身体のあちこちを妖怪に乗っ取られてしまった、という話を散々書いてきたが、最近はどうも、室内にもいるらしい。
寝ようと思って布団を敷いて横になると、電源を切ってしばらく経ったはずのモニターから「バチッ」というような軋む音がする。
しばらく前はかなり寒かったので、温度変化のせいだろうと思ったりはしたが、寒いままの部屋でしかもつけてなかった状態で寝てたら鳴っている。
後は、壁から音がする。隣のいびきではないが、たまにパキパキっと鳴ったりする。某宗教団体のせいで小さな仏壇があって、最近はその辺りから音がしたりする始末。
部屋が傷んでいるのでなければ、きっとポルターガイストでもいるのだろうと思うことにした。これは多分気のせいなので、胃だとか目だとかの妖怪よりは普通だと思われる。
さて、最近、物から煙のようなものが見えるようになった、という話を書いた。
そして、顔見知りが実は人のオーラが見えるとのことで、わしは黒っぽいとかいう。馴染みの店に最近勤めだしていて、そこの料理人は漆黒だと言われたとのこと。
しっぽくだとうどんだが、黒と漆黒の違いはなんぞ?と思い、オーラ診断だとかを見てみたら、どうやらわしは青っぽいらしい。
誕生日のやつだと、メインが黄色で、サブが青。なにやら質問に答えるのに漫然と答えたら、深みのある青、なんぞといわれた。
別の質問に答える奴も試したら、これまた青とか言われた。ちなみに、深みのある青とか先日言われたところを試したら、青なんてでなかった。
どうやら、青が黒に見えたのだろうと結論付けた。
そこはともかく。
このオーラとはなんぞ?と思ったら、気と同じものを指しているらしい。このページの下の方にオーラの見方だとか、それで催眠術が出来るとか書いてて、まんま野口整体じゃないかなと。
黒いオーラは調子が悪かったりするとかいうのだが、かの野口晴哉は、バスに乗っているときなんかは、ずっと腕組みをしていたという。
なぜかというと、人の悪いところが黒く見えるので、つい手を出してしまいそうになるのを堪えていたそうな。
わしはまだ見えただけで、何色かというと白っぽい靄ばかり見える。ただ、先日、自分の身体から立ち上るのが見えたが、青く見えた気がする。作務衣が濃紺だからかもしれないが。
部屋のガジュマルを眺めてみたら、これも青く見えた気がする。きっと紅茶は英語でブラック・ティーとか言ったりするので、黒いのだろう。物にもよるのかしらんが。
バイオンを見ようと眺めていたら、これがどうやらオーラを見る訓練になってたのか、それで見えるようになったらしい。
見えるなら、使えるのだろう。それで、手足が冷えても身体が冷えない状態になったり、飯も睡眠も重要さ加減が減ったのかもしれない。
オーラの話は措くとして。
先日、ふと思い出したことがある。昔見た夢の話である。
仕事場の同い年の女性と、電車でどこかに出かけているらしい夢を、何年も前に見たものである。
ただ、当時から不思議に思っていたのが、その女性はこちらより少し背が低い。
当の仕事場の女性というのは、こちらとほとんど背が同じ。あれは一体誰だったのだろうか?と、当時は思ったものだが、すっかり忘れていた。
それで思い当たったのが、今年になって出会ったというお嬢さんだったのかもしれない、となった。
まあ、最近会えてないのだが。
これは本当にうろ覚えなので、気になる方は気合で話を探してもらいたいのだが、上の夢の話を例にして書く。
今年になって出会ったというお嬢さんとは、かつてその夢の中で出会ったというわけで(お互い知っていたわけではないので、ご注意を)、改めて現実で出会う引き金が、「話の合う年下の女性が欲しいな」とわしが思ったことで、これは最近そう思ったからというわけではなく、元々そうなる流れがようやく来ただけの話である、という意味合いの話を、昔どこかで読んだものである。
人それを運命という。ただし、運命と一般に言っている物とは趣は異なる。
他で例えれば、ゲームとか漫画の気に入ったキャラがいるとする。
これは、なんとなくこういうのが良いなと思い浮かべていたのが、巡り巡って誰かが描き上げ、そして自分の前に現れた。確かそんな例えを書いていたような気もするが、先ほども断ったように、うろ覚えである。
昔、あのおっさんが持ってきた『トランサーフィン』という成功の法則の本にも書いてたが、世界という鏡に映した自分の姿というのは、遅れて動き出す。
動いたこと自体は既に済んでいるので、後は世界が追いつくのを焦らず待つべし、という。
所謂現実といわれているこの世界は、物理学者が言うまでもなく、例えば魔術の理論で既に「人間が作ったもの」という事を述べている。ここでブログを書いている意味だとかでの人間ではないのだが、物質以前のものが作り上げたといっている。
物理学者がいうところの靄みたいなもののわけで、靄がモヤモヤ動いてボワッと出来上がるには、多少の時間が掛かるというわけである。根気も要る。根競べである。
さて、これまた冗談みたいな話だが、小説を書くというのを瞑想の訓練として行っていると、たまに書いてきた。
次を書くまでに、あれやこれやと想像していたわけだが、その中で、里帰りするとかいう構想があったものである。
そして、忘れたころに弟が病んで里帰りした、という状況に出くわし、実際にわしも弟に会いに里帰りしようかと考えたら、そんな構想をしてたなぁ、などと思い出したしだいである。
まあ、ちと金がないので、親に金をせびるか、クレジットカードで払うか、というところである。いつまでも、あると思うな親と金。
弟が病んだ、とかいうのは笑えない話であるが、世の中思った通りに動いているのである。
靄はモヤモヤしてなかなか集まってこないが、焦ってはいけないのである。
つまり、お嬢さんにしばらく会えてないからと、わしも焦ってはいけないという戒めなのである。
焦って二合飯なんぞかき込むと、眠くなって大変なので。
では、よき終末を。
寝ようと思って布団を敷いて横になると、電源を切ってしばらく経ったはずのモニターから「バチッ」というような軋む音がする。
しばらく前はかなり寒かったので、温度変化のせいだろうと思ったりはしたが、寒いままの部屋でしかもつけてなかった状態で寝てたら鳴っている。
後は、壁から音がする。隣のいびきではないが、たまにパキパキっと鳴ったりする。某宗教団体のせいで小さな仏壇があって、最近はその辺りから音がしたりする始末。
部屋が傷んでいるのでなければ、きっとポルターガイストでもいるのだろうと思うことにした。これは多分気のせいなので、胃だとか目だとかの妖怪よりは普通だと思われる。
さて、最近、物から煙のようなものが見えるようになった、という話を書いた。
そして、顔見知りが実は人のオーラが見えるとのことで、わしは黒っぽいとかいう。馴染みの店に最近勤めだしていて、そこの料理人は漆黒だと言われたとのこと。
しっぽくだとうどんだが、黒と漆黒の違いはなんぞ?と思い、オーラ診断だとかを見てみたら、どうやらわしは青っぽいらしい。
誕生日のやつだと、メインが黄色で、サブが青。なにやら質問に答えるのに漫然と答えたら、深みのある青、なんぞといわれた。
別の質問に答える奴も試したら、これまた青とか言われた。ちなみに、深みのある青とか先日言われたところを試したら、青なんてでなかった。
どうやら、青が黒に見えたのだろうと結論付けた。
そこはともかく。
このオーラとはなんぞ?と思ったら、気と同じものを指しているらしい。このページの下の方にオーラの見方だとか、それで催眠術が出来るとか書いてて、まんま野口整体じゃないかなと。
黒いオーラは調子が悪かったりするとかいうのだが、かの野口晴哉は、バスに乗っているときなんかは、ずっと腕組みをしていたという。
なぜかというと、人の悪いところが黒く見えるので、つい手を出してしまいそうになるのを堪えていたそうな。
わしはまだ見えただけで、何色かというと白っぽい靄ばかり見える。ただ、先日、自分の身体から立ち上るのが見えたが、青く見えた気がする。作務衣が濃紺だからかもしれないが。
部屋のガジュマルを眺めてみたら、これも青く見えた気がする。きっと紅茶は英語でブラック・ティーとか言ったりするので、黒いのだろう。物にもよるのかしらんが。
バイオンを見ようと眺めていたら、これがどうやらオーラを見る訓練になってたのか、それで見えるようになったらしい。
見えるなら、使えるのだろう。それで、手足が冷えても身体が冷えない状態になったり、飯も睡眠も重要さ加減が減ったのかもしれない。
オーラの話は措くとして。
先日、ふと思い出したことがある。昔見た夢の話である。
仕事場の同い年の女性と、電車でどこかに出かけているらしい夢を、何年も前に見たものである。
ただ、当時から不思議に思っていたのが、その女性はこちらより少し背が低い。
当の仕事場の女性というのは、こちらとほとんど背が同じ。あれは一体誰だったのだろうか?と、当時は思ったものだが、すっかり忘れていた。
それで思い当たったのが、今年になって出会ったというお嬢さんだったのかもしれない、となった。
まあ、最近会えてないのだが。
これは本当にうろ覚えなので、気になる方は気合で話を探してもらいたいのだが、上の夢の話を例にして書く。
今年になって出会ったというお嬢さんとは、かつてその夢の中で出会ったというわけで(お互い知っていたわけではないので、ご注意を)、改めて現実で出会う引き金が、「話の合う年下の女性が欲しいな」とわしが思ったことで、これは最近そう思ったからというわけではなく、元々そうなる流れがようやく来ただけの話である、という意味合いの話を、昔どこかで読んだものである。
人それを運命という。ただし、運命と一般に言っている物とは趣は異なる。
他で例えれば、ゲームとか漫画の気に入ったキャラがいるとする。
これは、なんとなくこういうのが良いなと思い浮かべていたのが、巡り巡って誰かが描き上げ、そして自分の前に現れた。確かそんな例えを書いていたような気もするが、先ほども断ったように、うろ覚えである。
昔、あのおっさんが持ってきた『トランサーフィン』という成功の法則の本にも書いてたが、世界という鏡に映した自分の姿というのは、遅れて動き出す。
動いたこと自体は既に済んでいるので、後は世界が追いつくのを焦らず待つべし、という。
所謂現実といわれているこの世界は、物理学者が言うまでもなく、例えば魔術の理論で既に「人間が作ったもの」という事を述べている。ここでブログを書いている意味だとかでの人間ではないのだが、物質以前のものが作り上げたといっている。
物理学者がいうところの靄みたいなもののわけで、靄がモヤモヤ動いてボワッと出来上がるには、多少の時間が掛かるというわけである。根気も要る。根競べである。
さて、これまた冗談みたいな話だが、小説を書くというのを瞑想の訓練として行っていると、たまに書いてきた。
次を書くまでに、あれやこれやと想像していたわけだが、その中で、里帰りするとかいう構想があったものである。
そして、忘れたころに弟が病んで里帰りした、という状況に出くわし、実際にわしも弟に会いに里帰りしようかと考えたら、そんな構想をしてたなぁ、などと思い出したしだいである。
まあ、ちと金がないので、親に金をせびるか、クレジットカードで払うか、というところである。いつまでも、あると思うな親と金。
弟が病んだ、とかいうのは笑えない話であるが、世の中思った通りに動いているのである。
靄はモヤモヤしてなかなか集まってこないが、焦ってはいけないのである。
つまり、お嬢さんにしばらく会えてないからと、わしも焦ってはいけないという戒めなのである。
焦って二合飯なんぞかき込むと、眠くなって大変なので。
では、よき終末を。