ウヰスキーのある風景

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カンセイは法則によりて

2016-02-27 | 雑記
前回は没ラヂヲの書き起こしネタをやっていたが、まだなんだか足りなかったような気がする。

簡単にいってしまえば、「本能に閉じこもってるんじゃあ何も見えないのだ」というだけではある。



さて、自分でも持て余す内容ともいえたので、今回は別方面から。


いきなりイルんだかの奴の話だとかしても困ろうし、わかっとる人はここで勉強なんぞしないので、言うまでもないことではある。

ならば、身近な話を身近なレベルで伝えてみようというわけである。



先日、とあるアイドルグループのファン数人の記念撮影写真を見た。

どんなポーズしてたか、というと何かすぐ判るだろうが、名前はまあご想像にお任せする。そのアイドルだけが問題でもないのだから。


さて、三名並んだその写真。みなこちらに向かって指をさしている。一人は写りの都合で左手になっているが、意味は変わらないだろう。


正直言って、気持ち悪い。何が気持ち悪いのだろう?と考えて、ふと思い至った。

その記念撮影のポーズ自体は、その某アイドルグループと同じものである。彼女らは何かにつけて、カメラに向かって指をさし、満面の笑みを浮かべている。

家に転がっていた新聞の文化面に、丁度彼女らが映っているのがあって、それを見た覚えがある。上に書いたとおりの写真である。

感じないだろうか?感じないならもう結構。帰るべし。


普通の神経なら、指をさしながら笑っているというのは何か判るだろう。

それは、「対象を嘲るとき」である。

彼女らは、不特定多数に向かって姿をさらす際に、意識してかせずかはしらぬが、「嘲り」のポーズをしているのである。

何ゆえか?「お前らはどうしようもないバカだ」とやっているのだ。ファンだとかファンでないとか関係なく。

人をバカにしているやつらを持ち上げるなんぞ、テレビといいメディアといい、腐っているのである。


と、そういう話を試しに人に振ってみたのだが、「ファンに向けたアピールだろう」などと、予想通りの答えだった。

その質問をする前に、「人に指さすのは不快にさせる行為だと習わなかったのだろうか」とも言っておいた上での答えである。

要するに、「テレビで流れていることは問題がないからやっていることなのだ」と頭から信じ込んでいるのである。

ファンと名づけられた狂信者になると、当たり前のことが判らなくなる。それは、テレビに対してこの様に無意識に感じてしまいやすい現代の我々とて同じである。


さて、あの指をさす行為。特定の誰がやっていた、とかは思い出せないのだが、例えば音楽番組で歌手が歌っているとき、同じことをやっていたなぁ、などと思い出す。

白痴のような笑みで人を嘲るポーズを取る気持ちの悪い彼女らの源流は、忘れていたが前からあったわけである。

忘れてはいないか?己の感性を。忘れているというより、そもそも知らないのか?わしにはあんたのことなんぞワカラン。


これをカンセイの法則と名づける。ボールを投げると、推進力自体がなくなってもその動きを維持しようとするが、我々は感性を留められているのにその感性が生きていると勘違いしながら、失速したボールのようになっているのである。

そして、カンセイを失って地に落ちるというわけだ。


そういうところから思い出していくべきである。長らく忘れているのだから。本当に忘れているだけならば。


完全に忘れてしまうか無視仕切るところまで行くと、己を神だのなんだのと、他人と比べて如何に優れているかしか理屈がないのに言い出したりするわけである。
つまりは、上記の如く「非常識」なことを平然とやれるようになる。

神ならば人を超えているのだから、人と比べて優れていたところで意味がなかろうというのに、そんなことも判らなくなるのである。
どうしようもないほど自分が人であるということをアピールしていることに気づかないのである。敢えて誰とは申さないがな。

まあ、どこその誰かさんは、神とは名乗らなかったが、「誰々を越えた」と盛んに言っておった。神とはいわなくても同上である。

努々カンセイの法則を忘るることなかれ。地は歩むものであってその頭を打ち付ける所にはあらず。


では、よき終末を。