goo blog サービス終了のお知らせ 

元・副会長のCinema Days

映画の感想文を中心に、好き勝手なことを語っていきます。

「夜明けまでバス停で」

2022-11-06 06:22:58 | 映画の感想(や行)
 社会問題を真っ向から描く映画になるはずが、途中から“妙な方向”に舵が切られ、観終われば釈然としない気分が残る。考えれば監督の高橋伴明は団塊世代の影響を大きく受けていることは「光の雨」(2001年)などでも明らか。そういうスタンスでこの題材を扱って良いとは思えない。また、主人公の造形も現実感を欠く。

 居酒屋チェーン店のパートとして働いていた北林三知子は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で失職の憂き目にあう。しかも勤め先の寮に入っていたため、住む家も無くなる。新たな仕事どころかコロナ禍により寝泊まりする場所も見つけられない彼女が行き着いたのは、バス停に隣接したベンチだった。やがて彼女は公園で同じホームレスのクセの強い面々と知り合う。一方、三知子が働いていた居酒屋の店長である寺島千晴は、チェーン統括会社のマネージャーの態度に不審感を抱いていた。2020年に起こった渋谷ホームレス殺人事件をヒントしてに作られている。



 今世紀に入ってからの構造改革万能主義により、勤労者の多くが不安定な身分に甘んじるようになった中、思わぬパンデミック発生で窮地に追い込まれる者が多数発生。本作はその理不尽さを告発するはずが、ヒロインが出会うホームレス仲間が往年の新左翼の闘士だったことから、映画は“権力vs庶民”という全共闘時代の古いテーゼをトレースするようになる。これでは問題解決の方法論を何も提示していない。

 そもそも、三知子はアクセサリー制作などの手に職を持っており、友人もいて帰るべき故郷もある。真に困窮した立場ではない。そして困ったことに(?)、演じる板谷由夏はスタイルが良くて垢抜けておりホームレスには見えないのだ。

 むしろ映画の主題に相応しいのは、実際の事件で狼藉に及んだ犯人の方ではないのか。どうして見ず知らずの者を襲ったのか、その背景を丹念に追えば、我々が直面する深刻な問題が明らかになったかもしれない。あるいは千晴が直面するディレンマとか、三知子の元同僚たちの苦境など、明らかに映画的興趣を喚起できるのは本筋とは別のモチーフである点が何とも悩ましい。

 板谷以外のキャスト、三浦貴大やルビー・モレノ、片岡礼子、土居志央梨、下元史朗、筒井真理子、根岸季衣、柄本明、柄本佑らの熱演も空回りしている感が強い。なお、唯一印象的だったのが千春に扮した大西礼芳で、難しい役回りをひた向きな姿勢で演じ、共感性の高いキャラクターに押し上げていた。今後も注目したい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ようこそ映画音響の世界へ」

2022-06-03 06:19:56 | 映画の感想(や行)
 (原題:MAKING WAVES: THE ART OF CINEMATIC SOUND)2019年作品。興味深いドキュメンタリー映画だ。まず、題材を映画音響に特化している点が面白い。映画製作に関するドキュメンタリーは過去に数多くあったが、サウンドに着目したものは(私の知る限り)他には見当たらない。それだけでも存在価値はある。

 映画がトーキーになったのは1927年の米作品「ジャズ・シンガー」からだが、それから映画音響はコンスタントに進化を続けてきた・・・・と思ったら、実は少し違う。確かに技術革新により音響機材のクォリティは上がり、聴感上の物理特性は時代を重ねるたびにアップしてきた。しかし、真に映画的効果を狙ったサウンド展開が普及するようになったのは、意外にも70年代以降なのだ。まさにトーキー誕生から50年以上も経過している。



 それまでは映画の音響は基本モノラルで、サウンド・エフェクトといえば文字通り“効果音”でしかなかった。それが映画上映時の“音場”まで考慮されるようになったのは、サラウンドという考え方が一般化するようになってからだ。オーディオの世界では4チャンネル・ステレオが取り沙汰されるようになった時期で、ピュア・オーディオにおけるサラウンドは早々に廃れたものの、その方法論は映像再生時のノウハウとして定着した。そして今や音響効果は映画の質を左右するほどの重要性を獲得。

 本作はジョージ・ルーカスやスティーヴン・スピルバーグ、デイヴィッド・リンチ、クリストファー・ノーランら監督陣をはじめ「スター・ウォーズ」のベン・バート、「地獄の黙示録」のウォルター・マーチ、「ジュラシック・パーク」のゲイリー・ライドストロームといったレジェンド級の音響エンジニアたちのインタビューを織り込み、もはやサウンド効果なしでは成り立たなくなった映画作りの現状を浮き彫りにしていく。

 ただし、演出担当のミッジ・コスティンは平易な内容を第一義的に考えていたせいか、網羅されている情報が入門編レベルに寄せており、マニアックな興趣に乏しい点は不満だ。観客を置いてけぼりにするのは禁物ではあるが、もう少し知的好奇心を喚起するような作りが望ましかった。しかしながら、こういうモチーフを取り上げたこと自体は評価されるべきだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ユメノ銀河」

2022-03-06 06:16:11 | 映画の感想(や行)
 97年作品。70年代後半にデビューしてから主にバイオレンス物を手掛けたことから、武闘派(?)と思われていた石井聰亙(現:石井岳龍)監督だが、90年代からは静謐でスタイリッシュな作風を露わにしていく。本作もその傾向にある一編で、特にモノクロのアーティスティックな映像と凝った大道具・小道具により、文芸物としての佇まいも感じさせる。一般受けはしないが、これはこれで存在価値のあるシャシンだ。

 戦後も間もない頃、ある地方都市で友成トミ子は乗合バスの車掌の職を得る。当時は若い女子の間では人気のある仕事に就けたはずのトミ子だが、次第に退屈な日々に嫌気がさしていた。ある日、彼女の友人である月川ツヤ子が婚約者の運転するバスに乗っていて事故死したという知らせが届く。葬式の帰りに、トミ子は関係者から、事故の当事者である運転手と組んだ車掌が次々と謎の死を遂げているという話を聞く。



 不穏な気持ちに陥った彼女だが、そんな中トミ子が勤める会社に新しく採用された運転手の新高竜夫が、くだんの怪しい男ではないかという噂が広がる。しかも、トミ子は彼と仕事上のコンビを組むことになる。彼女は当初は居心地の悪い思いをするが、やがてミステリアスな雰囲気を持つ竜夫に惹かれるようになる。夢野久作の小説「少女地獄・殺人リレー」の映画化だ。

 形式としてはサスペンス物に属するが、謎解きの趣向はあまりなく中途半端に終わる。どちらかといえば内実はラブストーリーだろう。しかし、相思相愛のスタイルにはなっておらず、完全にヒロインの病的な一方通行の思い込みに終始する。

 よからぬ噂を聞いて竜夫を疑うトミ子。その反面、惹かれていくのを止めようがない。普通に映像化すれば主人公の奇態な言動がクローズアップされるところだが、本作では静かなタッチを維持し、その代わりに独特の美意識に貫かれた画面造形と、芸術的とも言える白黒の色彩の配置がトミ子の揺れ動く内面を表現する。撮影担当の笠松則通にとって、この映画での仕事は大きなキャリアになったはずだ。

 石井の演出はケレンが大きいのだが、全編を覆う沈んだ雰囲気により、そのあざとさは感じられない。90分という尺も適切だ。主演の小嶺麗奈は難しい役を上手くこなしていて感心したが、不祥事により今は芸能界から退場してしまったのは残念だ。竜夫役の浅野忠信をはじめ、京野ことみ、黒谷友香、真野きりな、嶋田久作など、他の面子もイイ味を出している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「野蛮人のように」

2022-02-13 06:16:03 | 映画の感想(や行)
 85年作品。封切り時は正月映画の目玉として公開され、事実それなりの興行成績を上げたのだが、実はそれは併映の那須博之監督の「ビー・バップ・ハイスクール」のおかげである。当時テレビで興行評論家の黒井和夫が“7対3の割合で「ビー・バップ~」が引っ張っている”と言っていたらしいが、観客の反応を見ていればそれは明白だった。とにかく何とも形容しようのないシャシンで、評価出来る余地はない。

 主人公の有楢川珠子は15歳のとき作家デビューして早々に頭角を現したものの、20歳になった今ではスランプ気味だ。アイデアが浮かばない夜、彼女は気晴らしに仕事場である海辺のコテージを飛び出し、六本木まで車を走らせる。一方、六本木の風俗店の用心棒を務める中井英二は、兄貴分の滝口から突然電話で呼び出される。

 中井が指定された場所に出かけてみると、滝口は誰かに撃たれて負傷しており、そばには彼が属する山西組の組長の死体が転っていた。実はこれは滝口の偽装殺人だったのだが、彼は中井に“犯人は組長の情婦で、水玉のブラウスに白いパンツを着ていた”とデタラメを吹き込む。ところが、六本木にやってきた珠子は偶然にも同じ服装をしていた。これまた偶然に珠子と遭遇した中井は、彼女ともども事件をもみ消そうとする組織の連中から追われることになる。

 話自体はかなり剣呑で、流血沙汰も少なからずあるのだが、陰惨な印象は受けない。ならばポップな線を狙っているのかというと、それにも徹し切れていない。何とも煮え切らないシャシンだ。展開は行き当たりばったりで、作劇のテンポはかなり悪い。キャラクター設定もいい加減で、珠子はとても作家には見えないし、中井はカッコ付けただけのチンピラだ。

 ヒロインたちが悪漢どもと攻防戦をやらかすのは海辺の小屋なのだが、いかに危機突破のためとはいえ、仕事場を爆破して笑っていられる作家なんていないだろう。斯様な不手際を回避するには、攻防戦の場所をどこか別の場所に変えることで容易に達成するのだが、作者にはその程度の配慮も見られない。また、単純娯楽編という触れ込みのはずだが、カメラワークは不自然に凝っているあたりも痛々しい。

 監督と脚本担当は川島透だが、当時の彼には才能は感じられなかった(その後いくらか持ち直したが、今は何をやっているのか不明)。珠子に扮した薬師丸ひろ子はこれが角川事務所を辞めてからの第一作だが、どうやら作品の選定を間違えたようだ。相手役の柴田恭兵をはじめ、河合美智子に太川陽介、清水健太郎、ジョニー大倉、寺田農とキャストは多彩だが、上手く機能していない。ただ、音楽担当が加藤和彦であるのは、多少の興味は覚えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「由宇子の天秤」

2021-11-08 06:31:28 | 映画の感想(や行)
 これは、先日観た吉田恵輔監督の「空白」とよく似たタイプのシャシンだ。つまりは、作者が無理なシチュエーションを仕立て上げ、登場人物たちを迷路に放り込んだ挙句に、何か問題提起をした気になっている。手練手管を弄しただけの筋書きに、観終わって暗澹とした気分になってきた。もっとスマートな作劇が出来なかったのだろうか。そもそも、プロデューサーは何をやっていたのだろう。

 ドキュメンタリーディレクターの木下由宇子は、3年前に北関東の地方都市で起こった女子高生イジメ自殺事件の真相を追っていた。テレビ局の意向と衝突することも珍しくはないが、それでも自らの筋を通すために毅然とした態度で職務に当たっている。一方、彼女は父親の政志が経営する学習塾を手伝っていたが、新しく入ってきた高校生の小畑萌が妊娠していることが発覚し、成り行きでその面倒を見ることになる。そして何と、萌の相手は政志らしい。由宇子は自分の仕事と身内の不祥事との間で揺れ動くことになる。



 ヒロインはディレクターと学習塾の講師を“掛け持ち”しているのだが、昼夜問わず取材に追われるテレビの番組製作スタッフが、仕事の片手間に塾講師や塾生の世話が出来るほどの時間を取れるとは、とても思えない。教え子に手を出したと言われる政志の内面は理解出来ないし、だいたい素人相手に避妊の手立ても講じないとは、呆れるばかりだ。

 萌の父親は定職に就いておらず、公共料金や社会保険費も払えないほどの貧乏暮らし。しかし、なぜか娘を(月謝が高いはずの)学習塾に通わせている。くだんのイジメ自殺事件は、さんざん深刻さをアピールした挙句に、腰砕けするような“結末”しか用意されていない。由宇子(及びその仲間)と対立する局の責任者も、描写が通り一遍で訴求力不足。

 結局はマスコミの独善もイジメ問題の根深さも、社会的格差や教育問題も、何ら深く突っ込まれることなくエンドマークを迎えてしまう。しかも、2時間半という長尺だ。キャラクター設定を見直してエピソードを整理すれば、あと30分は削れたのではないか。脚本も担当した春本雄二郎監督の仕事ぶりは感心せず、ここ一番の盛り上がりに欠ける。

 主演の瀧内公美は相変わらずの熱演を見せるが、筋書きが要領を得ないので独り相撲の印象しかない。あと関係ないけど、彼女は全編地味なセーターと地味なアウターに身を包んでいるが、何か意味があったのだろうか。光石研に川瀬陽太、丘みつ子、松浦祐也、河合優実ら脇の面子のパフォーマンスは良好ながら、作品自体が低調なので効果が上がらず。とにかく、社会派作品を撮りたいのならば、もっと真摯に題材に向き合えと言いたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ヤクザと家族 The Family」

2021-02-14 06:55:22 | 映画の感想(や行)
 前半は、そこそこ楽しめる。だが後半は完全に腰砕け。全体として、要領を得ない映画になってしまった。有名原作に頼らないオリジナル脚本である点は認めるが、現時点でヤクザものを撮る必然性を、もっと煮詰める必要がある。舞台設定や時代背景にも、かなり問題がある。

 99年、静岡県の地方都市。覚醒剤がらみのトラブルで父親を失った山本賢治は、その日暮らしの荒んだ生活を送っていた。そんなある時、彼は地元の暴力団である柴咲組の組長、柴咲博の命を救う。これが切っ掛けになり、賢治は柴咲組に入る。2005年、無鉄砲だが侠気のある賢治は組の顔役にまで上り詰めていた。また、由香という恋人も出来た。しかし、対立する組織との抗争が再発した際、幹部の身代わりになって服役することになる。

 ここまでが前半で、後半は14年後の2019年、賢治が出所するところから始まる。組に復帰したものの、組員の多くは去り、残っているのは老幹部だけ。おまけに組長の柴咲は病気で余命幾ばくもない。賢治は昔の仲間のツテを頼って、由香を探すことにする。

 前半部は昔のヤクザ映画(70年代の実録路線)にも取り上げられたようなネタと筋書きで、新しさは希薄だが、いわばこのジャンルの定番という感じで“安心”して観ていられた。しかし、後半部はいただけない。そこで描かれるのは、法律や条令で締め上げられて思うような活動が出来なくなったヤクザ組織や、代わりに台頭してきた半グレ集団、そしてSNSの普及による弊害で当事者が苦しめられるという、いわば誰でも考えつくようなモチーフばかりなのだ。しかも、その扱いは通り一遍で何の捻りも無い。

 さらによく考えてみると、映画の序盤の時制である99年には、いわゆる暴対法はすでに存在していた(92年施行)。この時点ですでに往年のヤクザ映画とは勝手が違うはずなのに、大昔の“ヤクザは任侠道で男を磨き”などというスローガンを性懲りも無く披露している。舞台が一地方都市の縄張り争いだというのも、いかにも大時代的だ。

 要するに、後半部での主人公および柴咲組の逆境は、ヤクザである自分たちが呼び込んだにも関わらず、本作はそれを“社会のせいだ”と言い募っているに過ぎない。どうしてもそれを主張したいのならば、賢治がヤクザにならざるを得なかった社会的状況の方をテンション上げて描くべきではなかったか。

 藤井道人の演出は個々の描写には力はあるものの、全体として作劇がまとめきれていない。さらに、前半と後半とではスクリーンサイズが違うのだが、効果が上がっているとは思えない。主演の綾野剛をはじめ、舘ひろしに尾野真千子、北村有起哉、市原隼人、磯村勇斗、寺島しのぶら各キャストは熱演だが、映画の内容が斯くの如しなので評価は出来ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夜叉」

2021-01-24 06:02:01 | 映画の感想(や行)
 85年東宝作品。製作当初は“高倉健の俳優生活の集大成”というキャッチフレーズが付いていたらしいが、なるほど映画の佇まいには惹かれるものがある。しかし、内実は全然大したことが無い。何が良くないかというと、まず脚本だ。そして次に非力な演出。キャストはけっこう豪華で、皆頑張っているのに惜しい話である。

 若狭湾に面した小さな港町で漁師として働く北原修治が、この地で暮らし始めて15年になる。妻の冬子と3人の子供、そして冬子の母うめとの静かな生活だ。あるとき、大阪ミナミから螢子という子連れの女が流れてきて飲み屋を開く。螢子の色っぽさもあり、店は繁盛するようになる。数ヶ月後、螢子を訪ねて矢島という男がやってくる。矢島はヤクザで螢子のヒモだった。



 矢島は漁師たちに覚醒剤を売りつけるなど、早速あくどいことをやり始める。しかし矢島は所属する組に払う上納金を滞納したため、追っ手に捕まりミナミに連れ去られる。螢子は修治に矢島を助けて欲しいと懇願する。実は修治は、かつてミナミで“夜叉”と呼ばれ恐れられた凄腕の極道者だった。修治は大阪に舞い戻り、矢島を拉致した組織に対して殴り込みを敢行する。

 主人公のキャラクター設定が曖昧だ。まずは螢子と妻という2人の女の間で揺れ動く修治の心理を描出しないと、後半の彼の言動が説明出来ないはずだが、それが成されていない。いくら高倉健が“不器用”だといっても(笑)、態度で示す手段があったと思うのだが、演出にはそのあたりが網羅されていない。そもそも、どうして修治が螢子に惚れたのか分からないし、わざわざ矢島みたいなヒモ野郎を救ってやる義理は無いはずだ。

 修治だけではなく、他の登場人物たちも“挙動不審”で、主人公をミナミでの刃傷沙汰に駆り立てるためだけの“手駒”にすぎないと思えてくる。かと思えば、都会へ出て行く少年に主人公の若き日をオーバーラップさせたり、キャバレーでホステスと踊ったりと、無駄なモチーフも目立つ。かつて高倉が演じた、人情に厚く正義のためならば危険も顧みないという共感度の高いキャラクターたちとは大違いの、場当たり的に行動する卑俗な人物にしか見えないのは辛い。

 降旗康男の演出は詰め込みすぎたエピソードを片付けるのに精一杯で、キレもコクもない。螢子に扮する田中裕子をはじめ、いしだあゆみに乙羽信子、ビートたけし、田中邦衛、小林稔侍、大滝秀治、寺田農と配役は贅沢だが、機能していない。ただし、木村大作のカメラがとらえた日本海の荒涼たる風光と、佐藤允彦とトゥーツ・シールマンスの音楽、そしてナンシー・ウィルソンの主題歌は見事だ。その意味で、観る価値無しとまでは言えない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鑓の権三」

2020-07-12 06:23:59 | 映画の感想(や行)
 86年作品。篠田正浩監督のこの頃の代表作である。原作は近松門左衛門の世話浄瑠璃「鑓の権三重帷子」だが、単なる古典の映画化ではなく、見事に現代にも通じるテイストを獲得している。キャストの仕事ぶりや映像も申し分ない。その年のキネマ旬報ベスト・テンでは、6位にランクインしている。

 江戸時代中期、出雲・松江藩士である笹野権三は槍の使い手で美男、城下町で歌にまで持て囃されるほどの人気者だった。江戸詰の夫の留守宅を守っている妻おさゐは、権三を娘の婿にと望んでいるが、心のどこかで“私だって、一緒になりたいくらいだ”と思っていた。権三は茶の湯で立身出世を狙っており、茶道の師匠でもあるおさゐの夫から秘伝書を見せてもらう交換条件に、娘との結婚を承諾する。



 ところが、権三には別に付き合っていた女がおり、それを聞いて怒ったおさゐは深夜、権三を問い詰める。そのことを偶然知った権三の同僚の伴之丞は、てっきり2人が不倫していると思い込み、街中にそのことを触れ回るのだった。窮地に立たされた権三とおさゐはやむなく逐電するが、おさゐの夫市之進がその後を追う。

 確たる証拠も無いのに、一部のアジテーターの物言いだけでデマが広がり、当事者たちが辛酸を嘗めるという図式は、まるで今の管理社会と同じだ。そんな無責任な言説が一人歩きしてゆく様子は、本作が撮られた80年代よりもSNSが普及した現在の方が最終的なダメージは大きくなる。そういう事例が多発している昨今だ。

 本来、恋愛関係には無かった2人であったが、破滅への道行きの間に思わず心を通わせる。建前だけの生活を送ってきた権三とおさゐは、初めて人間らしい生き方を模索するのだ。残念ながらこのあたりはもっとパッションを盛り上げて欲しいと思うが、クールな持ち味の篠田監督はそこまで踏み切れなかったのかもしれない。

 権三を演じているのは郷ひろみで、当時は意欲的に映画に出ていた。本作では演技が少し硬いところがあるが、主人公の造型としては万全だろう。おさゐに扮する岩下志麻はまさに“横綱相撲”で、安心してスクリーンに対峙出来る。火野正平に田中美佐子、加藤治子、大滝秀治、竹中直人、浜村純など、脇の面子はかなり豪華。武満徹の音楽、そして当時は朝日賞を受賞したばかりの宮川一夫の、深みのあるカメラワークは素晴らしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「夜が明けるまで」

2020-03-30 06:30:57 | 映画の感想(や行)

 (原題:OUR SOULES AT NIGHT )2017年9月よりNetflixにて配信。実に味わい深いヒューマンドラマであり、鑑賞後の満足感は大きい。また、ロバート・レッドフォードとジェーン・フォンダというスターを配していながら、どうしてネット配信の扱いで終わってしまったのか解せない。全国拡大公開は無理でも、このクォリティならばミニシアター系での粘り強い興行は可能だったと想像する。

 コロラド州の田舎町に住むルイス・ウォーターズは、妻を亡くしてから一人で老後の日々を送っていた。ある日の晩、近所に住む未亡人のエディーが彼を訪ねてくる。彼女もまた夫に先立たれてから長らく一人で暮らしていた。エディーはルイスに“ときどき、うちに来て一緒に寝てくれないか”と頼むのだった。もっとも、それはあくまでプラトニックな関係で、孤独を癒すために語り合う相手が欲しかったらしい。唐突な申し出に面食らうルイスだが、結局はその提案を受け入れる。だが、周囲の者は2人が懇ろな関係になったのではないかと、いらぬ詮索をするのだった。

 ある日、エディーの息子ジーンが7歳になるジェイミーを連れてくる。彼は妻に逃げられ、慣れない育児に窮しており、母親に助けを求めたのだ。エディーはジェイミーを預かることにするが、ルイスも子守を担当する。だが、エディーとルイスの関係を知ったジーンは、すぐさまジェイミーを引き取りに来るのだった。ケント・ハルフが2015年に上梓した小説の映画化だ。

 主人公2人の逢瀬は、単に“独居老人同士が、たまたま近くに住んでいたので急接近してみた”という下世話なレベルの話ではない。エディーとルイスには、それぞれ拭いきれない過去への悔恨がある。そして今も家族に対する屈託を抱えている。一人きりでは押し潰されてしまうような懊悩の中で、価値観を共有する“仲間”を求めた結果なのだ。過去及び家族に今一度向き合い、何とか残りの人生を乗り切るためのモチベーションを見つけるため、2人はあらためて困難な道を歩み出す。その見事な決意表明には感服するのみである。

 印象的なシークエンスはいくつもあるが、その中でもエディーとルイス、そしてジェイミーがキャンプに出掛けるくだりは素晴らしい。心を閉ざしていたジェイミーが自然の中で自分を取り戻し、祖母たちと新たな関係性を見出すシーンは、美しい映像も相まって大いに共感した。もちろん、これはレッドフォードとJ・フォンダという華のあるスターが演じているからこそ説得力があるのだが、たとえ一般の市井の者でも年を取ってから斯くの如き“転機”を迎える可能性があるのではないかと思い至り、観ていて表情が緩んでしまう。

 主演の2人は言うこと無し。老いても存在感は失っていない。マティアス・スーナールツやジュディ・グリア、ブルース・ダーンといった脇のキャストも手堅い。エリオット・ゴールデンサールの音楽とスティーヴン・ゴールドブラットの撮影は見事だ。監督のリテーシュ・バトラは現時点で40歳そこそこだが、それでいて人生のベテランたちを動かす術に長けているのには感心する。演出力も「めぐり逢わせのお弁当」(2013年)の頃よりもアップしているようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「雪の断章 情熱」

2019-11-01 06:33:20 | 映画の感想(や行)
 85年作品。ストーリー展開はそれほど特筆できるものは無いが、大胆極まりないカメラワークと優れた人物描写により、見応えのある作品に仕上がった。相米慎二監督としても、キャリア中期の代表作と言っても良い。

 迷子になった7歳の孤児・伊織は、親切な青年・広瀬雄一に救われる。やがて伊織は北海道の那波家に引き取られたが、そこで虐待を受けていたことが発覚し、雄一は彼女を保護して自分で育てる決心をする。17歳になった伊織の住む雄一のアパートに、那波家の長女である裕子が引っ越して来る。



 アパートの住人たちによって開かれた裕子の歓迎会の後、彼女は自室で謎の死を遂げていた。何者かが毒を盛ったらしい。伊織は重要容疑者として警察にマークされ、家政婦からは“雄一は伊織がひとりの女として成長する時を待っている”と告げられ、大きなショックを受ける。佐々木丸美原作の「雪の断章」の映画化だ。

 相米監督といえばワンシーンワンカット技法がトレードマークだったが、その手法は83年製作の「ションベン・ライダー」の冒頭“360度長回し”が最高傑作だと思っていた。しかし、本作の序盤はそれを超えている。何と“18シーンワンカット”だ。しかも、オールセットの風景で幻想的な雰囲気を横溢させている。改めてこの頃の相米の才気を感じずにはいられない。

 さらにはヒロインの心境を鮮やかに表現する場面がいくつもあり、そのたびに感心した。たとえば裕子と再会して相手の容赦ない物言いに傷つきながらも、彼女の蠱惑的なインド舞踊に魅せられていくシークエンスは目を奪われる。伊織が服のまま川に入って泳ぐシーンを、ロングショットで捉えたパートも強烈だ。また、伊織が電話でのやり取りで雄一に向かって“偽善者!”と叫ぶ場面は、他の相米作品とも共通する人間不信のモチーフが見て取れる。

 主演は斉藤由貴で、演技の幅の狭さばかりが感じられる昨今の彼女とは大違いの、瑞々しくもエッジの効いたパフォーマンスを披露していて圧巻だ。相手役の榎木孝明や岡本舞、寺田農、世良公則といった脇の面子も良い仕事をしている。五十畑幸勇による撮影も確かなものだ。なお、主題歌「情熱」は斉藤の歌唱によるが、いかにもアイドルっぽいその歌い方に“(尖がった外観にもかかわらず)これは一応アイドル映画だったのだ”ということに初めて思い当たる。80年代の邦画には、こういう意表を突いた(?)コンセプトの映画が少なくなかったようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする