憑くも神
2017-04-19 | 雑記
気が見えるだの感じるだの、挙句には操れるようになったらしいなどと、気が狂ったようなことをずっと書いている。
とはいえ、野口晴哉は以下略、というのも何度もやってきたところ。
話は変わるが、先日、電車に乗っているときに、先頭車両の先頭にいた。
ドア付近の壁には広告があった。今度始まる、ドラマの広告だった。
人も混んできたので、それに頭が寄りかかる状態で過ごしていたら、広告の額縁に当てている頭のところが何か重い感じがする。
おかしい。別に頭痛でもないのだが、圧迫されるような嫌な感じがする。右頭(広告の額縁を当てている箇所)だけなっている。
どうも、この見ててさして気分のよくない広告のせいらしい。電車の電磁波で気分が悪いなら、頭を当てたところだけ異常を覚えるのも変である。
ああ、これも気ってやつなんだろうなぁ、なんぞと思ったものである。
普段は、手で感じるとか、前にも、手先が寒いと腕を伝わるものがあるだとかは書いた。
例えば、火のついたローソク。熱さなんぞ微塵も感じない距離で掌をかざすと、掌がほんのり温かくなる。
そして、ローソクの火が揺れたりする。風もない、鼻息がかかる距離でもないのにである。
ただ、毎晩のように見ていて気づいたことが一つ。ローソクの炎は、意識してなければ、後は風が当たったりしてなければ、基本的に揺れないのである。
家にローソクがある人がどれだけいるのかは不明だが、一度試してもらいたい。視線の脇にローソクをやり、例えば画面を眺めるとする。
拙の場合は文章を打っている最中に気づいたものだが、ローソクに視線を、つまり意識を向けてないと、揺れていないのである。
勘違いだろうと言われそうだが、揺れてなかったなと思い、改めてローソクをしばし眺めると、思い出したように揺れ始める。
以前、脳の疲れを取る方法、というのをたまたま見ていたとき、その中に、「ローソクを眺める」というのがあった。
ゆらゆら揺れるローソクは、潜在意識に働きかけ云々とあったのだが、それで思ったのである。
「ローソクの炎って、揺れてたっけ?」などと。
それで、ローソクは揺れているのではなく、意識を向けられたせいで揺らされていたのだろうと考えるのである。
見えていなくても、気というのは勝手に感じて勝手に出入りしたりしているわけである。
野口晴哉の言から広げて言うならば、この物質世界というのは、気と呼ばれるもので作り上げられたといえる。
物理学者が、この世界はホログラムとしか思えないと言い出し、物質を極限まで細かくしていくと、靄だとか波のような、もはや親しんだ覚えのある、何か確固とした状態のものを見出せなかったという。挙句の果てに、人の意識で動いているようだとまで述べた。
なぜ、改めて何度もやっている話をしたのかというと、ローソクのせいである。
見てたら揺れだすという話だろう?と。正にその通り。
というのも、ある日のこと。
部屋には、小さな鉢植えのガジュマルがある。これを眺めて、気、別名オーラを見る練習をしていたのである。
どうも、昼間は見づらい。後、初めて靄状のを見たときは、距離が離れていたのもあって、近いと見えない気がするのと、生き物では試したことがなかったからである。
とはいえ、自分の身体から出てくるのは見えるようになった。明るすぎると見えづらいが、ローソクの火だけにすると、よく見える。
それはともかく。ガジュマルを眺めていると、枝が動いた気がする。はて?物が触れると枝を動かす植物というのは実際にあるのだが、ガジュマルにそんな特性があったか?そもそも触れてない。
別の日に、定位置に置いてあるガジュマルを眺めていた。やはり、枝がゆっくりだが、少し動いているように見える。
物質は幻で、人の意識で動く。本質的には物質は気に動かされている。ということは・・・。ローソクの火が揺れるのと同じように、ガジュマルの枝も動いたのだろう、などと思ったわけである。
そこで、拙は別の対象に着目した。
ガジュマルよりも古株の、部屋に飾られている、こういうものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3d/71/8e1364ddc04937e15874a125559a6216_s.jpg)
特にファンでもないのだが、とあるアニメだかゲームのキャラのフィギュアである。どれくらいの大きさかは、サムネイルをクリックすると判る。
この写真自体は、某オンラインゲームの知り合いに見せるために、ここにアップしたもので、数年前のものである。
大きさの比較のため、二十センチほどの煙管を、台座の手前に置いて、比較対象としている。
今はなくなったゲームセンターのUFOキャッチャーでせしめた。二千円で手に入ったので、儲けたか?そこは判らない。何せ、酔っていた。
せっかく取ったのだからと、部屋に飾って数年と相成る。
余談はさておき。
ガジュマルの枝が動いたように見えた感覚で、このフィギュアを眺めた。すると、腰の布(写真を参照のこと)が少し垂れ出したり、それを持っている左腕も少し垂れ下がったりする。
全体的に見ると、まるで息をしているかのように佇んでいる。
そして、顔を見ていたら、なんと。口がパクパクしている。小さな溝を横一文字に彫り付けてあるだけの口が、ただ開いたり閉じたりするのではなく、何事か喋っているかのように動く。
こりゃなんだ?物質は幻というのが覆しようのない真実だと決めておいていえば、そりゃ動いてもおかしくないが、どうして喋っているかのように複雑に口を動かしているのだ?
九十九神、もしくは付喪神というのがある。読みはどちらもツクモガミ。
百年使われたものに神やらが宿って動き出すという伝承である、と、さっき検索したら出てきた。まだ百年も経ってないのだが。
ホラー映画なんかや、そういう心霊現象的な話で、人形が動き出して人に襲い掛かるとか、暢気な具合なら、夜におもちゃが動き出してパーティーしてる、なんてのがある。
拙が眺めたから動いたとするなら、そして、物質は人の意識や気で動かされるというのなら、こういう話は単純に作り話だったとはいえないのだろう。
ちなみに、映画になった『エクソシスト』というのは、脚色はあるが、実話を基にした話だそうな。人形が動き出すだのというお話も『エクソシスト』も、多感な子供がそこにいるというのが共通点である。
拙は子供という年齢ではないが、そういうことを起こしうるのは、大体子供だったりするというわけである。
さて、もう一つ踏み込んで一言。これだけでも十分頭のおかしい人の話だと思われるが、もっとである。
物質の本質が、もはや形や存在を特定できるようなものではない、というのならば、彼のフィギュアと我が身に違いはないのだろう、などと思うのである。
人という名の人形に命を吹き込んで動かしたのは、このブログを書いていたり、これを読んでいる我々ではないのだから。
道具やフィギュアが動き出したら九十九神。もしくは心霊現象。
人という人形が動き出したのも、実は九十九神と同じなのかもしれないというわけである。
しかし、このお嬢さんは何て喋っているんだろうか?
まさか・・・拙の命を狙っているのでは・・・? ま、可愛い子に殺されるなら本望としようか。
ブログの更新が途絶えたら、セイバー(フィギュアのキャラの役職名?)なのに命を奪われたということにしていただく。
そのセイバーじゃない、という突っ込みは、知っている人にしかやれないので、ご注意を。
では、よき終末を。
とはいえ、野口晴哉は以下略、というのも何度もやってきたところ。
話は変わるが、先日、電車に乗っているときに、先頭車両の先頭にいた。
ドア付近の壁には広告があった。今度始まる、ドラマの広告だった。
人も混んできたので、それに頭が寄りかかる状態で過ごしていたら、広告の額縁に当てている頭のところが何か重い感じがする。
おかしい。別に頭痛でもないのだが、圧迫されるような嫌な感じがする。右頭(広告の額縁を当てている箇所)だけなっている。
どうも、この見ててさして気分のよくない広告のせいらしい。電車の電磁波で気分が悪いなら、頭を当てたところだけ異常を覚えるのも変である。
ああ、これも気ってやつなんだろうなぁ、なんぞと思ったものである。
普段は、手で感じるとか、前にも、手先が寒いと腕を伝わるものがあるだとかは書いた。
例えば、火のついたローソク。熱さなんぞ微塵も感じない距離で掌をかざすと、掌がほんのり温かくなる。
そして、ローソクの火が揺れたりする。風もない、鼻息がかかる距離でもないのにである。
ただ、毎晩のように見ていて気づいたことが一つ。ローソクの炎は、意識してなければ、後は風が当たったりしてなければ、基本的に揺れないのである。
家にローソクがある人がどれだけいるのかは不明だが、一度試してもらいたい。視線の脇にローソクをやり、例えば画面を眺めるとする。
拙の場合は文章を打っている最中に気づいたものだが、ローソクに視線を、つまり意識を向けてないと、揺れていないのである。
勘違いだろうと言われそうだが、揺れてなかったなと思い、改めてローソクをしばし眺めると、思い出したように揺れ始める。
以前、脳の疲れを取る方法、というのをたまたま見ていたとき、その中に、「ローソクを眺める」というのがあった。
ゆらゆら揺れるローソクは、潜在意識に働きかけ云々とあったのだが、それで思ったのである。
「ローソクの炎って、揺れてたっけ?」などと。
それで、ローソクは揺れているのではなく、意識を向けられたせいで揺らされていたのだろうと考えるのである。
見えていなくても、気というのは勝手に感じて勝手に出入りしたりしているわけである。
野口晴哉の言から広げて言うならば、この物質世界というのは、気と呼ばれるもので作り上げられたといえる。
物理学者が、この世界はホログラムとしか思えないと言い出し、物質を極限まで細かくしていくと、靄だとか波のような、もはや親しんだ覚えのある、何か確固とした状態のものを見出せなかったという。挙句の果てに、人の意識で動いているようだとまで述べた。
なぜ、改めて何度もやっている話をしたのかというと、ローソクのせいである。
見てたら揺れだすという話だろう?と。正にその通り。
というのも、ある日のこと。
部屋には、小さな鉢植えのガジュマルがある。これを眺めて、気、別名オーラを見る練習をしていたのである。
どうも、昼間は見づらい。後、初めて靄状のを見たときは、距離が離れていたのもあって、近いと見えない気がするのと、生き物では試したことがなかったからである。
とはいえ、自分の身体から出てくるのは見えるようになった。明るすぎると見えづらいが、ローソクの火だけにすると、よく見える。
それはともかく。ガジュマルを眺めていると、枝が動いた気がする。はて?物が触れると枝を動かす植物というのは実際にあるのだが、ガジュマルにそんな特性があったか?そもそも触れてない。
別の日に、定位置に置いてあるガジュマルを眺めていた。やはり、枝がゆっくりだが、少し動いているように見える。
物質は幻で、人の意識で動く。本質的には物質は気に動かされている。ということは・・・。ローソクの火が揺れるのと同じように、ガジュマルの枝も動いたのだろう、などと思ったわけである。
そこで、拙は別の対象に着目した。
ガジュマルよりも古株の、部屋に飾られている、こういうものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3d/71/8e1364ddc04937e15874a125559a6216_s.jpg)
特にファンでもないのだが、とあるアニメだかゲームのキャラのフィギュアである。どれくらいの大きさかは、サムネイルをクリックすると判る。
この写真自体は、某オンラインゲームの知り合いに見せるために、ここにアップしたもので、数年前のものである。
大きさの比較のため、二十センチほどの煙管を、台座の手前に置いて、比較対象としている。
今はなくなったゲームセンターのUFOキャッチャーでせしめた。二千円で手に入ったので、儲けたか?そこは判らない。何せ、酔っていた。
せっかく取ったのだからと、部屋に飾って数年と相成る。
余談はさておき。
ガジュマルの枝が動いたように見えた感覚で、このフィギュアを眺めた。すると、腰の布(写真を参照のこと)が少し垂れ出したり、それを持っている左腕も少し垂れ下がったりする。
全体的に見ると、まるで息をしているかのように佇んでいる。
そして、顔を見ていたら、なんと。口がパクパクしている。小さな溝を横一文字に彫り付けてあるだけの口が、ただ開いたり閉じたりするのではなく、何事か喋っているかのように動く。
こりゃなんだ?物質は幻というのが覆しようのない真実だと決めておいていえば、そりゃ動いてもおかしくないが、どうして喋っているかのように複雑に口を動かしているのだ?
九十九神、もしくは付喪神というのがある。読みはどちらもツクモガミ。
百年使われたものに神やらが宿って動き出すという伝承である、と、さっき検索したら出てきた。まだ百年も経ってないのだが。
ホラー映画なんかや、そういう心霊現象的な話で、人形が動き出して人に襲い掛かるとか、暢気な具合なら、夜におもちゃが動き出してパーティーしてる、なんてのがある。
拙が眺めたから動いたとするなら、そして、物質は人の意識や気で動かされるというのなら、こういう話は単純に作り話だったとはいえないのだろう。
ちなみに、映画になった『エクソシスト』というのは、脚色はあるが、実話を基にした話だそうな。人形が動き出すだのというお話も『エクソシスト』も、多感な子供がそこにいるというのが共通点である。
拙は子供という年齢ではないが、そういうことを起こしうるのは、大体子供だったりするというわけである。
さて、もう一つ踏み込んで一言。これだけでも十分頭のおかしい人の話だと思われるが、もっとである。
物質の本質が、もはや形や存在を特定できるようなものではない、というのならば、彼のフィギュアと我が身に違いはないのだろう、などと思うのである。
人という名の人形に命を吹き込んで動かしたのは、このブログを書いていたり、これを読んでいる我々ではないのだから。
道具やフィギュアが動き出したら九十九神。もしくは心霊現象。
人という人形が動き出したのも、実は九十九神と同じなのかもしれないというわけである。
しかし、このお嬢さんは何て喋っているんだろうか?
まさか・・・拙の命を狙っているのでは・・・? ま、可愛い子に殺されるなら本望としようか。
ブログの更新が途絶えたら、セイバー(フィギュアのキャラの役職名?)なのに命を奪われたということにしていただく。
そのセイバーじゃない、という突っ込みは、知っている人にしかやれないので、ご注意を。
では、よき終末を。