ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1749、バットを置く

2012年12月29日 | Weblog
松井秀喜選手がバットを置きました。
日本で10年、大リーグで10年、日米通算20年間活躍してきましたが27日(日本時間28日朝)、ニューヨーク市内のホテルで記者会見し、現役引退を表明しました。(上の写真)
38歳でまだやれそうですが「チャンスをもらいながら、結果が出せなくなった」と、引退を決意したようです。
10年目の今季は所属先が決まらないまま開幕を迎えました。
シーズン途中でレイズとマイナー契約を結び、メジャー昇格を果たしましたが、試合に出たのは34試合で、打率・147、本塁打2、打点7に終わり、7月25日に戦力外通告を受けていました。

1992年のドラフトで4球団が1位指名する中、巨人の長嶋監督が当りくじを引き当て、巨人に入団しました。
1993年、東京ドームでライトスタンドに放った初ホームランの弾丸ライナーは今も鮮明に覚えています。
巨人の4番として活躍していました。
2002年オフにFA宣言し、2003年にヤンキースに移籍しました。
デビュー戦でいきなり満塁本塁打を放ち、ヤンキースでも4番を打ちました。
2009年のワールドシリーズではMVPを獲得しました。
その後はエンゼルス(2010年)、アスレチックス(2011年)でプレーしましたが膝の故障などもあって思うような活躍はできませんでした。
超高校級選手として甲子園で5打席連続敬遠の伝説を作り、巨人の4番として本塁打王、打点王各3回、首位打者1回、シーズンMVP3回受賞など輝かしい記録を残しています。。
日米通算507ホームラン、通算安打数2643など記録も素晴らしいものがありますが、記憶(心)に残る選手でした。
特筆すべきはその人柄で、多くの人に慕われました。
つわもの揃いのヤンキースでもチームメートから愛されました。
引退の報に元チームメートのジーター選手は「ヤンキースの多くのチームメートの中で、ヒデキはお気に入りの選手の一人で、彼を大いに尊敬している。彼の存在は2009年にワールドチャンピオンになれた大きな理由なんだ。」と功績を讃えました。
それを象徴するのが下の写真です。

2010年エンゼルスに移籍した松井がヤンキースタジアムに来たとき、敵となった松井をかつてのチームメートが迎えています。(右で抱き合っているのがアレックス・ロドリゲス、左で肩に手を置いているのがデレク・ジーター)

巨人時代の監督、長嶋茂雄終身名誉監督は「現代で最高のホームランバッターであった。」と称賛しました。

来季に向け日本の数球団からオファーがあったようですが「10年前の松井秀喜を見せられなくなった。」と語っています。
ファンもゴジラのままの雄姿を記憶に残しておきたいと思います。
大リーグに行くときの記者会見で「裏切り者と言われるかもしれない。」と語っていたのが印象的です。
でも、そう思った人は誰もいないと思います。
さらに、「命を懸けて頑張りたい。」とその決意を語っていました。
このとき日本で再びプレーすることはないと心に決めていたようです。
日米での経験を生かし、今後は指導者として活躍することを願っています。

*このブログに一番多く登場したのは松井選手かも知れません。
全く関係ありませんが、私がアメリカから帰国したのが1993年3月で、松井が巨人でデビューしたのはそのすぐ後です。
その10年後松井はニューヨークに行きます。
ヤンキースタジアムは松井にとって特別で、忘れられない球場になったと思います。
松井は新旧二つのヤンキースタジアムでプレーしました。
ヤンキースタジアムは私にとっても思い出深い球場です。
ヤンキースタジアムの位置は「6、大リーグが開幕」を参照