今回のことではもう何を言われても仕方ありませんけど……、
ツール・ド・フランスには確かに不正の長い歴史がある。しかしアームストロングは、これまでとレベルが違う。
ツール・ド・フランス、不正の歴史
ツール・ド・フランスの元チャンピオンにして、同世代で最高のサイクリストなどと長年もてはやされてきた人物に、テレビ局の記者が尋ねた。サイクリストとしてのキャリアのなかで薬物を使ったことがありますか?
「使ったよ。必要なときには」
「頻度はどれくらい?」
「ほとんどいつもだね!」
これは、失墜した“7連覇王者”ランス・アームストロング(Lance Armstrong)がオプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey、著名な米テレビ司会者)に告白した記録ではない。1949年と1952年にツール・ド・フランスで優勝したイタリア人の偉大なチャンピオン、ファウスト・コッピ(Fausto Coppi)が何十年も前に受けたインタビューの一部だ。
しかしコッピは現在も自転車の神様のひとりに数えられ、自転車競技の伝説的な黄金時代の象徴として賛美されている。
1957年と1961~1964年の4年連続、通算5回の優勝経験をほこるジャック・アンクティル(Jacques Anquetil)も、「ミネラルウォーターでツールを走る」のは不可能だという発言が有名だ。
そして、イギリス人チャンピオンであるトム・シンプソン(Tom Simpson)がいる。1967年のツール・ド・フランスで、難関の山岳ステージとなるモン・ヴァントゥを上る途中、心不全で死亡した。高温、ストレス、そしてアンフェタミンのカクテルに殺されたのだった。
アームストロングの英雄物語が残念な終盤を迎えた今、ツール・ド・フランスにおける不正の歴史を振り返り、バランスのとれた視点を得るのは意味のあることだろう。これは、アームストロングの行為を取り繕い正当化しようとするものではない。
しかしながら、ツール・ド・フランスが始まった1903年の直後から、不正行為、薬物、それに不正工作がこの大会から切り離せない本質的部分であり続けているのは、受け入れがたいとしても事実なのだ。
1904年の大会ですでに不正が横行し、大会の創設者アンリ・デグランジュ(Henri Desgrange)は、レースはもう開催しないと宣言した。総合優勝のモーリス・ガラン(Maurice Garin)以下4位までの選手が、各ステージで途中に列車を使っていて失格になったのだ。この年は結局、完走27選手中12選手が失格になり、1年間から生涯の出場停止処分が下された。
その後、デグランジュが中止の強硬な態度を和らげたことで、偉大なレースは継続され、ツール・ド・フランスは不正とともに拡大していった。
もちろん興奮薬も含まれる。1日の行程(ステージ)は300~400キロを超え総距離は4000キロにも5000キロにもなる。悪夢のようにハードな昼夜のレースを乗り切るためには、ブランデーだろうがストリキニーネだろうが何でも使われた。ある意味で、そうしたものの使用を助長するようなレース作りが行われたとも言える。デグランジュが当時、自分が考える完璧なツール・ド・フランスは完走者がひとりだけとなるようなタフなレースだと語ったのも有名な話である。
そして、お金を稼ぐのが難しかった時代の巨額な賞金から、ツール・ド・フランスは貧しい生い立ちの若い選手が大半を占めた。自転車競技は彼らにとって、成功のための大きなチャンスだった。
第2次大戦後にはアンフェタミンが入ってくる。長時間の戦闘で兵士の覚醒と攻撃性を維持するために投入されたアンフェタミンは、世界最長の過酷な自転車レースで競う選手たちにも有効だった。
では、アームストロングの場合には何が違うのか、償いへの道はなぜ厳しいのだろうか? まず、これまで挙げてきた選手たちは、全米反ドーピング機関(USADA)が1000ページにおよぶ報告において、スポーツ界が目撃したなかで最も巧妙でシニカルで広範囲だと述べているドーピング計画の中心人物ではなかった。
過去の“さりげない(手軽な)”不正はいつの間にか、まるでフランケンシュタインのような科学に進化していたのだ。選手はレースの準備に入る何カ月も前からおぞましい医者とトレーナーのチームに支えられ、ホテルの部屋で輸血を受け、分子レベルから身体をいじりまくるようになっていた。
もちろん、アームストロングはそのすべてを作り出したわけではない。それはドーピングという原罪を超えるものではなく、何もかもをひとりでやりおおせたわけでもない。しかし彼は、自らの成功、知能、影響力、1時間に何千ドルもかかる弁護団によって、またそのすべてを使ってコストを顧みず「ランス」というブランド、「ランス」というマシンを強化することによって、自転車競技の広告塔となり避雷針となってきたのだ。
アームストロングの物語で許しがたいのは、運動能力向上薬(PED)についてではない。彼は他の選手たちより、騙すのがずっと巧妙だった。それがすべてではないだろうか。
厄介だと思うのは、アームストロングが自分を邪魔するもの、疑問を投げかけるもの、疑いを抱くものに対する容赦ないいじめと計算づくの破壊行動だ。誰の話でも、アームストロングは悪意と復讐心に満ちていたという。米国郵便公社(USPS)チームでマッサージを担当していたエマ・オライリーは、公然と「売春婦」「アル中毒」と指摘され、アームストロングのPED使用について意見をすると、訴訟に頭を悩ませる毎日になってしまった。
ツール・ド・フランスに勝ち続けたランスの奇跡や見事に調整された“マシン”に何度も疑問を向けたジャーナリストは、告訴され、脅迫され、イベントや記者会見、インタビューから締め出された。
彼の走ってきたあとには、たくさんの残骸が残されてきた。
アームストロングが本当に申し訳ないと思うのならば、過去の「軽率な行為」を真に悔いているのならば、まずは、これまで容赦なく打ちのめしてきた人たちに許しを乞うだけでなく、その人生と暮らしに与えた損害を償う道を探そうとすべきだろう。人はそう考える。
Photograph by Spencer Platt, Getty Images
引用終わり
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20130122002&n_gadget=0000
まあ、無遙か昔のモーリス・ガランの電車ショートカットを引き合いに出すのはどうかと思いますが(苦笑)。
ファウスト・コッピやジャック・アンクティルを引き合いに出されると、自転車乗りとしてはぐうとしか言えない面があります。まあ、神様みたいな人達ですからね。
ランスを追求したジャーナリスト達は会見から締め出され、告訴され、脅迫され……、なんていうことになっています。いやあ、厳しい。まあ、これも訴訟社会のアメリカでのことでしょうから、すべて鵜呑みには出来ません。
それでもナショナルジオグラフィックという一つ大きなメディアの見解(もちろんこれを記した記者の意見でもあるでしょう)です。忘れないように載せておきます。
ランスもそうですが、レース主催者、スポンサー、選手、メディア、そして我々自転車ファンもこの問題を真剣に考えなければいけません。皆の課題です。
ツール・ド・フランスには確かに不正の長い歴史がある。しかしアームストロングは、これまでとレベルが違う。
ツール・ド・フランス、不正の歴史
ツール・ド・フランスの元チャンピオンにして、同世代で最高のサイクリストなどと長年もてはやされてきた人物に、テレビ局の記者が尋ねた。サイクリストとしてのキャリアのなかで薬物を使ったことがありますか?
「使ったよ。必要なときには」
「頻度はどれくらい?」
「ほとんどいつもだね!」
これは、失墜した“7連覇王者”ランス・アームストロング(Lance Armstrong)がオプラ・ウィンフリー(Oprah Winfrey、著名な米テレビ司会者)に告白した記録ではない。1949年と1952年にツール・ド・フランスで優勝したイタリア人の偉大なチャンピオン、ファウスト・コッピ(Fausto Coppi)が何十年も前に受けたインタビューの一部だ。
しかしコッピは現在も自転車の神様のひとりに数えられ、自転車競技の伝説的な黄金時代の象徴として賛美されている。
1957年と1961~1964年の4年連続、通算5回の優勝経験をほこるジャック・アンクティル(Jacques Anquetil)も、「ミネラルウォーターでツールを走る」のは不可能だという発言が有名だ。
そして、イギリス人チャンピオンであるトム・シンプソン(Tom Simpson)がいる。1967年のツール・ド・フランスで、難関の山岳ステージとなるモン・ヴァントゥを上る途中、心不全で死亡した。高温、ストレス、そしてアンフェタミンのカクテルに殺されたのだった。
アームストロングの英雄物語が残念な終盤を迎えた今、ツール・ド・フランスにおける不正の歴史を振り返り、バランスのとれた視点を得るのは意味のあることだろう。これは、アームストロングの行為を取り繕い正当化しようとするものではない。
しかしながら、ツール・ド・フランスが始まった1903年の直後から、不正行為、薬物、それに不正工作がこの大会から切り離せない本質的部分であり続けているのは、受け入れがたいとしても事実なのだ。
1904年の大会ですでに不正が横行し、大会の創設者アンリ・デグランジュ(Henri Desgrange)は、レースはもう開催しないと宣言した。総合優勝のモーリス・ガラン(Maurice Garin)以下4位までの選手が、各ステージで途中に列車を使っていて失格になったのだ。この年は結局、完走27選手中12選手が失格になり、1年間から生涯の出場停止処分が下された。
その後、デグランジュが中止の強硬な態度を和らげたことで、偉大なレースは継続され、ツール・ド・フランスは不正とともに拡大していった。
もちろん興奮薬も含まれる。1日の行程(ステージ)は300~400キロを超え総距離は4000キロにも5000キロにもなる。悪夢のようにハードな昼夜のレースを乗り切るためには、ブランデーだろうがストリキニーネだろうが何でも使われた。ある意味で、そうしたものの使用を助長するようなレース作りが行われたとも言える。デグランジュが当時、自分が考える完璧なツール・ド・フランスは完走者がひとりだけとなるようなタフなレースだと語ったのも有名な話である。
そして、お金を稼ぐのが難しかった時代の巨額な賞金から、ツール・ド・フランスは貧しい生い立ちの若い選手が大半を占めた。自転車競技は彼らにとって、成功のための大きなチャンスだった。
第2次大戦後にはアンフェタミンが入ってくる。長時間の戦闘で兵士の覚醒と攻撃性を維持するために投入されたアンフェタミンは、世界最長の過酷な自転車レースで競う選手たちにも有効だった。
では、アームストロングの場合には何が違うのか、償いへの道はなぜ厳しいのだろうか? まず、これまで挙げてきた選手たちは、全米反ドーピング機関(USADA)が1000ページにおよぶ報告において、スポーツ界が目撃したなかで最も巧妙でシニカルで広範囲だと述べているドーピング計画の中心人物ではなかった。
過去の“さりげない(手軽な)”不正はいつの間にか、まるでフランケンシュタインのような科学に進化していたのだ。選手はレースの準備に入る何カ月も前からおぞましい医者とトレーナーのチームに支えられ、ホテルの部屋で輸血を受け、分子レベルから身体をいじりまくるようになっていた。
もちろん、アームストロングはそのすべてを作り出したわけではない。それはドーピングという原罪を超えるものではなく、何もかもをひとりでやりおおせたわけでもない。しかし彼は、自らの成功、知能、影響力、1時間に何千ドルもかかる弁護団によって、またそのすべてを使ってコストを顧みず「ランス」というブランド、「ランス」というマシンを強化することによって、自転車競技の広告塔となり避雷針となってきたのだ。
アームストロングの物語で許しがたいのは、運動能力向上薬(PED)についてではない。彼は他の選手たちより、騙すのがずっと巧妙だった。それがすべてではないだろうか。
厄介だと思うのは、アームストロングが自分を邪魔するもの、疑問を投げかけるもの、疑いを抱くものに対する容赦ないいじめと計算づくの破壊行動だ。誰の話でも、アームストロングは悪意と復讐心に満ちていたという。米国郵便公社(USPS)チームでマッサージを担当していたエマ・オライリーは、公然と「売春婦」「アル中毒」と指摘され、アームストロングのPED使用について意見をすると、訴訟に頭を悩ませる毎日になってしまった。
ツール・ド・フランスに勝ち続けたランスの奇跡や見事に調整された“マシン”に何度も疑問を向けたジャーナリストは、告訴され、脅迫され、イベントや記者会見、インタビューから締め出された。
彼の走ってきたあとには、たくさんの残骸が残されてきた。
アームストロングが本当に申し訳ないと思うのならば、過去の「軽率な行為」を真に悔いているのならば、まずは、これまで容赦なく打ちのめしてきた人たちに許しを乞うだけでなく、その人生と暮らしに与えた損害を償う道を探そうとすべきだろう。人はそう考える。
Photograph by Spencer Platt, Getty Images
引用終わり
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20130122002&n_gadget=0000
まあ、無遙か昔のモーリス・ガランの電車ショートカットを引き合いに出すのはどうかと思いますが(苦笑)。
ファウスト・コッピやジャック・アンクティルを引き合いに出されると、自転車乗りとしてはぐうとしか言えない面があります。まあ、神様みたいな人達ですからね。
ランスを追求したジャーナリスト達は会見から締め出され、告訴され、脅迫され……、なんていうことになっています。いやあ、厳しい。まあ、これも訴訟社会のアメリカでのことでしょうから、すべて鵜呑みには出来ません。
それでもナショナルジオグラフィックという一つ大きなメディアの見解(もちろんこれを記した記者の意見でもあるでしょう)です。忘れないように載せておきます。
ランスもそうですが、レース主催者、スポンサー、選手、メディア、そして我々自転車ファンもこの問題を真剣に考えなければいけません。皆の課題です。
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