ニューヨークの想い出

ニューヨーク生活20年間の想い出を書いていこうと思います。

1143、ビン・ラーディン容疑者殺害

2011年05月03日 | Weblog
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロの首謀者とされる、ウサーマ・ビン・ラーディン容疑者がパキスタンの首都イスラマバード郊外の邸宅で米軍によって殺害されました。
同時多発テロは航空機を使った前代未聞のテロ事件で、全世界に衝撃を与えました。
その後アメリカはテロとの戦い押し進め、アフガニスタン・イラク戦争へと突入していき、アメリカ対イスラム世界の戦いという構図を形成することになります。

ブッシュ政権はテロの首謀者をウサーマ・ビン・ラーディンとアルカイーダであると断定し、ビン・ラーディンとアルカイーダを匿うアフガニスタンのタリバーン政権への軍事攻撃を開始しました。
アメリカ軍の攻撃でアフガニスタンのタリバーン政権は崩壊しましたが、ビン・ラーディン容疑者を捕らえることはできませんでした。
アメリカ軍はビン・ラーディン容疑者の行方を必死に探していました。
アフガニスタン・パキスタン国境地帯の洞窟、パキスタン国内などの情報がありましたが、正確な居場所は掴めませんでした。
時々インターネットやテレビを通じ、アメリカとの戦いを続けるように、というメッセージをイスラム世界に発していました。
今年9月に同時多発テロから10年目を迎えますが、その直前での殺害でした。
ビン・ラーディン容疑者の遺体はアフガニスタンに運ばれ、その後、海に葬られたと報じられています。

このニュースを受け、ワシントンやニューヨークでは、市民数千人が集まりました。
ワシントンのホワイトハウス前には、1日午後10時40分(現地時間)にビン・ラーディン容疑者死亡の第1報が流れた直後から人が集まり始め、オバマ大統領が深夜の会見を行うころには星条旗を掲げ、「USA、USA」と連呼しました。
ニューヨークのタイムズスクエア周辺や、ワールド・トレード・センター跡地(グラウンド・ゼロ)にも多くの人が集まり、歓喜の声を上げ、涙ぐむ人もいました。


同時多発テロによってアメリカ人約3000人が犠牲となりましたが、その後のアフガン・イラク戦争などでアメリカ軍、イスラム世界に、それをはるかに超える死者がでました。
一般市民も多く犠牲者になりました。
ビン・ラーディン容疑者やアルカイーダの指導者は自爆テロを多発し、対アメリカ戦争を推し進めてきました。
聖戦の名のもと若者を自爆テロ実行者として送り、女性は怪しまれない、という理由で多くの女性も犠牲になりました。
ビン・ラーディン容疑者の殺害で、報復のテロが起こらないことを祈ります。

同時多発テロについては「584、トレード・センター略図」などを参照