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あくまで人間

2017-04-21 | 雑記
今日、仕事場のトイレで用を足していたら、靄に囲まれてしまった。

最近ずっと書いている、気だとかオーラとかいうものを見ていたのである。

コツとしては、ある意味リラックスする状態になれればよろしい。よくアイデアが思い浮かぶ時は?というのに、トイレで用を足している時、というのをあげる人もいるくらいである。何かのアンケートで取り沙汰されるほどの数だった。

音をごまかす音を出す奴から出ている煙みたいな気を見ていると、やはり影がない。そりゃまあ、普通にしてたら見えないものなのだから当然といえば当然で、そんなものは存在しない、という人にとっては文字通り、影も形もない。

手で扇いでみると、動く。以前、駅のホームで見たときは、「風に逆らっている」などと書いたものだが、動いていた。

とはいえ、出ているのが見えるのに影が存在しないという、日常の物理法則に逆らった存在であることは間違いない。

これと関連することで一つ。

静かな夜、自他の気を見るということをしていると、部屋が軋むような音がする。
電源を切ってかなり時間の経つパソコンのモニターが、「パチッ」と音をあげることがある、と書いたが、大体、気を見ようとしているときや、呼吸法などで瞑想状態に近くなった時と思しき場合などに起こっている。
その内、アパートごと倒壊するとか、上の階の底が抜けて振ってくるんじゃないかと、戦々恐々としておる。

ラップ音がしたら近くに仙人が潜んでいるかもしれないので、あまり気にしなくてよいのかもしれないと、安心させる一言を添えておく。


話は代わって、最近、とあるアニメを見終えた。

世界の真相に迫る内容のものか!?MAGICA魔法入門カバラの真似事か!?というわけでもなく、見ていたのは、ガンダムである。

『機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ』という作品である。なじみのバーの店長とか、近所の沖縄そば屋の店長の友人などから、「見やがれ」と脅されながらも、一年近く見てなかった。
四月で放送を全部終えたとのことで、ようやく重い腰を上げ、数日前に全部見終えたというわけである。

その知人たちからの評判は散々な物だったと思う。曰く、「主人公がおかしい」と。他の評価は忘れたが、余ほど狂気に満ち満ちたキャラなのだろうと思いながら、恐る恐る見始めたものである。

確かに、狂人かと思うようなところがあったが、そもそも捨て駒として扱われ、虐げられている少年兵という立場。強くなければ生き残れないし、また、自分に中身を入れてくれた親友とその願いも守れない。

要するに、ひどくひたむきで、他のことには無頓着な奴であった。

監督が言うには、天才の奇形性を描きたかったという。主人公は確かに、かなりするどい。

最初に現れるヒロインが、「虐げられている人々と対等に接したいのです」という風な台詞を主人公に投げかけながら握手を促すと、素っ気無くいう。
「じゃあ、今は対等じゃないんだ」と。

ヒロインはその一言にショックを受ける。己の無自覚な傲慢さに気づかされるのである。

主人公はよく、親友に尋ねる。「次は何をしたらいい?」と。その後、「何を壊せばいい?」とか、「何人殺せばいい?」と、かなり物騒な発言も飛び出す上に、それがまた無表情ともいうような具合で尋ねる。

こういうノリが、まるでその親友に操られているように見受けられたらしく、「このガンダムひどいよ!」と言いながら勧めてきた知人の批評にもあった。

しかし、結構最初のほう、四話くらいでそうじゃなかったらしい、というシーンがあった。

その親友が、「あいつの目が怖い」と、別の団員に漏らす。あの目で見つめられると、あいつに無様なところは見せられないんだといった、覚悟というか、怯えにも似た感情を吐露していた。

主人公の「次は何をしたらいい?」というのは、親友の願いをかなえたいという、ひた向きさが故なのだろう。

終盤で、手を組んだ元は敵の幹部に、「君の願いは?」と問われるが、「親友の願いがオレの願いだ」と答えていたものである。

こういう言い方をしていたのは、親友の願いはそもそも自分の願いなのだということを示していたのかもしれない。


とはいえ、このガンダム。今まで見た中でもかなり血みどろだった。

ガンダムの名を冠するものは、全て、ソロモン72柱の悪魔の名を冠していて、主人公機も「バルバトス」という。

主人公の性格とパイロットとしての資質の次元の違い、さらに操縦システムが人体に直接リンクさせて動かすというのもあいまって、化け物みたいな動きをする。
改修によって、容貌がいかつくなり、神経リンクによる操縦で尻尾を使う攻撃までして、ホントに化け物みたいになる。

「邪魔だから死んで」みたいな台詞を吐きながら、立ちはだかった敵を粉砕する様は、悪魔と呼ばれても仕方ない。他のガンダムの主人公ではいなさそうな具合である。

最終回なんかでは、本当に悪魔などと呼ばれている。ネタバレが嫌な人には悪いが、主人公ともう一人のエースが大軍相手に戦うのだが、見ているこっちも「ばけもんだ・・・」と言わざるを得なかった。

ネタバレになるが、結局主人公ともう一人は死ぬ。それを討ち取った敵の軍人は、バルバトスの首を斬りとって掲げ、「悪魔を討ち取ったぞ!」と勝利宣言をする。

後年、主人公達を倒した軍人が、「悪魔かと思ったけど、彼らはやはり人間でした」と述懐していた。


少年兵や、用語でスペースデブリという、奴隷の立場におかれていた少年達。彼らは生きることそれ自体がもはや戦いであり、つまりは生きること自体にひた向きであった。

人間のひた向きさというのは、理解できないものからすれば、悪魔のように見えたりもするのだろう。

監督の言う、天才の奇形性というやつである。

悪魔といえば、イタリアのバイオリニストに、パガニーニという人がいた。

彼の演奏はすさまじく、悪魔に魂を売ったのだと噂されていたという。


悪魔の名を冠し、悪魔だと対峙したものを畏怖させる、戦争兵器とそれを駆る少年。

もしかしたら、主人公は、親友(死んでしまうのだが)が願いをかなえるために契約した悪魔だった、なんぞと思ったりする。

別に、悪魔だったと言いたいわけではないのだが、幼少のころに出会った時、主人公は空っぽだった。それに中身を入れた、と上のほうで書いたが、親友が現れなければ、主人公になっていなかったのである。

ソロモン王は、悪魔を魔法の指輪で縛り付けて契約し、こき使っていたそうな。悪魔は契約してなければ、神殿建設の仕事だとか、端からしてないわけで。

幼少の二人の出会いもまた、契約だったのかもしれない、などと考えたりする。


内容で驚いたところはたくさんあったが、それとは別に、変なところで驚いていたものである。

例えば主人公を親友だけが呼んでる愛称。第一話か二話だったか、掛かってきた敵のモビルスーツを粉砕した時の動き。後に手を組む軍の高級将校の幼な妻が、そいつにしている愛称。

三つ目は一字違いであったが、見せる予定はない、イメージトレーニングのために書いている小説の中で符号していたので、第一話で親友が主人公を「ミカ」と呼んでいた時に、跳ね上がりそうなほど驚いたものである。ちなみに、このガンダムの主人公の名前は、三日月・オーガスだそうな。そして、驚いた理由になったほうも、三日月から来ている。あー、拙の頭はおかしくなったんだな、こりゃ。忘れてもらおう。

拙も悪魔に取り付かれたのかもしれない。おそろしや、おそろしや。


ここまで書いておいて、実は余談だった、といったら長すぎる。

とはいえ、気になった話をもう一つしておく。


以前から、山の中で暮らすのが人類の目指すべき最高の到達点だ!とほざく奴は人でなしだと、具体的な名前は余り書いてないが、誰と判る人には判る程度に示しつつ批判してきた。

空色ノートというところで、最近、アラーエというスピリチュアルなメッセージを届けている存在の記事を、何度か再掲していた。

プレアデスから来ました、とか言われても困るかもしれないが、ソウデスかと答えておけばよろしい。

記事はこちらである。

長い転載に、三箇所ほど注があり、その三つ目が、拙が普段から言っていたことをもっと的確に述べていたものである。


その最後の部分を取り出して、書いておく。

彼らには愛が不足しているんだ。実際に彼らは、そのエゴイズムによって逃げるという行為に走ってしまったんだよ。健康な生活とか、心身の浄化とか、精神の進歩とかいった名目にカモフラージュされたエゴイズムだ。


どうであろうか。普段の拙の話は、あれらは精神と肉体の牢獄を超えたといいながら実際は自ら突き進んでいるだけで、挙句の果てにその前提であるはずの「物質は幻である」という話を論破すらしないという、ふざけた根拠でなりたっているのだと書きたててきた。

それが一般人ならどうでもいい。それを主張していたアイクの著作を翻訳しておきながらである。
翻訳したなら判っているだろう?よく判っているなら、主張を覆すことも出来たろうが、そんなことは微塵もしなかった。
出来なかったから、ではあろうが、そんなことは知らない。

人に、己自身を覆せと言いながら、それをまったく実行していなかったのである。欺瞞も甚だしい。

『オルフェンズ』の主人公のほうがよほど人間だといいたくもなる。

彼はひたむきなだけの、あくまで人間なのだから。


そして、あれらはひたむきさを装った人でなしである。

何せ言っておった。「人間辞める」と。

人間を辞めた人でなしは、悪魔そのものと呼んでも差し支えなかろう。

せいぜい、神殿建設などにこき使われたまえ。



こういう風に考えて書くのは、紹介したところの記事からしたらよくないのだが、言わざるを得ないのである。


拙も、あくまで人間であろうとしているので。「じゃあ、今は人間じゃないんだ」とか突っ込まれそうだが。


では、よき終末を。