ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

42、私には夢がある(I have a dream.)

2007年08月28日 | Weblog
1963年8月28日、ワシントンDCのリンカーン記念堂前で黒人公民権運動の行進に参加した25万の人びとにむけてマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が演説しました。

1862年9月にエイブラハム・リンカーン大統領が行った奴隷解放宣言により、アメリカ合衆国での奴隷制は廃止されました。
しかし、奴隷制度からの解放は直ちに人種差別の撤廃を意味するものではなく、その後も人種差別は続きました。
学校やトイレ、プールなどの公共施設、バスなどでは白人と有色人種は異なる施設を用いることを余儀なくされていました。
このような制度は第二次大戦後も続いていました。
南部の州の多くが人種隔離制度を続け、黒人には選挙権もありませんでした。
そのような制度を廃止するための公民権運動に立ちあがったのがキング牧師です。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr、1929年1月15日 - 1968年4月4日)は、アメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人でプロテスタントバプティスト派の牧師です。
父親と同じ名前なのでJrが付いています。
もともとの名前はマイケルでしたが父親が宗教改革を行ったマーティン・ルターの名前をとってマーティンに改名したのでJrのほうもマーティンになりました。

さまざまな困難や迫害を受け、時に投獄されながら自由と平等を実現するための運動を続けました。

その最大の集会がワシントン大行進で、“I have a dream.”演説です。
人種差別の撤廃と各人種の協和という高邁な理想を簡潔な文体と平易な言葉で訴え、広く共感を呼びました。
その内容は高く評価され、ジョン・F・ケネディ大統領の就任演説と並び、20世紀のアメリカを代表する名演説として有名です。

キング牧師の提唱した運動の特徴は徹底した「非暴力主義」です。
インド独立の父、マハトマ・ガンディーに啓蒙され、また自身の牧師としての素養も手伝って一切抵抗しない非暴力を貫きました。

ワシントン大行進などの成功により世論も盛り上がっていき、ジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil Rights Act)が制定されました。
これにより、建国以来200年近く続いてきた法の上での人種差別が終わりを告げることになりました。
ちなみに公民権法案を議会に提出したのはジョンソン大統領の前のジョン・F・ケネディ大統領です。
そのためケネディ大統領は黒人社会から絶大な支持を受け、一方で南部支配(白人の保守派)層からは敵意にも似た批判を浴びることになっていきます。
これもケネディ大統領暗殺の一因になったと見られています。
弟ロバート・ケネディも公民権運動には熱心でした。
私はアメリカにいた頃よく黒人(アフリカ系アメリカ人)の家を訪ねましたがその多くの家にはキング牧師とケネディ大統領の写真が飾ってありました。
キング牧師の写真は分かりましたが、なぜケネディ大統領の写真が飾ってあるのか最初の頃は分かりませんでした。
ケネディ大統領が公民権運動に対して多大な貢献をしたことを知り納得しました。
ケネディー大統領がテレビで訴えた言葉。
「リンカーン大統領が奴隷を解放してからすでに100年、いまだに彼らの子孫は完全に解放されていない。いまだに不公平のカセから解き離されておらず、いまだに社会的・経済的圧迫から開放されていない。そして、アメリカはどんなに希望や誇るべきものがあっても、そのあらゆる市民が自由になるまでは、完全に自由になることはできないのである」


1964年10月14日、公民権運動での業績が評価されノーベル平和賞受賞が決定しました。(受賞は12月10日)
これは史上最年少の受賞であり、黒人としては三人目の受賞でした。
1968年4月4日に、遊説活動中にテネシー州メンフィスで凶弾に倒れました。
"I'm over the Mountaintop"(私は山頂に達した)を遊説後、モーテルのバルコニーで白人男性ロイに撃たれ死亡しました。
39歳の若さでした。
現在、このモーテルはキング牧師が滞在した棟の外観だけを残し、全体が建て替えられ、The National Civil Rights Museum(公民権展示館)となっています。

1983年より、彼の誕生日(1月15日)に近い1月第3月曜日が「マーティン・ルーサー・キング・デー (Martin Luther King, Jr. Day)」として祝日になっています。
(これは3連休にして経済効果を上げようとしたもので、最近日本でも同様な休日があります。)
個人の名前が祝日となっているのはアメリカ大陸発見者のクリストファー・コロンブスとキング牧師の二人だけです。
偉大な大統領ジョージ・ワシントン(2月22日生れ)とアブラハム・リンカーン(2月12日生れ)は一緒にPresidents' Day (大統領の日)として2月第3月曜日に祝われています。
別々に祝日として祝われていましたが、二人の誕生日が近いことから制定されました。
(二人だけでなくアメリカの歴代大統領達を祝う日でもあります。)
キング牧師の運動がアメリカのみならず全世界に多大な影響を与えたことが分かります。

アメリカの祝祭日
1月1日      New Year's Day 元旦
1月第3月曜日 Martin Luther King Jr's Birthday キング牧師誕生日
2月第3月曜日 Presidents' Day 大統領の日
5月最終月曜日 Memorial Day 戦没者追悼記念日
7月4日 Independence Day 独立記念日
9月第1月曜日 Labor Day 労働感謝の日
10月第2月曜日 Columbus Day コロンブス・デー
11月11日 Veterans Day 退役軍人記念日
11月第4木曜日 Thanksgiving Day 感謝祭
12月25日 Christmas クリスマス
上記はアメリカ連邦政府が定めた休日で、ほとんどの州がこれらの祭日を休日にしています。
この他に各州の定めた祭日があり、ワシントンやリンカーンの誕生日を独自に祝日としている州もあります。

私には夢がある(I have a dream.)
私は同胞達に伝えたい。今日の、そして明日の困難に直面してはいても、私にはなお夢がある。それはアメリカン・ドリームに深く根ざした夢なのだ。つまり将来、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等である」というこの国の信条を真実にする日が来るという夢なのだ。私には夢がある。ジョージアの赤色の丘の上で、かつての奴隷の子孫とかつての奴隷を所有した者の子孫が同胞として同じテーブルにつく日が来るという夢が。

私には夢がある!
今、差別と抑圧の熱がうずまくミシシッピー州でさえ、自由と正義のオアシスに生まれ変わり得る日が来るという夢が。私には夢がある。私の四人の小さい子ども達が、肌の色ではなく内なる人格で評価される国に住める日がいつか来るという夢が。

私には今夢がある!
人種差別主義者や州知事が連邦政府の干渉排除主義を唱え、連邦法の実施を拒否しているアラバマ州にさえ、将来いつか、幼い黒人の子ども達が幼い白人の子ども達と手に手を取って兄弟姉妹となり得る日が来る夢が。

私には今夢がある!
いつの日にかすべての谷は隆起し、丘や山は低地となる。荒地は平らになり、歪んだ地もまっすぐになる日が来ると。「そして神の栄光が現れ、すべての人々が共にその栄光を見るだろう。」

これが私達の希望なのだ。この信仰をもって私は南部へ戻って行く。この信仰をもってこそ絶望の山からも希望の石を切り出すことが出来るのだ。この信仰をもってこそ私達は祖国にうずまく不協和音を人類愛のすばらしい交響曲に昇華することが出来るのだ。この信仰をもってこそ、自由がいつか来るのだということを信じながら、私達は共に働き、共に祈り、共に苦しみ、共に投獄され、共に自由のために立ちあがることが出来るのだ。そしてその日が来れば、その日が来れば神の民はみなおしなべて、新しい意味をこめて歌えるのだ。「我が祖国よ、美しい自由の国をたたえ私は歌う。父が骨を埋めた国、開拓者の誇りとする国。すべての山々から、自由よ鳴り響け」と。真にアメリカが偉大な国となるためには、これが実現しなければならない。

ニューハンプシャーの山々の偉大ないただきから自由の鐘を鳴らそう。ニューヨークの悠々しき山々からも、ペンシルヴァニアにそそり立つアレゲニーの山からも、自由の鐘を鳴らそう。雪を頂くコロラドのロッキー山脈からも、カリフォルニアのなだらかな山々からも、自由を鳴り響かせるのだ。それだけではない。ジョージアのストーンマウンテンからも、テネシーのルックアウトマウンテンからも、ミシシッピーのすべての丘やほんの小さな塚からも、「すべての山々から、自由の鐘を鳴らす」のだ。

そうすれば、私達が自由を鳴り響かせば、すべての村、すべての集落から、すべての州、すべての町から、自由の鐘を鳴らせば、すべての神の民が、黒人も白人も、ユダヤ人も、非ユダヤ人も、プロテスタントもカトリックも、すべての人々が手に手を取ってあの古い黒人霊歌を共に歌える日がより早くやって来るのだ。「やっと、やっと自由になれた。全能の神に感謝しよう。やっと自由になれたことを」と歌える日が。
木山ロリンダ・斎藤真由美訳

1982年頃アトランタに行きキング牧師が住んでいた家を訪ねました。
そこはアメリカ南部の典型的な住宅街でした。
キング牧師の家は大きな家で、中に入って見学できます。
ダウンタウンからそれほど遠くなく歩いて行ったような気がします?
リビングか執務室か覚えていませんが、ピアノがあったのを覚えています。
「日本から来た」と言ったらすごく歓迎されました。
近くにはキング牧師の業績をたたえる記念館もあります。

写真左はキング牧師の家、右は執務室でガンジーの写真が飾ってあります。

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1 コメント

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Unknown (PCフレンズ池田)
2007-08-31 08:31:54
ニューヨークの旅をしたいです。
歴史を交えながらの先生引率の旅が実現出来たら
私の旅行は終えても良い位の期待度です。
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