の存在だ。彼がこういうテーマを扱うと、団塊世代らしい(左傾の)ルーティンに陥りがちだが、今回もその轍を踏んでいる。井浦新に田中麗奈、コムアイ、向里祐香、カトウシンスケ、木竜麻生、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明ら多彩なキャストを集め、東出昌大に深い演技をさせていないのも的確だが(苦笑)、映画が思わぬライト級に終わってしまったので、評価は差し控える。
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「ペギー・スーの結婚」

2023-10-15 06:59:26 | 映画の感想(は行)
 (原題:Peggy Sue Got Married )86年作品。70年代はまさに無双だったフランシス・フォード・コッポラ監督だが、80年代に入るとネタが出尽くしたかのごとく大人しくなり、並の演出家へとシフトダウンした。本作もその流れによる一本で、全盛時の彼からは考えられないほどのお手軽なシャシンだ。しかしながら、今日も少なくない数が撮られている“(個的な)タイムスリップもの”を先取りしているという意味では、存在価値はあるかもしれない。

 アメリカ西部の地方都市(ロケ地はカリフォルニア州北部のサンタローザ)に住む中年女性ペギー・スーは、電気店を営むチャーリーと結婚して2児をもうけたが、最近ダンナが別に女を作ったため離婚を考えている。そんな中、高校の同窓会が開かれることになった。会場には懐かしい面々がいっぱいで、気分はもう高校生。しかも、彼女はパーティでその夜のクイーンに選ばれ、興奮のあまり卒倒してしまう。ところが目が覚めたら25年前のハイスクール時代にタイムスリップしていた。この際だから失われた青春をやり直そうと思った彼女は、当時は同級生だったチャーリーを遠ざけて文学好きのインテリ男子マイケルに接近する。



 主演を務めたキャスリーン・ターナーは、本作での演技が認められアカデミー主演女優賞にノミネートされており、なるほど達者なパフォーマンスだとは思うが、当時すでに30歳をとうに過ぎていた彼女が若い頃まで演じるというのは無理がある。しかも、高校時代に戻った彼女の周りの者たちも、一様に老け顔で苦笑するしかない。この点、前年に封切られた「バック・トゥ・ザ・フューチャー」に後れを取っている。

 主人公が遭遇するエピソードも、大して面白味が無い。元の時代に戻ろうとして祖父たちの時間旅行の儀式を参考にするものの、インパクトは弱い。それでも、60年代初頭の古き良きアメリカの風俗描写は楽しませてはくれる。やっぱりこの時代は、誰が取り上げてもサマになる。ただし、コッポラの演出は可も無く不可も無し。

 ニコラス・ケイジにジョアン・アレン、ジム・キャリー、バーバラ・ハリス、ドン・マレー、モーリン・オサリヴァン、ヘレン・ハント、ジョン・キャラダインなど、共演陣はけっこう豪華。ヒロインの妹にソフィア・コッポラが扮しているのは珍しく、唯一実年齢が役柄とマッチしているケースである(笑)。音楽はジョン・バリーで、さすがのスコアを提供している。
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「ヒンターラント」

2023-10-09 06:07:05 | 映画の感想(は行)
 (原題:HINTERLAND)映像表現の饒舌さを十二分に堪能できる映画だ。全編ブルーバック撮影による人工的な絵作り。それ自体が妖しい美しさを醸し出していることに加え、登場人物たちの不安定な内面をも巧みに反映させている。2021年の第74回ロカルノ国際映画祭で観客賞を受賞したミステリーで、屹立した独自性を感じさせる野心作だ。

 第一次大戦が終わり、ロシアで長い捕虜収容所生活を強いられていたオーストリアの兵士たちはようやく解放され、故国に戻ってきた。ウィーンの自宅に帰った元刑事のペーター・ペルクもその一人だが、そこにはすでに家族の姿は無く、行き場を失ったことを痛感する。そんな中、ペーターの元戦友が惨殺死体で発見されたのを皮切りに、町中では次々と殺人事件が発生。その手口から犯人も同じ帰還兵であると踏んだペーターは、古巣であるウィーン市警のスタッフらと共に事件を追う。



 バックの映像は暗鬱で、しかも歪んでいる。ただしそれは決して不安定で生理的不快感を喚起させるものではなく、計算され尽くした造型が施されている。言うまでもなく、戦争で荒れ果てたオーストリアの姿を強調するための手法ではあるが、同時にささくれ立った住民たちの心理のメタファーでもある。

 手練れの映画ファンならばデイヴィッド・フィンチャー監督の「セブン」(95年)との共通性を見出すかもしれないが、あっちは単なる新奇なエクステリアの採用という次元に留まっていて、本作のように切迫した映画の背景を映像で語らせるレベルには達していない。その点も評価できる。

 サスペンス映画としての段取りも上手くいっており、手口の残虐さとそれを実行する犯人像の創出、もつれる展開とラストのカタルシスなど、ステファン・ルツォビツキーの演出は出世作「ヒトラーの贋札」(2007年)同様抜かりがない。また、主人公をはじめ訳ありの面子をズラリと並べ、それぞれ見せ場を用意しているあたりも納得できる。

 主演のムラタン・ムスルの演技は渋みがあり、決してハリウッド製活劇編のようなマッチョな建て付けはしていない。ペーターを助ける女医に扮するリブ・リサ・フリースは本当にイイ女だし、マックス・フォン・デル・グローベンにマルク・リンパッハ、マルガレーテ・ティーゼルといった顔ぶれは馴染みはないものの皆万全の仕事ぶりを見せる。そして、この時代の彼の地の事情を取り上げたことは珍しく、改めて戦争の悲惨さを感じずにはいられない。
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「ほつれる」

2023-10-08 06:08:25 | 映画の感想(は行)
 心の底から“観て損した”と思った映画だ。何から何まで、実に不愉快。共感できる箇所は皆無。よくこんなシャシンの製作にゴーサインが出たものだ。もちろん、不快なキャラクターやモチーフばかりを並べた映画がダメだと言いたいのではない。ネタ自体が外道でも、ドラマに力があれば観る者を瞠目させることは可能。しかし本作には映画的興趣を喚起させようという姿勢は見られず、弛緩した空気が流れるのみ。まったくもって話にならない。

 主人公の綿子と、夫の文則との仲は末期的な状況にあった。彼女は旦那を見限り、友人の紹介で知り合った編集者の木村と浮気するようになる。だが、2人でキャンプ行った帰り道、木村は綿子の目の前で交通事故に遭い死んでしまう。葬儀にも行けなかった彼女は、せめて墓参りはしたいと思い、友人の英梨と木村の実家がある山梨に足を運ぶ。一方文則は、妻の行動に不信を持つようになる。

 まず、木村の事故直後の綿子の振る舞いがおかしい。彼女は救急車を呼ぼうと一度はスマホを手に取るのだが、結局何事も無かったかのように立ち去ってしまう。2人の仲が明るみになることを恐れるがゆえの行動だろうが、ついさっきまで“デート”を楽しんでいた相手の安否を関知しないというのは、この女には一般常識が欠落していると思わざるを得ない。かと思えば、文則も常軌を逸している言動が目立つ。

 そして何と、この夫婦は互いに不倫の果てに元のパートナーと別れて一緒になったことが示されるのだ。さらに、木村やその父親をはじめ、この映画に登場するのはロクでもない人間ばかりである。冒頭にも述べたが、たとえクソみたいな連中をズラッと並べようが、そこにドラマ的な盛り上がりや切れ味鋭い描写などを織り込めば映画として十分に楽しめるのだ。ところが、話がいくら進んでも面白そうな場面は出てこない。指輪がどうしたとか、ヒロインが意味もなく旅館に泊まるとか、そういうどうでも良いエピソードが漫然と語られるだけで、少しもこちらの興味を引くような展開にはならない。

 脚本も担当した監督の加藤拓也なる人物は、演劇界では新進気鋭の若手作家らしい。なるほど、ひょっとして本作を舞台で鑑賞すれば好印象を得られる可能性はあるだろう。だが、映画を観る限りでは才気走った部分はまるで見受けられない。84分という短い尺ながら、随分と長く感じられた。

 そして、主役の門脇麦をはじめ、染谷将太に古舘寛治という仕事ぶりには定評のある演技者を集めていながらこの体たらくだ。文則に扮する田村健太郎の嫌味っぷりは目立っていたが、ただ不快なだけで見ていて楽しくない。黒木華なんて、こんなつまらない役を振られて気の毒になってくる。画面が35ミリスタンダードサイズというのも実に臭く、単なる“カッコつけ”にしか思えない。
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「ベイビーわるきゅーれ」

2023-09-30 06:07:06 | 映画の感想(は行)
 2021年作品。単館系での公開ながら一部の上映劇場では9か月以上ものロングランを記録したとかで、私も今さらながらテレビ画面での鑑賞ではあるがチェックしてみた。結果、確かに設定は面白くギャグの振り出し方も好調なのだが、そんなに持ち上げるほどの出来ではない。良くも悪くもオタク向けのシャシンだろう。

 深川まひろと杉本ちさとは、一見普通の女子高生だが実はスゴ腕の殺し屋だ。そんな彼女たちも卒業を機に、所属シンジケートから表の顔としてカタギの職を持つことを強いられる。それでも要領の良いちさとはバイトなどを無難にこなすが、コミュニケーション能力に難のあるまひろは何をやっても上手くいかない。



 そんな中、ちさとのバイト先のメイドカフェにヤクザの浜岡一平とその息子のかずきが客として訪れる。メイドの態度が気に障った彼らは逆上して店内を占拠するが、居合わせたちさとは狼藉をはたらく2人を躊躇無く射殺する。一平の娘のひまりは復讐を誓い、腕の立つ者を集めてちさと達の抹殺を図る。

 若い女の子が平気で殺し屋稼業を営むという御膳立ては「キック・アス」(2010年)の“ヒット・ガール”の二番煎じかもしれないが、それ自体は悪くないモチーフだ。女子2人のボケたギャルトークは面白いし、シンジケートの“従業員”たちが彼女らを持て余す様子も笑える。ところが、肝心のアクション場面が大したことがない。頑張っているのは分かるのだが、他の本格的な活劇映画と比べればやっぱり生温いのだ。

 しかも、主人公2人がさほど可愛くない(苦笑)。見た目よりも身体能力重視でキャスティングしたのだろうが、ここは逆に“ルックス優先で起用した面子を、鍛え上げてアクション仕様にする”という順序立てにした方が、遥かに理に適っている。脚本も担当した阪元裕吾の演出は弛緩したところは見受けられず、無理矢理な長回しの多用も頷けるが、どうもアマチュア臭がする。まだ若いので、今後は精進を重ねて欲しい。

 主役の高石あかりと伊澤彩織はよくやってるとは思うが、外見がアレなのでどうにもコメントし辛い。三元雅芸に秋谷百音、うえきやサトシ、福島雪菜、水石亜飛夢といった顔ぶれは馴染みは無いが、まあ手堅いだろう。それでも一平役の本宮泰風は、その凶暴な存在感が光っていた。こういう濃いキャラクターが一人でも控えていると、何とかドラマは締ってくるものだ。
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「ファルコン・レイク」

2023-09-25 06:10:20 | 映画の感想(は行)
 (原題:FALCON LAKE )設定自体はよくある思春期の少年少女のラブストーリーだが、かなり変化球を効かせていて印象は強い。あえて16ミリフィルムを使用した映像や、全体に漂う不吉なムードの創出は評価出来る。筋書きに少し冗長な面があることは認めつつも、観る価値はある意欲作だと思う。第75回カンヌ国際映画祭の監督週間に正式出品されている。

 パリに住んでいる14歳のバスティアンは母の親友ルイーズのもとで夏を過ごすため、両親と弟と共にカナダのケベック州にある湖畔のコテージへやって来る。ルイーズの娘である16歳のクロエと久々に会ったバスティアンは、大人びた彼女に惹かれる。このファルコン湖には幽霊が出るという噂があるが、バスティアンはクロエの気を引くために自分から湖で泳ごうとする。フランスの漫画家バスティアン・ビベスの「年上のひと」の映画化だ。



 とにかく、このファルコン湖の佇まいが心象的だ。夏のバカンスを過ごすにはとても相応しくない、暗鬱な風景が広がる。バスティアンたちが滞在するコテージも、少しも小洒落たところが無い。端的に言えば、お化け屋敷みたいな造型だ。この映画は斯様にダークな空気を纏っている関係上、ストーリーも全然明るくない。画面のあちこちに見受けられる不吉なイメージが、暗転するラストを予想させる。

 だが、決して不快な感じはしない。それは主人公たちの、この年代特有の屈託に満ちた日々を反映しているからだ。楽しく十代を送った者など、実はそんなに多くはないと思う。身の回りのちょっとしたことに一喜一憂し、時には自暴自棄に走る。本作はそれを幽霊の存在に投影しているが、その手法がラストに近付くにつれ強調されていくのも納得出来る。監督のシャルロット・ルボンは元々はカナダで活動する俳優であり、この映画で長編初メガホンを取ることになった。そのためか、後半の展開にはまだるっこしい部分があるものの、まあ許せるレベルかと思う。

 主演のジョゼフ・アンジェルとサラ・モンプチのパフォーマンスは申し分なく、ティーンエージャーの揺れ動く内面を上手く表現していた。特にモンプチの存在感は大したもので、他の映画でも彼女の演技を見てみたい。モニア・ショクリにアルトゥール・イグアル、カリン・ゴンティエ=ヒンドマン、トマ・ラペリエールといった脇の面子の仕事ぶりも万全だ。
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「ハート・オブ・ストーン」

2023-09-24 06:10:36 | 映画の感想(は行)

 (原題:HEART OF STONE)2023年8月よりNetflixより配信されたスパイ・アクション。見かけはハデだが、中身は大味だ。B級感は否めず、鑑賞後はストレスが残る。その原因は、筋書きが練られていないからだ。活劇編だろうと何だろうと、大切なのは脚本である。それらしいモチーフを並べて賑やかに展開させるだけでは、映画のクォリティがアップすることは無いのだ。

 MI6のエージェントであるレイチェル・ストーンは、別に世界平和のために活動するチャーターという秘密組織にも属している。チャーターは世界中のあらゆるシステムを操作できる“ハート”と呼ばれる超進化型AIを保有しており、これを使って未来を予測することもできる。ある時、一仕事終えたレイチェルとMI6の仲間は、思わぬ身内の裏切りに遭い絶体絶命のピンチに陥る。事件の黒幕は“ハート”を我が物にしようとする国際的な武装組織で、レイチェルは敵を駆逐するため世界中を飛び回る。

 まず、MI6とチャーターとを“掛け持ち”している主人公のスタンスが分かりにくい。そもそも“掛け持ち”が出来るのかどうかも怪しいが、チャーターの“首脳陣”は各国の情報機関の幹部ではあっても、とても“ハート”のような大規模なシステムを作り出せる面子とは思えない。そして何より、すべての情報デバイスにアクセスが可能だという“ハート”が、裏切り者の存在や謎の武装組織の暗躍を察知できなかったというのは噴飯ものだ。

 レイチェルは襲ってくる敵と各地で対峙するのだが、どうも行き当たりばったりに暴れ回っているようにしか見えない。それに“ハート”の存在は、どうしても最近公開された「ミッション:インポッシブル デッドレコニング」の設定と被るところがあり、明らかに分が悪い。トム・ハーパーの演出はマッチョイムズ(?)全開で、次々と繰り出される主人公の危機また危機を、力づくの爆破シーンなどでねじ伏せようとする。しかし、ストーリーの粗っぽさは如何ともしがたく留飲を下げるところまでは至らない。

 主演のガル・ガドットは相変わらずだが、彼女を見ていると“ワンダーウーマンだったら秒で解決できる”という印象は拭えない(笑)。別の俳優を持ってきた方がインパクトが大きくなったと思われる。ジェイミー・ドーナンにソフィー・オコネドー、マティアス・シュバイクホファー、アーリアー・バットという脇の顔ぶれは可もなく不可もなし。続編が作られそうな気配がするが、観るかどうかは未定だ。
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「春に散る」

2023-09-23 06:05:06 | 映画の感想(は行)
 沢木耕太郎による原作小説は読んでいないが、文庫本ならば上下巻にわたる長編だ。それを2時間あまりの尺に収めようという意図自体、無理ではなかったか。事実、この映画化作品は長い物語を力尽くで圧縮したような、ストーリーの整合性の欠如とキャラクターの掘り下げの浅さが目立つ。また、それをカバーするためか言い訳的なセリフを多用するのも愉快になれない。キャストは割と頑張っているのに、もったいない話である。

 40年前に不公平な判定負けを喫し、それを機に渡米した元ボクサーの広岡仁一が久々に帰国。彼は居酒屋で思うようなファイトが出来ず悩んでいる若いボクサーの黒木翔吾と出会い、ぜひ手ほどきを受けたいと懇願される。最初は断った仁一だが、かつてのボクシング仲間である藤原と佐瀬に奨められて引き受けることにする。激しいトレーニングが徐々に功を奏して翔吾の成績は上がり、やがて世界タイトルに挑戦する機会を得る。



 まず気になるのが、アメリカでビジネスマンとしてある程度の成功を収めた仁一がどうしてすべてを手放して帰ってきたのか、まるで分からないこと。さらには心臓に疾患がある彼が、無理して翔吾のコーチ役を買って出た理由も不明。格闘家としての矜持がどうのとセリフで語られるようだが、説明になっていない。

 翔吾にしても、なぜ長い間リングを離れていたオッサンにわざわざ弟子入りを志願するのか、理由が分からない。藤原と佐瀬のスタンスもいまいちハッキリしないし、翔吾といい仲になる佳菜子の扱いも杜撰だ。原作ではこれらのモチーフは十分カバーされていたのかもしれないが、映画では手抜きとしか映らない。

 それでも役作りのためにライセンスまで取得した翔吾役の横浜流星をはじめ、ボクサーに扮する面子は健闘している。試合のシーンは迫力満点だ。しかし、肝心なところでスローモーションなどのレトロすぎる手法が横溢しているのはマイナスだ。瀬々敬久の演出は可もなく不可もない展開に終始。不出来な脚色に足を引っ張られている感がある。特にラストの処理は失笑ものだ。

 仁一に扮する佐藤浩市や片岡鶴太郎、哀川翔、窪田正孝、山口智子、坂井真紀、小澤征悦といった悪くないメンバーを集めているにも関わらず、ドラマとしての盛り上がりに欠ける。なお、佳菜子を演じているのは橋本環奈だが、私は彼女をスクリーン上で見るのは初めてだ。出演作は多いが能動的な映画ファンが鑑賞するようなシャシンには縁のない彼女らしく、凡庸なパフォーマンスである。今後“大化け”する可能性があるのかどうかは、現時点では予測不能だ。
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「バービー」

2023-09-03 06:10:21 | 映画の感想(は行)
 (原題:BARBIE)バービー人形自体がもともと子供向けの玩具である関係上、この映画も子供を対象にしていると思って良い。ただし、私のこの見解には異論がありそうで、大方の評価は“ジェンダー問題などに切り込んだ社会派テイストのシャシン”といったものだろう。しかし、玩具をネタにそういう御大層な題材を扱う必要があるとは、個人的には思えない。深く突っ込むのならば、別の方法があったはずだ。

 バービーとその仲間の人形たちが暮らす“バービーランド”は、ピンクに彩られた世界で毎日がパーティ。何の問題も無い日々が永遠に続くと誰もが信じていたが、ある時スタンダードモデルのバービーの身体に異変が起きる。外の世界を知る“変てこバービー”に相談すると、現実世界のバービー人形の持ち主である女の子の問題を解決すれば、元に戻れる可能性があると聞かされる。そこで彼女は、勝手についてきたケンと一緒に人間が暮らす現実の世界へ赴く。



 要は人間世界の不安がバービーの住むエリアに悪影響を与えていたということで、その最たるものがケンが目の当たりにするマッチョな家父長制だ。男性優位主義に目覚めたケンは“バービーランド”に戻り皆を啓蒙。すると瞬く間に“バービーランド”が前時代的な様相に変わってしまう。これは大変だと、バービーたちは奮闘するのだが、何やらマッチョイムズとフェミニズムが単純二項対立のごとく配置されている案配で、これは底が浅いと思う。

 また、アランという中立的なキャラクターを登場させるのも安易に過ぎる。だが、本作が子供向けの紙芝居のような位置付けならば納得できよう。深読みして無理矢理持ち上げる必要は無い。グレタ・ガーウィグは監督として「レディ・バード」(2017年)や「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」(2019年)を手掛けているが、それらに共通する煮え切らない空気が本作にも充満している。

 舞台造形やファッション可愛いという意見があるが、個人的にはそれほどのインパクトは受けず。マーゴット・ロビーにライアン・ゴズリング、アメリカ・フェレーラ、ケイト・マッキノン、ヘレン・ミレンなどのキャストは頑張っているが、どうも印象が薄い。しかしながら、あえて長所を探してみると、子供向けらしくセリフが平易で、これなら字幕なしでも8割方は理解できる。英語の教材としてはもってこいだ。

 そしてサントラ盤は実に豪華。出演もしているデュア・リパをはじめ、リゾ、ニッキー・ミナージュ&アイス・スパイス、チャーリーXCX、エイバ・マックス、テーム・インパラ、サム・スミスらが新曲を提供しており、この手のサウンドが好きならば買う価値はある。
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