ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

眼差し

2011-11-14 | 雑記
度々ここで、菜食主義についてやら世の中の異常なことについて見聞きしてきたことや、後は自身の実践とその結果や感想を書き綴ってきた。


といっても、実践については不完全なところだらけである。最近はカレー作りもサボっている上に、久しぶりにチャパティを焼こうと思って全粒粉を、これまた久しぶりに立ち寄った自然食品店を訪ねると、売り切れだった。

ただ、今度の木曜日に仕入れてもらえることになったので、次はパン用の方も頼んでみようか、などとは考えている。カレーを食べに行くのも悪くない(上策か下策かというと、下策である)が、やはり作るに限る。


話は代わって、乳製品について、面白い話を聞いた。


あれは体内でアヘンに変わる。だから摂取すると幸福感が得られ、次から次へと欲しくなると。正確には、アヘンと同じような薬理効果をもたらす物質がある。

その上、精製された砂糖もドラッグ(麻薬という言葉は意味のない言葉である)と同じ、つまりは牛乳と同じ状態になるわけだ。砂糖も常習性がある上に、摂れば摂るほど耐性が着く。


それらが混ざった一般の甘いものは下手なドラッグよりトリップできてしまうという寸法だ。ただ、純粋なドラッグと比べると、一度の害は低くはある。


しかし、害が、あくまで一度の害が比較的少ないから大丈夫、などといえるのか。


そこで某内閣の大臣のセリフが思い浮かべば合格だ。「直ちに影響はない」と。


そういう貴様はタバコなんぞ吸って、「直ちに影響はない」とほざくのか?と返す声はとりあえず、この辺りでは聞こえてこないのが残念だが、改めて書いておく。


タバコと一般に思い浮かべるであろうタバコ、否、シガレットは別物である。添加物の塊と、純粋なタバコ葉を区別できないような思考の乱れこそを正すべきである。

喫煙は害である、という立場を執る人ですら、タバコとシガレット(添加物まみれの奴だけだろうが)の健康への悪影響の差は雲泥の差であると説く。そのあたりはここをお読みいただきたい。


さて、砂糖やら牛乳やらの害についてはここのページが、実体験を含めて色々書いてあった。 『糖尿病を放置し慢性期に脳梗塞になった母の介護食記録


タイトル通り、その病気になった母御殿の介護についての話である。居丈高で中身のない医者の言うことを無視して、自然療法や食事療法で元に戻った、という状態ではないようだが、悪化どころか動き回れるようになったという。


その母御殿が倒れるまでに、どのような食事をしていたか、食べていたものを転載する。


※ここから

毎日 卵2つ

毎日缶ジュースなど2~3本

毎日 カフェオレ、いちごオレ ココア ヤクルトなど乳製品系 が多い

あとは炭酸飲料 柑橘系の果糖ブドウ糖液糖たっぷりのジュース

毎日 市販の甘味のついたヨーグルト ゼリー プリン

毎日 ネスカフェやUCCのインスタントコーヒーにクリープ、マリーム、砂糖たっぷりのカフェオレ 1日1~2杯

ヤマザキの食パンなどにべったり塗るバター・マーガリン

部屋じゅうがかなりバター臭くなるほどた~っぷり塗る

トップバリューのピーナッツバター チョコクリーム 果物系のジャムも。

マヨネーズ、キューピーのタルタルソース、ツナ缶、シーチキン毎週

マヨネーズは御飯にもかける。

コンビニのおにぎり、お寿司、惣菜、菓子パン

スーパーのおにぎり、お惣菜、揚げ物(肉コロッケ、メンチカツを特に好む)、パックのお寿司

加工肉など ハンバーグ ウインナー ハム

練り物の加工品ちくわなど

スーパーのお肉 惣菜 揚げ物 毎週天ぷら と、マヨネーズサラダ

市販の牛脂たっぷりのカレルーやシチュールー毎週

インスタントラーメン 焼きそば UFO や 一平ちゃんなど

カップラーメン インスタントのそば 冷凍うどん

永谷園のチャーハンの素やお茶漬けの素 おでんの素 ○○の素などが多い、

マグカップケーキミックス ホットケーキミックス 

お好み焼きの素で豚肉のお好み焼き毎週

市販の偽しょうゆ や 偽みりん 「調味料風」のもの。味の素もドバドバかける。

塩は精製された塩、あじしお

市販のせんべい クッキー おかき チョコ菓子

かっぱえびせん ポテトチップス スナック菓子全般



主に、果糖ブドウ糖液糖が多量に使われた商品が多い

肉類などの動物性たんぱく質 過多


野菜はカレーやシチューに入れるじゃがいも人参玉ねぎくらい

たまに、ほうれんそうを2週間に1回1束のうち半分くらい。



肉類・乳製品・砂糖と 油と 添加物まみれ

※以上、ここまで。「母が脳梗塞発覚するまで食べ続けていたもの」より


正直、読んだだけで気分が悪くなるような内容である。どこが?と思う人は何も言わない。どうぞご自由に。


これほどではないが、自分自身もそういう食べ物を摂っている事が結構あった。夜勤の夜食にカップラーメンを食べていることが多かった。

それでも太ってないな、などと言われたが、腰の周りに肉がよくついていた。デブというほどではないが、こういうものを食べ続ければすぐに体へ影響が現れることは自覚していた。


ちょくちょく外食するので、自分自身もこういうものは排除しきれていない。それでもなんだか小洒落たイタリアンに行ったりしていたのは、肉を食べるにしてもそういう店ならましか(その店ではディナーだけだろうが、今はジビエもあるようだ)というのと、イタリアンは肉なくても美味い料理が得意なようである。

実際、先日、前菜つきのランチを食べてきたのだが、生ハム一切れと、お菓子の盛り合わせがプリンやらアイスを少々だったくらいだ。余談だが、今が旬の柿を何に浸けて渋を取ったのか、夜勤明けでワインを飲んだせいでよく覚えていない。

魚もあったのだが(パスタもイカとトマトソース)、魚はまあいいか。たまに食べるご馳走ということにしておく。


それでもってインド料理である。少々クリームかかっていたりするが、ベジタブルカレーは一切肉の類はない。自分で作ってもよくわかるのだが、なくて最高に美味いカレーが出来る。

ナンはお勧めしないが、まあ、たまにしか食べない人はどうぞ。よくいく自分はチャパティとかロティとか、全粒粉の無醗酵パンでしか食べない。米も精米されているので、ナンとどっちにするか、というとき以外は選ばないだろう。


と、話が逸れた。

砂糖と牛乳についてだった。

というわけで、その記事のリンクを貼る。


牛乳については記事が多く、記事一覧をカテゴリとして作ってくれている。眺めてみて、気になった記事からお読みいただければ幸いである。「牛乳の害に関する情報一覧

前述した、アヘンと同じ効果だという記事はそのままのタイトルである。「アヘン中毒


砂糖については、個別記事のままになっているので、とりあえず、この記事をどうぞ。「白砂糖は白い麻薬

畸形が生まれてくる可能性がひどく高まったり(ちょっとこの記述についてはうろ覚え。紹介しているリンク先だったかもしれない)、後は端的に言ってしまえば、後年「頭がおかしくなったまま」になるということもある。



と、なにやら見つけてくるとこうやって今まで書いてきたわけだ。


自分が肉を食べなく(自ら進んでは食べない程度だが)なったのは、勿論、自身の健康のためである。

お前の頭はおかしくなったのか?という謗りは直接は受けたことがないが、延いては地球のためである。地球じゃあ大きく聞こえるだろうが、環境のためである。

その環境は回りまわって自身に戻ってくる。だから、結局は自分のためなのである。

よい環境とは即ち、自然がやたらと壊されない状態だといえばよかろう。どんな農法もある種の自然破壊である、というのは逃れられない。


肉として、牛については乳を取るために、動物たちはひどい環境で飼育されている。そして、頭のおかしな人が考えた訳のわからない餌を食べさせられて、病気にさせられる。「早く大きくなる」というわけだ。

そんな酷い動物たち、否、「食料品」を工業的に作り上げている。不自然な数を飼育し、そして大量虐殺する。飼育時に出る汚物や時に出る血は、水源や土壌を汚染する。

大量の飼料を栽培するのもこれまたとてつもない負荷を与え続けている。農薬を大量に撒き、水も膨大な量を消費する。「食料品」たちに与える水分も凄まじいだろう。



わたしはそんな動物たちが不憫でならない、といいつつなぜかウールのマントを仕立ててしまったり、牛革の雪駄を買ったりしてしまったが、ともかく、今ある分は使うが、これからは避ける。などと以前も書いた。

何より、そんなものを食べたり、そして食べることを辞めたとしても、そんな状況が変わらない限りは、延々地球が汚される。問題は肉食だけではないが、その話は措く。

そんな汚された地球を歩き回りたいだろうか。何も知らないし知ろうとも思わないから気にしないと耳と目を塞ぎ、気がつけば何も知ることが出来なくなる状況が来て、ようやく後悔するのであろう。


飼育されている動物たちは、自分たちでどうすることも出来なかった。また、これからも出来ないだろう。それを解放するのは人である。


彼らはなりたくて家畜になったわけではない。我々が家畜にした。家畜が自然ならばそれも理だろうが、そんなわけはない。

自然ならば自然に帰すべきであろう。家畜化した動物を野に放つことは出来ないとしても。


なりたくてなったものではないものは解放したい。それをわたしは望んでいた。


ただ、この世は進んで家畜になりたがるものが多い。無論、自然ではないのだが、飽くまで自然だと、家畜になりたがるものは嘯く。


望んでそこにいるのだ。こちらに出来ることは介錯、いや、「精肉工場」へ運ばれるのをただ黙って見送るだけだろう。こう思いながら。「あなたの望みどおりですよ」と。「精肉工場」へ向かうトラックを破壊するほどわたしは慈善事業家ではないのである。では、さようなら。