本日、スズキのアルトがデビューして30年を迎えました。
今日に至るまでに130を超える国々で販売され、その販売台数も1000万台を超えたそうです。
最近ではワゴンRや派生モデルに話題を奪われがちですが、現行モデルも派手さや前項の高さはないもののそつなくまとめられており、代々乗り継いでいるユーザー様が安心して購入できる存在になっております。
スズキのプレスリリースを置いておきます。
スズキ「アルト(ALTO)」誕生30年世界で販売台数1,000万台を達成
デビュー時、当方はまだ生後6ヶ月にも満たないので、その驚きをリアルタイムでの出来事を伝える事は出来ません。
ただ、初代がバリバリの現行車だった頃に、群馬県に次ぐ車社会な栃木県で過ごしているので、走り回っている姿は克明に覚えておりますし、助手席やリアシートには何度も載ったことがあります。
サブロクの軽自動車も現役として走っていたのも覚えておりますが、個人的に懐かしいと感じるのは、初代アルトを始めとして、FFレックス、ミニカアミL、ミラクォーレ辺りでしょうか。今見てしまうともの凄く狭いリヤシートも広く感じた頃の思い出です。
当時の軽自動車は数年前に実施された、車検制度の開始、軽免許の廃止に続いて排ガス規制に伴う浄化装置によるパワーダウンや車両価格の高騰もあって、下火になったいました。
当時の軽自動車の車両価格から15~20万円安い価格で登場し、シティコミューターとして十分な性能有していたアルトは、圧倒的な話題となり、市場を席巻し、追従モデルを各社から登場させるなど、下火になっていた軽自動車市場を再興させるのに貢献したモデルでもあります。当時、郊外に住居を構える方が増え、潜在的なセカンドカー需要を掘り起こした感もありますが。。(おそらく、ミニバイクママの多くが軽自動車に移行して言ったのではないかと思われます。)
軽自動車の歴史を語る上で欠かせないエポックメイキングな存在であります。。
軽貨物車は物品税の対象にならないという、当時の税制の透き間を上手く利用したモデルでして・・・
アルトを始めとした1.5BOX軽貨物車はあまりにも好評で軽自動車市場を席巻してしまったため、税制の見直しがあり、4人乗りは物品税の課税対象になってしまったぐらいですから。。
何気に軽自動車の変革は波はスズキから来る事が多いんですね。
次だとワゴンRになるんでしょうけど。。この辺がスズキは販売台数所以だけでなく、軽No.1を強気に謳っているところと、あまりにも市場シェアを占めすぎて税制改革におびえているところの根拠になっているんでしょうね。
そしてこのアルトは、昭和50年代末の宇都宮市内ではやたらと走っていまして、ポロンポロンと音を立て、白煙を撒き散らしながら、国道119号になる大通り、拡幅前の大沢宇都宮線、まだ整備中だった宇都宮環状線(当時は“外環”といってました。)で見ない日はありませんでした。
当時はまだ3~5年落ちぐらいだったはずだけれど、イメージカラーの赤は恐ろしいほどにツヤ引けして、ザラザラになっていたんですよね。
初期型(SS30)の2スト・4MTで丸目の赤も捨てがたいですが、最終型(SS40)の4スト・2ATで、角目・ドアミラーの黄色に再会したいものです。(当時、親戚初のドアミラー車として、叔母さんが乗っていました。)
補足
まぁ、幼少期にアルトが見分けられてしまった事が今日に至る遠因になっているような気もしないような。
そして、この頃の30代のお母さん(当方の母親も含まれます)は、オモステ・マニュアルのクルマを普通に運転できる方が多数だったんだよね。。
今日に至るまでに130を超える国々で販売され、その販売台数も1000万台を超えたそうです。
最近ではワゴンRや派生モデルに話題を奪われがちですが、現行モデルも派手さや前項の高さはないもののそつなくまとめられており、代々乗り継いでいるユーザー様が安心して購入できる存在になっております。
スズキのプレスリリースを置いておきます。
スズキ「アルト(ALTO)」誕生30年世界で販売台数1,000万台を達成
デビュー時、当方はまだ生後6ヶ月にも満たないので、その驚きをリアルタイムでの出来事を伝える事は出来ません。
ただ、初代がバリバリの現行車だった頃に、群馬県に次ぐ車社会な栃木県で過ごしているので、走り回っている姿は克明に覚えておりますし、助手席やリアシートには何度も載ったことがあります。
サブロクの軽自動車も現役として走っていたのも覚えておりますが、個人的に懐かしいと感じるのは、初代アルトを始めとして、FFレックス、ミニカアミL、ミラクォーレ辺りでしょうか。今見てしまうともの凄く狭いリヤシートも広く感じた頃の思い出です。
当時の軽自動車は数年前に実施された、車検制度の開始、軽免許の廃止に続いて排ガス規制に伴う浄化装置によるパワーダウンや車両価格の高騰もあって、下火になったいました。
当時の軽自動車の車両価格から15~20万円安い価格で登場し、シティコミューターとして十分な性能有していたアルトは、圧倒的な話題となり、市場を席巻し、追従モデルを各社から登場させるなど、下火になっていた軽自動車市場を再興させるのに貢献したモデルでもあります。当時、郊外に住居を構える方が増え、潜在的なセカンドカー需要を掘り起こした感もありますが。。(おそらく、ミニバイクママの多くが軽自動車に移行して言ったのではないかと思われます。)
軽自動車の歴史を語る上で欠かせないエポックメイキングな存在であります。。
軽貨物車は物品税の対象にならないという、当時の税制の透き間を上手く利用したモデルでして・・・
アルトを始めとした1.5BOX軽貨物車はあまりにも好評で軽自動車市場を席巻してしまったため、税制の見直しがあり、4人乗りは物品税の課税対象になってしまったぐらいですから。。
何気に軽自動車の変革は波はスズキから来る事が多いんですね。
次だとワゴンRになるんでしょうけど。。この辺がスズキは販売台数所以だけでなく、軽No.1を強気に謳っているところと、あまりにも市場シェアを占めすぎて税制改革におびえているところの根拠になっているんでしょうね。
そしてこのアルトは、昭和50年代末の宇都宮市内ではやたらと走っていまして、ポロンポロンと音を立て、白煙を撒き散らしながら、国道119号になる大通り、拡幅前の大沢宇都宮線、まだ整備中だった宇都宮環状線(当時は“外環”といってました。)で見ない日はありませんでした。
当時はまだ3~5年落ちぐらいだったはずだけれど、イメージカラーの赤は恐ろしいほどにツヤ引けして、ザラザラになっていたんですよね。
初期型(SS30)の2スト・4MTで丸目の赤も捨てがたいですが、最終型(SS40)の4スト・2ATで、角目・ドアミラーの黄色に再会したいものです。(当時、親戚初のドアミラー車として、叔母さんが乗っていました。)
補足
まぁ、幼少期にアルトが見分けられてしまった事が今日に至る遠因になっているような気もしないような。
そして、この頃の30代のお母さん(当方の母親も含まれます)は、オモステ・マニュアルのクルマを普通に運転できる方が多数だったんだよね。。