ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1953、死去40年

2013年07月21日 | Weblog
昨日20日はカンフー映画の大スターだったブルース・リーが1973年7月20日に死去してから40年になります。(32歳)
私がニューヨークの42nd Stでブルース・リーの映画を見ていた1970年代半ばには既に亡くなっていました。
没後40年たっても人気は衰えず、各地で追悼イベントが行われました。
香港文化博物館では映画の衣装などゆかりの品600点を収めた特別展が開幕し、5年間開催されます。
開幕式にはブルース・リー基金会のシャノン・リー会長(ブルース・リーの娘)が出席ました。
息子ブランドン・リーは1993年に亡くなって、シアトルでブルースと一緒に眠っています。

1952、デトロイトが

2013年07月20日 | Weblog
自動車産業の“聖地”として知られたデトロイト市が18日、米連邦破産法9条の適用を裁判所に申請しました。
負債総額は約180億ドル(1兆8000億円)で、米自治体としては史上最大の破産となります。
1950年代まで、ゼネラル・モーターズ(GM)など、自動車大手の城下町として繁栄していましたが、70年代から安くて高品質の日本車メーカーによる攻勢によって衰退していきました。
企業が郊外や海外に移転し、高い失業率、犯罪発生率、貧困率によって労働力が流出し、人口減少が続いています。
1950年のピーク時は人口200万人でしたが70万人に激減しています。


デトロイト市の破産を告げるABCニュース(ゴーストタウンのよう)
私がデトロイトを訪ねたのは1980年ころでしたが、すでに日本車に押されていました。
275、ライオンズ14連敗」などを参照(この年、ライオンズは16連敗)

デトロイトの位置は「867、I-90」の地図を参照

1951、マンデラ氏

2013年07月19日 | Weblog
南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領は18日、95歳の誕生日を迎えました。
反アパルトヘイト運動による反逆罪として逮捕され、27年間に渡り刑務所に収容されていましたが、1990年2月11日に釈放されました。
釈放直後の1990年11月、国連の「反アパルトヘイト特別委員会総会会合」で歴史的スピーチを行い、国連総会はマンデラ氏の人類への貢献を記念し、マンデラ氏の誕生日である7月18日を「ネルソン・マンデラ国際デー」と宣言しました。
マンデラ氏がニューヨークを訪れた時大歓迎を受けました。
国連でのスピーチやブロードウエイでの盛大なパレードが行われ、私もパレードを見に行きました。

国連でスピーチをするマンデラ氏

マンデラ氏は今年6月8日、肺感染症の再発のため入院し、現在も治療が続いています。
27年間に渡り刑務所に収容されていたので、精神的にも肉体的にも過酷な環境の中にあったと思います。
しかし、それらの苦難を乗り越え95歳の誕生日を迎えました。

ブロードウエイではヒーローのパレードが行われます。
608、優勝パレード」などを参照

1950、主役は

2013年07月18日 | Weblog
大リーグのオールスターゲームが16日夜(日本時間17日朝)、ニューヨーク・メッツの本拠地シティ・フィールドで開催され、ア・リーグが3対0でナ・リーグを下しました。
この日の主役は今季限りでの現役引退を表明しているニューヨーク・ヤンキースのマリアノ・リベラ投手でMVPに選出されました。
リベラは、3対0の8回にア・リーグ9番手として登板し、1回を三者凡退に抑えました。
自身最後となるオールスターでMVPを受賞したリベラは、「最高だし特別だよ。ファンも一体となり、両チームのベンチでは監督、コーチ、選手が立って迎えてくれた…何にも代えがたい経験だ。こんなのは初めてだよ」とコメントしました。
クローザーのリベラが9回ではなく8回に登板したとき「なぜ?」と思いました。
これは確実に登板機会がある8回に投げさせようとしたリーランド監督の配慮でした。
試合の展開によっては9回裏のナ・リーグの攻撃が無くなる可能背があります。
そうなれば今年が最後のオールスターになるリベラの登板は無くなってしまいます。

マウンドに向かうリベラ

選手も観客もスタンディングオベーションでリベラを迎えました。

昨年5月には右ひざ靭帯を断裂し、選手生命も危ぶまれましたが見事な復活で「花道」を飾りました。(最後の花道はワールド・シリーズか?)
まだまだやれそうで、今季限りでの引退がもったいない。

この試合を生中継したNHK(BS1)に、昨季限りで引退した松井氏秀喜氏がゲスト解説で解説デビューしました。
現役時代に共に戦った選手もいて、言葉に説得力がありました。
1903、引退セレモニー」などを参照

1949、東京駅

2013年07月17日 | Weblog
12日に東京国際フォーラムに行きましたが、東京駅の改札を出ると多くの人が上を見て写真を撮っていました。

私も真似をして撮りました。
天井が高いドームになっていて歴史を感じさせます。

信号を渡ったところでも多くの人が写真を撮っていました。

東京駅(丸の内側)で、東京オリンピック招致のポスターもあります(左)
東京大空襲で赤レンガ駅舎の大部分は破壊され、失われたドーム屋根にかわって木造8角形の屋根が載せられていました。
2012年(平成24年)10月1日に赤レンガ駅舎が再建されました。
ニューヨークのグランドセントラル駅と東京駅は今年3月、100歳の姉妹駅になりました。

1948、無罪評決

2013年07月16日 | Weblog
2012年にフロリダ州サンフォードで、黒人の高校生が自警団の男に射殺された事件に対し、サンフォードの裁判所の陪審員は13日、殺人罪に問われた男性の正当防衛の主張を認め、無罪の評決をしました。
事件はサンフォードの住宅街で2012年2月26日夜、当時17歳のトレイボン・マーティン君がコンビニで買い物をし、知人宅に戻る途中に起きました。
無罪評決に対し、人種差別だと主張する抗議行動が米国各地で起きていましたが、オバマ大統領は14日、声明を出し、「われわれは法治国家の国民であり、評決は既に下った」として、評決を尊重するよう国民に呼び掛けています。

無罪判決に対する抗議行動

この評決を聞いて「ロサンゼルス暴動」を思い出しました。
1992年4月末から5月頭にかけてロサンゼルスで起きた大規模な暴動です。
1991年3月3日、黒人男性ロドニー・キングがスピード違でLA市警に逮捕されました。
その際、20人にものぼる白人警察官が彼を車から引きずり出し、殴打、足蹴にするなどの暴行を加えました。
この様子を近隣住民がビデオカメラで撮影し、この映像が全米で報道され黒人たちの激しい憤りを招きました。(テレビでくり返し映されていた)
ビデオ映像から身元が分かる白人警官3人ヒスパニック系警官1人、計4人が起訴されました。
事件発生から1年経過した92年4月29日に陪審員は無罪評決を下しました。
このときの評決には黒人は含まれていませんでした。
評決に怒った黒人たちがロサンゼルス市街で暴動を起こして商店を襲い、放火や略奪をはじめました。
小規模な暴動、抗議の動きはラスベガス、アトランタ、サンフランシスコをはじめアメリカ各地で起き、カナダの一部にまで波及しました。
このときニューヨークで暴動は起きませんでした。
私は黒人の友人がいたので黒人街にも行きましたが、普段とは違う雰囲気でした。

1947、ケネディ

2013年07月15日 | Weblog
久しぶりに聞いたような気がします。
離任が決まっているルース駐日米大使の後任にケネディ元大統領の長女、キャロライン・ケネディ氏(55)の起用が固まり、近いうちにホワイトハウスから発表されるようです。
早ければ秋にも着任する見通しで、初の女性駐日米大使になります。
名門「ケネディ家」からの起用です。
ケネディ大統領が暗殺されてから家族の運命は大きく変わりました。
夫人はケネディ家を去り、長男ジョン・F・ケネディ・ジュニアは事故死しました。
家族でただ一人の存命者です。
5歳の時に大統領だった父親を暗殺で亡くしたキャロラインさんも、人生が大きく変わったと思います。
現在55歳ということは父親が暗殺されてから50年になります。
名門ハーバード大とコロンビア大法科大学院を卒業し弁護士資格を取得し、書籍編集などをしながら米東部マサチューセッツ州にある父親の名を冠した図書館の館長などを務めてきました。
2008年の大統領選ではいち早くオバマ氏支持を表明し、オバマ氏勝利の流れをつくりました。
悲劇が続いていたケネディ家にとって、久しぶりに明るいニュースです。
キャロラインさんは親日家としても知られていて、新婚旅行で日本を訪れています。


駐日大使が内定したキャロライン・ケネディ氏

1946、ドミンゴ氏入院

2013年07月14日 | Weblog
スペイン出身の世界的なテノール歌手プラシド・ドミンゴ氏(72)が肺塞栓で8日、マドリードの病院に入院しました。
米国にいるドミンゴさんの広報担当者が9日、3~4週間の療養が必要だと発表しました。
マドリードなどで予定していた6公演をキャンセルしますが、治療は順調で全快する見通しです。
米国の広報担当が声明を発表した、ということは、ドミンゴ氏は現在もニューヨークに住んでいるのかな?

昨日サラ・ブライトマンさんの集客力について書きましたがドミンゴ氏の人気は高く、公演ティケットを入手するのは至難の業です。
1118、来日見合わせ」などを参照

1945、宇宙から

2013年07月13日 | Weblog
昨日、東京国際フォーラム・フォールAで行われたサラ・ブライトマンのコンサートに行ってきました。
3年ぶり6回目となる単独来日公演で7月1日スタートしました。
昨日は東京公演最終日で、この後、横浜・名古屋・金沢・広島・大阪で行われます。
7月18日の大阪公演まで計11公演で、50,000人が動員されます。
秋からはヨーロッパ・ツアーが予定されていて、世界中で大人気です。
集客力はすごく、昨日も満席でした。
私は主催団体(会社)の会員になっていて、チケットが一般販売される前の先行予約で注文しました。
それも一番値段が高い席。
それでも1階の後ろ奥の席でした。
発売と同時に売り切れたようです。

昨日の公演は最初から最後まで後ろのスクリーンに銀河や星雲などの宇宙の映像が映されていました。
今回は「宇宙がテーマなのか?」と思っていましたが、途中で「サラは宇宙に行くんだ!」と思いだしました。
最後は真っ青な地球をバックに歌っていましたが、本人は「宇宙で歌っている」気分だったかも知れません。
アポロ11号や宇宙飛行士(アームストロング船長?)なども映されていました。
彼女が宇宙に行くことを知らない観客は、その意味が分からなかったと思います。
1671、宇宙に怪人は?」を参照

歌は相変わらずで、一番盛り上がったのはやはり「オペラ座の怪人」と「Time to Say Goodbye」でした。
「オペラ座の怪人」の超高音は健在でした。
最後はスタンディング・オベーションで、観客の拍手はなかなか鳴り止みませんでした。


ロビーではCDやT-シャツなど、いろんなグッズが販売されていて、多くの人が買っていました。

1944、グーッと一杯

2013年07月12日 | Weblog
連日の猛暑で、このブログも暑さの話題が続いています。
昨日の館林市は最高気温39.5度を記録しました。
こう暑いと冷たいビールが飲みたくなります。
ビール大手5社は増産体制に入ったようです。
一方、今年の上半期(1月~6月)のビール類(発泡酒と第三のビールを含む)の出荷量は統計を取り始めた1992年以来、過去最低の水準でした。
7月6日に梅雨が明けた途端猛烈な暑さになりましたが、5日までは涼しいというより寒いくらいの日もありました。
上半期は過去最低でしたが、下半期は過去最高になるかも?