ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

人とヒトとの間

2017-03-17 | 雑記
今日もまた、夜中上がりなので、帰りにラーメン屋に寄った。

お前そんなの食って大丈夫か?と、以前ここで書いていた話からしたらまるっきり違うことをやっているが、別に気にしていない。

仏典にも変毒為薬とかいう言葉があるくらいで、毒を薬に変えられるなら、世の中薬だらけなのである。あとは、先日も書いた、妖怪胃の頭の仕事である。

そんなバカなことをやっていると、病気になるぞ!と脅していた人にならっていたわけだが、その人はそういう精神毒とでもいうものを撒き散らしていただけだったというわけである。そういう話は例えを変えて何度もしているし、これからも何度もしようかと思う。

それはさておき。


今日はチャーシューメンにしよう、でも味玉もいいな、などと思いつつ、券を買って渡す。

替え玉が一回無料なので、柔らかめで頼んだところ、なかなかこない。

帰った客の席の片づけをしていた、替え玉を頼んだ店員に尋ねたところ、ギョッとして「すぐもってきます」と去った。

「忙しかったし、奥に伝わらなかったんだろうな」くらいに思っていた。頼んだことすら忘れていたわけではない反応だったからだ。実際に、その後来たのも頼んだとおりのものだった。

程なくして、替え玉が来たのだが、味玉が乗っている。「申し訳ない」と味玉をおまけしてもらえたというわけである。

「ああ、思った通りにしか世の中動いてないんだな」と、認識を深めたしだいである。めでたしめでたし。

昔も書いたがしらんが、国民的人気の長寿アニメと銘打たれている、家族アニメじゃなくて冒険アニメの方だが、その原作の単行本の著者近影のところにも、同じ事を書いていた。

「うまくいかないとみんながおもっていると、やっぱりうまくいかない。だから、おもったとおりになっているんだよ」と、軽い調子で書いていた。

MAGICA魔法入門カバラの人がいうには、売れっ子作家は魔術結社だとかで世界の真実を聞いているので、そこで習ったことをネタにして売れるシナリオを書いている、と指摘しているのだが、それに準じていうならば、これも世界の真実というわけだ。

それのどこが世界の真実か!とお怒りになられる方もおられよう。だが、ちょっと考えて欲しい。

腹の立つことを腹の立つように見ているから、世の中腹の立つことしか見えないのでは?

こういう、一見ありきたりな事を見逃しているから、「うまくいかない」と思った通りになっているのでは?というわけである。

その第一歩として、テレビは消そう。見てもいいけど、殺人事件だかのニュースを延々流し始めたら、消してしまおう。

言うまでもなく消したりしている人はいるが、上のように物を見ていない人も多いので、改めて言った。

消さないでいると、次に消すことになるのは、あなたの命です!とか脅かしてみるのもまた一興。


では、本題に入ろう。先日は、「吸血鬼には脳みそがない」という、ありきたりな話をした。

先日の記事を読んだ上でこう書かれたら、「そういう状態の人には脳みそがないってのか!」と怒られそうだが、怒るんなら、脳みそがないとしかいえない行動をする人を怒るべし。

それは何ゆえかという話を掻い摘んでやっていこうと思う。

知っている人も多いと思うが、伝承なんかで出てくる化け物は宇宙人だという話がある。

天使も悪魔も元は同じで、宇宙人の派閥違いだといわれている。悪魔の王だかといわれているサタンは、神に近いレベルの天使だった、ルシファーだとかルキフェルだとかいうのが、「お前クビ!」で落とされて、悪魔を率いだしただとか言われ、それと同一のもの考えられるようなった、という経緯があるそうな。

細かい話はお調べいただくとして、吸血鬼の話である。

改めて、伝承方面の吸血鬼の話を述べるとすると、人間より強大な力を持ち、その血を吸い取って長年生きながらえる。弱点も多いが、単純な力比べをすると、人間には分が悪い化け物である。

姿かたちも自由自在。霧になったり蝙蝠やら犬に化けるという。

人間より強いので、人間を見下しているのだが、お話では人間に倒されたりする。


血を吸う、姿を変える、人間を見下している。ああ、これはアレですな。アイクが広く知らしめた、爬虫類人ですな。

シェイプシフトで例えばイングランドのエリちゃんに見せかけてたり、インブリードによる憑依の強化で長年生きながらえ、実際に幼児やらをさらってその血肉を食らっている。幼児をさらって血肉を食らっている件は、かつてアイクも書いていた。

『ムーンマトリックス』に書いていたように思うのだが、血を飲むのは、人間の姿を保つ以外に、人間の血を飲むことで人間になれると思っている、なんぞとあった。神が創った人間に憧れているのだ、と言っていたのかもしれないが、この辺りはあやふやなので、余り気にしないこと。

その爬虫類人の人類支配というのは、彼奴らたちと同じ精神状態を人間に植え付けることによって行われている。

それは、猜疑心に満ちさせ、敵対心と憎悪を煽り、個体の生存本能を強く発揮させるというものである。彼奴らの精神状態がこれだと。

人間の脳にも、R複合体と呼ばれている箇所があり、最低限の生存に関わる機能を有している。脳の一番奥の辺りから首あたりにある部分だったか。ちなみに、Rは爬虫類人の英語、レプティリアンの頭文字である。正確に言えば、爬虫類の英語の頭文字。

人間が上記の状態に陥ると、そういう精神的磁場とでもいうものが惹起されるわけで、これが彼奴らの好物なのだとか。

先日書いた、「エナジー・ヴァンパイア」の理屈と同じ状態である。血も吸うし、なんだか見えないのまで吸う。吸いたい放題といえる。

こういうことを仕掛けるのは、人間を見下しているからというわけで、もしくは見下せる状態にしないと落ち着かないともいえる。

だから、人間の内輪もめ状態を維持したいわけで、色々吹っかけてくるといえる。伝承的吸血鬼が、強大な力を見せ付けて怯えさせるのと同じである。

出たついでに伝承的吸血鬼に話を少し戻す。

「吸血鬼に血を吸われた人間は、同じく吸血鬼になる」という。作品によっては同じ吸血鬼ではなく、劣った僕になったりだとか同じ状態になるには条件があったりするとかがあるが、人間ではなくなるという点では共通する。

エナジー・ヴァンパイアになる前提として、「他で吸われたから」とも書いたが、それに流されるまま、他人から奪い取って平衡を保とうという、生存本能による行動だというわけだ。

そういうことを、人類はされて、お互い繰り返してきて、そして現代に至ったといえる。ほうっておけば、この先も繰り返す予定である。

そこで、少し造語してみようと思う。同じ言葉を同じように繰り返しては、認識が混乱するからである。

吸血されていないのを漢字で書くほうとして、「人」とする。されればすぐ、「エナジー・ヴァンパイア」になる。

「エナジー・ヴァンパイア」として蠢いているほうを、カタカナで「ヒト」とする。音声で伝えるなら「人でなし」となる。

吸血されても相手にしない、他所から奪う必要もない、これらの間に立つものを「人間」と呼称しようと思う。


他所から奪う必要もない状態なんて嘘だ!人間は動物とか殺して奪っているじゃないか!とか、森に入っていった吸血鬼はのたまいそうだが、アレは以前こういっていた。

「ブリサリアンも何かに依存して生きているには違いないので、我々は森に依存することに正当性を見出している」とかなんとか。

それなら、動物殺して依存していることを否定する根拠なんぞないのである。アレの中での根拠は、「他のやつはバカだ」というだけだからだ。

ブリサリアンだとかが何かに依存しているというならば、それは物質以前のものである。

野口晴哉が『整体入門』で書いていたが、小さな種子が大きくなるのは、種子にそうなるものがあるからではなく、気がその種子が大きく育つように物質を集めてきたからだという。

鶏の実験で、卵のカルシウムは食べたものから取っているのかどうかと試したのがあって、カルシウム以外の栄養は同じになるように与えたそうだが、結局、卵は問題なく生み落とされたそうだ。母体も健康です。

だから、目の前にある物で生きてはいないのである。人間も動物も。

そして、食ったものになるというのなら、草食っている動物を食う肉食動物は、草を食っているのに等しいわけで、肉食動物の性格は上記の爬虫類人と同じような状態だというのだが、草を食う人間はそういう状態になるわけか?草食動物を食ったら草食動物になるなら、草食動物自体がそうなる。

そうではなく、元々そういう状態の「ヒト」だから、何を食ってもおかしくなっているだけに過ぎないのである。

動物から、植物から、そして他人から、命を奪いとるだけだったからだ。


そんな気の抜けた状態だから、吸血鬼と、爬虫類人と同じやり口をしている。吸血鬼に成り下がると、その脳みその中には思考回路しかなくなる。

くどいが、続ける。

アイクが詳しく語っているが、爬虫類人は人類を物質の次元に閉じ込めている。物質に依存しないといけないと思い込ませているから上手くいくやり口だと。

実際は、物理学者がこぞって語りだしているように、この世は見せ掛けなのだが、森やら地球という物質に依存するという形を堅持しないことには、「バカな人類」を見下せないので、アレはアイクを超えたと、これまた見下したわけである。

人をことさらに見下そうとするのは、実際は自分がその相手の風下にいると思っているからで、これはまさしく、腰抜けの理論というわけである。

吸血鬼も、その親玉の爬虫類人も、実際は腰抜けなのである。腰抜けにまともな脳みそはないので、吸血鬼に成り下がった「ヒト」には脳みそはないのである。

そして、思考回路しかないので、ショートして至高の思考回路になり、正に宇宙人との会話と相成る。以前紹介した、至高の思考回路も同じ流れであった。

我々は「人」でも「ヒト」でもない、「人間」を目指さねばならないのである。生れ落ちただけでは「人間」とはならないからだ。


「人間」を辞めるのは難しいといえるが、そもそも、「人間」になってなかったので、常識を超えるレベルだった。

その意味では、アレは常識を超えてはいたのだなと、感慨深くならざるを得ないのである。

では、よき終末を。