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打ち落とされたもの

2011-10-10 | 雑記
先日、これを書いているこの日とその前の日、近所の通っていた大学の文化祭があり、去年は顔をあわせられなかった着付けの先生に会うため、それと最近は着物で過ごし始めたので、見てもらおうかと思ってちょっと行ってきた。

お出かけには羽織が必要である。気楽な散歩程度ならいらんかしらんが、着てみたらコレが驚くほどビシッとする。


最近その大学を卒業したさる後輩にはメールで見せてやったのだが、こういう格好をしていったのである。


一日目
いつもの「和」にて
(なんで妙に写真が小さいんだ?と突っ込まれたのでもういつものサイズにする)

ちなみに頭に乗っかっている帽子は、これまた帰り道の商店街にある呉服店にあった。店頭の首なしマネキンにかけてあったのを、一週間くらい前だか、通り過ぎたときに「あれは?」と気に掛かっていたのを、文化祭前日の夜勤明けに改めて確認して買ったもの。

ハンチング、古くは鳥打帽とか言われてたような気がしないでもない。古風な帽子なのだが、明治大正ならきっとハイカラである。今の時代ではきっとニューエイジ、などと人心を惑わす言葉を弄してはいけないのである。

そもそもHuntingが訛った名前だから、Huntingだけどこいつはハンチングであると。わけわからんね。


写真じゃわかりにくいが、着物の部分は紬(つむぎ)という、お出かけ用くらいのグレードの生地で仕立てられたもの。表面に毛羽みたいなのがたくさんあるのだが、別に生地が傷んでいるわけではなく、そういう仕立てである。紬というのは糸の作りか何からしいので、なんとか紬というようだが、その辺りは忘れた。

しかし、古着屋で置いてあったのを買ったというのに、なんでこうぴったりなのか。昔のわしが着てたのか?と冗談を考えたが、それくらいあんまりズレのないサイズだった。


ただ、わざと外した羽織紐は先生方にしっかり突っ込まれた。


二日目
某大学の茶室傍にて

同じのを着るのもあれだと思ったので、組み合わせを変えてみた。

まあ、羽織以外取り替えただけ。

着物と袴を仕立ててもらったやつにして、無理やり羽織を羽織ってみた。サイズが合ってないので、着物の袂が少し出ている。これは少しダサいが、ファッションですと言い張ることにする。


写真じゃよくわからんのだが、デニムのやつである。


袴は「武道袴」というやつで、仕立ててもらった「美夜古企画」さんのオリジナル袴だそうな。

穿いて歩くと大して細身には見えんなぁと思って直立で写真に写ると、おどろくほど細かった。歩くとふわっと広がって、階段も一段飛ばしが余裕で出来たりする。

居合いなどの稽古着として使われたりしているだけのことはある。素材は木綿なので家で洗えるのだが、アイロンがなかった。

それにしてもなんだか地味な感じがする。派手な陣羽織、しかも武将陣羽織とかいうようなやつでも仕立ててもらおうか。こいつではサイズも合っていないわけで。


ちなみに左に写っているところが茶室の一部なのだが、正確な日時は不明だが、(茶の先生がいうには今年一杯で)取り壊しが決まっているそうだ。というわけで、OBだからと昼過ぎから夕方までここと騒がしい一般向けの茶会をやっているところを往復して過ごしていた。

何故か蝉が鳴いていたりするのだが、騒がしくなくてよかった。ただ、後輩どもは実に無愛想であった。まあ、わしもOBだからといってまったく知らん人がいてもどうしていいやらわからんだろうが、待てど暮らせど茶の一杯もでてこないのであった。

はて?先輩が来たら飲む飲まないは別にしても茶をすすめるもんではなかったろうか?と思ったが、所詮昔の話である。

心をたいせつにせー(そんなくだけた言い方じゃないが)とかいう指針があったような気がしないでもないが、おもてなしの一端すら垣間見せることが出来ないほど忙しいらしい。忙しいとは心(りっしんべん)を亡くすと書く。毎日忙しい忙しいが口癖の現代人。どうやら元々大切にする心がお亡くなりであったようである。こうグチグチここで書いているわしもそのお仲間なのだろうが、見知らない後輩だからという以上に居心地の悪さとなにやら裏切られたような気持ちが綯交ぜになった風になったので、あったかもしれない打ち上げに飛び入り参加でもしようかと当初思っていたのだが、馬鹿馬鹿しくなったので駅前で飲んで帰ってきてここで書き殴っている。

腹立ち紛れにもう一つ書くと、一般向けの茶会をやっていた場所で茶の先生に「どうぞお茶を飲んでいってください」と勧められたので着席していたら、「手続きしてください」と言ってくる。

わしはOBの、というと「知ってますが、申し訳ないがお手続きを」という。そんなこと先輩にやったこともない。やってたのかもしれないが、少なくともそんな指導はされた覚えもないし、するもんではないと思っていた。

確かに、受付の芳名録に名前くらい書いて座るのが当然かとは思ったのだが、馬鹿馬鹿しいので、連れてきた近所の後輩共々二人分の席料を払って座ることにした。当然、受付はわしらがOBであるという指示は受けていなかった。


こんな立派な後輩を持ってわしは実に果報者である。これで茶の先生と着付けの先生に対する義理立てだけで十分会いに行く理由があろうというもの。茶の先生は闊達とした人で問題ないのだが、着付けの先生はひどく寂しがり屋である。今は、然る後輩の母親の方が最近のイベントでは一緒に来て着付けてくれたり話し相手になっていたりするのだが、一日目に会いに行ったら、先生方は先生方としか話していない状態だった。

そんな調子だ。去年のこの時、正午頃にたどり着いたらもう帰られたという。余談だが、その時、わしの応対に出てた子は、今年もまだ現役だったようで、わしの顔を覚えていたのが、ちょっとだけ嬉しかった。

今回はそれを避けられたのはよかったのだが(お前の出る幕じゃなかったがな!といわれても仕方ないが)普段着付けだけでしか顔を合わせない先生とおしゃべりできない(物理的に忙しいという状況があったとしても)のだから、見ず知らずに近いくらいの人間は人と思わない可能性もあろうよ。


というわけである。茶道に、いや、日本人に、延いては人間に「忙しい」など害毒でしかない。心を亡くしたものは人とは呼ばない。単なるロボットである。血が油に、臓器がトランジスタやコンデンサになっても別に違いはない。まあ、その某大学(そもそも公的教育機関も、なのだが)とその設立団体が日本有数のロボット作成所なのだがな。では、さようなら。