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木乃伊盗りが木乃伊だった話

2016-02-24 | 雑記
先日録音したラヂヲは没にする、と昨日書いた。

で、一言文句を書いたりして終ろうと思ったら、内容を話しを変えてやってしまった。

ならばと、その内容を思い出しながら何か書くことにしようかと思う。


収録自体が久しかったのもあって、このラヂヲが始まった経緯を復讐、ではなく復習してみたり、結局はその手の人達(も含めて)は何なのか、という話をやっていたらしい。

別にわしにはたいした学識も勉強もしてないので、そんな話してもとぼけた話にしかならんのだが、詰まるところ、「人間とはなんなのか」という疑問である。

そのとぼけ具合がやばいかもしれぬ、とのことで、潔く没にしたわけである。いやはや、世の中大変だ。


文章で雑談をやるとひどく長くなるのだが、書こうかラヂヲにしてしまおうか悩んで、結局は吹き込んでは没にした話を始める。


人間というか動物には本能というのがあって、これを司るのが一番古い脳といわれている、奥まったところにある部分である。小脳あたりの首とかにあたるかな。

別名、爬虫類脳ともいう。

いざ生存の危機!となると、脈拍あげたりだとか、呼吸を荒くして、必死にさせる。でないと死んでしまうというわけで。
必死なのに死なないようにするとは妙な表現だが、そういうところである。

平時は、呼吸や鼓動を止めないようにずっと動いている。だから、この部分が死ぬと、個体の死となる。

で、アイクがよく言っているように、この部分を刺激して不安を煽って人をろくでもないほうに誘導しているのが例えばイルミナティだとか、それを操ってるレプティリアンだとか、そういうことをいっている。

刺激するってなんだ?念力でも送るのか?と、これだけだと妙な気もするが、別になんだっていい。宣伝でもかまわんわけで。

後は薬品。薬品と書いたが、これも色々ある。普段から脳を混乱させてあれば、たいしたことない不安を、針小棒大にしてしまえるというわけである。

ま、その辺りの話は他の先駆者の方々が詳しいので、ご自分でお調べいただきたい。電磁波でも味の素でもアスパルテームでも洗脳でもなんでも。キーワードがテキトーすぎるが、色々あって並べるのは大変である。


では、不安とは何か?となる。大雑把に言えば、生存が脅かされていると感じることと言える。

そうすると、生存とは何か?となる。

確かに、変な物を食わされて頭がおかしくなってるだとか、文明的なもののせいで、例えば高圧伝染、じゃなくて電線の近くで住んでいた人が健康被害を訴えが起きたりだとかある。

これらの問題は一つを解決することで終わるものとはいえないが、生存、つまり本能の要は簡単に「食う、寝る、やる」である。


そこでタメキヨというのは思った。「食べ物を正しくしないと!」と。

それは間違いではなく、正しいとはいえる。だが、それだけで全て解決すると言い出したのはやはり妙である。

必要条件であるが、十分ではない。


と、さっそく長ったらしくなってきた。


かつて、ベジタリアンのブログだとかを見て回っていた。

さるブログの自己紹介に「ベジタリアンの視点で世の中を斬っていきます!」などと書いているブログがあった。

ちなみに、四、五年前の時点で更新は止まっていたと思う。

その人は、街中を歩いててド○ールだかの看板に、期間限定のヘルシーメニューだかなんだかを見つけて、入ってみたそうな。

で、食べてみたら肉が入っていた。こんなのヘルシーじゃない!こんな世の中は間違えている!許せない!という文章を書いておった。

世の中を憎むのはお好きにしたらいいのだが、ヒトラーのSSよりも秘密な親衛隊というのがありまして、特異な能力以外の入隊条件として、「既存の社会に対する激しい憎悪を抱いている」というのがあるそうな。余談である。

とまあ、そういう人達にとっては、現在の世の中は不安を掻き立てるものばかりで、二進も三進もいかないであろう。

つまり、いつも不安で怯えてるが故に、「ヘルシー」だとか書いているのを見てつい飛び込んでしまった、というわけである。

アイクの示す、PRSという奴である。この場合はノープロブレム、となるかな。NPRS?


さて、その人がベジタリアンを始めたのはどういうわけだったのか?そこはもうワカラン。

では、何ゆえ物を食べるのであろうか?それは生きるためではなかったか?

これでは、生きるために本能が働いてるのではなく、本能のために生きているようなものである。

生きるために不安を解消しようとするのだが、不安を解消するために生きている状態だといえる。


不安というのは本能(を司る脳)が刺激されて出てくる、という風にいった。

ということは、本能が働くところに不安は常に付き纏う、ということである。対症療法では永遠に解消できぬ、言わば無間地獄である。


長いがまた話を逸らしていく。関連する話であるが。


長らくゲームをやってきた。テレビゲームというやつである。

RPGとかいう奴で、雑魚にゾンビなんていうのがいる。映画でも有名な、あのゾンビ。

昔のゲームは、今も変わらんといえるのだが措くとして、同じ絵の色を変えて上位の敵として配置したりする。

ゾンビの次はグール、その次はレブナントてな具合で並んでいた。

ゾンビは説明不要!グールも不要!となったら話にならんので、グールをとりあえず。

日本語で食屍鬼とか言われる、死体を食べる化け物、ということで、必ずしもゾンビの親戚とはいえない存在だそうな。

死体を食べる以外に生きる方法がなくなった(カタコンベとかに閉じ込められたとか?)人が、グールという化け物になる、とかいう表現は、ラブクラフトの作品からだそうで、本来はアラビアだかの砂漠に現れる悪霊だとかだそうな。


タメキヨらは「現代人は脳が死んでるゾンビだよねー」とかほざいていたが、グールというべきかもしれん。別にグールだといいたいわけではなく、前者に対する皮肉である。


レブナントというのが、ゾンビに近いといえる。フランス語が元で、その言葉の名詞形だかが、レブナント、という。日本語で言えば「帰還者」という感じだろうか。

死んだ人がその状態で起き上がってくるというのである。ああ、死亡診断間違えてたか?ではなく、魔術で起き上がってきたものだとか。

ああ、おかえりなさい、と暢気に言ってる場合ではなく、彼の者は明確な破壊衝動でもって活動を始めるという。

そして、その知能はゾンビのように生き物にだらしなく襲い掛かるごときものではなく、生前と同じ状態だという。

とても危険といえる、とのことだ。



順序が名前の並びではないが、ゾンビについて。

知っている人は知っていようが、ゾンビとはあの墓場から出てきた腐った奴の名前ではないそうな。

ゾンビとはそもそも、ブードゥー教の蛇神の名前で、あの腐った奴らはそれの奴隷ということだそうな。

そのブードゥー教の刑罰で、ゾンビの奴隷を作るというのがある。

刑罰者の靴に、毒を仕込む。フグの毒と同じ成分、テトロドトキシンというのを含んだ粉で、これをゾンビパウダーという。

それが皮膚から浸透していって、心頭に達すると。ダジャレは無視して、毒が回ると刑罰者は死んでしまう。

心配機能が停止して、本当に一時期死んでしまうのだが、しばらくすると起き上がってくる。

起き上がってくるのだが、上手いこと脳の一部分が死んでしまって、自らの意志を失ってしまうのだという。

そうなると、命令に従うだけの奴隷となるというわけである。

脳というのは、酸素が送られなくなると、大脳新皮質だとかの新しい脳から死んでいく。

個体の生存のためには、前述のレプティリアン脳が死んではダメなので、そうなるわけだが、よもや奴隷を使役する神が蛇である、というのは偶然ではないというところか。


そのゾンビの奴隷というのは、意志はないが、意識はあるということか。つまり本能はあるということになる。


アイクは言う。レプティリアンというのは、常に不安で怯えているが故に、人類を攻撃しているのだと。己たちという種を存続させるために人類を奴隷化しようとしていると。
己の生存を脅かされると思っているというわけだ。

本能しかない、というわけである。一応人の形と脳の形を持っているとしたら、本能しか働いていないといえる。


レプティリアンだとかそれに連なっている存在というのは、「我々こそがこの世の支配者であり、それ以外の種はいらぬ」といって憚っているけど憚らないと。


どこぞのフルータリアンだかは「フルータリアン以外は死んで当然だ」とのたまう。上と変わらん。今ものたまっているかはしらんが。



フルータリアンというのが木を拝んでいるかはしらんが、木を拝んでいるんじゃなくて、木に巻きついて睨みを利かせている蛇を拝んでいるのではなかろうかと、思わざるを得ないのである。


でなけりゃ、さっきの某ベジタリアンの如き憎しみの塊のような言動をする理由が思いつかない。くどいが、世のそういう人が全員かはしらんぞ。



その脳は腐っておらず、健全に活動していると思われる。だがしかし、「明確な破壊衝動」としか形容できないものに突き動かされている。

まるでレブナントである。ゾンビの奴隷レブナント、とでもいうか。


不安に彩られているからこそ、妙な美辞麗句で飾り立てているのだろうな、と感じるしだいである。

地球を極楽にしよう!だとかなんとかいっておった。


不安を「美辞麗句」で払拭するのは、いたずらに不安を増大させているに過ぎないのである。

不安を解消するために生きているが故に、いずれは不安そのものになるわけだ。

その根本が蛇だというわけで(脳みそと指定して言うならレプティリアン脳)、まるで蛇に睨まれた蛙という訳である。


タメキヨの如きは、木乃伊盗りが木乃伊になったのだろうか、などと思ったが、なんのことはなく、そもそも木乃伊だったということである。

カエルだけにケロッっとしてる、ということもないのである。もうお家にケーロケーロ。


では、よき終末を。