ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

171、史上最速の男

2008年08月17日 | Weblog
私の中では東京オリンピックで優勝したボブ・ヘイズ(アメリカ)選手です。
「褐色の弾丸」の異名をとり、バファローが怒涛のように走る姿に似ていて、グイグイ前に進みます。
最近は流れるような華麗なフォームの選手が多くなっていますが、ヘイズは野性的で本能で走っているような感じでした。
記録は10秒00ですが、当時と今日では条件が違います。
東京オリンピックでは「アンツーカー」と呼ばれる赤土のトラックで、基本的には土を固めてできているものでした。
現在は特殊な反発力の強い合成ゴム(ウレタン)できていて、高速トラックと言われています。
シューズ、スターティング・ブロックなども発達していて、当時のものとは比べ物になりません。
科学的トレーニングと専門のコーチによって最高の環境が与えられています。
そして何よりも違うのは計測方法です。
ピストルの煙を見て人間がストップウオッチを押し、胸がゴールラインに触れた瞬間に再びストップウオッチを押す手動でした。
現在の電動式に比べ0.2秒は遅くなると言われています。
ヘイズ選手に現在のトレーニング、最高の条件で走らせたらどんな記録を出すか。
100mで優勝した走りもすごかったのですが、400mリレーでのアンカーの走りは驚きでした。
6位でバトンを受け取ると、あっという間に前を走る5人を一気に抜き去ってしまいます。
そしてゴールテープを切ると同時に青空に向かってバトンをポーンと投げ上げたシーンは印象的です。

ニューヨークで陸上の全米選手権が行われたとき見に行きましたが、ヘイズのような走りの選手はいませんでした。・
しかし最近、ダイナミックで力強い走りをする選手が現れました。
今年の5月31に9秒72の世界記録を作り、北京オリンピック男子百メートル決勝で、自分の最近持つ世界記録を0秒03更新する9秒69で金メダルを獲得したウサイン・ボルト(ジャマイカ)選手です。
196センチ、86キロの恵まれた体を奔放に動かし緊張感とは無縁の型破りな走りです。
今までにないタイプのスプリンターでまだ21歳、どこまで記録を伸ばすか楽しみです。

ヘイズは、東京オリンピックを最後に引退し、NFL(アメリカン・フットボール)のダラス・カウボーイズに入団します。
俊足のワイドレシーバーとして活躍し、プロボウルにも3回選出されています。
スーパーボウルにも2度出場し、1971年シーズンにはスーパーボウル優勝も経験しています。
オリンピックの金メダルと、スーパーボウル・リング両方を獲得した唯一の選手です。
 *ワイドレシーバー:クオーターバックが投げるボールをキャッチし、タッチラインに向かってひたすら走るポジションで、何よりも走力が必要でスピードと瞬発力も要求されます。
ボブヘイズの100m、400mリレーの走り。(東京オリンピック)You Tube

170、42.195

2008年08月13日 | Weblog
過酷な数字。
言わずと知れたマラソンの距離です。
女子マラソン史上初のオリンピック連覇を狙っていた野口みずき選手が左太ももの筋肉損傷のため、北京オリンピックを欠場することになりました。
7月上旬からスイスで高地合宿を行っていましたが、左足の痛みを訴えて今月4日に帰国、精密検査を受け出場を断念したようです。
男子選手をもしのぐ練習量をこなし、1日50キロ以上の走りこみ、高地でアップダウンの多いコースでの練習、フォームの改造など連覇に向けた過酷な練習で疲労が蓄積し、さらに精神的な重圧も加わり、本番直前で悲鳴を上げてしまったようです。
シドニーオリンピックで優勝しアテネで連覇を狙った高橋尚子選手も練習の虫といわれ人一倍練習したようです。
選考会前の記者会見で、やせ細ったQちゃんを見たとき「どうしたの?」と思いました。
案の定後半失速し代表の座を逃して連覇の夢は絶たれました。
人と同じことをしていては勝てないし、過酷なトレーニングは故障のリスクが高まります。
両選手共直前まで「今までで最高の状態」と言っていました。

オリンピックの女子マラソンで思い出すのは1984年開催のロサンゼルスオリンピックでの2人の選手です。
1人は優勝したジョ-ン・ベノイト選手です。
積極的に飛び出し優勝候補のグレテ・ワイツ(ノルウェー)選手、イングリッド・クリスチャンセン(ノルウェー)選手を引き離し独走態勢に入りました。
「これでは最後まで持たない」と思いながらテレビを見ていましたが、そのままゴールに飛び込み、記念すべきオリンピックの女子マラソン初代金メダリストとなりました。
「女子選手には危険過ぎる」という理由で長年オリンピックでは開催されていなかった女子マラソンがこの大会から公式競技となっています。
もう1人は脱水症状でフラフラになりながらトラックを歩くガブリエラ・アンデルセン(スイス)選手です。
意識モウロウとなりながらも係員に対しゴールする意思表示をしていたので止めることは出来ませんでした。
医師は彼女がまだ汗をかいていたのを見て、体の恒常性が保たれていると判断し、ゴールラインを割るまで続けさせることにしました。
彼女の右足はほとんど動いておらず引きずるようで、右手はぶらつき夢遊病者のようになりながら、競技場の大観衆の声援に後押しされ、競技場に入ってから5分44秒後、2時間48分42秒、37位でゴールし係員に抱え込まれました。
後に、「他のマラソン大会なら棄権していました。でも、オリンピックの歴史的な大会だったので、どうしてもゴールしたかった」と語っています。
8月開催のため酷暑の中でのレースでした。
42.195という数字には多くのドラマがあります。
北京オリンピックのマラソンも8月開催、どんなドラマが待っているか?

169、オリンピック

2008年08月10日 | Weblog
8月8日、北京オリンピックが開幕しました。
日本人選手の活躍が期待されます。
オリンピックで思い出すのは“東京オリンピック”で、私が高校1年のときでした。
叔父が陸上関係の仕事をしていたので、国立競技場のチケットを手に入れてくれました。
東京には中学のバス旅行で行ったくらいで、電車で行ったことは無かったので無事に行けるか心配でした。
1年ほど前押し入れの整理をしていたらそのときのプログラムが出てきました。(このブログを書くので捜したが見つかりません。)
中を見るとその日行われたほとんどの競技の結果が書き込まれていました。
私は学校でもあまりノートをとらなかったので意外でした。

この日印象に残っているのは男子200メートルのヘンリー・カー選手と棒高跳びで、今もはっきり覚えています。
ヘンリー・カーは流れるようなフォームでの華麗な走りが印象的でした。
200mは20秒3のオリンピック新記録で優勝しました。
4×400mリレーにはアンカーとして出場し、3分00秒7の世界新記録で2つめの金メダルを獲得しました。
棒高跳びはアメリカのフレッド・ハンセン選手とドイツのヴォルフガング・ラインハルト選手の一騎打ちでした。
6時頃千駄ケ谷の国立競技場を出ましたがこのとき試合の真っ最中でした。
9時半ごろ家に着いたら戦いはまだ続いていたので驚きました。
続きはテレビで見ました。
決着がついたのは夜10時過ぎでハンセン選手が5m10で優勝しました。
5時間半にもわたる激闘は棒高跳び有数の名勝負として今も語り継がれています。

168、ベーグル(Bagel)

2008年08月06日 | Weblog
ベーグルは発酵させた小麦粉の生地をドーナツの形にし、茹でた後に焼いて作られます。
ベーグルの最大の特徴は「茹でる」ことで外側はパリッとしていてハード、中は柔らかでモチモチした歯ごたえがあり、噛めば噛むほど味が出てきます。
普通のパンに比べ腹持ちもよく、満腹感もあります。
ゴマ、ニンニク、オニオン、ライ麦、それらを混ぜたものなどいろんな味があります。
また、生地にシナモンやレーズン、ブルーベリー、クランベリーなどを加えてさまざまな味に焼き上げます。

ベーグルの起源は1683年ウィーンのユダヤ人パン屋によるものとされ、1880年代にユダヤ人の移民によってニューヨークにもたらされ広まったので、ユダヤ人のパンといわれています。
今ではニューヨーカーには欠かせない主食となっています。
そのまま何も付けずに食べても美味しいのですが、バター、クリームチーズ、ジャムなどを付けますが一番ポピュラーなのはクリームチーズです。
ハム、スモークサーモン、トマト、タマネギなどをスライスしたベーグルにはさんでサンドイッチのようにして食べます。
卵や牛乳、マーガリンやバター等の動物性の材料を使用せず、基本的な材料は、小麦、塩、イースト、水のみで普通のパンに比べ、脂肪・コレステロールが低くなっています。

最近日本でも低脂肪・低コレステロールのヘルシーブレッドとして若い女性を中心に注目を浴びるようになっています。
ベーグルを販売する店も増えていますが、本場のベーグルと比べると食感、歯ごたえがいまいちです。
ベーグルは、冷凍保存が可能で、パンを焼き上げた後、急速冷凍させると、うまみや水分を逃がさず、焼き立てのおいしさをぎゅっと、閉じ込めることができます。
近所の輸入食品の店ではニューヨークから冷凍ベーグルを輸入していて、解凍してトーストすれば外はカリッ、中はモチッとした焼きたての食感がよみがえります。

167、「ネイサンズ」ホットドッグ

2008年08月02日 | Weblog
コニーアイランドと言えば「Nathan's」ホットドッグが有名です。
1916年ニューヨークのコニーアイランドでネイサン・ハンドワーカーが妻アイダの考案したビーフ100%のホットドッグ・スタンドを出しました。
これが世界最古のファーストフード店で、ホットドッグの元祖と呼ばれています。
パリッとした食感で、たっぷりのマスタード(辛くない)とケチャップを付けトッピングを乗せて食べます。
私の好きなトッピングはキャベツを細く切ってすっぱく煮たものです。(何て言ったか思い出せない)
ホットドッグといえばハンバーガーと並ぶアメリカの国民食でいろんな味がありますが、「Nathan's」が最高です。
前ニューヨーク市長のジュリアーニ氏も「Nathan's」が世界最高のホットドッグであると言っています。
1939年にイギリスのジョージ6世とエリザベス王妃が訪米した際に、ルーズベルト大統領が『アメリカを代表する味』として「Nathan's」のホットドッグを紹介したというエピソードがあります。
2000年にはNYヤンキースのオフィシャルホットドッグになりました。
野球場では右手にホットドッグ(ハンバーガーではなく)、左手にコーラ(又はビール)が似合います。

日本に帰って15年経ちますが、アメリカの味が無性に恋しくなることがあります。
ケンタッキーやマクドナルドはどこでも食べられますが、美味しいホットドッグにお目にかかったことはありません。
2003年の12月18日、「Nathan's」の1号店が‘原宿’にオープンし、チェーン店を展開しています。
ケンタッキーやマクドナルドなどに比べ、ファーストフードの元祖としてはあまりにも遅い日本上陸です。

ちなみに、7月4日のアメリカ独立記念日に行われるホットドッグ早食いコンテストは「Nathan's」ホットドッグを、10分間で何本平らげることができるのかを競うものです。
日本の小林尊さんが2006年まで6連覇しました。
昨年と今年はアメリカ人のジョーイ・チェスナットさんが優勝しています。
この2人がシンガポールで行われたマレー料理、焼き鳥サテの早食い競争で対決し小林さんが優勝しています。
次は何の早食いで対決するのか興味あるところです。