渾沌滅七竅

生命ある無秩序を愛する渾沌。

日本の良心や民主々義の行方

2018年08月01日 | 日記

もともと浮草の様な日本の民主々義は、更に、どこに向かって流れるのか?

柔道、レスリング、相撲、プロ野球、アメフト、ボクシングとスポーツの世界でゴタゴタ不祥事が次々と噴出、表沙汰になっている。  マスコミが伝える限り、学校法人・日大と一般社団法人・日本ボクシング連盟は、重複して合同形に見える。

何も、スポーツの世界に限らず、政治の世界、霞が関官僚の世界、医療や福祉の世界も不祥事や刑事事件が続く。

強権下での『過剰なおもてなし』、業者に取り込まれた『文科省役人の収賄』、役人による『国民共有財産・公文書の改竄』、霞が関・虎の門界隈の政治屋や官僚の『方便にもならない嘘』、権力・地位を笠に着たパワハラ・セクハラ、児童虐待等々、枚挙に暇ない程の『品性のない輩』の横行跋扈。

市場経済至上主義のみが際立ち、民主々義の領域をも席巻、“良貨”を駆逐している風で、日本人・日本社会・様々な組織の体質が問われている。     日常生活の中で、己の不作法、他者への無配慮・利己主義で“逆ギレ”され、不愉快になること、日常茶飯事。   

伝統や格式、品性、侍魂等々の謂わば『日本の良心』は、何処へ行ってしまったのか。

今や日本の民主々義は、どこへ向かうか、ではなく風前の灯?

 

 

 

 

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無知の知・酷暑の妄想

2018年08月01日 | 日記

ピカピカの大学1年生時の一般教養、川原教授の「哲学」。

ギリシャ哲学者、ソクラテスの『無知の知』は、新鮮で今でも忘れられない。  と言うよりも、事あるごとに思い起こす。   「情報の共有」というセリフを良く耳にするが、人は、如何に事実や本質を知らないか、如何に知っていると思い違いをしているか、ということの裏返しとも思える。

人生の中で、読書・各種情報や自らの多くの体験、他人の経験談等々を通じて、己の疑似体験を豊富にし、深化させることを繰り返すのだろう。  人が、すべてのことに精通することなどあり得ない。     短い人生の中で、そういうことを通じて、己が如何に無知であるか、ということを思い知らされ、自己研鑚に励む。    謙虚にもなれる。

しかしながら、人は、どうも、そういう遺伝子を持ち合わせていない様で、兎角、真善美につき誤解し勝ちだ。

故に、『己が如何に無知であるか、ということを知ることの大切さ』を説いたのだろう。  弟子のプラトンが、このソクラテスのパラドックスを記している。

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