ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

虫の報せ

2017-05-26 | 雑記
日曜日のことだそうだが、大学時代の一つ上の先輩が亡くなられたという。

死因は心筋梗塞だとか。大学時代に茶の湯をやっていて、その先輩後輩としての付き合いがあっただけ、といえばそうなる。その方が卒業されてからは連絡を取ったことはないのだが、顔や声の感じはこうだったなぁ、と思い出せるくらいは覚えている相手であった。

年齢はこちらの一つ上。享年三十五か六であった。

笑い話になってしまうが、後輩が訃報を知り、メーリングリストで報せていたところ、旧姓と同じ(亡くなられた方は女性である)名字の、着付けの先生だと思ったらしく、慌てて報せていたらしい。その着付けの先生も高齢で、そうなってもおかしくないとはいえ、慌てすぎである。後ほど訂正を付け加えたものを再度流していたと、拙に直接報せてきた後輩が言っていた。

さて。その訃報を受け取ったのは、実は火曜日だった。

去る日曜日は夜勤。日曜の夜勤は静かであるが、その日は少し体調がよくなかった。窓開けて寝てるのがいけないのか、呑みすぎた覚えはないのだが、呑んだのがいけなかったのか、などと思いながら勤務していた。

勤務時間中、二度ほど、頭が痛いような重くなるような、気が遠のくような、少し怖い感覚を抱いた。

「ああ、こりゃ死ぬかもしれんなぁ」などと、その時に考えたが、特に倒れることもなく、平然と過ごしていたものである。

仕事が終わり、帰宅の途中、近所の神社に立ち寄った。前述の通り、訃報はまったく知らない。

すぐ上に「平然と過ごした」と書いたが、やはりなんだか妙な感じがする。日課のお参りをして帰ろうと思い、賽銭箱に十円玉を投げ込んだ。

賽銭箱は、全部がそうかはしらないが、真ん中の溝に向かって斜面が作られている。逆三角形になっているわけだ。

ここしばらく、賽銭は溝の中に落ちないことはなかったのだが、その日だけはなぜか、手前の斜面で止まってしまった。

やはり何かおかしいと感じ、お参りを済ませて帰宅した。

さっさと寝ようと思ったのだが、しばらく動物の動画を寝転がって見てから、眠りに付いた。

ひどく疲れていたらしく、何度か目が覚めることはあったが、すぐに眠り直す。寝すぎが惰眠を呼ぶのか、火曜の夕方まで寝ていた。

そして、いい加減起き上がろうと思い、ケータイを確認すると、着信とメールがあった。同一人物からの電話とメールで、その訃報の話だったというわけである。

亡くなられたのが日曜。時間帯等は知らないが、日曜の勤務中に二度ほどあった頭痛。それと賽銭のこと。話の種として後日、馴染みの店で話を振ってみたら、やはりこういわれた。

「安生さんは、何か引き寄せるたちなんじゃないですか」と。

「何か引き寄せるなら、こっちも死ぬところだったんじゃないかね」と、笑っておいた。


さて、もう少し。

日曜の勤務は暇だと書いた。暇なので、読書をしていた。

といっても、ページ数は少ない。何せ、仏典だったから。

膨大な仏典もあろうが、短いのがある。仏教学者の中村元が、仏典の日本語訳を出している。

最古の、とついた場合の話は以前した。向こうの言葉をカタカナで書いて、『スッタニパータ』という。

岩波文庫で『ブッダのことば』というタイトルで出版されている。

それに近いぐらいの、仏陀自身の言葉で書かれているらしい仏典があるそうで、『ダンマパダ』という。

「真理のことば」で検索すると、すぐに出てくる。もしくはすぐ上のカタカナの名前でもよいと思われる。

仏陀が語ったとされる詩の名詩撰だとのこと。

中村元の翻訳そのままを載せたのかはしらないが、あるサイトに乗っていた、それほど長くない『ダンマパダ』の翻訳を読んでいたのである。

もしくは何かの拍子に『感興のことば』のほうを読みかけ、気づいて読み直したりしたので、実はそこの話だったかもしれないが、ともかく。

どの章か見出せなかったので、うろ覚えで書くが、仏陀はおっしゃったものである。

「あるものは母の胎で死に、あるものは生まれると同時に死に、あるものは歩き回っていくうちに死ぬ。老いも若きも、どんどん死んでいく」という風に語った箇所があったと記憶している。

また、『スッタニパータ』で語っていたが、人間は生きて八十年ほどという。


話が急に変わるが、六年前の大地震で原発が吹っ飛び、大きな原発のあった福島辺りでは、若い者ばかり急に死んでいって、周りは老人だらけになっていると、涙ながらに訴えている動画があった。

ツイッターやらブログの証言でも、急に周りで死ぬ人が増えた、これは放射能と陰謀(食い物やらに混入の化学物質)のせいだろうという風に語られていたものである。


原発もない、自然豊かといえば聞こえのいい時代で、生きて四十年と語るのならまだしも、日本の平均寿命くらいは仏陀の時代でもありきたりだったといえる。

そういう社会だったのに、仏陀は、老いも若きもどんどん死んでいくのだと語る。

つまり。人の世は、今も昔も同じなのである。ほんの何十年か、誤差程度に偏っていて見えなくなっていた現実を垣間見ているに過ぎないのである。

我々はそのうたかたの夢を繕うのに夢中になっていたのである。夢を繕うなどとは、夢を見るのも大概にしなくてはなるまい。


などと、詩人だか哲学者だかになったような話では、拙の気が治まらない。人でなしの発言に聞こえる、ある人物の言動を紹介して、筆を擱くことにする。

ここでも何度か取り上げてきたが、その人物とは、漫画家の故、水木しげるである。

第二次世界大戦の折、彼は動員されて、東南アジアの激戦区に送られ、そこで片腕を落っことして引き上げてきた。

同僚のほとんどは死に絶えたという激戦で生き残った彼は、後年、何度かその地に足を運んでいたという。

彼はそこに行くと、笑いがこみ上げてくるのだという。

他のやつらがくたばって清々した?そういうわけではない。

「ああ、俺は生きているんだなぁ」と感じて、笑いがこみ上げてくるのだという。

他者の死を悼むとかいうのではなく、純粋に自分が今生きていることの実感と喜びとでもいうものだろうか、そういうことを、周りで何人も死んで、なお且つ自身の片腕も落としてきたかつての戦地で、そう思うのだとか。

彼は妖怪だとかよく言われるものだが、ある意味、悟りを開いていたのかもしれないと、歳の近い、拙のかつての知り合いの訃報を聞いた際に、そう考えたものである。

そういうお前は、妖怪漫画家みたいに笑いがこみ上げたのか?と尋ねられたら、こう答えておく。

「勤務中の頭痛で死ぬかと思ったが、拙は生きてるのだなぁ」と。


では、よき終末を。