ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

170、42.195

2008年08月13日 | Weblog
過酷な数字。
言わずと知れたマラソンの距離です。
女子マラソン史上初のオリンピック連覇を狙っていた野口みずき選手が左太ももの筋肉損傷のため、北京オリンピックを欠場することになりました。
7月上旬からスイスで高地合宿を行っていましたが、左足の痛みを訴えて今月4日に帰国、精密検査を受け出場を断念したようです。
男子選手をもしのぐ練習量をこなし、1日50キロ以上の走りこみ、高地でアップダウンの多いコースでの練習、フォームの改造など連覇に向けた過酷な練習で疲労が蓄積し、さらに精神的な重圧も加わり、本番直前で悲鳴を上げてしまったようです。
シドニーオリンピックで優勝しアテネで連覇を狙った高橋尚子選手も練習の虫といわれ人一倍練習したようです。
選考会前の記者会見で、やせ細ったQちゃんを見たとき「どうしたの?」と思いました。
案の定後半失速し代表の座を逃して連覇の夢は絶たれました。
人と同じことをしていては勝てないし、過酷なトレーニングは故障のリスクが高まります。
両選手共直前まで「今までで最高の状態」と言っていました。

オリンピックの女子マラソンで思い出すのは1984年開催のロサンゼルスオリンピックでの2人の選手です。
1人は優勝したジョ-ン・ベノイト選手です。
積極的に飛び出し優勝候補のグレテ・ワイツ(ノルウェー)選手、イングリッド・クリスチャンセン(ノルウェー)選手を引き離し独走態勢に入りました。
「これでは最後まで持たない」と思いながらテレビを見ていましたが、そのままゴールに飛び込み、記念すべきオリンピックの女子マラソン初代金メダリストとなりました。
「女子選手には危険過ぎる」という理由で長年オリンピックでは開催されていなかった女子マラソンがこの大会から公式競技となっています。
もう1人は脱水症状でフラフラになりながらトラックを歩くガブリエラ・アンデルセン(スイス)選手です。
意識モウロウとなりながらも係員に対しゴールする意思表示をしていたので止めることは出来ませんでした。
医師は彼女がまだ汗をかいていたのを見て、体の恒常性が保たれていると判断し、ゴールラインを割るまで続けさせることにしました。
彼女の右足はほとんど動いておらず引きずるようで、右手はぶらつき夢遊病者のようになりながら、競技場の大観衆の声援に後押しされ、競技場に入ってから5分44秒後、2時間48分42秒、37位でゴールし係員に抱え込まれました。
後に、「他のマラソン大会なら棄権していました。でも、オリンピックの歴史的な大会だったので、どうしてもゴールしたかった」と語っています。
8月開催のため酷暑の中でのレースでした。
42.195という数字には多くのドラマがあります。
北京オリンピックのマラソンも8月開催、どんなドラマが待っているか?