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元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「よこがお」

2019-09-02 06:31:58 | 映画の感想(や行)

 題名通り、正面から見ているだけでは分からない、人間の“横顔”を容赦なく暴き立てた快作だ。その手法には幾分強引な部分があるが、作者は力業で押し切っている。キャストの仕事ぶりも万全で、これは本年度の日本映画の収穫だと思う。

 訪問看護師の白川市子は、その確かな手腕で顧客からも仕事仲間からも信頼されていた。私生活では医師との結婚も控え、充実した毎日だ。彼女は訪問先の大石家の長女で介護福祉士志望の基子のために勉強まで見てやっていたが、ある日、次女のサキが誘拐されるという事件が起きる。サキは間もなく解放されるが、犯人は市子の甥の辰男だった。その事実がいつの間にか明るみになり、市子は職場を追われて婚約も破棄される。数年後、市子はリサと名を変え、基子の交際相手である美容師の和道に接近する。

 結局、他人を正面からしか見ていなかったのは市子だけで、周囲の人間は上辺とは違う“横顔”を持っていたという皮肉。アクシデントによってそのことに気付き、今度は市子自身が巧妙な“横顔”をフィーチャーして“復讐”に乗り出すという、倒錯した構図が面白い。また、基子は市子に対して同性愛的な感情を抱いており、その恋愛ベクトルがほんの少しズレだだけで、どんどん自分が追い込まれてゆくというディレンマの描出も見上げたものだ。

 深田晃司監督の前作「淵に立つ」(2016年)は“策に溺れた”という感があって評価出来なかったが、本作はそのニューロティックな演出が冴え渡る。異なる時制を巧みに同時進行させ、登場人物の裏表を容赦なく暴く。インターフォンや横断歩道、そしてラスト近くのクラクションなど、サウンドの扱いが実に効果的だ。

 中盤での市子を追いかけるマスコミの扱いには無理があり、市子と婚約者との関係はどうもぎこちないが、そういう瑕疵が気にならなくなるほど、本作の“後ろ向きの”求心力は強烈だ。市子を演じる筒井真理子は、ハッキリ言って凄い。何もかも放り出したような、まさに捨て身の怪演で、彼女が邦画界屈指の実力者であることを強く印象付けた。

 基子役の市川実日子、和道に扮した池松壮亮、こちらも目を見張るパフォーマンス。吹越満に大方斐紗子、若手の小川未祐など、脇の面子も良い。根岸憲一のカメラによる清澄でキレの良い映像、小野川浩幸の音楽も効果的だ。
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「夢の祭り」

2019-06-14 06:32:03 | 映画の感想(や行)
 89年作品。ひょっとしてこれは、デミアン・チャゼル監督の「セッション」(2014年)と似た構造の映画なのかもしれない。もちろん「セッション」ほどのヴォルテージの高さは無いが、日本映画で音楽の何たるかをこれだけ追求した作品というのは珍しいと思う。

 昭和初期の津軽の農村。小作人の息子の健吉は大の津軽三味線のファンで、いつか隣村の地主の息子である勇造に祭りの三味線競争で勝つこと夢見ていたが、家は貧しいので三味線も持っていなかった。ある日畑仕事に精を出すことを条件に、父親から三味線を買ってもらう。喜び勇んだ健吉は、津軽で屈指の三味線の名手に教えを請いつつ、猛練習を重ねる。ところが祭りの当日、勇造は事前に盗み聴きした健吉のアドリブのフレーズを使って先に演奏してしまう。動揺した健吉は敗れ去り、恋仲であった幼馴染みのちよも勇造に奪われてしまう。



 健吉は失意のうちに師匠と修行の旅に出かけるが、途中で師匠は死去。すると健吉は、当代一の達人である津村信作を訪ねて弟子入りを志願する。信作のレッスンは超ハードだったが、健吉は何とか食らいつく。そして再び祭りの三味線競争の日がやってきた。直木賞作家の長部日出雄が自身の原作を元に監督も出掛けている。

 ハッキリ言って、筋書きは上出来ではない。雪山の奥深くに隠遁生活を送る津軽三味線の名人と、彼に寄り添って暮らすナゾの女に関する詳細な描写は存在せず、名人はどうして一度は三味線を捨てたのかはまるで不明。主人公とちよとの仲も扱い方が中途半端。そして何より、健吉がなぜ津軽三味線に傾倒していたのか、その理由もハッキリしない。

 だが、観ていてそれほど違和感を覚えないのは、本作が紛れもなく音楽映画だからだ。主人公(および名人)の三味線に対する度を越した執着は、通常のドラマツルギーをなぎ倒してしまうパワーがある・・・・という作者の達観(≒決めつけ)が横溢している。まさに“矛盾点が残るだけ合戦は盛り上がるのだ”と言わんばかりだ。さらにラストの強引さには、呆れるより前に感心してしまった。

 主演の柴田恭兵は熱演。有森也実に佐野史郎、馬渕晴子、宮下順子、佐藤慶、加賀まりこ等、キャストはけっこう豪華(明石家さんままで顔を出している)。また、三味線大会の勝敗の付け方も興味深かった。
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「ゆりかごを揺らす手」

2018-12-09 06:21:17 | 映画の感想(や行)
 (原題:The Hand That Rocks The Cradle)92年作品。カーティス・ハンソン監督といえば「L.A.コンフィデンシャル」(97年)を皮切りに、2016年に世を去るまで秀作や佳編を次々と世に問うた作家だが、その昔は本作のような“お手軽な”映画も手掛けていた。もちろん、凡百の演出家とは違う張りつめたタッチはこの映画でも見受けられるものの、作品自体のアピール度はそれほどでもない。

 シアトルの高級住宅地に住むクレアは、は2人目の子供を身籠ったため、産婦人科へ診療に訪れる。だが、医師のモットは診察するふりをしてワイセツな行為に及んだ。怒ったクレアは警察に通報するが、この一件がマスコミに大きく取り上げられ、しかも“被害者”はクレア一人ではないことが判明する。



 窮地に追いやられたモットは自ら命を絶つ。それを目の当たりにしたモットの妊娠中の妻ペイトンは、ショックを受けて流産。それが元で子供が出来ない身体になってしまう。一方クレアは無事に男児を出産するが、そこにペイトンが身分を隠しベビー・シッターとして接近。クレアとその家族に対しての復讐を画策する。

 自殺したモットに対して同情は出来ず、逆恨みで凶行に走るペイトンは処置なしだ。しかし、クレアが清廉潔白なのかというと、そうではない。自身の告発によって産婦人科医を自殺に追いやっているにも関わらず、そのことを気にしている様子は無い。それどころか、使用人のソロモンを当然のことのように邪険に扱う。主要キャラクターが感情移入出来ない者ばかりであるため、早々に観る気が失せる。

 ペイトンに扮するレベッカ・デモーネイの狂気を帯びた演技や、ロバート・エルスウィットのカメラによるハードでクールな画面造型は見応えがあるが、基本線が通俗的なサスペンス・ホラーであるため、取り立てて評価する意味を見出しにくい。それにしても、彼の国の“山の手”は日本のように無闇に塀が建てられておらず、見通しが良くてクリーンだ。防犯上どうかと思う点もあるが、居心地に関しては心惹かれるものがある。
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「ヤンクス」

2018-10-07 06:50:02 | 映画の感想(や行)
 (原題:YANKS )80年作品。肌触りの良い映画だ。戦時中を舞台にして、いわゆる反戦テイストも盛り込まれているのだが、描写自体は静かである。声高な展開を望む向きには受け容れられないだろうが、これはこれで評価出来よう。

 連合国側が攻勢を強めた第二次大戦末期、ヨーロッパ戦線にも多数の米軍兵士が送り込まれた。イギリス北部のヨークシャー州ステーリーブリッジの町にも、他の町同様に米軍が進駐していた。彼らはもちろん“ヨーロッパの解放”という名目でやって来ているのだが、一般の市民は彼らをヤンクス(アメ公)と呼び、決して諸手を挙げての歓迎はしていない。それでも、米兵と現地の女性との間の色恋沙汰は存在した。



 アリゾナ出身の炊事兵マットは、雑貨屋の娘ジーンと知り合い恋に落ちる。彼女も戦地に赴いている婚約者がいるのだが、それでも身近に好いてくれる男がいれば気にせずにはいられない。夫を戦場に送り出した主婦ヘレンは、妻子を残して赴任している米将校ジョンと懇ろになる。マットの同僚ダニーとバス車掌のモリーとの仲も、日増しに深くなっているようだ。しかしやがて戦争が終わると、彼らは辛い現実に直面し、米兵も町を去ることになる。後に「炎のランナー」(81年)のシナリオを手掛けるコリン・ウェランドの原案によるドラマだ。

 アメリカとイギリス、それぞれの国民性と、前線にいる者と銃後の守りにつく者達との格差の扱いが興味深い。ステーリーブリッジの住民が戦争で辛酸を嘗めるのは、決して米兵のせいではない。それでも親族を失った者は、米軍に八つ当たりする。その有様は観ていて辛い。

 戦闘シーンがあるわけではないが、戦争が一般国民の生活に入り込む不条理を過不足無く示しているのはポイントが高い。マットとジーンとの関係は良く描けており、特にラストの扱いは痛切だ。

 ジョン・シュレシンジャーの演出は丁寧で、余計なケレン味を抑えて淡々とストーリーを追っている。マット役のリチャード・ギアとジーンに扮するリサ・アイクホーンは、実に絵になる顔合わせだ。ヴァネッサ・レッドグレイヴやウィリアム・ディヴェイン、レイチェル・ロバーツといった面々もいい仕事をしている。そして特筆すべきはディック・ブッシュのカメラによる英国の風景。深い色合いで、とても美しい。味わいのある佳作である。
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「ユーズド・カー」

2018-08-05 06:43:15 | 映画の感想(や行)

 (原題:USED CARS )80年作品。ロバート・ゼメキス監督の初期作品だが、後年アカデミー賞を取るほどに“出世”した彼からすれば、本作はもはや思い出したくもない“黒歴史”になっているのかもしれない(笑)。それほどこの映画はグダグダで、質的には語るべきものはない。ただ、向う見ずな勢いだけはあり、ところどころに面白いモチーフは散見される。その意味では、存在価値ナシと片付けるのも早計だろう。

 アリゾナ州フェニックスの郊外で道を挟んで建つ2軒の中古車販売会社は、互いに熾烈な販売競争に明け暮れていた。その一つであるニューディール中古車販売の社員ルディは、将来政治家になりたいという野望を抱いており、選挙資金を貯めるために積極的なセールスを敢行。そんな中、社長のルークが心不全で急逝してしまう。

 困った社員たちは、社長が長期休暇に入ったことにして、好き勝手に仕事を始める。だが、そんな時に10年間行方不明だったルークの娘バーバラが突然帰宅する。真相を知った彼女は、怒って全員を解雇。自分が社長を継ぐことにする。その隙をついて道向かいの業者の社長ロイ(実はルークの弟)が、あくどい方法でバーバラを窮地に追いやる。以前より彼女を憎からず思っていたルディは、ロイに敢然と立ち向かう。

 出てくる連中が、いかにもアメリカの地方在住者らしく、良く言えば皆ノンビリとして、悪く言えば能天気で垢抜けない。そんな奴らが巻き起こす珍騒動も、別に興味を覚えるようなものではない。この映画を観る直前に、たまたま“アメリカの中古車屋は実にいい加減だ”みたいな記事を偶然雑誌で見かけたので、さもありなんという感じである。

 ゼメキスの演出はテンポが悪くてパッとしない。それでも、ルディが宣伝のために電波ジャックを実行し、一般家庭のテレビにお下劣な画像が流れるシーンは笑えたし、ロイの陰謀を打ち砕くために、大量の車が店舗に突入する場面はちょっとした見ものだった。そしてラストのオチには思わずニヤリだ。

 主役は若き日のカート・ラッセルで、抜け目ないキャラクターを楽しそうに演じている。ルークとロイの一人二役を引き受けるジャック・ウォーデンも、さすがの海千山千ぶり。ただ、残念ながらそれ以外のキャストは精彩を欠く。なお、製作総指揮にスティーヴン・スピルバーグとジョン・ミリアスが名を連ねているのが(今から考えると)何とも場違いでスゴい(^^;)。
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「黄泉がえり」

2018-05-25 06:20:18 | 映画の感想(や行)
 2003年東宝作品。熊本の阿蘇地方で突如死んだ者がよみがえり始めた。しかも当時の姿のまま数百人規模で。厚生労働省の調査員である主人公は真相を解明するために故郷・阿蘇に戻ってくる。熊本在住のSF作家・梶尾真治の同名小説(私は未読)を映画化したファンタジー。監督は塩田明彦。

 「どこまでもいこう」(99年)「害虫」(2002年)などで知られる塩田監督は子供やティーンエイジャーの扱い方が素晴らしくうまい。この映画でも老母の前に現れる幼い頃死んだ息子や、20代の男の前に現れる「年下の兄」などにまつわるエピソードは情感豊かで心に滲み入るものがあるし、自殺した男子中学生とガールフレンドとのくだりなんかは泣けてくる。



 ところが肝心の主役二人がまったくダメ。草なぎ剛は官僚どころか勤め人にも見えないし、もとより大根の竹内結子の演技など全く期待出来ない。たぶんそれまでマイナー系作品しか手掛けていなかった塩田監督には、こういう(おそらく監督自身が望んだキャスティングではなく、しかもあまり上手くない)当時の若手人気タレントの扱い方に慣れていないのだろう。

 意図的なカメラの長廻し等、何とか監督のペースに合わせようと努力はしてみるものの、最後まで精彩を欠いたままだ。クライマックスは竹内の死んだ元恋人をよみがえらせるのどうのという話になるが、それまでの二人の扱い方がイマイチ決まらないためほとんど盛り上がらない。

 しかも、舞台となる野外コンサート会場---柴咲コウ(本作では歌手としてのRUI名義で出演)の歌が延々と必要以上に流れる---の描き方がテレビドラマ並みにショボく、観ていて面倒くさくなってしまう。さらに悪いことに、オチが読める(暗然)。

 真相を明らかにしない不可思議なファンタジーとしては水準はクリアしているが、同じようなネタの大林宣彦監督「異人たちとの夏」(88年)の後塵を拝しているのは確かであろう。ただ、公開当時はヒットを記録し、3か月以上のロングランを達成した。一説にはSF色の強い原作を大幅に改変し、メロドラマに仕立てたおかげと言われている。
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「山猫は眠らない」

2018-05-12 06:25:21 | 映画の感想(や行)

 (原題:SNIPER)92年作品。比較的低予算の小品だが、キレのいいアクション編で楽しめる。特に、使用される銃火器類、およびその扱い方に対しての粘り着くような描き方は、その手のマニアにとってはたまらないだろう。また、甘さを押し殺したダンディズムの造出にも抜かりは無い。

 米軍のベテラン狙撃手であるトーマス・ベケットは、パナマとコロンビアとの国境近くのジャングルで、若手軍人のリチャード・ミラーと共に麻薬組織のボスであるオチョアと政権を狙うアルバレス将軍を“始末”する指令を受ける。将軍の農園に忍び込んだ2人はオチョアを仕留めることには成功するが、敵の逆襲を受けて将軍は取り逃がしてしまう。一度は撤退した2人だったが、そこへ武装ゲリラが現れ、ベケットを拉致する。恐怖に負けそうになっていたミラーだが、何とか自分を取り戻し、ベケットを救うために単身農園に乗り込む。

 ライフルから発射される銃弾をアップでとらえたショットが挿入されるが、これがなかなか効果的だ。別に手法としては新しくはないが、それでも観る者の目を奪うのは、グダグダ台詞を並べるよりも一発の銃弾で全てを語ってしまうようなドラマの組み立てが成されているからだ。それらが表現するものは、ベケットのプロとしての矜持、そしてミラーの意地である。

 ライフルに取り付けられたスコープから覗く映像の扱いに至ってはさらに顕著で、一発で標的を捉えるベケットの視線に対し、ミラーは逡巡する。だが、やがて迷いがなくなるあたりにミラーの成長を暗示させる段取りはさすがだ。もちろん、やたら長い回想シーンが挿入されることや、蕩々と作戦の概要が述べられることも無い。また、ベケットの首にぶら下がっている相棒たちの形見である認識票の束や、彼が捕らえられる前に砂の中に落としていく最後にひとつ残った弾丸など、小道具の処理も上手い。

 ルイス・ロッサの演出は淀みがなく、1時間40分というタイトな上映時間も相まって、凝縮されたドラマを堪能出来る。主演のトム・ベレンジャーとビリー・ゼインは好演。“ベテランと若手”という組み合わせは定番ながら、決してマンネリに陥らないパフォーマンスを発揮している。ビル・バトラーのカメラが捉えた密林の濃厚な風景も良い。
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「許されざる者」

2018-03-09 06:32:51 | 映画の感想(や行)

 (原題:UNFORGIVEN)92年作品。前から何度も言っているが、私はクリント・イーストウッドの監督作品を良いと思ったことは(わずかな例外を除いて)無い。何やら視点の定まらない、雰囲気だけに終わっている映画ばかりで、何が言いたいのか、作家としてのアイデンティティはどこにあるのか、まるで不明確。

 この「許されざる者」はアカデミー作品賞を獲得しているから観ただけで、本来は敬遠したい作品だったのである。観終わって、イーストウッドの監督作としてはマシな部類だとは思った。とはいっても封切り当時に評論家が言っていたように“渋味あふれる傑作”とか“西部劇の美しき黄昏”といった賛辞は全然浮かばない。美しい映像と、ジーン・ハックマンやモーガン・フリーマン、ジェームズ・ウールヴェットなどの脇役の演技の達者さに感心しただけで、それ以上の感慨はない。

 善玉悪玉が判然としないのが大昔の西部劇とは違う点だろう。イーストウッド扮する主人公マニーは正義を実行するつもりで街に入ったのだろうが、賞金をかけた女将からして私怨に走っただけであり、暴君の保安官にしても暴力を締め出すために適切な方法をとっていると言えなくもない。牧童たちは娼婦の不用意な一言にカッとなってバカなことをしたものの、反省しているようだ。第一、マニーはかつて女子供も容赦しなかった悪党であり、ラストには残虐さを見せる。

 これを、現代アメリカ社会を象徴していると深読みするのは易しい。つまり、正義という概念が崩れ去り、誰かの正義は他の誰かにとっての不正義で、大義名分を掲げた暴力が横行するといったような・・・・。しかし、それがどれほどイーストウッドの製作意図に反映されていたかは疑問である。

 彼はとにかく自分を育ててくれた西部劇にオトシマエをつけようとしたのであり、別れを告げているに過ぎないのだと思う。イーストウッドの映画としては珍しくテーマがはっきりしている点は、一応評価してもいいと思う。やたら暗くて興奮もアクションもない撃ち合いのシーン(正直言って、気が滅入る)、馬にも上手く乗れず、生ける屍みたいな青白いマニーの様子からしてそれは明らかだと思う。

 しかし、考えてみると、“西部劇の終わり”なんて、サム・ペキンパーの「ワイルドバンチ」などに代表されるように70年代までにすでに十分描かれていたのである。この時点でやる必要があったか、すこぶる疑問だ。作者の個人的趣味に過ぎないとも言えよう。印象は観る人によってさまざまだと思うが、私としてはプッシュしたい作品ではない。
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「妖獣都市」

2017-11-24 06:40:58 | 映画の感想(や行)
 87年作品。「バンパイアハンターD」(2000年)などで知られるアニメーション監督、川尻善昭の実質的なデビュー作。表現方法は少々どぎついが(笑)、なかなか見せるシャシンではある。菊地秀行の同名小説(私は未読)の映画化だ。

 電機メーカーに勤める平凡な若手サラリーマンの滝蓮三郎には、別の顔があった。それは現実世界と魔界とのバランサーとして働く、闇ガードと呼ばれるエージェントだ。2つの世界の戦いは有史以来続いてきたが、ここにきて秘かに不可侵条約が結ばれる。



 その調印式のため、イタリアの伝道士ジュゼッペ・マイヤーが日本に招かれ、その護衛を蓮三郎と魔界側の闇ガードである麻紀絵が受け持つことになる。だが、この調印を阻止するため、魔界の過激分子は次々と刺客の妖獣を送り込み、蓮三郎と麻紀絵は激しいバトルを展開するハメになる。だが、一見好色で軽佻浮薄なジュゼッペ爺の真意は別のところにあった。

 残念ながら、蓮三郎にはあまり“愛嬌”がない。ニヒルなプレイボーイを気取ってはいるが、25歳という設定のせいか、突っ張ってばかりで余裕が感じられないのだ。これが一回り上の年齢ならば、多少のオヤジ臭さを加味しつつも(爆)スマートに振る舞えただろう。

 しかし、相手役の麻紀絵の造型は良く出来ており、セクシーでグラマラスながら、弱さと可愛らしさをも兼ね備えている。スケベなジュゼッペの言動も愉快だし、何より魔界の首魁および妖獣達の扱いには非凡なものを感じる。つまりは、幾分頼りない主人公を周りのキャラクターがしっかりカバーしており、鑑賞に堪えうるレベルに押し上げているのだと思う。

 川尻監督の仕事ぶりは実に達者で、メリハリの利いたスピード感はグロい描写も不快にならない。そして艶笑ギャグもしっかり入っていて、飽きさせない。アクションシーンもソツなくこなしている。終盤のストーリーの扱いはいたずらにカタストロフに陥らず、“前向き”な姿勢を見せているのも悪くない。東海林修の音楽と当山ひとみによる主題歌、そして屋良有作や藤田淑子、永井一郎、横尾まりら声優陣も頑張っている。
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「夜明けの祈り」

2017-08-21 06:22:22 | 映画の感想(や行)

 (原題:LES INNOCENTES)こういう宗教ネタを前面に出した映画は、個人的には評価を差し控えたいのだが、主演女優の存在感と映像の美しさで何とか最後までスクリーンと対峙することが出来た。また歴史の一断面を知ることが出来るという意味では、観る価値はあると言える。

 1945年12月、ポーランドの寒村。フランスから派遣された若い女医マチルドは、赤十字で医療活動を行っていた。ある日、村の修道院のシスターが切羽詰まった表情で助けを求めてやってくる。マチルドは担当外であることを理由に一度は断るが、寒風の吹く野外で何時間も祈りを捧げている彼女の姿に心を動かされ、現場に出向いてみる。修道院では、7人の修道女がソ連兵の蛮行によって身ごもってしまい、何人かは出産間近だという。マチルドは医者としての使命感により、彼女達を助けようとする。だが、宗教的戒律が彼らの行く手を阻む。第42回仏セザール賞にて主要4部門にノミネートされている。

 確かにソ連兵の暴挙は許せない。しかし、彼女達の行動は理解しがたいものがある。苦しんでいるのに、なぜか外部に助けを求めることを躊躇する。一人の修道女の知らせによってマチルドはこの事件を知るのだが、修道院内には最後までマチルドに対して心を開かない者もいる。しかも、彼女達はこの試練を“神の意志”だとして受け入れようという向きもある。あと、ポーランドの医者に診せてはいけないと主張する修道女もいるのだが、そのあたりの事情がうまく説明されていない。

 ここで描かれる宗教は、人々を救うものではなく逆に障害になるようなものだ。もちろん、それを批判的に扱うことも出来るのだが、本作にはそういう素振りは見られない。何の事前説明も無く、確固とした既成事実として設定されている。これでは納得も共感も出来ない。少なくとも、キリスト教にはあまり縁の無い多くの日本の観客にとっては、ピンと来ないのではないか。

 監督は「ボヴァリー夫人とパン屋」(2014年)のアンヌ・フォンテーヌだが、あの作品に見られた軽妙さが微塵も無く、深刻さばかりが強調されている。作劇面でもメリハリが見られず、盛り上がりが見られないまま終盤を迎えるのみだ。

 ただし、マチルドに扮するルー・ドゥ・ラージュは見所はあると思った。初めて見る女優だが、可愛いだけではなく演技もしっかりしている。特に、何があっても動じないような胆力を感じさせるのが印象的。またカロリーヌ・シャンプティエのカメラによる、冬のポーランドの風景。清澄な修道院内の佇まいの描写は見応えがある。
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