ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1933、「第九」に涙

2013年07月01日 | Weblog
「第九」に涙したのは私ではなく、10歳の「コバケン」さんです。
読売新聞に「時代の証言者」というコーナーがあり、各界著名人の自分史が連載されています。
現在は指揮者・小林研一郎氏で、6月29日には小林氏が音楽家になるきっかけになる出来事が記されていました。
“10歳の頃、家のラジオから、ベートーベンの「第九」が流れてきました。誰の指揮で、どこのオーケストラだったか定かではありません。メロディが幾重にもからみ合い、うねり続けながらいつしか奔流となり、光となって合唱の荘厳な響きがあふれた時、立っていられないような感動と涙で息ができなくなるほどでした。その時、子供ながらに、無からこんな偉大なものを創ることができる世界こそ、自分が一生をかける価値がある。作曲家になろう。そう決意したのです。”(読売新聞より)
10歳の子供がです。

私が10歳の頃は毎日野球などをやって遊んでいました。
高校、大学で吹奏楽部に入っていて、クラシックを聞いたり演奏したりしました。
ベートーベンの英雄(第三)、運命(第五)、田園(第六)などはよく聞きましたが、「第九」は聞きませんでした。
それは合唱付きだったからです。
合唱と聞いただけで聞く気になりませんでした。
そんな私が現在7つの合唱団に所属しています。
毎週練習する合唱団から月に1回だけの合唱団もあります。
幾つかは私が始めたもので、もう1つ創ろうと思っています。
ベートーベンの「第九」は2000年に初めて歌ってから15回くらい歌いました。
今年も2回歌います。
1つは200人を超え、もう1つも100人以上います。
何回歌ってもうまく歌えません。
暮れになると日本中で第九が歌われます。
こんな難しい合唱を「日本人がよく歌うな」、と感心します。