goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「甲子園:フィールド・オブ・ドリームス」

2020-10-10 06:59:22 | 映画の感想(か行)

 監督の山崎エマはニューヨークを拠点に活動する映像作家で、彼女が海外向けに日本の高校野球を紹介するために作ったドキュメンタリーである。その意図はほぼ達成されているが、深くは掘り下げられていない。しかし、この場合はそれがさほど欠点にはなっていないと思う。それどころか、考えるヒントを見出せることは認めて良い。

 本作の“主人公”は、全国有数の激戦地である神奈川県の横浜隼人高校の水谷哲也監督だ。100人以上の部員を擁し、全員を専用寮に入れて公私ともに面倒を見ている。彼は野球を人間的成長の手段だと思っており、事あるごとに部員にそのことを強調する。映画は彼と横浜隼人高校野球部を一年に渡って追い続け、その間に夏の甲子園第100回記念大会へ挑むための地方予選の様子も描かれる。

 水谷監督の“弟子”に当たるのが、花巻東高校の佐々木洋監督だ。言うまでもなく大谷翔平や菊池雄星といった逸材を育てた指導者だが、すでにその業績は水谷監督を凌駕しているあたりが面白い。この2つのチームを中心に、日本の高校野球とはアメリカから輸入されたベースボールではなく、“野球道”というべきものに進化し、単なるスポーツを超えた特別なものであることが示される。

 ただ、佐々木監督が劇中で言うように、高校野球は守るべきものはたくさんあるが、変えなければならない点も多々あるのだ。花巻東高校の野球部は新年度から坊主頭を廃止するらしいが、それはその第一歩であろう。

 とはいえ、いわゆる野球留学は目に余り、地元出身の選手が一人もいないチームもある。本作で描かれる2つの野球部も越境入学は当たり前で、練習試合や合宿のために遠隔地に出掛けられる余裕があり、とても“普通の”環境ではない。そして部員が多いということは、ほとんどの選手が補欠で終わることを意味する。水谷監督はそこを“人間形成にレギュラーも補欠も関係ない”とフォローはするのだが、普通に考えれば大会に出られないのではクラブ活動をやっている意味は無いと思う。

 そして、水谷監督も佐々木監督も有能ではあるのだが、世の中にはいまだに根性論や体罰が罷り通る運動部が存在していることは確かだ。そのことを考えると、やるせない気分になる。あと関係ないが、甲子園球場が大阪府にあるという表示は間違いだ。いまひとつ情報の精査が必要である。そして横浜隼人高校のユニフォームが阪神タイガースとそっくりなのには笑ってしまった。水谷監督は大の猛虎ファンらしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「喜劇 愛妻物語」

2020-10-09 06:26:58 | 映画の感想(か行)

 一応、最後まで退屈せずに観ることは出来た。笑えるギャグもあった。しかしながら、釈然としないものが残る。他人のノロケ話に無理やり付き合わされたような、そんな違和感を覚えてしまう。「百円の恋」(2014年)などの脚本家兼監督の足立紳による自伝的小説の映画化だが、自身の体験談を自分で監督までやって作品に仕上げると、どうしても自己満足的になってしまうのだろう。

 売れない脚本家の豪太は、実質的に妻チカの“ヒモ”のような生活を送っている。2人はとうの昔に倦怠期に突入しているが、それでも妻とヤリたい豪太は妻の機嫌を取ろうとする。しかし、返ってくるのは冷たい蔑みの視線と容赦ない罵倒のみである。そんなある日、豪太の知り合いのプロデューサーから、香川県に絶好の映画ネタがあるので行ってこないかという話が持ち込まれる。そこで豪太は、取材を兼ねた家族旅行を提案。チカと娘のアキは仕方なく同行するが、その取材対象はすでに別の映画会社が押さえていた。その顛末に激怒したチカは、小豆島に住む学生時代の友人の由美の家に一人で行ってしまう。

 まず、この夫婦の造型が気に入らない。豪太は典型的なダメ亭主だが、物書きのくせにパソコン(及びワープロ)は打てず、運転免許証も持っていないというレベルには、正直“引いて”しまう。しかも“カネが無くて風俗に行けないので、妻でガマンしよう”といった身も蓋も無い心情を、滔々とモノローグで披露する始末。

 チカはそんな豪太にとことん罵声を浴びせる。幼い娘がそばにいても、まるでお構いなしだ。どう考えても2人は別れるのが自然だと思うのだが、それでも離婚しないのは、子供がいるからに他ならない。だが、いくら観ている側がそう思っても、実際は2人の関係は続いているのだから処置なしだ。もう勝手にやってくれという感じである(苦笑)。

 足立の演出はストレスなくドラマを進めており、お笑いのシーンも無難にこなすが、ここ一番の盛り上がりに欠ける。あと、トルコの軍楽隊みたいな音楽は効果が上がっていない。豪太に扮するのは濱田岳だが、私はどうも彼は苦手だ。脇役で出ている時は気にならないのだが、スクリーンの真ん中に出てくると受け付けない。

 チカを演じる水川あさみは、若い頃に比べればスキルは上達していると思う。特に身体を張ってのドタバタ演技には感心した。しかし、由美役の夏帆と並ぶと、容姿や演技の余裕感において見劣りしてしまう。豪太の浮気未遂の相手に大久保佳代子が出ているのだが、こっちと交代した方が良かったのではないか。なお、アキに扮した子役の新津ちせはとても達者だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コンフィデンシャル/共助」

2020-09-20 06:56:07 | 映画の感想(か行)
 (英題:Confidential Assignment )2017年韓国作品。人気ドラマ「愛の不時着」の好演で、ファンを激増させたヒョンビンの魅力が爆発している(笑)アクション編。それだけではなく、設定は面白いし各キャラも“立って”いる。活劇場面も健闘していて、公開当時は本国で動員数ナンバーワンヒットとなったというのも納得出来る内容だ。

 北朝鮮の人民保安部に属する捜査員のイム・チョルリョンは、アメリカドルの偽札を作る犯罪グループを追い詰める現場にいた。ところが任務遂行中に上司のチャ・ギソンが裏切り、チョルリョンは同僚である妻と仲間たちを失ってしまう。ギソンは偽札の銅板を奪って韓国へ逃亡。その事実が明るみに出ると、世界中から糾弾されることを恐れた北朝鮮当局は、秘密裏に銅板を取り返すためチョルリョンを韓国に派遣する。偽札の件を秘密にしたまま犯罪者の協力要請を受けた韓国側は、落ちこぼれ刑事のカン・ジンテをチョルリョンの相手役に任命。こうして前代未聞の南北共同捜査が実現する。



 いくら南北の協働とはいえ、北側は銅板のことを伏せているし、ジンテはチョルリョンの密着監視を命じられており、そこには裏の駆け引きが存在する。とはいえ、互いに秘密を抱えたままでは捜査に行き詰まる。だから自然と両者は腹を割って話せる仲になってゆくのだが、そのプロセスに無理がない。

 ジンテはチョルリョンを自宅にホームステイさせ、文字通り“同じ釜の飯を食う”間柄に引き込む。ジンテの家族もクセ者揃いで、そこにハンサムな北の捜査官が乗り込んできて一騒ぎ起こるあたりがおかしい。また、敵役のギソンも一筋縄ではいかないキャラクターで、南北両政府に対して屈折した思いを持ち、脱北したいと言う手下を簡単に始末するなど、単純な悪玉にしていないところは評価出来る。

 キム・ソンフンの演出はスピーディーで、特にアクション場面に卓越したものを見せる。街中でのチェイス場面は素晴らしく、観ていて手に汗を握ってしまった。中盤のカーアクションからラスト近くの銃撃戦まで、見せ場を矢継ぎ早に出してくる。ヒョンビンは評判通りの二枚目で、しかも身体の切れが良い。ジンテを演じるユ・ヘジンのヘタレ系のキャラクターとは抜群のコンビネーションを見せる。キム・ジュヒョクにチャン・ヨンナム、イム・ユナ(少女時代)など、脇の面子も“立って”いる。ラストの処理はありがちだが、後味は悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「カセットテープ・ダイアリーズ」

2020-08-24 06:20:10 | 映画の感想(か行)
 (原題:BLINDED BY THE LIGHT)音楽を聴くという行為の素晴らしさを、何の衒いも無く提示してくれる良作だ。かねてから思っていたが、映画を観て人生が変わるケースよりも、音楽に出会って人生の方向性を掴むことの方が多いのではないだろうか。それは映画が(ほとんどの場合)受動的なメディアであるのに対し、音楽は受動的であると同時に能動的でもあるという特性を持つからだろう。

 1987年、イギリスの小さな町に住むパキスタン移民の子である高校生のジャベドは、人種的偏見やパキスタン人家庭の伝統的な堅苦しい戒律に嫌気がさしていた。親友のマットはバンドをやっているが、彼の“これからの音楽はシンセと打ち込みだよ”という姿勢には同意出来ない。そんな中、ジャベドはイスラム系の同級生から奨められたブルース・スプリングスティーンの音楽に衝撃を受ける。



 ジャベド自身の悩みと、そのブレイクスルーの方法論を力強いサウンドで表現してくれるスプリングスティーンの楽曲に大いに感化され、何とかしてこの素晴らしい音楽を皆に広げるべく、彼は活動を開始する。一方、ジャベドの父は理不尽なリストラに遭い、一家は窮地に追いやられる。英国ガーディアン紙で活動しているパキスタン出身のジャーナリストである、サルフラズ・マンズールの自伝の映画化だ。

 ジャベドがスプリングスティーンのナンバーに初めて触れたとき、その歌詞が画面に大写しになっていく様子には笑ったが、音楽の影響の強烈さを表現する手法としては、効果的だ。それ以後、映画はロックのリズムさながら躍動し始める。ジャベドは何ごとにも積極的になり、ときには厳格な父親とも対峙する。ただ同時にそれは、自身が置かれた状況を見つめ直すことにもなるのだ。

 英国社会における移民の立場は、ジャベドにも変えようがない。しかし、スプリングスティーンの音楽が表現しているように、前向きに対処することは出来る。彼は音楽の持つポジティヴなヴァイブレーションを自身の生き方に投影し、周囲の者から一目置かれるような存在へと成長していく。そのプロセスは感慨深い。

 グリンダ・チャーダの演出はテンポが良く、各キャストの動かし方も上手い。そして、当時のイギリスの(サッチャリズム隆盛の)社会情勢をも浮き彫りにしていく。ヴィヴェイク・カルラにクルヴィンダー・ギール、ミーラ・ガナトラといった出演者には馴染みが無いが、皆良くやっている。スプリングスティーンの楽曲以外にA・R・ラフマーンがオリジナルのスコアを提供しているが、こちらも申し分ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「君が世界のはじまり」

2020-08-23 06:58:17 | 映画の感想(か行)
 最近「のぼる小寺さん」や「アルプススタンドのはしの方」といった良質の学園ドラマを堪能出来て嬉しく思っていた矢先、こんなにも低レベルのシャシンに遭遇してしまい、大いに気分を害した。とにかく、本作はまるで“映画”になっていないのだ。単に思い付きだけで撮られたようで、全てが素人臭く、観るに堪えない。

 大阪の下町に住む高校2年生の縁は、無為で張り合いのない日々を送っていた。せいぜい、親友の琴子の多彩な男関係を聞いて苦笑するぐらいだ。同じ学校に通う女子学生の純は、母に家を出て行かれ、その場を取り繕うばかりの父にウンザリしていた。そんな純が放課後に立ち寄ったショッピングモールで、東京から転校してきた伊尾と会い、そのまま懇ろな仲になる。ある日、夜遅くまでショッピングモールで過ごしていた縁とサッカー部キャプテンの岡田、琴子の彼氏のナリヒラ、そして純と伊尾の5人は、突然の大雨で家に帰れなくなり、そこで夜を明かすことにする。



 冒頭、父親を殺した男子高校生が逮捕されるというニュースが流れるが、それが登場人物の中の誰なのかといった趣向は、一切考慮されない。文字通り、取って付けたようなモチーフのまま終わる。縁たちを取り巻く環境は、まあそれなりにシビアなのだろうが、いずれも表面的に扱われるのみだ。

 全編に溢れる説明的なセリフと、奇を衒ったようなショット。ワザとらしいシチュエーションで、これまたワザとらしい動きをキャストにさせるという、いわば自己満足的な展開の連続。どのキャラクターにも、まったく感情移入出来ない。ブルーハーツの楽曲をネタとして取り上げているが、その使われ方が観ていて恥ずかしくなるほど下手だ。5人が夜中に“疑似ライブ”をするくだりなど、そのノリの悪さに目も当てられなかった。

 さらに、大阪を舞台にしているにも関わらず、大阪弁がまったくサマになっていない。そもそも、大阪っぽい雰囲気が希薄だ。原作と演出を担当しているふくだももこは大阪出身なのに、斯様な体たらくなのは、本人に映画製作のスキルが無いからだろう。映画専門学校の学生でも、もっとマシなものを撮ると思う。

 若手出演者の中で知っているのは縁に扮する松本穂香と琴子役の中田青渚ぐらいで、彼女たちにしてもロクなパフォーマンスをさせてもらっていない。あとの連中は名前も覚えたくないほど印象が希薄。エンディングタイトルに被って流れる松本のアカペラ歌唱も、さほど意味があるとは思えない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コルチャック先生」

2020-07-26 06:29:32 | 映画の感想(か行)
 (原題:KORCZAK )90年作品。この頃のアンジェイ・ワイダ監督作品としては、出来が良い方だと思う。やはり第二次大戦下のポーランドを舞台にした実録ものを撮らせると、同監督は無類の強さを発揮する。また、脚本担当として(後に映画監督としても地位を確立する)アニエシュカ・ホランドを起用したのも大きい。

 ユダヤ人の小児科医であるヤヌーシュ・コルチャックは、子供たちの健康を守るかたわら、孤児院の責任者として地域に貢献していた。しかし1940年になると、ナチス・ドイツのポーランド侵攻が始まる。ナチスはユダヤ人をポーランド社会から切り離すためゲットーに送り込もうとする。コルチャックは徹底してナチスに反抗し、投獄されるなど辛い目に遭う。



 それでも彼は子供たちを守るため、密輸業者からの闇献金をも受け入れて持ち堪える。だが、やがてユダヤ人の収容所への強制移送が始まる。コルチャックは友人の手助けで国外亡命することもできたが、彼は自分だけ逃げることを潔しとしなかった。ホロコーストの犠牲となった実在のユダヤ人医師の生涯を描く。

 時代背景と主人公の造型を勘案すれば、筋書きは予想が付く。だからどのような“語り口”で映画が進められているのかが焦点になるのだが、それは十分及第点に達している。結局、コルチャックは“子供のための美しい国”に生きたのだ。そこは子供がいるからこその存在価値があり、自分一人が助かっても、それは“生きた”ということにならない。子供たちがいない人生など、死んだも同じなのだ。

 彼にとって“アーリア人に似た子をゲットーから出せばかくまえる”とかいった周囲の助言も、ただの“雑音”にしか感じない。子供の扱い方が上手いホランドの脚本は、このハードな境遇をまるでファンタジーのように演出させる。だからこそ、幻想的とも言えるラストの処理も、まるで違和感が無い。それが却って、時代の残酷さを強調させるのだ。

 ワイダの仕事ぶりは重厚で、スキが見当たらない。一時たりとも目を離せない密度を醸し出しながら、押しつけがましさが無い。主演のヴォイツェフ・プショニャックをはじめ、キャストは皆好演。ロビー・ミュラーのカメラによるモノクロ映像が美しさの限りだ。第43回カンヌ国際映画祭特別表彰受賞。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「髪結いの亭主」

2020-07-10 06:38:33 | 映画の感想(か行)
 (原題:LE MARI DE LA COIFFEUSE )90年フランス作品。パトリス・ルコント監督作品としては89年に撮られた「仕立て屋の恋」にクォリティは一歩譲るが、知名度ではこちらの方が上である。日本ではタイトルと同名のことわざがあるので題名の訴求力が高いというのも確かだが、変化球を駆使したピュアな恋物語としての存在価値は大いにある。

 ドーヴィルの海岸沿いに住む少年アントワーヌは、アラブ音楽に自己流の振り付けを施して踊ることと、床屋に行くことが大好きだった。彼は理髪店のシェーファー夫人のことが気に入っており、夕飯の席で“僕は女の床屋さんと結婚する!”と宣言して父親に怒られる始末だ。大人になった彼は、フラリと入った床屋で魅力的な女理髪師マチルドに一目惚れしてしまう。



 いきなり求婚する彼だが、彼女は無視する。それでもめげずに床屋に通い詰める彼だが、三週間目で何とマチルドは彼のプロポーズを受け容れるのだった。彼女と一緒に暮らすことになったアントワーヌは幸せの絶頂で、しばらくは平穏な日々が続いたが、ある雷雨の日に思いがけないことが起きる。

 映画の舞台が基本的に2つしかないことに、まず驚かされる。具体的にはアントワーヌの子供時代と、結婚後の彼が理髪店で訪れる客と繰り広げる寸劇めいた人間模様だ。さらには、2人の住居で映し出されるのは店舗のみ。寝室もキッチンも居間も画面には出てこない。これは純粋に映画をアントワーヌとマチルドの恋模様にフォーカスさせたということだが、どこか現実感の無い、夢の中の話のように思える。

 だが反面、互いに好きな相手のことだけ考えていられたら、どんなに素敵なことかと感じさせるのも事実だ。誰だって、この2人のような生き方を選ぶチャンスはあるのだろう。しかし、社会的なしがらみやら何やらで、それは実現しない。ルコント監督は、この“あり得ない話”をロマンティックに語ることにかけては目覚ましい手腕を発揮する。

 とはいえ、ラストの唐突さはさすがの私もついて行けなかった。もう少し、後味の良い処理にしても良かったのではないか。主演のジャン・ロシュフォールとアンナ・ガリエナは好演で、思わず感情移入してしまう。エドゥアルド・セラのカメラとマイケル・ナイマンの音楽も的確な仕事ぶりだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コリーニ事件」

2020-07-04 06:58:28 | 映画の感想(か行)

 (原題:DER FALL COLLINI)良く出来た法廷ものだが、同時に釈然としない気持ちもある。裁判劇に歴史解釈に関するネタを持ち込むと、かなり盛り上がる反面、筋書きに対して賛否両論出てくるのは仕方がないと思う。しかも、事件の真相が登場人物達にとっては記憶が生々しい第二次大戦時の出来事に準拠しており、一方的に否定するのは相応しくないものの、諸手を挙げての高評価も付けがたい。難しい立ち位置にある映画だ。

 2001年5月、ベルリンに住む新米弁護士のカスパー・ライネンは、ある殺人事件の国選弁護人に任命される。被告人は30年にわたってドイツで模範的な市民として働いてきた67歳のイタリア人コリーニで、大物実業家ハンス・マイヤーをベルリンのホテルで殺害したという容疑だ。カスパーはこれが刑事事件としての初仕事になるが、何と被害者が彼の少年時代からの恩人だったことを知り、狼狽する。

 早速カスパーはコリーニと会うが、相手は取り調べ中から黙秘権を行使し、カスパーの問いかけにも一切答えない。それでも彼はコリーニの出生地まで足を運んで調べると、事件の背景に第二次大戦下で彼の地で起こった犯罪があることが分かる。フェルディナント・フォン・シーラッハによるベストセラー小説の映画化だ。

 ドイツ映画で第二次大戦時の出来事がモチーフになると、ナチスによる狼藉がネタとして出てくることは十分予想され、本作もその通りに進む。興味深いのは、戦時中の不祥事を不問にするという“ドレーヤー法”という法律だ。これによってかつてのドイツ兵は“恩赦”のような形で、戦後はカタギの生活を送ることが出来たらしい。だがこの映画は、そんな事実に真っ向から異議を唱えている。

 確かに、戦争中にあくどいことをやった連中が現在涼しい顔しているという構図は道義的にあり得ない。しかし、戦争というものは大抵悲惨なものだ。数多くの非道な仕打ちをいちいち摘発していては、キリがないのではないかと思ってしまう。この“ドレーヤー法”も、そのあたりのケジメを付けるために制定されたものなのだろう。

 注視したいのは、この映画はフィクションであり、実録ものではない点だ。そのため、私怨を抱えたまま戦後を生きるコリーニと、過去を悔いてはいるが努力と善行を積んで社会地位を得たマイヤーというキャラクター配置は、図式的に見えてしまう。だから、イマイチ観ている側に響かない。それよりも、トルコ移民の血を引くカスパーが差別に苦しむくだりの方が興味深い。特に、かつて恋仲だったマイヤーの娘が彼に対して侮蔑的なセリフを投げつけるシーンは苦々しく、映画としてはこちらの方を中心に描いた方が成果が上がったのではと思う。

 マルコ・クロイツパイントナーの演出は堅牢で脆弱な部分が無く、ラストの処理も鮮やかだ。主演のエリアス・ムバレクをはじめアレクサンドラ・マリア・ララ、ハイナー・ラウターバッハ、ピア・シュトゥツェンシュタインといった面々は良い仕事をしている。そして何より、コリーニ役のフランコ・ネロの存在感には圧倒される。とはいえ、毎度ドイツ国民にとっての“ナチスは絶対悪”という定説が前面に押し出されるのは、正直言って食傷気味だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コロンバス」

2020-06-13 06:55:08 | 映画の感想(か行)

 (原題:COLUMBUS)狙うところは分かる。映像も魅力的。ただし薄味でインパクトに欠ける。聞けば2017年度のサンダンス映画祭をはじめ23の映画祭にノミネートされ、8冠を獲得したとのこと。確かにあちらの評論家にとってウケが良さそうな清澄な雰囲気はあるのだが、もう少しエンタテインメント方向に振れるか、あるいは徹底して高踏的でアーティスティックな路線で迫るか、いずれかにしないと印象が薄くなるのは仕方が無い。

 インディアナ州コロンバス在住の高名な建築学者が突然倒れてしまう。息子である韓国系アメリカ人のジンはソウルから駆けつけるが、父の容態が変わらないためこの街にしばらく滞在することになる。彼は地元の図書館で働いている若い女ケイシーと知り合う。彼女は高校は出たものの、薬物依存症の母親の面倒を見るためコロンバスから離れられない。

 実はジンは父親とは上手くいっていなかった。そのため若い頃にすぐに家を出たのだが、父が倒れた後に初めてそばにいることになったという成り行きに皮肉なものを感じる。一方ケイシーは、講演で知り合った建築学の教授から遠方の大学に行くことを奨められていた。

 脚本も手掛けた新人監督のコゴナダは、小津安二郎の多くの映画で脚本を手がけた野田高悟にちなんでそう名乗っているらしい。なるほど、フィックスなカメラで背景を切り取ってゆく撮影スタイルは小津作品に通じるものがある。しかし、洗練の極みで登場人物達の孤独を掬い上げていた小津の映画と本作とは、内容は似ても似つかない。この映画はよくある家族の確執を、平易に取り上げているだけだ。それ自体は別にライトな題材ではないが、筋書きが凡庸に過ぎる。

 ジンやケイシー、そして他のキャラクターにも感情移入はしにくく、その表面的な作劇を(この地の名物である)モダンな建造物群の描写で糊塗しているように思える。その建築物自体は見事でそれを捉えた映像も捨てがたいのだが、物語との強い繋がりは最後まで見出すことが出来なかった。主演のジョン・チョーとヘイリー・ルー・リチャードソンの演技は悪くないが、困ったことに小津映画に出てくる俳優たちの存在感にはとても及ばない。

 なお、コロンバスという街を本作で初めて知ったが、映画で描かれている通りここは建築デザインで有名であるらしい。特にエリエル・サーリネンによるファースト・クリスティアン・チャーチや、エーロ・サーリネンによるアーウィン・ユニオン銀行の存在感には目を見張る。アメリカの隠れた観光地の一つだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「コフィー&カリーム」

2020-04-18 06:47:45 | 映画の感想(か行)
 (原題:COFFEE & KAREEM)2020年4月よりNetflixで配信。かなり荒っぽくて品の無いアクション・コメディなのだが、けっこう楽しんで見ることが出来た。作り手が“これで良いじゃないか”と開き直っている様子が明白で、つまりは“決して多くは望まない”という次元で大々的に展開している点が頼もしい。

 デトロイト市警のジェームズ・コフィー巡査長はシングルマザーのヴァネッサと交際中だ。しかし、彼女の12歳になる息子カリームはコフィーのことが気にくわない。いつか脅して母親と別れさせようと画策している。一方、人気ラッパーのオーランドは、つい出来心で麻薬取引に手を染めてしまうが、市警のワッツ刑事のガサ入れによりあえなく逮捕。だが、移送途中で脱走する。



 その頃カリームはコフィーを脅迫するためにゴロツキを雇おうと、裏町にあるジムに出掛けるが、そこでオーランドの仲間が警官を殺害している場面を目撃。そこから逃げ出したカリームだが、うっかりスマホを落としてしまう。そのスマホから身元がギャングにバレてしまい、カリームは居合わせたコフィーやヴァネッサともども命を狙われるハメになる。

 とにかく、セリフの汚さに圧倒されてしまう(笑)。下ネタに関する放送禁止用語が、おそらく10秒に一回は飛び出してくるのだから呆れる。カリームに扮する子役のような年少者が出演して良いのかと心配になるほどだ。ただし、これが意外と笑いのツボに入るのだから我ながら情けない。

 マイケル・ドースの演出は泥臭く、ギャグも使い古されたものばかりだが、繰り出されるタイミングが侮れないのでウケる。話は単純に見えて中盤からは二転三転、ラスト近くには真の敵の首魁が現れる。作りは垢抜けないが、脚本は健闘していると言えよう。とはいえ、喜劇にしては血糊が多い。人がバンバン死んでいくし、終盤にはスプラッタ場面もある。そのあたりを“冗談”として受け流せるかどうかで、見る者の評価が分かれてくると思う。

 コフィー役のエド・ヘルムズとカリームを演じるテレンス・リトル・ハーデンハイのコンビは絶妙で、親子ほど年が離れていながら立派な“相棒”である。ヴァネッサに扮するタラジ・P・ヘンソンも好調だ(特に、ギャング2人を一人でやっつけるシーンには拍手を送りたくなった)。ヒップホップ中心の楽曲の使い方も悪くない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする