ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1723、ゼロ戦の前で

2012年12月03日 | Weblog
昨日(12月1日)、アメリカで製造され日本に来たハーレーが津波で流され、故郷アメリカで展示されている、と書きました。
昨日から所沢航空発祥記念館でゼロ戦が展示されています。
日本で製造されアメリカに渡っていたものです。
1944年に製造されたゼロ戦で米海兵隊がサイパンで接収し、米国プレーンズ・オブ・フェーム航空博物館所有のものです。
このゼロ戦は78年、95年に次いで3度目の来日で。今回は来年3月31日まで一般公開されます。
バイクを見た友人が思わず手を合わせたように、ゼロ戦の前で「手を合わせる人」が多くいることと思います。
このゼロ戦にも多くのストーリー、涙があったことでしょう。

今回展示されたのは製造当時のエンジンを搭載し、現存する飛行可能な唯一の機体です。
エンジンの音も聞くことができるそうです。
このニュースを聞いたとき「エンジンの音 轟々と」と歌われた「加藤隼戦闘隊」が浮かんできました。
私は戦闘機には詳しくないので歌のエンジン音がゼロ戦のエンジン音かどうかは分かりません。

10年ほど前に亡くなったおじさん(おじいさんの弟)は太平洋戦争時、戦闘機に乗っていました。
埼玉県(所沢かどうか分かりません)で訓練を受けていましたが、戦地に行く前日に上官から故郷に挨拶に行って来いと言われたそうです。
家の上空に来て何回も旋回し、帰るとき左右の羽根を上下に揺らして最後の別れを告げたそうです。
このとき、二度と故郷には帰れないと思っていたのかもしれません。
このおじさんは無事帰ってきましたが、戦場では壮絶な戦いがあったようです。
生死の境を潜ってきたおじさんは生まれた家に愛着があったようです。
隣町に住んでいましたが私が子供の頃、月に2~3回私の家に来ました。(自転車で1時間くらいかかった)
話上手でアメリカ軍の戦闘機との銃撃戦や。片翼をもがれジャングルに不時着したときの話などを臨場感たっぷりに話してくれました。
何時間も聞いていても全く飽きることがありませんでした。
日本に帰った後、航空機会社から「パイロットとして来てくれないか」という話があったそうですが、飛行機とは関係ない仕事をしていました。

196、空母イントレピッド」を参照