ウヰスキーのある風景

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ふるさとは遠きにありて思ふもの

2012-08-25 | 雑記
我が両親はここ数年、某大学の夏期講座に熱心にやってくるのである。


もういい年なのに、不便な紀伊半島の先端に近いところから車でやってくる。


昔、父親は追突されたものとはいえ、自動車事故に遭った。医者が藪なのか藪が医者なのかしらんが、その影響に違いないと断じてもいいが、片足があまり曲がらなくなっている。


その上、数年前には軽い脳梗塞である。昔の面影を知る人が脳梗塞だったことを聞いていなければ、「ちょっと元気ないのかな?」と思われそうなぐらいである。


仙人の父親は物の怪の類なのかもしれない。



と、いうわけで、その両親と食事をしてきたのである。



いい加減、酒以外の毒は辞めようかと決意も改たにしようと思ったらこの有様である。


まあ、野口晴哉師もいっている。

「毒がなんです。病菌がなんです。我々は生きているんです」と。うーん、でも塵世は毒が多すぎるな。



しかし、海の郷からやってきた両親も(山の方だったけど)魚が美味かったといっていた。えーいしかしダメだ!これから三時間ほど行気やらなけらばダメなんだ!


と思ったが、そもそも行気ってなんだっけ?という感じである。ああ、奈良の大仏か。(そりゃ行基)



親の諦念かしらんが、昔ほど煩くなくなった。これが数年前の兄貴だったら・・・と思う。

その兄貴は体は丸いのに、丸の中に四角があったのかしらんが、当時はやたら角を突きつけてきたものだった。



寧ろ今となってはこちらが角を突きつけそうになるが、腹が破れても困るので「会いたいと思わない」ぐらいで留めておいた。


弟伝手で聞いたらしく(うちの嫁と一緒に兄貴の家に遊びに行かないかと言われたので断った時のセリフが上記)、余程ショックだったのかメールをしてきたものだった。


しかも、弟のメールと一分違いで。シンクロニシティってホントなんだなぁと、別のところで感動したものである。



だがしかし、わしのふるさとはそこじゃないんだよ。遠すぎてまだぼんやりとしか思えないところであるが。んー、最近はどうかな?



和歌山の海の青さは紺碧というか群青というか。群青というべきだな。幼少から染み付いている。


ふるさとは和歌山ではなく、あの海なんだ、帰るのはあの向こうなんだ、などと思いながら親を見送ったのであった。



土産に梅干を貰ってしまった。仕方がないので思い出したら一粒食べる、という感じにしようかと思う。南紀の梅、お一ついかがですか?では、また。

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