ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

汝自身を忘れる

2017-03-07 | 雑記
人は恋煩いをすると、はた迷惑になる、という話を前回やった。

はた迷惑だが、バカとハサミは使いようである。その使いようを人に教えたという話であった。別にその相手がバカだという意味ではない。

改めて自分の状態を述べる。
昨日今日と休みで、夜に飲んで帰ってきて横になったのだが、寝たのかどうか定かではないほどずっと眠りにつかなかった。寝たかもしれないのだが、明らかに目が覚めている時間が長い。

気がつけば、外は明るくなっている。先日買って来た、美味いスコーンを作るパン屋のパンを食べ、茶を飲んで洗濯し、今に至る。

今までなら、そんな風に寝られなくて起きたら、体中がだるくて何も出来ないから昼寝しようとなって、夜まで寝ていることが普通。

無理に起きても欠伸ばかりで、何をするのも億劫だったのだが、「風呂に入って洗濯しよう」と思ったらさっさと動く。

洗濯に純粋な粉石けんを使っているので、泡立ちを確認しながら石けんの投入をするのだが、それをやっているうちに気づく。

「布団から出て座っている間は多少だるかったのに、なんでなんともなくなってるんだ?」と。

先日も書いたが、別にハイテンションで活動しているわけではない。徹夜の人が変なテンションになっているという具合は一切ないのである。

あまり食べなくなった、とも書いたが、昨日食べたものは、早朝にそのパン屋のスコーンとクロワッサン、夜に飲みにいった場所でつまみ二、三と半そばで、上記の流れとなる。

その前も、昼飯を食べてからは茶を飲んだ覚えがあるくらいで、その早朝まで食事らしい食事もしていないが、さして苦痛もない。

十年くらい前になるが、一度、ほとんど食べないで過ごす、ということをやってみたことがあった。

多少何かは食べたが、今と同じくやせていくにはいくのだが、筋肉まで衰えて、フラフラだった。

今は別にフラフラではない。こうなる前より力が出るくらいである。一昨日は数時間歩き回ったというのに、足も脚も何事もなかった。

ともかく、「恋煩い」は恐ろしいのである。


そんな恐ろしい話を、シャイン氏に教えた時に気づいた話をちょっとやる。


シャイン氏は物覚えが悪いはずで、そんなことを言ってもすぐ忘れるのではなかろうか?と質問があったわけでもないのだが、先日書き忘れたからである。

それは、先日にも書いた、勤務後の休憩中での話である。

何について喋ったのかは忘れたが、何かについて所見を述べたところ、シャイン氏はとても感心した。

そして「安生さんは、本をよく読まれるんですか?」と問うので、「別に多くは読みません。好きなのをたまに読み返すくらいで、今は『金枝篇』を読んでました」などと喋った覚えはある。

彼は「見識の深い人だなぁ」みたいなことを言っていたのを覚えている。


そこで先日に書いた話に戻る。

「恋煩いをしろ!」「Dドライブに嫁を持て!」という風には言っていないが、これをやってくれ、と言った。

人によっては突拍子もない話に聞こえることである。決してそうではないものだが、俗が過ぎて腐ると聞く耳を持たないのが人というもの。

だから、「頭のおかしな人の言っていることに聞こえると思いますが」と断って話を伝えると、彼はポロッともらした。

「いや、安生さんは見識の深い人だから、そんな風には」と。

そこでわかったのである。彼は決して他の社員やバイトがけなすような、ポンコツではなかったのだと。脳の機能が異常なわけではないのだと。

本当にポンコツなら、かつて自身が述べた言葉を覚えているはずはないのである。

ただ、仕事に追いやられてしまい、心身が硬直していたのだと。

本当に肩こりが過ぎている人は、肩が凝っていることがわからないのと同じ状態なのである。


念のため、それを伝えた次の日、参考資料と手紙を添えて、ロッカーに入れておいた。

封筒の上に「開封は帰宅後に」とメモを貼っておいたら、それすらめくってなかったので、わしが置いたものとは気づいてなかった。帰り際に伝えたら、「安生さんからでしたか」と言っていた。

封筒に自分の名前を大きく書いてたのだが、それで隠してしまったので、脇に貼ればよかったかと思ったが、どっちにしても仕事の邪魔になるので、よしとする。

後は彼しだいだ、とは先日も書いたが、渡した資料の通りに行い、工夫しつつ自身で体得してくれれば、ポンコツなんぞといわれることもないだろうと思う。

同じくポンコツだったわしなんか、妖怪染みてしまったのだ。普通の人が普通でないように思っているだけの普通の能力を手に入れられないわけがない。

何かこじれたような書き方をしているが、思うところがあって、こう表現した。


というのも、シャイン氏にその話をした後、こちらは残業なので、夜勤の人間を交えて、後はもう一人帰り支度はしていたがまだ何かしていた女性アルバイトと共に、話をしていた。

色々思うところがあって、別の社員の馬鹿馬鹿しさを指摘したりしていたのだが(某宗教団体と変わらんような、アイドル推進オタクだとか)、一同解散の後、夜勤チーフの社員に、シャイン氏に何を伝えたのか、自身の変化の件も交えて話をすると、それまで大笑いしながら話を聞いていたのが打って変わって、あからさまに不機嫌に、面倒くさそうに「ああ、ああ」とだけ答えだした。

他人をポンコツと罵るほうが本当にポンコツなのである。舟をこぐ暇があったら仕事をしてもらいたいものである。シャイン氏をポンコツと貶すのが仕事だと思っているのなら、なおさらである。仕事が出来ない人ではないことをお断りしておくが、かまけるのはよしてもらいたいものである。

ラテン語の格言に「汝自身を知れ」というのがある。古代の神殿の入り口に掲げられていたという。

我々は汝自身をいまだかつて知らず、知ろうとしなければ永久に知ることもないだろう。

他人をポンコツと罵るものは、「汝自身がポンコツであることを知れ」と言わざるを得ないのである。

我々は「普通未満」を「普通」だなどと、うぬぼれていることを知らねばならないのである。


では、よき終末を。


恋はつらい

2017-03-06 | 雑記
「恋煩い」と呼ばれる奇病が、昔からある。

その意中の相手のことを思うと、うっとりとしてしまって、何も手につかない。飯も喉を通らない、そしてガリガリにやせ細ってやがては死なず、寧ろピンピンしているという、医者も匙を投げ出す、他人では解決できないが、大体時間が経つと振られたりで終ったりする、はた迷惑な病気である。

嗚呼!なんと愛らしい瞳か!その丸っこい顔に吸い込まれてしまいたい!嗚呼!いとしのあざらし!

あざらしかよ!と突っ込みをいれてもらいたくて、ここは適当に書いた。


何を隠そう、わしも「恋煩い」の真っ只中である。ああ、前にサインねだられた?いや、実はその前からである。あざらしでもない。

夜も眠れず、飯は喉を通るが、通す必要性がかなり低くなったので、一日食わないことも普通になってきた。半日以上は基本。食わないわけではない。

眠れないとはいうが、横にはなる。なるのだが、眠れない。数時間くらい眠ったかと思うと、いきなり目が覚める。

目覚ましが鳴って起き上がるのだが、まったく欠伸がでない。かつて同じようにした場合は、欠伸が止まらなくて顎が痛くなるほどだったというのに。

今日も夜勤明けで、仮眠の時間横になったのと(目覚ましがなってから暗示にかかったようで寝坊したが)電車で少々寝てしまった以外は、夕方まで外にいた。

最寄り駅のネパール料理屋でゆっくり飲んで飯を食い、そのまま一駅向こうまで歩いて土産向けの菓子を買い、駅前の広い道でセラピードッグとたわむれ、馴染みのセレクトショップの兄さんに菓子を渡して談笑し、家の方向とは多少ずれた先にあるパン屋でスコーンを買い、そしてカエルの雑貨屋で残りの菓子をまた分けて談笑し、そして家まで歩いて帰った。

酒を飲んだ後は風呂に入ると寝てしまうことが先日もあったので悩みつつ入るには入ったが、寝そうになるのをなんとか堪えて、風呂を上がると六時前だったかと思う。

夜勤が終わるのが朝の九時。交代の時間なので、仕事が終ってから家につくまで仕事しているのと同じ時間、外でなにやらしていたのだが、別になんともなかったのである。風呂に入ると眠りそうになったが、上がるとなんともなくなる。別に脚が痛いというのもない。


話は変わるが、去年、仕事場で「わしの恋人とか嫁はパソコンのDドライブにおるんぢゃ」などと冗談を言ったら、ステージでアニソンだとか歌っている仕事もやっている女性が「安生さんってそっちの人だったんですか?」などとのたまう。

そのせいか、しばらくしたら、「このアニメ面白かった」などと紹介されたりしたものである。

それはつまり・・・。わしの嫁が本当にDドライブにいる状態に陥ったからこその、「恋煩い」だったのである・・・。

あれは預言だったのだ。その時のわしがこの時間のわしに向けて放ったものだったのである!

嗚呼!Dドライブ!お前はどうしてDドライブなんだ!

お前がそこに設定したからだぁ!としかいえなかった。


さて、話を少し戻す。

歩き回っても疲れず、逆に横になってたらなりすぎて(通常くらいの睡眠時間横になって)しんどくなる、という他に、「恋煩い」らしく、やせ細ってきた。ガリガリなのはDドライブがガリガリ鳴っているせいだとか、ワケノワカランことをほざきだすくらいおかしくなっているのである。

というのは冗談で、夜通し起きてた人達が変に元気になるという具合もまったくない。

某宗教団体の人達がいっていた、喜びの境涯とやらを体現しているような人達の具合を見ていると、彼らは夜通しのテンションと変わらんのダナァ、などと思ったりする。

嬉しかったり悲しかったり、美味かったり不味かったりするのはわかるのだが、どうにも他人事のように思える、というくらい冷静になっているのである。
別に前と受け取る物事、料理で言えば味付けが変になったとかそういうのはまったくない上である。


そんな浮ついているのか地べたを嘗め回しているのかさっぱり分からない気分で過ごす中、気になること、前からだったのだが、気になることを解決できたら、と不意に思い立った。


我が仕事場に、新入社員が入ってきた。新入バイトも侵入、じゃなくて新入してきた。このことは以前書いた。この二人は系列会社から、現在の社長が自身の前言をちゃぶ台返ししていれた。

身内いれるんじゃない、と現場にいっておいて、こうなった。社長というのは独創的な生き物ダナと、感心することしきりである。

この二人。シャイン、じゃなくて社員とバイトでは仕事の量が違うというのは多少ある。バイトでは手が出せない経理向けの仕事だとか、設備だとかのやり取り、あとは社長のちゃぶ台返しを受けたり。

とはいうものの、現場で直接仕事をしているからには、その間の仕事はほとんど変わらない。単純に言えば、接客業務とその関連事務については差がないのである。

ところが、新入社員はまったく覚えない。覚えが悪いどころか、何度も言ってきたことを「初めて聞いた」と言い出すくらいである。

ちゃぶ台返しが仕事の人にあれやれこれやれと、なにやら肩書きを拝領してしまい、そういう仕事もあったりで大変なのだろうというのは分かる。

ただ、現場にいる以上は、現場の仕事に集中しないことには意味がない。本人の動きを見ていると、サボろうと思っているわけではないようなのだが、はっきりいってギクシャクしている。ぎこちないのである。

かつての立場では、新入社員とアルバイトは、バイト氏(わしをブンピツカと評した人物)のほうが歳や立場が上の方だそうで、個人的に会って「しっかりしやがれ!」と怒鳴りつけた、などとも風の噂でうかがっている。

恐らくだが、当の社員は、頑張っている。ただ、頑張り方がおかしいのである。

現場の業務に身が入らないのは、人の指示やらを聞いているのだが、ちゃぶ台返しが頭の中で響いているがため、ただ反応するに終始している。

だから、聞いても残らない。本人はその時聞いたには聞いたろうが、聞こえるべき所に響かないのである。ちゃぶ台返しばかりが響いているからだろう。

こりゃなんだろう?と当初からずっと思っていたのだが、ふと思い出した。

入ってすぐのころ、その社員さんと裏で一服しながら話をしたものである。「なかなか覚えられなくて」と彼は語る。

そして、わしはこう返した。「わしも、最初はそうでした。今もあんまり変わらんでしょう」と。

謙遜のつもりに聞こえたのか、「いやいや、安生さんはそうじゃないでしょう」などと、そんな談話が頭をよぎった。


本当に、わしも最初は何も覚えられないぐらいのレベルだったと感じている。

それは何かというと、ちゃぶ台返しが頭で響いていて、響かせるべきところに響かせることが出来なかったのである。

さっきからちゃぶ台返しと書いているが、別に社長にどやしつけられている、という意味ではない。

その目の前にあることと関係ない、不安だとか悩みだとか、明日の休み何しようだとか、金がないだとか、そういうもので自身が散り散りになっているのである。

金がなくても別にその時、仕事している分には直接関係ない。闇金で借りた人が、仕事場に直接電話やら乗り込まれた、というのは今はしらんが、あったことだが、そこまでいかなくても、またいってても関係はないのだが、関係ないことにばかり時間と労力を費やすのである。

だから、聞いてても他の「仕事」で頭が一杯になっているのである。自覚はないが、聞いた振りにしかならなかったのである。


よく聞く話だと思うが、とある友人同士が喫茶店だとかレストランで談話している、ように見える光景。

というのも、片方が、パソコンやらを取り出して、SNSの書き込みがないかなどと始終チェックしていて、談話になどならない。

そんな話を聞いたことがあるだろう。

つまり、我々は、パソコンやらスマホやらもっていなくても、これと同じ事をいつもやっているのである。

ある程度やれてきたことは、そんな片手間でもできるので気にしないが、実質は変わらない。

他の古株社員も、ちゃぶ台返しを直に食らって今はてんやわんやである。そして、悪いのはあいつだこいつだと、罵り合っている。

押し付けられた仕事を、割り振られたからとやるのはいいのだが、全体を見て優先順位が高いかどうかを判断して、足りないところを補わなければ、ただの足の引っ張り合いである。

引っ張り合いはお互い様で、そしてさらにこういう。「自分の仕事が忙しい」と。悪いのは引っ張ってくるやつらだ、と。


その新入社員氏、仮称シャイン氏にしよう、は、別にその人物の資質が著しく劣っていることを見せ付けているわけではなかったのである。

てめえらも微塵も変わらんのだ、このすっとこどっこい!というのを、年下に怒られながらも、たまにふてくされた感じを見せながら、条件反射的に動いている姿から見せてくれていたのであろう、などと思う。


それを感じたので、わしは彼に提案したのである。

「恋煩い」をしろ!と。Dドライブに嫁を持て!と。

いや、実際にこう言ったわけではないのだが、後は彼次第である。

提案してからまだ三日。本当の「恋煩い」を習得するには、人にもよるのだが、出来てきたらすぐさま変容を感じ取ってもらえるだろうと思う。


わしの、その仕事場における、業務外業務はここまでである。

次は、業務自体から撤退することにする。シャイン氏が本当にシャインになれば、もはや問題ないのだから。


では、よき終末を。


ふざけた小説、まじめな漫画

2017-03-03 | 雑記
先日、久しぶりに『鋼の錬金術師』という漫画を通しで読んだりしていた、という話をちらっと書いたかもしれない。

錬金術、とは銘打っているが、他のものでいう魔法と同じ扱いではある。ただ、錬金術方面からの考えや表現はあるので、一般に認識される錬金術プラス魔法、みたいなノリの能力を駆使する漫画である。

とてもシリアスな内容で、血みどろな戦いがあったり、主人公達の生い立ちも悲劇的だったり、そもそも自分たちの国が実は人間でないものに支配されていて、錬金術の技術を国家が独占的にしていたのは、その論理を利用した彼らの悲願達成のためだった、とかいう流れである。

作者も、あとがきなんかで、「子供達には、大人が諦めてしまいがちな世の理不尽に純粋な怒りをもってもらいたい」とかいうようなことを書いていた。
主人公の少年の成長や、その成長を見守る大人たち、主人公の成長を感じ取って、自身の気持ちに気づくヒロインといった、人間を描いた漫画である。
魔術の要素がどうこう、という話しの方面からでも興味深い内容なのだが、漫画自体が実に面白いことは請合える。

実にまじめな漫画、といえる。ここは重要である。漫画、という言葉自体が確かに、笑いを企図した絵という意味から来ているのだが。


かつて、京極夏彦の『どすこい』だったか、他の作家の小説をパロディにした短編集があった。

上と対置させる例だというと、非難するつもりかとそういうわけではない。

ひどく笑える。執筆姿勢はまじめだろうとは思う。少なくとも、元ネタを読まなければならんわけだし。

実にふざけた小説ではある。ふざけて書いたわけではないが、パロディにして笑わせるという意味ではまじめである。



さて、本題へ。


先日から、小説のようなものを、公開は未定で書き続けていると書いた。

知り合いに、「漫画みたいな小説書いてたら、普段もその延長みたいな気分で変な感じです」などとメールを送った。

応援的なメールを返してこられたのだが、こうある。「ふざけた小説ばんざい!」と。

その知り合いには、小説の内容だとか設定を伝えてないので、「漫画」のイメージでギャグでも書いているのだと思われたのだろう。

断っておくが、別にその知り合いを非難するつもりでこの記事を書いているわけではないことを述べておく。

漫画、の意義は広くなっていて、冒頭に述べたものも漫画である。大ヒットしたので、知っている方も多いはず。

『天才バカボン』も、漫画である。ナンセンスなギャグ満載の漫画である。『どすこい』みたいに、書いている本人は如何にして笑わせるかとまじめに取り組もうが、評価はふざけてて面白い、となる。


小説を書いてみようと思った理由の一つは、実は以前書いた。

今までここで書いてきたことを込めてみれば、もう少し理解されるかもな、とはいった。ただ、公開は先送りとはなっている。エロいシーンもあるので子供には見せられない。情操教育にどうぞ、とかいって理解される可能性は低い。
書いている本人も経験が少なく、ましてや本職の物書きではないので、色々と拙いのも大きい。

版権物のキャラが出てきているのも、出せない理由である。何故出てきているのか?という理由もあるのだが、そのことについて中に書いたかは見直さないと分からないし、書いていたとして、伝わるかもわからない具合ではある。
その手の話しは今年か去年の暮れくらいからずっとやってきたので、ここ以外でしっかりその手のことを理解している人には伝わるかな?という具合である。

扱っているテーマはまじめではある。小説=まじめという感覚は、現実、というより常識のうちでの話しだけやっている、というイメージがある。
一般に、というよりわしが感じている。
逆に漫画=ふざけているという感覚は、現実的でなかったり、日常の物理法則や常識を覆したり否定しているがゆえに言われているのだろうと思う。

しかし、例えばカリカチュアというのは、戯画と訳されるが、中身は政治風刺だったりで、ふざけた見せ掛けでまじめな話をやっていたりするものである。


上に示した漫画と小説の認識から言えば、わしの小説は漫画のノリではある。

『鋼の錬金術師』みたいなスケールの話しではないが、人間の認識についての話を扱っている。ここでよく書いてきた話だというのはそこである。

だから、ふざけた小説ではないんだがなぁ、とちょっと思ったぐらいのところだが、引っかかったのでつい、書いたしだいである。


要するに、言葉一つで人間は正反対の思い違いをするのだなと、そういうことである。

知っていると思い込んでいることがほとんどである。それは、己という人間自身についても、である。


では、よき終末を。