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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「子供はわかってあげない」

2021-09-27 06:25:27 | 映画の感想(か行)

 今年度の日本映画を代表する青春映画の快作だ。とことん前向きなストーリーに、それに対して違和感をまったく覚えない作劇の妙。厳選されたモチーフの数々と、屹立した登場人物たちの大盤振る舞い。そして何より、映画の背景になっているのは夏の眩しい陽光だ。明朗な青春ものの御膳立ては完璧に整えられ、先日観た「サマーフィルムにのって」のような、夏を題材にしていながら全然夏っぽくない低調なシャシンとは完全に差を付ける。

 地方都市の高校に通う朔田美波は水泳部に属しているが、弱小チームで大会では成果を出せない。彼女はTVアニメ「魔法左官少女バッファローKOTEKO」の大ファンだが、ある日校舎の屋上でKOTEKOのイラストを墨で描いている男子生徒を発見し、思わず声を掛ける。彼は同学年の門司昭平で、もちろん件のTVアニメにハマっている。

 すっかり昭平と意気投合した美波が彼の家で見つけたのは、彼女の実父(母親は再婚している)から送られてきた謎の御札とそっくりなシロモノだった。その御札は新興宗教団体が発行しており、実父はどうやらそこの教祖らしい。美波は幼い頃に行方が分からなくなった父親に会いたくなり、昭平の兄で自称・探偵の明大の助けを得て、実父の藁谷友充の居場所を突き止める。田島列島による同名コミックの映画化だ。

 とにかく、ヒロイン美波の明朗なキャラクターに圧倒されてしまう。頑張る時には辛そうな表情をせずに笑ってしまうという得な性格。大会では活躍出来ないが、殊更に思い悩むこともなく、好きなことに対しては一直線だ。普段なら“そんな明るさ一辺倒の女子高生なんかいるわけがない”と突っ込むところだが、本作ではそれが説得力を持つようにドラマの背景が巧妙にセッティングされている。

 それはつまり、出てくる人間がすべてポジティヴなスタンスを持っているということだ。全員が自分の人生を受け入れている。いろいろ不満もあるだろうが、これが今の自分なのだと割り切り、どうやればよりマシな明日を生きられるかを考える。それは絵空事だと批判することは容易いが、本来はこういう肯定性・楽天性こそが人生の本質なのではないかという、作者の主張が見て取れる。

 沖田修一の演出は闊達そのもので、ギャグの繰り出し方も万全。主演の上白石萌歌を初めてスクリーン上で見たが、姉の上白石萌音よりもスポーティーでしなやかな肢体が印象付けられる、なかなかの素材である。表情も実に豊かだ。昭平役の細田佳央太も悪くないが、明大に扮した千葉雄大がケッ作で、これは彼の新境地と言えそう。

 古舘寛治に斉藤由貴、子役の中島琴音なども見せ場はたっぷりだが、何と言っても友充を演じる豊川悦司が素晴らしい。相変わらずの変態ながら(笑)、突如現れた実の娘に戸惑いながらも関係性を見出そうとする役柄を、うまく引き受けていた。芦澤明子のカメラによる夏の情景をバックに、ラストのラブコメ的な決着の付け方と絶妙のエピローグに、観ていて思わず表情が緩んでしまった。これはオススメの映画だ。
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「孤狼の血 LEVEL2」

2021-09-26 06:55:05 | 映画の感想(か行)
 前作(2018年)よりも面白い。パート1は往年の東映実録ヤクザ映画を“復刻”するというコンセプトを持っていたが、その方法論に拘泥するあまり、筋書きの精査は後回しになり現代に通じるモチーフも無いという、批判されるべきポイントが露呈してしまった。ところが本作は、復古趣味を捨象して単純なバトルものに徹しており、それだけ幅広い層にアピール出来る(まあ、描写自体はR15らしく過激だが ^^;)。

 前回から3年の月日が経った平成初期。広島の架空都市・呉原の暴力団の勢力図を仕切っているのが、伝説のマル暴刑事であった大上の跡を継いだ日岡秀一だ。各勢力を微妙にバランスさせ、とりあえずの平穏を保つ一方、日岡自身は上前をはねるという、持ちつ持たれつのヤクザと警察の関係を構築していた。



 ところが、前作で殺された親分の片腕であった上林成浩が出所したことによって、事態は風雲急を告げる。上林は血も涙も無い殺戮マシーンで、かつての競合相手を次々と粛正。上林組を立ち上げて、呉原市の裏社会を支配するべく暴走する。メンツを潰された日岡は上林と対立するが、警察上層部はそんな日岡を煙たく思っていた。柚月裕子の原作小説を離れて、今回は完全オリジナルストーリーで展開されている。

 とにかく、鈴木亮平が演じる上林の造型には圧倒される。人間らしさの欠片もない殺人鬼で、しかも不死身に近い。警察当局からの横槍は入るが、基本的にこのターミネーターのような怪物と日岡との戦いを軸に映画は進む。これが実に分かりやすいのだ。スクリーンの真ん中にこの2人のケンカを持ってくれば、あとの仕掛けが多少お粗末でも笑って許せる。

 だいたい、所轄の刑事一人で大勢のヤクザを手懐けられるはずがないし、上林が出所早々にやらかす猟奇殺人の捜査に警察が及び腰なのもあり得ない。日岡のスパイとなって上林組に乗り込む若造や、日岡とコンビを組むベテランの公安捜査官の扱いも悪くはないのだが、上林の前ではどうも影が薄い。有り体に言ってしまえば、アクション場面の段取りもイマイチだ。

 しかし、横暴さを極める上林と、それに立ち向かう華奢な若手刑事という図式は、昔の実録ヤクザ物のカテゴリーを軽く逸脱して訴求力を高めている。前作のアウトラインにあまり触れていないのも正解だ。白石和彌という監督はあまり信用していないが、今回に限っては好調だ。この勢いをキープ出来れば、パート3もあり得るだろう。

 主演の松坂桃李は良い感じに荒んでいて、鈴木の怪演と張り合っている。村上虹郎や斎藤工、寺島進、滝藤賢一、かたせ梨乃、中村獅童、吉田鋼太郎といった濃い顔ぶれを揃えているのも評価したい。ただし、一応ヒロイン役の西野七瀬はいただけない。演技が未熟でセリフを追うのが精一杯。バーのマダムという設定も噴飯物だ。このあたりが所詮“坂道一派”である。
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「ゴジラvsコング」

2021-08-15 06:40:25 | 映画の感想(か行)
 (原題:GODZILLA VS. KONG )本来ならば盛り上がってしかるべき題材だが、作りが雑で気勢が削がれる。少なくとも前作「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」(2019年)よりもヴォルテージが低い。また、このシリーズが今作で“打ち止め”である様相を呈している。工夫次第でもっとアイデアが出そうな素材だと思うのだが、残念な話だ。

 怪獣調査の国際機関“モナーク”は、髑髏島に作られた基地でキングコングを収容し監視していた。ある日、巨大テクノロジー企業“エイペックス・サイバネティクス”の本社を突如としてゴジラが襲う。いずれゴジラがコングの居場所を突き止めると予想した“モナーク”は、コングの故郷と思われる地球内の空洞への入り口がある南極にコングを移送しようとするが、そこにゴジラが現れて怪獣同士のバトルが勃発する。一方、エイペックス社に潜入していた陰謀論者のバーニーは、破壊し尽くされた社内で謎の装置を発見。“モナーク”の生物学者マーク・ラッセルの娘マディソンらと一緒に、エイペックス社の陰謀を探ろうとする。



 コングの出自が地下世界だというモチーフは唐突に過ぎるし、ならば他の怪獣もそうなのかといえば、どうも違うらしい。コングが“故郷”で見つける斧状の武器も、正体不明。そもそもバーニーとマディソンのパートは果たして必要だったのか疑問だし、“モナーク”本体のエピソードとバーニーたちの行動とを強引に結び付けようとしたため、終盤では無理筋の展開が目立ってくる。

 アメリカ映画であるためか、描写はゴジラよりキングコングの方に重きが置かれているが、コングと心を通わせる少女が登場したりして、怪獣としてのコングの凄みが薄れてしまったのは不満だ。エイペックス社の企みは当初からネタが割れるようなシロモノだし、クライマックスに登場する“あの怪獣”のデザインはパッとしない。

 アダム・ウィンガードの演出は、怪獣の取っ組み合いに限れば良くやっていたとは思うが、登場人物の掘り下げは浅い。特に、前回まで渡辺謙が演じた芹沢猪四郎博士の息子の芹沢蓮は、何しに出てきたのか分からない。アレクサンダー・スカルスガルドにミリー・ボビー・ブラウン、レベッカ・ホール、デミアン・ビチル、小栗旬といった顔触れはいずれも印象に残らず。一応、前作までの“伏線”はすべて回収されているためか、次回作を匂わせるモチーフは見当たらず、エンドクレジット後のエピローグも無し。どうにも不満の残る出来映えだ。
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「クワイヤボーイズ」

2021-08-06 06:26:03 | 映画の感想(か行)
 (原題:The Choirboys )77年作品。ロバート・アルドリッチ監督といえば骨太な痛快娯楽作の担い手として知られ、その分野ではかなりの実績を残している。特に「ロンゲスト・ヤード」(74年)や遺作の「カリフォルニア・ドールズ」(81年)などは活劇映画史上に残る快作だと思う。本作は同監督のフィルモグラフィの中では地味な存在だが、それでも無手勝流の豪快さで最後まで楽しまてくれる。

 ロスアンジェルス市警のウィルシャー署に勤務する地域課のメンバーは、揃いもそろって問題人物ばかり。自らを“クワイヤボーイズ=少年聖歌隊”と称し、日々これ悪ノリとハレンチ行為に勤しんでいた。リーダー各のウェーレンは勤続20年のベテランだが、これまで何かと上司に反抗し、定年間近になってもヒラ巡査のままだ。



 そんな中、課内で取り返しのつかない不祥事が起こる。事態を収拾したい上層部は、ウォーレンに退職後の好処遇をチラつかせて虚偽の供述をさせる。そのため仲間たちは処分されてしまうが、悔恨の念に駆られたウォーレンは捨て身の行動に出る。警察小説の名手と言われるジョゼフ・ウォンボーの著作の映画化だ。

 署内の面々や町のゴロつきども徹底的にからかう(時に逆襲されるが ^^;)はみだし警官たちの所業は大いに笑えるが、内実はかなりブラックである。飛び降り自殺を図ろうとする少女に対する振る舞いなど、冗談では済まされない。また、この時期のアメリカ映画ではよく取り上げられているベトナム戦争の後遺症に関しても言及されており、閉所恐怖症により幻覚に襲われて発砲する者もいる始末だ。

 ヘタすると暗鬱なタッチに終始するネタばかりなのだが、そこはアルドリッチ御大、豪快なユーモアで乗り切ってしまう。終盤の“クワイヤボーイズ”の活躍により、後味の良い幕切れになっているのは評価して良い。

 ウォーレン役のチャールズ・ダーニングをはじめ、ルイス・ゴセット・ジュニアにティム・マッキンタイア、ランディ・クエイド、さらにはジェームズ・ウッズにバート・ヤングと、濃いキャストを集めていながらそれぞれに見せ場を用意し、キャラも十分立てるという段取りも十分頷ける。なお、登場人物たちのあまりの無軌道ぶりに原作者のウォンボーが気を悪くして、自らも参画した脚本のクレジットから名前を取り下げるという逸話もあったらしい。
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「グンダーマン 優しき裏切り者の歌」

2021-07-30 06:13:57 | 映画の感想(か行)

 (原題:GUNDERMANN)分かりにくい映画だ。たぶんその理由は2つある。一つは観る側がドイツの戦後史に関して疎いこと。これは私だけではなく、多くの日本の観客も同様だと思う。東ドイツの秘密警察(シュタージ)の存在は知ってはいても、その具体的な活動内容となると、考えが及ばない。二つ目は、映画自体が分かりにくい構成を取っていること。本国の観客にとっては問題ないのかもしれないが、ヨソの国の人間としては辛いものがある。

 ベルリンの壁崩壊に先立つ80年代。褐炭採掘場でパワーショベルを運転するゲアハルト・グンダーマンは、シンガー・ソングライターとしての顔も持っていた。彼は仕事が終わると、自作の曲をステージ上で仲間と共に披露していた。彼のパフォーマンスは評判を呼び、ボブ・ディランのドイツ公演の前座を務めるほどになった。ところが90年の東西ドイツ統一後、自身も友人もいつの間にかシュタージに協力していたということが発覚し、波紋を呼ぶ。本国での評価は上々で、2019年のドイツ映画賞(独アカデミー賞)で6部門を獲得している。

 シュタージが介在した数多くの案件において、加害者と被害者との関係性がよく分からない。どういう者たちがどのような理由で密告に及んだのか、映画はほとんど説明しない。さらに、加害側のプロフィールは明らかにされているのに、被害者のリストは非開示という事情も詳説されない。また、映画は80年代初頭と90年代のパートに分かれているが、それぞれがランダムに配置されているので、観る側としては戸惑うばかりだ。

 しかも、登場人物たちが年を重ねているように見えないのだから、さらに混乱する。たぶん本国では大道具・小道具の選択と配置等によって時制の移動は十二分に提示されているのだと思うが、観ているこちらは首を捻るしかない。

 また、グンダーマンがその名を知られるようになったプロセスに関しても明らかにされていない。彼は炭鉱労働者でしかなく、最後までアーティストとしての凄味を出すことは無いのだ。また、肝心の楽曲も“悪くはないが、特に良くもない”というレベルで、求心力に欠ける。結局、印象に残ったのは主人公が働く露天掘り炭鉱の荒涼とした風景と、そこで稼働している巨大な重機類の存在感ぐらいだ。

 アンドレアス・ドレーゼンの演出は堅実とも言えるが、くだんの時制の不規則進行により、あまり良い点は付けられない。主演のアレクサンダー・シェアーをはじめ、アンナ・ウィンターベルガー、アクセル・プラール、トルステン・メルテンといったキャストも、それほどの存在感は無い。
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「キャラクター」

2021-07-05 06:33:26 | 映画の感想(か行)

 食い足りない箇所はけっこうあるが、最後まで飽きずに観ることが出来た。これはひとえに(文字通りの)キャラクターの造型に尽きる。登場人物に存在感を持たせれば、作劇面での瑕疵はある程度は相殺するのは可能だ。さらに、ケレン味の強いネタを扱っているわりには演出は正攻法である点も申し分ない。

 有名漫画家のアシスタントである山城圭吾は、独立して連載を持つことを目指していたが、出版社に原稿を持ち込んでも良い返事をもらえない。才能の限界を感じていた折、山城は背景画のスケッチに出掛けた住宅地で一家惨殺事件とその犯人を目撃してしまう。警察の取り調べに“犯人の顔は見ていない”と嘘をついた彼だが、一方でその犯人をモデルにしたサスペンス漫画を描き始め、それが大ヒットする。

 そんな中、漫画の内容とそっくりな殺人事件が次々と発生。そして真犯人の両角は山城に接触し、一連の事件は2人の“共作”であると嘯くのであった。小説やコミックの映画化ではなく、長崎尚志による脚本はオリジナルだ。

 犯人が使用する凶器はナイフだが、それ一本で一度に多人数を片付けるのはどう考えても無理だ。しかも、両角は死体をすべて移動させるというハードルの高い重労働を自身に課している。そもそも、犯人の背景がハッキリと描かれていない。山城の父親は再婚しており、母親と妹とは血が繋がっていない。ところが、この家族は何の躊躇もなく危険な“おとり捜査”に協力する。そしてクライマックスの山城の言動も納得出来るものではない。

 しかしながら、監督の永井聡はテンポ良く各モチーフを処理してゆく。サスペンスの盛り上げ方も悪くない。そして山城と両角の描写は出色で、付かず離れずの丁々発止のやり取りは、けっこう見せる。さらに事件を追う刑事と、山城の妻の造型も浮ついたものにはなっていない。

 山城に扮する菅田将暉は真面目さとニューロティックなテイストを併せ持った人物像をうまく表現していた。両角役のFukase(映画初出演)はちょっと童顔過ぎるが(笑)、不気味さは出ていた。高畑充希に中村獅童、小栗旬といった他のキャストも十分に機能している。また、直接的な残虐描写は抑え気味なので、幅広い客層にアピールしそうだ。
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「コンティニュー」

2021-06-25 06:22:28 | 映画の感想(か行)
 (原題:BOSS LEVEL)気軽に楽しめるB級活劇だ。基本的な設定はよくある“タイムループもの”で、決着の付け方が釈然としない部分があるが、全編に散りばめられた小ネタやモチーフは面白い。また作劇のテンポは悪くなく、ストーリーが渋滞を引き起こすこともない。キャストも有名どころを起用しているし、空いた時間に観るにはもってこいのシャシンだろう。

 元米陸軍デルタフォース隊員のロイは、ジョージア州アトランタにあるアパートの一室で目覚めると、突如謎の殺し屋に襲われる。何とかそれをやり過ごすと、別の殺し屋が次から次へと現れて、あえなく命を落とす。だが、殺されるたびに彼はその日の起床時に“戻って”しまう。ロイはそれを無限に繰り返していた。この異常事態は、大手軍事企業に勤める物理学者の元妻のジェマが関係しているのではないかという手掛かりを掴んだ彼は、何とかその研究所に乗り込もうとする。だが、ジェマが関わっている計画の責任者である軍属科学者ヴェンター大佐が、そこに立ちはだかる。



 策を練りながら目的地に到達するというアウトラインは、まさにRPGだ。ロイは、死ぬたびにそのシチュエーションを理解すると共に打開策をあみ出し、一歩一歩目標に近付く。その、殺されるパターンが多岐に渡っていて面白く、殺し屋たちの造型は徹底してマンガチックで笑える。特に、中国剣術の使い手に対抗するために知り合いのエキスパートから何度も“丸一日かけて”対処法を伝授してもらうというくだりはウケた。

 また、疎遠になっていた息子のジョーと会い、親子の絆を取り戻すパートも挿入されるなど、展開が一本調子にならないように工夫されている。ただし、そもそもこの時間ループの仕掛けがどういう段取りで動いているのかよく分からないのは不満だ。ラストの主人公たちの行動も腑に落ちない。しかし、スピーディーに繰り出される立ち回り場面を観ていると、欠点はあまり気にならなくなるのも確かである。

 ジョー・カーナハンの演出テンポは快調で、退屈さを覚えることはない。主演のフランク・グリロはあまり見ない顔だが、50歳過ぎてから仕事が順調に入るようになったという苦労人らしい。ここでは、マッチョな体型を活かしたパワー系のアクションを見せる。メル・ギブソンにナオミ・ワッツ、ミシェール・ヨーといった名の知れた面子を脇に配しているのも、作品が安っぽくならなくて良い。ただし残虐場面も少なくないので、誰かと一緒に鑑賞する際には注意が必要かもしれない(笑)。
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「偶然の旅行者」

2021-05-22 06:16:13 | 映画の感想(か行)
 (原題:The Accidental Tourist)88年作品。監督としてのローレンス・カスダンの仕事では、「白いドレスの女」(81年)と並ぶ業績だと思う。ソフィスティケートされた大人の人生ドラマであり、各キャラクターは十分に掘り下げられており訴求力が高い。スタッフ、キャストとも好調で、各種アワードにも輝いたのも当然と思われる。

 旅行ライターのメーコン・ラリーが長期取材を終えてメリーランド州ボルチモアの自宅に帰ってみると、妻のサラから別れを切り出される。実は彼らの一人息子が一年前に事件に巻き込まれて死亡してから、夫婦仲は冷え切っていたのだ。一人暮らしを強いられるハメになったメーコンは自暴自棄になり、挙げ句の果ては事故で骨折してしまう。



 メーコンは療養を兼ねて兄弟たちの住む祖父母の家に身を寄せるが、誰にでも噛みつく飼い犬を何とかしようと、彼は犬の調教師ミュリエルを雇う。8歳の病弱の息子を持つシングルマザーの彼女はかなり個性的で、最初は面食らったメーコンだが次第に惹かれていく。ところが、そこにサラから連絡があり、2人はヨリを戻す機会を得る。アン・タイラーによる小説の映画化だ。

 息子を失っても生活のリズムを変えず、むしろ仕事に没頭することによって不幸を忘れようとする男と、悲しみに打ちひしがれたその妻との関係が上手くいくはずは無い。そんなことが分かっていながら、妻に出て行かれた主人公の戸惑いは観ていて身につまされる。そんな彼が違う環境で新たな出会いをするものの、もう若くはないメーコンはいまひとつ踏み込めない。そのあたりの懊悩は上手く掬い取られている。

 離婚歴のあるミュリエルにしても同じで、積極的に振る舞っているようでなかなか一線は越えられない。それがメーコンのパリ取材旅行で事態は急展開。まさにタイトル通りの“偶然”を装った仕掛けが炸裂する。プロットは原作に準じているとは思うが、これがスリリングで引き込まれてしまう。

 このやり取りを通じて、人間は年を重ねても変わっていけるのか、あるいは変わらないのか、それが人生の後半戦を左右することに思い当たる。変わることで得ることもあるし、変わらない方が良い場合もある。そんな分岐点に遭遇するのも、生きることの醍醐味ではないかと考える。

 カスダンの演出は抑制されたタッチでありながらポイントは的確に突いてくる。適度なユーモアを挿入しているあたりも好印象。ウィリアム・ハートにキャスリーン・ターナー、ジーナ・デイヴィスという演者の配置も申し分なく、特にデイヴィスの魅力は特筆ものだ。ジョン・ベイリーによる撮影、ジョン・ウィリアムズの音楽、共に言うこと無し。
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「カミーユ・クローデル」

2021-05-15 06:29:58 | 映画の感想(か行)

 (原題:Camille Claudel )88年フランス作品。扱う素材は魅力的で、エクステリアも上質で風格がある。ただし、映画としては物足りない。製作の方向性が期待していたものとは違うようで、斯様な作劇であるならば、別にこの題材を扱う必要も無いのではと思ってしまった。

 1885年のパリ。美術界の重鎮オーギュスト・ロダンは、新進気鋭の彫刻家カミーユ・クローデルと出会い、その才能に惚れこみ弟子とする。ロダンはカミーユのためにパリ郊外にアトリエまで用意するが、そのうち2人は懇ろな関係になる。だが、ロダンは内縁の妻ローズをはじめ女関係は多彩なタイプで、カミーユが彼の子を身篭って中絶してしたことも、さほど気にしていないように見える。

 一度は別れを決断したカミーユだったが、それでもロダンのことが忘れられず、自暴自棄な行動に出る。巨匠ロダンの恋人で薄幸の芸術家カミーユ・クローデルを主人公にした、彼女の親族の血を引くレーヌ・マリー・パリスの著作の映画化だ。

 相手を一途に思う若い女と、天才肌で移り気な男とのメロドラマとしては、そこそこ良く出来ている。しかし、これは美術史に名を残すロダンとそのパートナーの話なのだ。当然のことながら、そこには常人のレベルをはるかに超えた作品群の輝きと、主人公たちが持つ芸術に対する確固としたヴィジョンや狂おしいほどの情熱がなければならない。

 しかし、本作にはそれが希薄だ。だから、作品に奥行きがない。これでは、彼らを主人公にした意味がないと思う。もう少し、彼らの仕事ぶりを追っても良いのではないだろうか。カメラマン出身でこれが監督デビュー作となるブリュノ・ニュイッテンは、登場人物の内面描写に関しては力不足のように感じる。単に男女の物語の話題性に寄りかかって演出をおこなっているようだ。

 主演はイザベル・アジャーニとジェラール・ドパルデューという大物で、とくにアジャーニは本作でベルリン国際映画祭で最優秀女優賞を獲得するほどの貫禄を示しているのだが、キャストの実力をギリギリにまで引き出すような仕掛けは、最後まで見られなかった。なお、この映画の上映時間は3時間近い。どう考えても冗長であり、プロデューサーの力量には疑問符が付くところだ。マドレーヌ・ロバンソンにアラン・キュニー、ダニエル・ルブランなど脇にも手練れを起用しているが、印象に残らない。ただし、ピエール・ロムによる撮影と、ガブリエル・ヤレドの音楽は素晴らしかった。
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「砕け散るところを見せてあげる」

2021-05-02 06:25:47 | 映画の感想(か行)
 いかにもSABU監督(脚本も担当)らしい、乱雑な筋書きと無手勝流の展開で、普通ならば駄作として片付けられても仕方が無いようなシャシンだが、キャストの熱演と作劇の妙なパワーによって何とか最後まで観ていられた。また、若年層向けの映画と割り切れば、それほど腹も立たない。

 90年代前半の長野県の地方都市。母と二人暮らしの高校3年生の濱田清澄は、ある朝学校に遅刻し、すでに朝礼が始まっている体育館に走り込み、取り敢えず入り口近くの1年生の列の後ろに並ぶ。そこで彼は、皆にイジメられている女生徒・蔵本玻璃を見つける。清澄は思わず助けに入るが、玻璃は心を開かず奇声を発して彼を拒絶するのだった。しかし、その後ひょんなことから2人は距離を縮めることになる。ただ、玻璃には誰にも言えない秘密があるようで、それは彼女の父親が関係しているらしいことを清澄は突き止める。竹宮ゆゆこの同名小説の映画化だ。



 まず、玻璃が“学年一の嫌われ者”として疎まれている理由が分からない。当初、彼女には吃音があるのではないかと思ったが、落ち着いて喋れば別に違和感は無いし、それどころか独特のユーモアがあって面白い。玻璃の父親は問題人物として描かれるが、その行動規範は不明のままだし、最初は玻璃が懐いているように見えるのも変だ。

 そもそも、清澄の心情がセリフとして出てくるのは不自然で、しかもそれが冗長。前半の玻璃とのやり取りも不必要に尺を取りすぎで、ここを大幅にカットすればもっとタイトな仕上がりになったはずだ。後半はサイコ・サスペンス風味になってくるが、要するにこれは“早く警察に通報しろよ”と突っ込んだら終わりのようなハナシだ。ラスト近くの扱いもいまひとつ釈然としない。

 しかしながら、実はヒーローを目指している(らしい)清澄の頑張りには、けっこう引き込まれるものがある。特に“ヒーローは負けない。絶対に!”というスローガンにはグッときた。主演の中川大志と石井杏奈は好演。井之脇海や北村匠海、矢田亜希子、原田知世、堤真一といった面子も悪くない。そして最も印象的だったのが、玻璃の同級生に扮する清原果耶だ。彼女が出てくると画面が締まってくる。この若さでこれだけの貫禄を示すとは、末恐ろしい限りである。
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