親父が亡くなって、早や16年経つ。
亡くなった時に、実家で処分をためらった遺品を、今以って、持っている。
軍隊手帳と戦時中のアルバムだ。
生前、軍隊生活、就中、ビルマ戦線の話を聞いたことは一度もなかった。 就職に浮かれ、会社勤務に脇目もふらずに入れ込み、追われ、ささやかな家庭生活と一途な会社生活に明け暮れた。 ワイドな視点に欠けていた、と今頃反省。
以下、一部抜粋
●昭和16年12月14日南方作戦ノタメ中支浦口出発●同月16日揚子江口通過●昭和17年1月11日泰国盤谷上陸●2月1日泰緬国境通過●自1月12日至3月15日間南方ビルマ作戦ニ参加●自3月16日至5月29日間北部ビルマ作戦ニ参加●5月30日公病「マラリア」ニ因リウント櫻井部隊沼畑部隊ニ入院●6月3日メイミヨ百七平站病院ニ転院●8月9日治癒退院●自8月13日至10月30日間緬印国境警備●昭和15年陸支機密254号ニ據ル補充交代ノタメ昭和17年10月31日ラングーン港出発・・・・・ どんな様子だったか貴重な詳細は聞きそびれた。
戦争体験はないが、終戦後間もない社会の様子は、数多く見聞してきた。 その意味では、まだ、戦争の恐ろしさや悲惨さは身に染みている。 それでも、その匂いは、遠い昔、記憶の向こう側に押し込められつつある。 我々の子供達、更には、平成生まれの若者達には、戦争、即ち、人間の残酷さ、むごたらしさ、深い悲しみ等、遠いバーチャルの世界、ゲームの様なものだろうか。 想像力・発想力・構想力豊かに、大いに勉強を重ねないと、同じ轍を踏みかねないのが人間のサガなんだろう。
悔やまれる。