ウヰスキーのある風景

読む前に呑む

告恥

2010-06-12 | 雑記
以前に、肉親が嫌いだ、兄が親父が嫌いだ、と言いもし、ここでも書いた。

父親については読み返すのも面倒なほど長ったらしい一文を書き上げたが、
父親は少々つまらないものの考え方をまともだと思っているだけのどうしようもない人物ではあるが
別に父親としておかしいところはない。その点は自慢してもいい父親である。

自慢する気にはなれないし、肉親自慢ほどバカバカしいものもない。ああやって非難したのも
逆肉親自慢かもしれないが。嫌よ嫌よも好きのうち、などというわけか。


さて、兄貴について書き上げて溜飲を下げておこうかと思う。火に油を注ぐ結果にならなければよいが。


父は若いころ、兄がいうにはだがとても厳しい人だったらしい。兄が幼少のころはそうだったという。

自分、さらにその下が生まれて育つに連れ、少しずつ丸くなっていた、という感じなのだとか。

だから、兄が小さいころに受けた厳しさを、下の兄弟は受けていないことを感じていたという。

つづめて言うと父親らしさが薄らいでしまったので、自分が何とかしなければ、などと使命を負ったと。
何事もなければ、そのようなくだらない気負いはいらないのだが、まあ、これはこちらの問題。

中学時代は学校をサボって家でごろごろしていた。それはもう母親が泣くくらいに。
理由はあるといえばあるが、これといった理由もない。いわゆる適応障害だったのかもしれないが
とにかく家を出たがらない。高校になってもある程度引きずるのかあまり出歩いてはいなかった。

自分が高校に行くころには、兄貴は高校をなんとか卒業し、したものの大学を一浪するハメになり
遠方の親戚の家で一年間、浪人生として暮らし、その後希望の大学に合格した。


中学の時から兄と両親とのいざこざに近いものを見てきた自分は、嫌になっていたのかもしれない。

不良にあこがれたのかしらないが、喫煙が見つかり、生徒指導の先生にこってりと絞られ親も呼ばれる。

そして夜はなかなか家に帰ってこない。昔は五人揃って戴く夕食だったがなくなった。

何故この兄貴はこんなにバカなんだろう。などと考えていた。

人を呪わば穴二つというもので、向こうは向こうで「何故こいつはこうも引きこもりなのだ」
と感じていたそうだ。お互い様だが余計なお世話である。

と、上記の使命感に至る。バカはバカなりに考えるのだが、「下手の考え休むに似たり」という。

あまり感情を表に出さない(そうでもないが)ので、こいつは根暗で駄目なやつだ、
父親はこいつを力づくででもまともにする気概がない、これではこいつは駄目になる、
と感じていたそうだ。何度も言うが余計なお世話である。

自分と物の感じ方や考え方(考え方の良し悪しは別としても)が違うのに、自分から見た
いわゆる一般的な存在と違う、ただこれだけで人を矯正しようと躍起になっていたのだ。

両親が薦め、兄もいる大学などいきたくもない、と反発しながらも結局その大学に入るのだが
そこで茶道を始めた。

兄は文化がどうこうと喧しい某団体でお互い育ってきたのに、こちらをやはりバカだと思っていたそうだ。

茶道なんぞ根暗のやるもんだ、などと。根暗で結構だが、文化の何たるかを考えてこないのは
バカなので仕方ない。恥ずかしながらいうと、兄貴のやっていた物は茶道なんぞと比べれば
浅い歴史だが、文化だとは理解しているので、兄貴がバカだとは考える気もなかった。
歴史の長さで良し悪しが決まるわけでも派手さ加減で決まるわけでもないのだが、兄のを
派手さ加減で良いというなら北のマスゲームと似たようなものなので実に素晴らしいだろう。


それくらい兄貴は我が身に対して強烈な偏見を持ち続けていた。今もないとはいえない。
強烈な偏見、はやはりお互い様だとは思うがそんな相対化は措く。


さて、後年、一人暮らしを始める。

今も昔もバカをやっているのは兄のことではなく自分のことなのだが、少々過ぎた。
隣人に通報されたのだ。いや、警察ではない。警察だったらそれはそれで面白いが。

余りにも我を見失い、見境もなく大声を張り上げたりとそれはもう出版物なら規制される表現の状態。

警察沙汰にならなくてよかったなぁ、などと今では笑い話だがやはり笑えないのがこの先。

先ほどさらっと触れた「喧しい某団体」。このつながりで兄に話が行った。

そして電話による説教が始まる。

筒井康隆が前に、タイトルが「バカの壁」のパロディのような本を出したがその中で、
「どうして延々説教は続くのか」と言った風な話があった。

肝心の部分は最初の一部のみで、説教がかくも長く続くのは怒りの余りとりとめもない話を
次から次へとぶち込んでしまうだけで、やるほうもやられるほうも何の実にもならない、と
筒井一流の諧謔で解説していた。

そう。まんまそれ。お説ごもっとも、とこちらも神妙に聞くのだが、何回も同じことを言われると
怒りを通り越して笑えてくる。

不謹慎な!お前の兄貴はお前のためを思って貴重な時間をだな!と、いわゆる心ある人はいうかもしれない。

その上兄貴は俗物である。よくもまぁそこまでいうな、と思うがそう感じるので仕方ない。

兄「お前がそのまま実家に戻ったら引きこもりが親殺して、などと事件になりかねない」
じゃあ、まずは兄の家に行きますね。心配はこっちのことですか?親ですか?それとも自分の体裁?

兄「働くようになって新聞やニュースの経済面見るようになったよ。お前、GMつぶれたのしってるか?」
そんなニュース、テレビで見るだけの分ならいくらでも子供のころから見てた。
IntelがAMDに独占禁止法の賠償でいくらか払うことになったって知ってますか?

兄「俺、ここしばらくずっと頑張ってきたから、自分への褒美に40万の時計買おうか
悩んでるんだ。何故お前はそうがんばらないのだ?」
ない金叩いて当時の高級PCパーツ買って自分で取り付けて、それでやりたいことがやっと
できる、とは思ったが別になんとも思ってない。褒美?笑わせる。


と、神妙に聞いている間はそこまで過激に思わなかったが、思い出し怒りという
どうしようもないもので、後々こういう風に感じたものだった。

これは事件後まもなく、人に語ったことだが、少しでもこちらを信用するなら、こういうだろう。
「あいつはちょっと常軌を逸したところもあるが、話せばわかるやつだ、直接話しあったほうがいい」と。
こう言わずに正義のヒーローぶって、第三者による交渉に陥ったわけだ。
元々こちらに信用がなかったのは仕方ないとして、偏見の塊なのである。
「人をイデオロギーや立場で判断してはならない」はここでも生きない。生きないからこそ教訓である。
そんなもの教訓にもならない、と一蹴したので、わしが言うのはお門違いではある。

物と金に振り回されるのは人間致し方ないのだが、それをさもありがたいことのようにいう。
これを俗物といわなくてなんといおうか。

俗世間に塗れてそれしか見えないいわゆる庶民を救済する、だなどと高邁な理念を掲げる
団体にいるのに、有体に言えば俗物を嘲うところにいるのに心身ともに俗物である。

ならば、ありもしない高邁な自分を追い求める、だなどと愚劣なことをするくらいならやらないほうがいい。
「下手の考え休むに似たり」とは先にも言った。人に高邁になれと突っかかるその言葉が実に後ろ向きだ。

愚者に貶されるは第一の誉れ、とは開祖が言ったもの。愚者のわしは精一杯兄を褒めたいと思う。では、また。

虚妄

2010-06-12 | 雑記
心理学の病状分析だかで、今では「古典的」とされるような分類に「パラノイア」というものがある。

大雑把に言うと、妄想に憑かれた状態というのである。以下に簡単な症例を挙げる。


ある夫婦がいる。共通の知人Aとはとても仲がいい。

だが、最近妻の様子がおかしい。具体的にこうだ、とはいいづらいのだが、所々不審な点がある。
Aと話しているときの様子が以前より楽しそうで目つきもどことなく違う。Aもだ。

これは妻がAと浮気しているのではないか。そうに違いない。


と、妻とAは本当に何もないし以前と変わらないお付き合いをしているにも関わらず、こういう状態になる。


普段と変わらない状況を一方的に証拠と断定したり、つまらない偶然を歴然としたものと思い込む。
そういうことはいつも誰にでも起こりうるのだが、常軌を逸した状態が続くのをパラノイアと呼ぶ。

なんだ、いつものお前じゃないか、と思われた方は正しい。別にそれでかまわない。

ただし、この症例にはこういう分析が続く。

妻とAの不実を疑っているのではなく、Aに対する同性愛、つまりは妻に対する嫉妬と、いうわけらしい。

自分は妻帯者だ、同性愛など抱くわけがない、という無意識の抑圧が形成するのだといわれている。

で、人は非難していることを本当に非難しているのではなく、嘘とは言わなくても裏返しや
別の心理でモノを語っている可能性があるのじゃないか。
「あなたはわたしのことを嫌っているのか」という問いかけは実は「わたし」が「あなた」
を嫌いたい、もしくは嫌っている、そう思っているのかもしれないな、などと隣席のMさんと話していると
身に覚えがある、と言い出してひどくうろたえ始めたのだった。

Mさんを説教しているわけではないのに、滝の汗を流しかねない勢いである。

我ながらひどい、と思ったが、ひどいのは心理学の診断のほうなので悪しからず。


というわけで、下に貼る動画なんて見なくて結構。

画質も音質もひどく、実につまらない動画である。喋りながらゲームをプレイする意味がない状態だ。



と、いう冗談はさておき、今チャプターの後半戦である。時間の都合で中途半端に終わるのは毎度のこと。
実はこの次にかなり衝撃的な展開が起こるのだが、それは次回のお楽しみに。

三十三日目



立て続けに動画を出したので、来週後半まで続きはお休みになるかと。では、また。