ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

無花果の徒花

2012-10-09 | 雑記
今ぐらい、丁度イチジクの時期だというので、食べたいものだと、仕事の合間に効能なんかを調べていた。


昼、駅を出て、信号が青だったら渡ろうと思っている道は赤になっていたので、横断せずに進んでいた。


近くの別の駅前に、少々大きな本屋がある。そういえばあそこの五階。思想だとか哲学だとか精神分析だとかの本が置いてあって、先日も『ムーンマトリックス』を置いているか確かめに行ったら、あることはあったが最終巻だけだったというオチだった。残りはアマゾン頼みにしよう、と思っていたのだが、とりあえず、また入荷してないか見に行ってみたが、やはり置いていなかった。

置いてあった棚の並びには、大川某だとか池田某の関係の本なんかが目立つ。他にも色々あるのだが、分かりやすい?ところはそういうところである。十把一絡げに言えばスピリチュアル系の書籍が並んでいる。


何か興味を惹かれるものはなかろうか、と見て回ったら、ある女性の著書であろうか、タイトルは『もうビニール傘は買わない』だったか、小説ではなく、生活スタイルを変えていった自叙伝的な内容である。


ふむ?と最初から捲って、序文は流し読みし、第一章に入ってすぐだった。


母親が送ってくる荷物にはいつも顆粒のだしのやつが入っていたとかいう。それを止めていった話なのだが、「小学生の調理実習の時には、お湯に顆粒の以下略」とやっていた、とある。


今さら驚くほどのことでもないのだが、学校には行かないほうがいい、じゃなくて、学校で習うことは蒙を啓くことは決してなく、暗愚を増やすだけなのだと改めて感心したものである。そこで納得したというかその本にさしたる興味があったわけでもないので、置いた。


そこでまた館内を孤独に歩き回り始める。

階段を降りて二階の文庫のコーナーへ回り、海外文学の翻訳文庫シリーズに目を向けると、以前ここでも引用した(※又引用である)、ルソーの『孤独な散歩者の夢想』がある。

仕方がないのでこれを購入し、「孤独な散歩者」になることとした。



さて、昼によく駅前で食べて帰ってしまうことが多いのだが、なにやら気が進まない。よく通る道の八百屋で果物でも、と思ったが、これも通り過ぎる。まったくもって孤独である。


「きっとあの本を買ったからだな」とは思わなかったが、行きに乗る駅の方面へ歩を向け、しばらく進むと、途中にも小さなスーパーがある。

チェーンではない、昔からある感じのお店である。よく前を通ってはいるが、名前はちゃんと確認していないのでよく判らない。

時折、果物が置いてあるなぁと思って通り過ぎてはいたのだが、今日は何となく足を止めてみると、見たことはあるが、直に見たことがないものが置いてある。

そう、イチジクが置いてあった。まあ、「JAあいち」と書かれた小さな札が差し込まれているので、普通の(慣行農法の)ものには違いない。


しかし、家の目の前のスーパーはおろか、仕事場近くの果物屋でも見たことがないこのイチジク。というわけで、それで昼食と相成った。



イチジクとは、漢字で無花果と書くが、花が無いわけではない。あの実の中に花が咲いているそうだ。独特の食感は花の味わいだという。


たんぱく質の分解酵素があるそうで、白い液体はイボ取りに使われたりするそうな。




根から養分を摂り、日を浴びて光合成をし、花は外からは見えないが果を成す。



ところで、世の中にはイチジクのように見えるが、中身がないイチジクもどきが唸るほど転がっている。

その果を成すところは本来、「成ってみるまで判らない」はずなのだが、「成ることを前提」として話が進められてきたものがある。


こういう話である。


年金財政の問題は解消していた・・・

日本が長寿国であるというのは嘘である、という話で、年金の問題に絡んでいる。本来の平均寿命は50~60歳であるという。

さてさて、年金とやらはいつもらえるのか?60歳くらいで貰い始めるはず。

そしていつぞや。年金給付の開始を70からにする、などという話が出ていた。

というわけで、中身をいってしまったようなものだが、その詳説。


壮大な詐欺



年金給付だ?六十になってからだ?その上七十になってからにするだ?わしがそこまで生きているかしらんわ!と、数年前から未納という荒業をやっていたのだが、そいつはちょっと危ないので、真似をする人が出ないように、もう一つ。


日経新聞でさえもこんな記事を出してるぞ!



余談だが、低年収の成果だろうか、「払ってないので払ってください」という程度の葉書しか来ていない。差し押さえるぞ、ではなかった。後日、免除の申請をやってみようかと考えている。



花は咲けども実を結ばない。これを徒花という。


イチジクにいたっては花が見えない。


「一般の労働者に対する厚生年金の起源は第二次世界大戦下の1942年に施行された民間企業の現業男子を対象とした「労働者年金保険」であり、戦時下における労働力の増強確保と強制貯蓄的機能を期待する目的があったとされているが、手っ取り早い戦費調達手段として導入されたとする見方もある。1944年に、現行の名称になった。」
厚生年金 - Wikipedia http://p.tl/TwzI

とあるそうな。イチジクの中身は赤いが、このイチジクからは血が零れ落ちるのだろう。


つまり、この「国民年金」というイチジクは、最初から実をつける気がなかったというわけである。少なくとも、生ったとしても我々の口に入れるのが目的ではない。キリストは、実の生らないイチジクを切り倒すのではなく世話をしたというがhttp://p.tl/oPL9、こんなイチジクは切り倒したほうがよかろう。では、また。