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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「バード・オン・ワイヤー」

2023-08-25 06:14:31 | 映画の感想(は行)
 (原題:Bird on a Wire)90年作品。当時すでに40歳を過ぎていたにも関わらず申し分のないプロポーションを維持していたゴールディ・ホーンと、その頃の「US」誌選出のセクシー男優のベストテンにランクインしたメル・ギブソンとの“セクシー共演”を鑑賞するシャシンだ(笑)。ハッキリ言って、それ以外にはあまり見どころは無い。ただし、ユニヴァーサル映画創立75周年記念作品ということで十分な予算はかけられており、チープさが無いのは救いである。

 弁護士のマリアンヌ・グレーヴスは、偶然立ち寄った自動車修理工場で15年前に事故でこの世を去った恋人リック・ジャーミンにそっくりの男と出会う。他人のそら似だと思ったマリアンヌだが、実は相手はリック本人だった。彼は15年前にメキシコの麻薬カルテルに関する事件の証言をするためにFBIの証人保護リストに登録されていて、名前も職業も変えてひっそりと暮らしていたのだ。



 彼女に勘付かれたと思ったリックはFBIの新しい担当者であるジョー・ウェイバーンに連絡するが、彼はすでにくだんの麻薬組織に買収されていた。ウェイバーンはリックの生存を組織に通報すると、早速殺し屋どもがリックを狙って押し寄せてくる。リックはマリアンヌを伴っての決死の逃避行を強いられる。

 マリアンヌは敏腕弁護士という触れ込みだが、G・ホーンが演じると少しもそうは見えない。こんなに浮ついたギャルっぽい女が法廷でシッカリと仕事が出来るとは思えないのだ。リックに扮するM・ギブソンはいつも通りだが、何となくG・ホーンに押されて存在感は薄い。少なくとも「マッドマックス」や「リーサル・ウェポン」のシリーズのようなキャラの濃さは見受けられない。ただ、セクシー男優のメンツからか、上半身の裸はもちろんのこと、お尻のヌードまでも披露して主演女優に対抗しているのは御愛敬だ。

 本作はコメディ仕立ての“トラプル巻き込まれ型サスペンス編”だが、お笑いが過ぎてサスペンスの方は盛り上がらない。しかも、筋書きは単純のようで無理筋であり、御都合主義が目立つ。クライマックスが動物園内の活劇という悪くないモチーフを提示はしているが、主要キャラであるはずの獣医のレイチェルがクローズアップされていないのも不満だ。

 監督のジョン・バダムは80年代半ばまでは意欲的な仕事を手掛けていたが、この時期には並のプログラム・ピクチュアの演出家として落ち着いてしまったようだ。デイヴィッド・キャラダインにビル・デューク、スティーヴン・トボロウスキー、ジョーン・セベランスといった他の面子は可も無く不可も無し。音楽はハンス・ジマーが担当しているが、大して印象に残らない。
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「ぼくたちの哲学教室」

2023-07-22 06:10:15 | 映画の感想(は行)
 (原題:YOUNG PLATO )作者が主張したかったテーマとは、おそらくは全く違う事柄に感心してしまった。鑑賞者の置かれた環境によっては、作品の狙いとは異なるモチーフが強い印象を与えることもあるのだ。ましてやこの映画はドキュメンタリーであり、観客による受け取り方の幅は通常の劇映画よりも広いと思う。

 北アイルランドの政庁所在地ベルファストにあるホーリークロス男子小学校では、哲学が主要科目になっている。担当教諭は校長のケヴィン・マカリービーだ。彼はハードな面構えにスキンヘッドという、とてもカタギの人間には見えない。実際に若い頃はかなりの極道者だったことを匂わせるのだが、こういう人間が生徒に哲学を説くというのは、絵面として確かに面白い。



 また、ベルファストは北アイルランド紛争によりプロテスタントとカトリックの対立が長く続いた土地で、命の大切さに関する“教材”には事欠かない。映画はケヴィンによるこの哲学の授業を、2年にわたって記録している。作者の意図とは裏腹に、義務教育における哲学の授業内容は観る側にそれほど伝わってこない。日本の道徳教育とあまり変わらないようにも思える。ベルファストのシビアな現代史も、土地柄だと言ってしまえばそれまでだ。

 しかし、ケヴィン校長をはじめ教師陣が、長い時間と手間をかけて生徒一人一人に接している様子には少なからず衝撃を受けた。ここで“何だ、教師が生徒に対峙するのは当たり前じゃないか!”というツッコミも入るかもしれないが、その“当たり前”のことが実現していないのが我が国の状況なのだ。

 イギリスにおける教職員の勤務時間は欧米では長い方だが、それでも日本よりは短く、担当業務も少ない。授業準備時間数に至っては日本は最低レベルだ。そもそも、我が国の教育への子供一人あたりの公的支出はOECD加盟国では下位低迷中。改めて日本は教育を蔑ろにしている国であることを痛感する。

 監督はドキュメンタリー作家ナーサ・ニ・キアナンとベルファスト出身の映画編集者デクラン・マッグラだが、彼らが描くこの町の風景はインパクトが大きい。市民の住居は多くが長屋みたいな形態で、壁面には大きな絵が描かれている。これを空撮でとらえたショットは珍しく、ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」(2021年)でも紹介しなかった奇観には思わず目を奪われた。
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「ハマのドン」

2023-07-10 06:06:36 | 映画の感想(は行)
 これは実に興味深いドキュメンタリー映画だ。舞台になった地域の問題を超え、我々が直面している問題の実相と解決の処方箋を総体的に垣間見せてくれる点で、存在価値の高い作品と言える。また、一応は“主役”扱いになる人物をはじめ出てくるキャラクターがどれも濃いので、観ていて退屈しないだけの求心力も確保されている。

 2021年8月に実施された横浜市長選における最大の争点は、カジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致の是非であった。前任の林文子は2017年の市長選で“カジノは白紙”という立場で当選したが、2019年に態度を豹変させIR誘致を発表。2021年の選挙ではIR推進を掲げた林と、一応はカジノ反対を表明した自民党県連会長の小此木八郎が“保守分裂”の形で立候補したが、そこに割って入ったのが横浜港ハーバーリゾート協会会長で“ハマのドン”と呼ばれる大物ベテラン経営者の藤木幸夫だった。



 彼はカジノの有害性を認め、立憲民主党が推薦する山中竹春を支持。政財界との太いパイプと市民運動との連携を通し、IR誘致を捨てきれない与党推薦候補に立ち向かう。藤木は1930年生まれという高齢で、自民党の党員でもある。だから一見、彼の行動は地元政財界の勢力争いに過ぎないように思われる。しかし、終戦直後から横浜の街と港湾労働者たちをずっと見てきた藤木には、この土地にカジノが出来ることを拒否する真っ当な理由があったのだ。

 カジノは、しょせんバクチだ。ギャンブルが皆を幸せにすることは有り得ない。そのことを、藤木は身に染みて分かっている。しかも、IRのあげた利益は運営元と海外資本に吸い上げられて地元には大して残らない。このことは劇中で登場する在米の日本人カジノデザイナーのレクチャーで明確に示される。

 そして何より、市民団体がIR誘致の是非を問う住民投票の実施を求めて署名活動を行い、19万筆を超える署名を集めたこどか大きい。いくら藤木でも、伊達酔狂で個人的に選挙運動に関わろうとしたのではない。主権者である市民が声を上げたことに動かされたのである。本作はテレビ朝日が製作した2022年2月放送のドキュメンタリーを、番組プロデューサーの松原文枝が監督として再編集したものだ。

 松原のネタの取り上げ方は巧妙で、藤木のダークな過去も遠慮なく挿入する。だが、藤木にはそれらをカバーするだけのカリスマ性があることを、十分に活写する。特に彼の“今は亡き人々の思いが、生きている我々の口を通じて出ているのだ”といったセリフには胸を突かれた。そう、私たちは今現在を刹那的に生きているのではない。過去に生きてきた先人たちの業績によって生かされているのである。この世界観・人生観に触れられるだけで、この映画を観る価値はある。

 なお、周知のとおり先の横浜市長選は山中候補の圧勝に終わり、これで横浜市にIR施設が出来る可能性はほぼなくなった。しかし、日本には官民挙げてIR誘致に前のめりな土地も別に存在する。この“目先の利益と新奇さだけを重視する風潮”と、本作で描かれた“確固とした共同体のリファレンスを優先させる態度”というのが、我が国が直面して選択すべき二大トレンドであることは言うまでもないだろう。
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「ホテル・ニューハンプシャー」

2023-07-03 06:18:28 | 映画の感想(は行)
 (原題:The Hotel New Hampshire )84年イギリス・カナダ・アメリカの合作。戦前から始まる一家族の物語を大河ドラマ風に描く映画なのだが、内容は変化球を利かせた異色作だ。雰囲気としてはジョージ・ロイ・ヒル監督の「ガープの世界」(82年)に似ていると思ったら、原作は同じジョン・アーヴィングの小説だった。とはいえ元ネタは(私は未読だが)かなりの長編。それを1時間49分にまとめるというのは当然ダイジェスト版にしかならないが、それを逆手に取ったようなスムーズな作劇が印象的である。

 1939年、メイン州アーバスノットのホテルでアルバイトをしていた男子学生ウィン・ベリーは、そこで同郷のメアリーと知り合い、仲良くなる。やがて結婚した2人は、5人の子供をもうける。そしてウィンはメアリーの母校の女学校を買い取って改装し“ホテル・ニューハンプシャー”を開業。しかし当初は好調だった業績もいつしか左前になる。そんな時、かつてのアーバスノットのホテルのオーナーで戦後はオーストリアに移住していたフロイトから、仕事を手伝って欲しいとの依頼がウィンに届く。こうして一家はウィーンに赴く。



 ウィンとメアリーをはじめ5人の子供たちもクセ者揃いで、彼らが遭遇する出来事もレイプや飛行機事故、同性愛、近親相姦、自殺、テロなどイレギュラーなものばかり。それぞれのエピソードで一本映画が作れそうなほどだが、あくまで本作はサッと流すのみだ。ならば物足りないのかというと、全然そうではない。モチーフを次々と繰り出して手際よくパッパッと切り上げることで、ダイジェストゆえの速さと描写の鋭さが上手く活かされていると思う。

 さらに、劇中で何度か出てくる“人生はお伽話だ”というセリフがその手法をバックアップする。少なからぬ数の登場人物が途中で退場してしまうのだが、しょせんは“お伽話”のように歴史は各人の空想的なフィクションの積み上げで全体が粛々と進んでゆくという達観が強調される。脚色も担当したトニー・リチャードソンの演出は闊達な“映像派”ぶりと、過去にいくつかの英国文学の映画化をモノにしたようにソリッドな気品というべきテイストが横溢している。

 ボー・ブリッジスやリサ・ベインズ、ロブ・ロウ、一人二役のマシュー・モディーンと、キャストは賑やかだ。そして何より、ジョディ・フォスターとナスターシャ・キンスキーの“夢の共演”には本当に嬉しくなる。デイヴィッド・ワトキンのカメラによる煌めく映像美と、オッフェンバックの音楽もかなりの効果を上げている。
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「波紋」

2023-06-23 06:09:45 | 映画の感想(は行)
 荻上直子の監督作は過去に「かもめ食堂」(2006年)と「彼らが本気で編むときは、」(2017年)を観ただけだが、いずれも大して面白くはなかった。この新作も、映画の出来としてはあまりよろしくない。しかし、キャスティングの妙で最後まで飽きずに観てしまった。いわば一点突破で作品のヴォルテージを上げた結果になったわけで、こういう方法論もアリなのだと思わせる。

 須藤依子は夫の修、息子の拓哉、そして要介護の義父と暮らす専業主婦だ。ところがある日、突然修が失踪してしまう。それから十数年の月日が流れ、義父は世を去り拓哉は家を出て、一人暮らしを続けていた依子は“緑命会”という新興宗教にハマり、祈りと勉強会に励んでいた。そこに修がひょっこり帰ってくる。ガンで余命幾ばくも無いので、最後は一緒に暮らしたいというのだ。さらに拓哉が連れてきた婚約者の珠美は聴覚障害があり、どう接して良いのか分からない。そんなハプニングに遭遇しつつも、依子は信仰の力を借りて何とか乗り切ろうとする。



 映画は震災の原発事故を伝える不穏なニュースに始まり、その禍々しい空気感がヒロインの身近にまで迫ってくる様子を通じて、何とか自立していこうという依子の“成長”みたいなものブラックユーモア仕立てで描こうとしたのかもしれない。だが、それは不発に終わっている。すべてのモチーフが取って付けたようなワザとらしさに溢れているのだ。森田芳光の「家族ゲーム」や深田晃司の「歓待」などの切迫感と底意地の悪さに比べると、本作は随分と軽量級である。

 しかし、この気勢の上がらない作劇に反して、配役の密度は高い。依子を筒井真理子、修を光石研を演じるというだけでお腹いっぱいになるが、脇を固めるのがキムラ緑子に木野花、安藤玉恵、江口のりこ、平岩紙、柄本明という濃度100%の顔ぶれ。これらがアクの強い芝居を嬉々として続けてくれるのだからたまらない。

 さらに「ビリーバーズ」で“あっち方面”に開眼(?)した磯村勇斗は怪演を披露し、珠美に扮した津田絵理奈もトンだ食わせ者だ(なお、彼女は本当の難聴者である)。この、キャスト全員による演技バトルロワイヤルを眺めているだけで、何となく入場料の元は取れたような気分になってくる(笑)。井出博子による音楽も快調で、ラストのフラメンコなどは気が利いている。
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「ビューティフル・ライフ」

2023-06-17 06:17:25 | 映画の感想(は行)
 (原題:A BEAUTIFUL LIFE)2023年6月よりNetflixから配信されているデンマーク作品。はっきり言って、内容はそれほどでもない。ならば鑑賞する価値は無いのかというと、そういうことでもない。音楽好きならば、観て損したとはあまり思わないだろう。特に主人公を演じるのが本当の歌手である点が大きく、時間を掛けたPVだと思えば納得できる。

 若い男エリオットはデンマークのユトランド半島北部の港町に暮らす漁師で、住居も自身の持ち舟だ。天涯孤独である彼だが、曲を作って歌うことは得意で、その夜も相棒と一緒にパブのステージに立っていた。そこに居合わせたのがかつての有名歌手の妻で、今はプロデューサーとして腕を振るうスザンヌとその娘リリーだった。



 彼女たちはエリオットの才能にほれ込み、メジャーデビューのサポートを申し出る。自らの境遇と音楽業界に対する不信から気乗りしなかったエリオットだが、取りあえずレコーディングした楽曲がネット上で大評判になり、一躍売れっ子になる。だが、以前の相棒との関係が拗れ、リリーとの仲もしっくりくいかず、エリオットの行く手に暗雲がたちこめてくる。

 スザンヌの夫でリリーの父であったスーパースターが世を去った顛末や、何かと彼女たちの面倒を見るスタッフの生い立ちなど興味深いモチーフはあるが、上映時間が約100分と短いこともあって深掘りされていない。また、エリオットがあっさり有名になるのも芸が無い。リリーとの関係性も想定の範囲内で、ラストはやや唐突だ。

 メヒディ・アバスの演出は破綻は無いがアピール度には欠ける。しかしながら、主人公に扮するクリストファーの存在感は圧倒的だ。とにかく歌がうまく、楽曲の出来も良い。またルックスもイケており、本国ではかなりの人気者だという。英語圏以外のヨーロッパ諸国にも、まだまだ日本では知られていない逸材がけっこういるのだろう。

 ヒロイン役のインガ・イブスドッテル・リッレオースをはじめ、クリスティーヌ・アルベク・ボーエ、アルダラン・エスマイリ、セバスチャン・イェセンといった顔ぶれは馴染みは無いが、皆良い演技をしている。そして、ダニエル・コトロネオのカメラによるユトランド半島の海浜地帯の風景は本当に美しい。
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「パリタクシー」

2023-05-08 06:11:50 | 映画の感想(は行)
 (原題:UNE BELLE COURSE/DRIVING MADELEINE)有り体に言えばこれはファンタジーに近い建付けなのだが、採り入れられたモチーフは妙に重苦しいテイストがある。しかもそれが“重さのための重さ”でしかなく、さほど普遍性を伴ってはいない。少なくとも、宣伝文句にあるような“笑って泣いて、意外すぎる感動作”であるとは、個人的には思えなかった。

 パリ在住のタクシー運転手シャルルは、ヤクザな性格が災いして免停寸前に追い込まれていた。そんなある日、彼は90歳代のマドレーヌをパリの反対側にある老人ホームまで送る仕事を請け負う。彼女は当日入居する予定で、その前に街中の思い出の場所を巡りたいのだという。寄り道の連続に最初はウンザリしていたシャルルだが、マドレーヌの意外な過去が明らかになるに及び、いつしか意気投合してしまう。



 この“意外な過去”というのがクセモノで、離婚を皮切りに常軌を逸した事件を引き起こして逮捕され、その一件が“社会的ムーブメント”にまで発展するが、結局彼女は投獄されて辛酸を嘗めるといった具合に、ヘヴィな割に芝居じみている。息子との関係性も、悲劇ではあるのだがTVのメロドラマ並にワザとらしい。こんな話に付き合わされたシャルルこそ良い面の皮だと思うのだが、どういうわけか2人は仲良くなって、いつの間にやら彼の家庭内の問題も解決の方向に進んでいく。

 特に観ていて大いに困惑したのは終盤の処理で、大方の予想通りの幕切れなのだが、そこに至るプロセスがあまりにもいい加減でシラけてしまった。クリスチャン・カリオンの演出は「戦場のアリア」(2005年)同様にピンとこない。シャルルを演じる人気俳優のダニー・ブーンと、超ベテラン歌手でもあるマドレーヌ役のリーヌ・ルノーの存在感に丸投げして、この絵空事みたいなストーリーを追っているだけだ。

 しかしながら、劇中で紹介されるパリの風景は大層素晴らしい。名所旧跡はもちろん、下町の風景も丁寧に描かれている。特に夜の街並みの美しさにはタメ息が出るほどだ。その意味では観光映画としての価値は大いにあるだろう。なお、私は本作を平日の昼間に観たのだが、まさかのシニア層による満員御礼で、ロビーは通勤電車並みの混雑。適度にハートウォーミングっぽく、観光気分も味わえるということで多くの観客を集めたと思うのだが、高年齢層(特に女性)に対するマーケティングの面では注目すべき素材であろう。
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「ボクたちはみんな大人になれなかった」

2023-04-30 06:11:33 | 映画の感想(は行)
 2021年11月よりNetflixより配信。主人公の生き方を肯定するわけではないが、理解はできる。言い換えれば、劇中の登場人物たちの境遇とは接点のない人生を送っている観客に、彼らの存在感を認めさせた時点で本作は成功したと言って良いだろう。的確な時代考証も含めて、鑑賞して損のない作品だと思う。

 40歳代半ばの主人公佐藤誠は、テレビ番組のテロップ等を作る会社に勤めて約30年経つが、仕事面で大きな功績を残したわけではなく、交際相手の石田恵との結婚にも踏み切れない。煮え切らない日々を送る彼は、いくつかの再会をきっかけに昔のことを思い出す。まだバブルの余韻があった90年代前半に、佐藤はトレンディな(笑)世界と思われていたテレビ業界に職を得る。



 とはいえ番組制作のツールを手掛ける請負会社のスタッフに過ぎないのだが、それでも佐藤はここから頭角を現して小説家としてのデビューも飾りたいとの希望は持っていた。やがて加藤かおりという恋人も出来て、人生本番というときに前に進まなくなる。作家の“燃え殻”による同名小説の映画化だ。

 タイトルとは異なり“大人になれなかった”のは主人公だけだろう。百歩譲っても、佐藤と近しい何人かがモラトリアムの次元にいるに過ぎない。あるいは“大人になれなかった”ことを見届ける前に主人公の元から離れてしまう。本当はかおりと別れた時点で佐藤は自身の生き方を見直すべきだったのだが、そうしないまま中年に達してしまった。ただ、こういう奴を嫌いになれないのも、また事実。

 映画は現在から時間を遡って進行するが、主人公がどうしてこういう選択をしたのかは、その時点ではそれほど不合理ではなかった点が面白い。要するにそれは、時代の“空気”というものだろう。特に90年代の明るい雰囲気の描出は、確かに佐藤のような者の存在は少しも不自然ではないと思わせる。それだけに、時制が現代に戻る終盤の扱いはホロ苦い。これが監督デビューになる森義仁の仕事は堅実で、元々はMVやCMの製作者だったにも関わらず、小手先の映像ギミックには決して走らない。

 主演の森山未來は複数の年齢層を違和感なく演じていて感心したし、ヒロイン役の伊藤沙莉もヒネくれた女子を上手く表現していた。東出昌大にあまり演技力が必要ではない役を振ったのも賢明だし(苦笑)、大島優子に篠原篤、岡山天音、萩原聖人、徳永えり、原日出子、SUMIRE、片山萌美など、良いキャストを集めている。それにしても、WAVEのビニール袋にはウケた。六本木のあの商業施設には、私も何度も足を運んだものだ。本当に懐かしい。
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「ポリス・ストーリー3」

2023-04-16 06:13:46 | 映画の感想(は行)
 (原題:警察故事3 超級警察)92年作品。第95回米アカデミー賞で主演女優賞を受賞したミシェル・ヨーを、最初に見たのがこの映画(当時はミシェール・キングと名乗っていた)。とにかく強烈な印象を受け、アジアには凄い人材がいるものだと驚いたことを覚えている。もちろん本作はジャッキー・チェン主演による人気シリーズの三作目なのだが、主人公よりヒロインの方が目立っているという玄妙な結果には感心するしかない。

 麻薬汚染が顕著になってきてた香港の現状を打破すべく、警察当局は中国人民武装警察部隊と手を組み、東南アジアの麻薬シンジゲートの大物チャイバの検挙に乗り出す(この頃の香港は中国への返還前である)。香港警察のチェンは中国捜査当局の女性刑事ヤンと協力して、チャイバの手下で服役中のパンサーを味方のふりをして計画脱獄させ、チャイバの元へ案内させる作戦に出る。だが、行く先々で妨害が入り、特にチェンの恋人メイがヤンとの仲を浮気だと疑ったことから重大なピンチを招いてしまう。



 前二作に比べ、舞台が中国本土やマレーシアといった香港以外にも拡大し、スケール感がアップしている。それでいて上映時間は96分に抑えられており、作劇はタイトだ。とはいえスタンリー・トンの演出は相変わらず泥臭く、無理矢理な展開や大して効果的ではないギャグの挿入が目立つ。だが、ことアクションシーンになると目覚ましい求心力を発揮。ひょっとしたら活劇映画史上に残るのではないかと思うほどのヴォルテージの高さだ。

 そしてヤンに扮するミシェル・ヨーの身体能力は凄まじい。程度を知らない格闘場面やガン・アクションはもとより、終盤のバイクに乗ったまま走行中の貨物列車の屋根に飛び乗り、そのまま悪者どもとの乱闘場面に突入するというシークエンスに至っては、もはや映画全体がマルチバースに移行したかのような世界が現出する。

 対するチェン役のジャッキーも負けてはおらず、飛行しているヘリコプターに縄梯子一つでしがみつき、クアラルンプールの上空を振り回されるという“在り得ないシーン”を提供。スタントマン無し、CG無し、命綱無しの状態で、よくここまで出来るものだと感動を覚えた。メイ役のマギー・チャンをはじめ、トン・ピョウやユン・ワー、ケネス・ツァン、ジョセフィーヌ・クーといった他のキャストも好調。主題歌はもちろんジャッキー自身が担当している。
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「フェイブルマンズ」

2023-03-25 06:05:03 | 映画の感想(は行)
 (原題:THE FABELMANS )これは面白くない。スティーヴン・スピルバーグの自伝的作品ということで、さぞかし映画に対する激烈な愛が全編に迸っている熱い作品なのだろうと思ったら、ただのホームドラマだったので拍子抜けした。しかも、家庭劇として良く出来ているわけでもない。凡庸なテレビの連続ドラマの総集編を延々見せられているような案配で、手持ち無沙汰のまま2時間半を過ごしてしまった。

 1952年、ニュージャージー州に住むフェイブルマン一家は、当時封切られていたセシル・B・デミル監督の「地上最大のショウ」を鑑賞する。初めて映画館の大スクリーンに接した6歳の長男サミーは、たちまち映画の虜になり、母親のミッツィからプレゼントされた8ミリカメラを駆使して自主映画の真似事を始める。



 やがて一家はアリゾナ州に引っ越すが、サミーの映画熱は衰えずに仲間内での映画製作や家族の行事の記録等に腕を振るう。だが、ミッツィはエンジニアである夫バートの相棒としてたびたび家に出入りしていたペニーと懇ろな仲になり、家庭は崩壊の危機に直面。サミーはそんな事態に心を痛めつつも、映画人を目指してカリフォルニア州へと向かう。

 スピルバーグは現時点において世界で最も著名な映画監督の一人だが、自身をモデルとした本作の主人公の少年時代から青年期にかけて、どういうわけか常軌を逸するほどの映画愛が描かれることは一度も無い。単にサミーは趣味の延長として映画を仕事に選んだに過ぎないのだ。ハッキリ言って、これは欺瞞だろう。スピルバーグほどの人間が“趣味の延長線上”で監督やっているわけがなく、おそらくは彼はそう思い込んでいるだけなのだ。

 言い換えれば彼は“自分は偉大なるアマチュアなのだ”といったエクスキューズを捨てきれない。だから、この自伝的作品において自身の映画への偏愛を描くことは重要ではなく、ユダヤ人として冷や飯を食わされたことや、母親がよろめいたことを取り上げる方が大事になってしまった。だが残念ながら、それらのネタは深みが無い。有り体に言えば退屈至極だ。終盤には“あの人”を登場させて何とか体裁を整えようとするが、時既に遅しである。

 主演のセス・ローゲンをはじめ、父親役のポール・ダノ、母親に扮するミシェル・ウィリアムズ、そしてジャド・ハーシュやジュリア・バターズらが大根に見えてしまうのも、作品コンセプトに求心力が足りないからだ。あと余談だが、サミーの高校時代のガールフレンドを演じるクロエ・イーストが、何となくエイミー・アーヴィング(スピルバーグの最初の妻)に似ているように思うのは、気のせいだろうか(笑)。
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