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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「コーリャ 愛のプラハ」

2021-04-30 06:23:17 | 映画の感想(か行)

 (原題:Kolya )96年チェコ=イギリス=フランス合作。同年のアカデミー外国語映画賞をはじめ、第9回東京国際映画祭グランプリ、97年ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞など多くのアワードを獲得した作品だが、実際観てみると薄味でインパクトは小さい。しかしながら丁寧には作ってあり、決して駄作でも凡作でもなく、存在価値があることは確かだ。

 88年のプラハ。フランティ・ロウカは昔はチェコ・フィルの首席奏者まで務めた名チェリストだったが、女性関係で身を持ち崩し、気が付けば50歳過ぎて独身で、今では葬儀場で演奏するなどして糊口を凌いでいた。ある日、友人のブロスが彼に、チェコ人としての身分証明書が欲しいロシア女ナディズダとの偽装結婚を持ちかけた。けっこうな額の礼金にひかれ承諾したフランティだが、ナディズダは結婚式の直後に5歳の連れ子コーリャを置いたまま恋人のもとに遁走してしまう。

 金は手に入ったが、思いがけず子供の世話をするハメになったフランティは、ロシア人嫌いの母親からは邪険に扱われ、当局から呼び出しを食らうなど災難続き。それでもコーリャと一緒に暮らしていると、何となく父親らしく振る舞うようになってしまう。そんな中、ベルリンの壁が崩壊してプラハでも民主化運動が高まり、フランティの周囲は慌ただしくなる。

 監督のヤン・スベラークはじっくりと撮っているのは分かるのだが、ドラマとしては盛り上がりに欠ける。フランティはチェロを運搬するための車を欲しがっていたようだが、そこに執着しているような描写は見られない。偽装結婚に加担したのもそれが大きな要因だが、そこはもっとケレンを効かせた扱いが望ましい。

 後半、フランティはコーリャにヴァイオリンを買い与えるのだが、ここもサラリと流し過ぎだ。いくらでも感動的になりそうなモチーフながら、大きな仕掛けは見られない。終盤に至っては駆け足で撮ったという印象で、印象が希薄のままエンドマークを迎えたような感じだ。

 しかし、この時代の空気感や風俗がよく出ているのは評価して良い。長らく東側特有の暗鬱な空気に包まれたこの国が、冷戦終結によってようやく明るい兆しが出てきたのも束の間、チェコとスロヴァキアに分裂してしまうという先の見えない状況に陥る。フランティら住人たちも戸惑うが、そこはストーリーをいたずらに悲劇に向かわせないのは冷静な判断かと思う。

 主演のズディニェク・スベラークをはじめ、子役のアンドレイ・ハリモン、リブシェ・シャフラーンコバ、イリーナ・リヴァノヴァといったキャストは皆公演だ。また、往年の名指揮者ラファエル・クーベリックが本人役で出ているのも嬉しい。
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「クローバーフィールド・パラドックス」

2021-03-14 06:56:14 | 映画の感想(か行)
 (原題:THE CLOVERFIELD PARADOX )2018年2月よりNetflixにて配信。J・J・エイブラムス製作による「クローバーフィールド HAKAISHA」(2008年)の前日譚ということだが、私はその映画は未見である。だから本作には“単品”として接したのだが、これは怪作だと思った。とにかくワケが分からない。ただ、妙なパワーだけはあり、戸惑いながらも最後まで観てしまった(笑)。

 エネルギー資源が枯渇しつつある近未来。各国は共同で巨大な宇宙ステーションを作り上げ、新エネルギーの開発実験に取り組んでいたが、何年たっても進捗しなかった。だがやっと成功したと思われたその時、乗組員の目の前から地球が消えてしまう。しかしそれは、宇宙ステーションそのものが遠くへ飛ばされたということだ。



 戸惑う一同は、やがて壁の中から聞こえてくる呻き声に気づく。壁の内側を調べてみると、見知らぬ女性が閉じ込められており、しかも彼女はこのステーションのスタッフだと名乗るのだ。どうやら実験が成功したことにより異なる次元との交錯現象が発生したらしく、続けて船内に怪異なトラブルが次々と起こる。

 はっきり言って、意味の分からないことの連続だ。この宇宙ステーションで行われている新エネルギー開発実験の概要は、最後まで説明されない。当然、どうしてそれが異次元への扉を開くことになるのか不明だ。度々やってくる“絶体絶命のピンチ”とやらも、何がどうヤバくて、どうやったら危機を回避出来るのか皆目わからない。

 怪異現象の発生は、文字通り行き当たりばったりで、全容がほとんど掴めない。まあ、要するに“異次元と交錯しているのだから、何でもアリ”という状態で、話の辻褄を合わせる気などさらさら無いのだろう。この変異は地球にもおよび、地上ではモンスターらしきものがのし歩いているという設定になっているようだが、このあたりも詳説されない(続編を観ろということだろうか)。

 だが、全体に無手勝流でヤケクソじみた力感が漲っていることだけは認めていいし、デビューしてから日の浅いジュリアス・オナー監督としては、そこそこ健闘していると言っていいのかもしれない。ググ・バサ=ローやデイヴィッド・オイェロウォ、ダニエル・ブリュールといったキャストはあまりパッとしない。中国人クルー役でチャン・ツィイーも出ているのだが、印象に残らず。ただ、謎の女に扮したエリザベス・デビッキだけは、その高身長も相まって目立っていた。
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「キル・チーム」

2021-02-22 06:23:57 | 映画の感想(か行)

 (原題:THE KILL TEAM )戦地における犯罪を取り上げた映画は過去にいくつも存在していたし、題材としては目新しいものではない。しかし、無論これを“ありふれたネタ”として片付けてはならない。人間誰しも非日常の境遇に放り込まれると、常軌を逸してしまうのだ。何度描いても、描き尽くせない深刻な問題を提示する。ましてや本作で展開されるのは、つい最近の出来事だ。求心力は高い。

 2010年、愛国心に燃えて陸軍に志願し、アフガニスタンに渡ったアンドリュー二等兵だったが、着任早々上官が地雷で吹き飛ばされてしまう。代わりに着任したディークス軍曹は華々しい戦果を挙げてはいるが、内実は地元の民間人に言い掛かりを付けて次々と始末するという異常性格者だった。

 当初アンドリューはディークスのプロに徹した部下への指導法に感心するが、彼が無実の非戦闘員に罪を着せるためのロシア製武器を密かに多数隠し持っていることを知るに及び、大いに動揺する。しかし、小隊の他のメンバーはディークスに心酔し、平気で違法行為をおこなうようになる。やがてアンドリューは部隊で孤立し、命の危険を意識するようになる。実際に起こった戦争犯罪をベースにしたドラマだ。

 映画の時制では2001年のアメリカ同時多発テロ事件から時間が経っているのだが、やっぱりアフガン国内の“テロ組織”を駆逐することが絶対的正義だという風潮が米国民の間で確実に存在していたことに、愉快ならざる気分になる。主人公があえて入隊したのも、そんな背景があったからだ。

 しかし、実際には戦場は全て“地獄”であり、正義だの悪だのというお題目は一切通用しない。そんな中、ディークスのように自身の勝手な正義感でレイシズムに走ると、戦争犯罪にしか行きつかないのだ。しかし、そんな極論を信じてしまう小隊のメンバーが存在するように、単純二元論は小難しい理屈を無視できる心地よさをもたらし、ことさら戦地においては“便利”なスキームなのだ。さらに、現地民に対しては容赦しないディークスが、一方で良き家庭人としての顔を持っていることも問題の根深さを表現している。

 脚本も担当したダン・クラウスの演出は派手さはないが、人物描写には手抜きが無い。特に、デュークスがアンドリューの忠誠心を疑うようになるくだりには、説得力がある。おそらく予算があまり掛けられておらず、ロケ地も中東近辺ではないと思われるが、あまり違和感はない。1時間半ほどの短い尺ながら、見応えはある。
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「カプリコン・1」

2021-02-15 06:17:03 | 映画の感想(か行)
 (原題:Capricorn One )77年作品。現時点で観れば映像面でいろいろと古臭いところもあるのだが、それでも本作の秀抜なアイデアとテンポの良い演出、そして各キャラクターの濃さなど、評価出来る部分が多いサスペンス・アクション編だ。また、本国アメリカより約半年も早く日本で封切られている点も興味深い(今では考えられない話だろう)。

 今まさにNASAによる世界初の有人火星探査船カプリコン1号が打ち上げられようとしていたとき、カウントダウンの数分前に3人の乗組員密かに船内から連れ出され、沙漠の真ん中にある無人基地へ連行される。実はこのロケットには不備があり、そのままでは目的を達成出来ないことが判明していたのだ。ところが実施直前に中止になると今後は予算が配分されなくなる恐れがあるので、火星探査を“やらせ”で誤魔化すことにしたのだという。



 3人は仕方なく、基地内で行われたニセの火星探査映像の撮影に参加することになる。しかし、本物のカプリコン1号は大気圏再突入の際に燃えつきてしまう。それを知った3人は自分たちが“生きていてはいけない人間”であることを察知し、基地から脱出する。一方、新聞記者のコールフィールドは、NASAに勤める友人から、この計画に不審な点があると告げられる。彼は独自に取材を始めたのだが、正体不明の“妨害”に遭い、あやうく命を落としそうになる。

 序盤こそSF映画のエクステリアを有しているが、すぐにスリラーものの様相を呈し、後半には活劇編になる。さらに、宇宙ロケットでのやり取りからからカーアクション、終盤には複葉機のスカイ・チェイスまで出てくる。このように多彩なモチーフが網羅されており、一粒で二度どころか三度も四度も美味しい思いが出来るという、まさに娯楽作品の“お徳用”みたいなシャシンだ(笑)。

 製作当初はNASAは協力的だったが、内容を知ってから映画会社に“三下り半”を突き付けたという逸話があるが、それもうなずけるストーリーだ。折しもアポロ計画は70年代前半に終了し、80年代のスペースシャトル計画にはまだ間があるという空白の時期に作られただけに、当局側への皮肉が効いている。

 脚本も担当した監督のピーター・ハイアムズは、この頃は脂が乗りきっており、畳み掛けるようなドラマ運びと思い切ったアクション演出で観る者を最後まで引っ張ってくれる。エリオット・グールドにジェームズ・ブローリン、サム・ウォーターストン、O・J・シンプソン(!)と、キャストも万全。特にカレン・ブラックとテリー・サバラスは儲け役だ。ビル・バトラーのカメラにジェリー・ゴールドスミスの効果的な音楽、幕切れも鮮やかで鑑賞後の満足度は高い。
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「この世界に残されて」

2021-01-17 06:19:46 | 映画の感想(か行)

 (原題:AKIK MARADTAK )第二次大戦中のナチスドイツによるユダヤ人迫害を描く映画は数え切れないほどあるが、この作品は新たな視点のアプローチが印象的だ。戦争の悲劇を取り上げる際に、声高にシビアな歴史の事実を糾弾することだけが方法論ではない。こうした静かなタッチが、より主題を引き立たせることがあるのだ。

 1948年のハンガリー。戦時中の苦難を何とか生き延びた16歳のクララだったが、両親と幼い妹を失い、今は大叔母の元に身を寄せている。だが、辛い経験をしたクララは情緒が安定せず、学校では問題児扱いされていた。ある時、彼女は中年の産婦人科医のアルドに出会い、自分と通じるものを感じる。アルドもやはり、大戦中に家族を失って一人で暮らしているのだった。

 やがてクララは父を慕うように彼に懐き、アルドも彼女を保護することで人生を取り戻そうとする。しかし、ソ連がハンガリーで実権を握って世相が不安定になり、周囲の者たちも2人に対していらぬ詮索をするようになる。そのためアルドはある決心をするのだった。ジュジャ・F・バールコニによる小説の映画化だ。

 中年男と女子高生が同居することで何やらセクシャルな展開が始まることが予想されるが、実際そんなものは無いし、そういった筋書きは不適当であることはスグに分かる。2人は心の奥底で共感し合っている。こういう題材を取り上げた映画にありがちの、悲惨なシーンや観ていて辛くなるような展開は無い。だからソフトタッチの作品だと思ったら大間違いだ。

 絶対的な悲劇は、この映画が始まる前にすでに“完結”していたのである。悲劇のあとの風景を定点観測しているのが、本作の特徴である。登場人物たちは戦後それぞれの道を歩み、ささやかな幸せを掴むケースもある。しかし、本来そこにいて彼らと哀歓を共にしているはずの人々はもういない。その圧倒的な不在が、観る者に大きく迫ってくる。これこそが、戦争の不条理そのものなのだ。

 1時間半という短めの尺ながら、監督のバルナバーシュ・トートは高密度のドラマを構築しており、実に見応えがある。アルド役のカーロイ・ハイデュク、クララに扮したアビゲール・セーケ(凄く可愛い ^^;)、共に好演。ガーボル・マロシのカメラによる、荒涼とした戦後すぐの風景もインパクトが強い。
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「神田川淫乱戦争」

2021-01-15 06:35:10 | 映画の感想(か行)

 83年作品。「スパイの妻」(2020年)でのヴェネツィア国際映画祭における監督賞受賞で、日本を代表する映像作家であることが一般世間的にも認知された黒沢清のデビュー作だ。全編これオフビートなおふざけの連続で、観る者を戸惑わせる怪作だが、後年の終末感を漂わせたような作風とは一線を画すこの監督の違う面が垣間見えるようで、とても興味深い。

 主人公の明子には良という恋人がいるが、今や完全にマンネリで惰性で付き合っている状態だ。そんなある日、友人の雅美から電話が掛かってきた。雅美の家は神田川沿いにあるが、川の向かい側のマンションで、浪人中の少年が母親と“禁断の関係”になっているという。これは何とかしなければと勝手な義憤にかられた2人は、そのマンションに乗り込むが、管理人に叩き出されてしまう。

 それでもあきらめない明子たちは、神田川を突っ切って直接少年の部屋に突入するが、これもあえなく失敗。次に明子は川の中で母親と対決し、ついに少年を“保護”する。製作は当時黒沢が属していた若手監督集団“ディレクターズ・カンパニー”だが、興行としてはピンク映画枠として成人映画館で公開されている。約一時間ほどの小品ながら、インパクトは強い。

 一応ストーリーはあるのだが、それによって何らかの主題を浮き立たせようという意図はほとんど感じられない。登場人物が突然歌い出したり、川の中での明子と少年の母親との立ち回りを延々と定点観測したりと、要するにこれは“映画ごっこ”の様態を採用した実験作であろう。デビュー当時は黒沢は一部で“日本のゴダール”と言われていたらしいが、ゴダールの物真似っぽいテイストも、まあ少しは感じられる。

 しかしながら、後の「ニンゲン合格」(99年)や「カリスマ」(99年)といった有名俳優を起用しながらの“高踏的”な黒沢作品と比べれば、観客を屈託無く楽しませようという意図が感じられ、立派な“娯楽作”たり得ているのは面白い。主演の麻生うさぎと美野真琴は怪演。森達也や周防正行といった現在映画監督として活動している面々が脇役として出ているのも愉快だ。
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「記憶の技法」

2020-12-18 06:24:36 | 映画の感想(か行)
 映画の“外観”とヘヴィな内容がマッチしていない。また、話自体に説得力を欠く。キャラクターの掘り下げも浅い。福岡市が主な舞台になっているのであまり文句は言いたくないのだが、もっと上手く作って欲しかったというのが本音だ。撮影から公開まで2年半もかかったのは“作品の出来も関係していたのでは”と思いたくもなる。

 東京に住む女子高生の鹿角華蓮は、幼い頃の曖昧な記憶の断片が何度もフラッシュバックし、時おり意識が混濁するという症状に悩まされていた。修学旅行で韓国に行くことになり、パスポート申請のために戸籍抄本を取り寄せた華蓮は、自分は今の両親の実子ではなく、養子として引き取られたことを知る。



 真実を知りたい彼女は親に内緒で修学旅行をキャンセルし、自身の本当の出生地である福岡市へと向かう。その旅には、なぜかミステリアスな同級生の穂刈怜も付いてくるのだが、やがて華蓮は幼少期に体験した悲惨な出来事に向き合うことになる。2016年に急逝した漫画家の吉野朔実の同名コミックの映画化だ。

 まず、ヒロインの過去に世の中を騒がせた事件が関係していたことが分かった時点で、ネット検索すれば概要は掴めるのではないか。わざわざ現地に足を運ぶ必然性が感じられない。怜は高校生のくせに六本木でバーテンとして働いており、親が怪しげな宗教にハマったことや青い瞳を持っていることが思わせぶりに示されるが、現実味は無い。

 そして、表向きは若い男女の秘密の旅行というラブコメ的な設定を採用していて、それらしいモチーフもあるのだが、映画のストーリーの中に鎮座している凶悪事件が醸し出す禍々しい雰囲気とまったく合っていない。ここはライトに振るか、あるいはシリアスに迫るか、どちらかに徹するべきだった。また、華蓮が突然福岡市から日帰りで釜山に行くという、どう考えても余計な行動を取るのも納得出来ない。ラストは無理矢理“感動”させるような扱いになっているが、それまでの展開がチグハグなので取って付けたような印象だ。

 これが初監督になる池田千尋の仕事ぶりは、ただ脚本を追っているだけでアピールしてくるものがない。主演の石井杏奈と栗原吾郎は、まあ可も無く不可も無しだ。それより柄本時生の存在感は光っていた。小市慢太郎や戸田菜穂などのベテラン勢は悪くなかった。福岡市の主なロケ地は福岡ドーム周辺と香椎線沿線などだが、無難な扱いである。
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「彼女は夢で踊る」

2020-11-16 06:27:03 | 映画の感想(か行)
 観ていて年甲斐も無く、胸が“キュン!”となってしまった(大笑)。我々オッサン層にとっての“胸キュン映画”とは、巷に溢れる壁ドン映画などでは断じてなく、こういうレトロ風味の美学に裏打ちされた、哀愁に満ちたシャシンなのだ。過ぎ去ってしまったもの、そしてこれから消えゆくもの、それらに対する哀切が溢れ、しみじみと感傷に浸れる。こういう映画は好きである。

 広島の歓楽街にあるストリップ小屋“広島第一劇場”は、社長の木下の奮闘もむなしく閉館が決定する。最後の記念公演として、名の知れたストリッパーが集結。その中に、木下が若い頃にこの職に就く切っ掛けになった踊り子にそっくりなダンサーを見かける。木下は昔を振り返り、彼女との出会いと別れを回想するのだった。広島市に実在するストリップ劇場を舞台にしたラブストーリーだ。



 映画は、現在と過去を平行して描く。昔、張り合いの無い毎日を送っていた若手サラリーマンの木下は、ひょんなことから“広島第一劇場”に出演中のストリッパーと知り合う。彼女のステージを観てその素晴らしさに打ちのめされた彼は、劇場で働くことになる。やがて支配人から小屋の運営を任された彼は、この劇場を維持するために奔走する。

 いまやパソコンやスマホで簡単にアダルト画像が無料で閲覧出来る時代にあって、ストリップはオールドスタイルな興行様式でしかない。だが、ストリップ小屋には他のメディアでは得がたい臨場感がある。ここに入れば、辛い浮き世を忘れられる。つまりは立派なエンタテインメントでもあるのだ。

 その、現実と遊離した“別世界”に魅せられた木下は、人生をそこに全て捧げてしまう。端から見れば愚かな行為かもしれないが、実は誰だってこの主人公のように“夢で踊る”ような生き方をしてみたいのだ。木下の清々しいまでの生き様は、しがらみに囚われて思うように振る舞えない者からすれば、何とも眩しくて羨ましい。それはストリッパーたちにも言えることで、この斜陽化した興行形態に敢えて身を投じ、文字通り飾らない姿を何の衒いも無く見せつける生き方には、感動するしかない。



 時川英之の演出はモノローグの多用など多分に気取ったテイストが感じられるが、それがこの作品ではプラスに作用している。主演の加藤雅也は今回珍しく“老け役”に挑戦し、実にイイ味を出している。青年時代の木下に扮した犬飼貴丈も、繊細なパフォーマンスで好印象。

 ベテランの踊り子に扮する矢沢ようこは、さすが“本職”だけあってステージ場面は盛り上がる。そしてヒロイン役の岡村いずみは行定勲監督の「ジムノペディに乱れる」(2016年)の時よりも数段魅力的に撮られており、今後の活躍を期待させるものがある。また、バックに流れるレディオヘッドの“クリープ”が素晴らしい効果を上げていた。
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「火宅の人」

2020-10-30 06:23:30 | 映画の感想(か行)
 86年作品。御存知檀一雄の私小説とされる有名な原作の映画化だが、文芸的香りは見事なほど希薄である。代わりに何があるのかというと、全編に渡って展開されるアクションだ。たたし何も派手な活劇シーンがあるわけではない。登場人物の佇まいと言動が、ことごとくハードボイルドで即物的なのである。まさに深作欣二監督の面目躍如といったところだ。

 売れっ子作家の桂一雄は、最初の妻リツ子に死なれた後にヨリ子と所帯を持ったが、昭和31年に新劇女優の矢島恵子と懇ろな仲になる。直木賞を獲得した際にも、彼は受賞の喜びよりも恵子から褒められることを第一に考えたほどだ。恵子との不倫旅行の後、何食わぬ顔で家に戻った一雄だったが、ヨリ子は速攻で家出する。仕方なく一雄は恵子と暮らし始めるが、今度は彼女の妊娠が発覚。逃げるように東京を離れた一雄は、旅の途中でかつて自分がケガをしたとき介護してくれた葉子に再会する。早速彼は、葉子とのアバンチュールを楽しむのだった。



 一雄はとことんインモラルながら、観ている側としては世の中をひょいひょいと渡ってゆく“好色一代男”みたいな痛快さを覚える。周りのキャラクターも濃く、とても一般人とは相容れない者ばかりだが、全員が生きることに貪欲で、過剰な自己アピールを躊躇無く敢行する。その有り様は、まさにアクションだ。

 一例を挙げると、主人公が長い旅から久しぶりに愛人宅に帰ってみると恵子は留守で、次に自分の家に戻ってヨリ子に愛人へ渡すつもりだった大きな魚を差し出すと、妻がいきなり無表情で出刃包丁を取り出し、魚の頭に叩き付けるというシークエンスなどその最たるものだ。

 恵子との緊張感をはらんだ関係もさることながら、中原中也や太宰治でさえ、登場シーンは少ないながらも今にも暴れ出しそうな剣呑な雰囲気を醸し出している。そもそも、自身の浮気話を堂々と連続小説として雑誌に載せるということ自体、実にバイオレントだ。奔放で屈託が無い葉子が、ずっとマトモに見えてくる(笑)。

 主役の緒形拳は完全に“受け”の演技なのだが、さすがの海千山千ぶりで檀一雄という男の奥深さを表現している。いしだあゆみに原田美枝子、松坂慶子といった女優陣、そして真田広之に岡田裕介、石橋蓮司といった他のキャストも手堅い。一雄の母親役で檀ふみが出ているのも驚く。木村大作によるカメラワークや、井上尭之の音楽は見事だ。
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「監視資本主義 デジタル社会がもたらす光と影」

2020-10-23 06:26:55 | 映画の感想(か行)

 (原題:THE SOCIAL DILEMMA)2020年9月よりNetflixにて配信されているドキュメンタリー映画。内容は題名の通りで、SNSがもたらす利点と共に、大きな問題点について言及している。そのアプローチには既視感があるし、ドラマ(フィクション)を挿入する方法もそれほど上手くいっているとは思えないが、深刻な事実の提示には改めて事態の深刻さを認識させられる。

 まず、作品ではSNSのスポンサーにとって利用者とは“顧客”ではなく“商品”であることを指摘する。それはまあ、少しでもSNSのシステムを知っていれば“常識”なのだが、映画で明示されるとインパクトが強い。SNSの参加者はネットを自身のツールとして使っているつもりだろうが、実は個人の嗜好や考え方、および行動パターンなどは運営側に筒抜けであり、その情報はスポンサーに売り渡されて利用者を“誘導”するようなコンテンツを押し付ける。気が付けば、SNSを利用するつもりが運営側の手のひらで踊らされているだけという、笑えない状況に陥っている。

 そしてSNSの利用者は“自身にとって都合の良い情報”ばかりを見せられた挙げ句、簡単にデマに引っ掛かる。結果として“事件”にまで発展したケースには、枚挙に暇が無い。また、SNSは利用者(特に若年層)を“内向き”にさせる。ネット社会の興隆に従って若者の自殺が増えていること、運転免許の取得数が減ってインドア派が目立っていることなどがデータとして示される。

 映画ではSNSをスロットマシーンや違法薬物にまで例えられているが、その指摘があながち大げさだと思えないのが、劇中に多数登場する“元SNS関連会社の主要スタッフ”たちの証言の数々だ。彼らは一様に“過去の仕事から手を引いて正解だった”と言う。勤務時間中に利用者から情報を吸い上げるような職務に専念し、家に帰れば自身がその利用者としてSNSに弄ばれる。マトモな人間ならば、その欺瞞に気付くのが当然だ。

 ジェフ・オーロースキーの演出は“再現ドラマ”の扱いこそ覚束ないが、概ね妥当な仕事ぶりだと思う。なお、私自身はフェイスブックだのツイッターだのといったシロモノには興味は無いが、本作を観ていると関心を持たなくて良かったと、つくづく思う。
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