咲とその夫

 定年退職後、「咲」と共に第二の人生を謳歌しながら、趣味のグラウンド・ゴルフに没頭。
 週末にちょこっと競馬も。
 

平治の乱へ・・・

2012-06-28 22:31:40 | レビュー
 相も変わらず視聴率の低迷が続いている「平清盛」、この大河を制作しているNHK側もさまざまな手段を用いたPRに余念がないが、思うような視聴率回復へのカンフル剤は見当たらないようである。

 毎回、じっくり見ていると結構面白いのであるが、戦国武将物と違ってこの時代の難しい人間関係や、背景にスンナリと入れないところがあるのかも知れない。

 だから、辛抱強くドラマ展開を見過ごすことがないよう毎回見ている。朝廷や公家に自由に操られていた当時の武士階級、保元の乱を通して武士の力を改めて世に問うことができたが、平氏と源氏はそれぞれの身内との戦いでもあり、戦後処理は過酷なものであった。

 それ以降の武士社会では、親族であっても家を守るためには容易に粛清することもたびたび起きている。ところが、この頃はまだそのような行為に躊躇があったのかも知れない・・・ドラマの上でのことだから、史実はどうか不明。

 その保元の乱を境に国を動かす力を得た信西によって、平氏と源氏は二分され源氏は常に平氏の風下に据えられていた。その源氏の棟梁・義朝は苦渋に満ちた日々を送っていた。

 信西に不満を持つ貴族・藤原信頼らが源義朝を棟梁とする源氏を抱き込み、後白河上皇と二条天皇を奪い幽閉し、次いで信西を討つための決起を行なった。一方、平氏の棟梁の平清盛らは熊野詣の中途から、京の都にとって返し源氏を討つことを決断。

 それぞれ複雑な人間関係の中、ついに二大勢力の武士軍団・平氏と源氏が激突する「平治の乱」が勃発した。今週から2週にわたりこの平治の乱の物語が放送されるとのこと。若い頃から、お互いライバル同士であった清盛と義朝、その二人の思いがそれぞれ交錯しながらも、雌雄を決することとなった。

 これは、ある意味見逃すことができない大河前半の大きな山場・・・と、なっていると思われる。この大きな出来事を切っ掛けに平氏に在らずば人に在らずとの平氏の栄華、そして坂道を転がり落ちるかのような衰退へと突き進む・・・壇の浦まで。

 なかなかに面白いのに・・・なぜだろうかね

 メイキングの入った「平治の乱」のPR映像(NHK公式HP)、義朝役の玉木宏さんが松山ケンイチさんに「これで最後だね、大河に出演も・・・」といったような内容の会話。とても、しんみりとして、寂しそうな横顔。

このドラマに対する強い思いを感じることができた。(夫)

[追 記]~あらすじ~
 1159年、信西(阿部サダヲ)のもとで不遇にあった義朝(玉木宏)は藤原信頼(塚地武雄)と結託、ついに決起する。義朝は後白河上皇(松田翔太)と二条天皇(冨浦智嗣)を奪い幽閉した後、三条殿に火を放つ。義朝の狙いは信西(阿部サダヲ)の首であった。熊野詣の途中、紀伊で知らせを聞いた清盛(松山ケンイチ)は即座に京へとってかえす。逃亡した信西は山城の山中に穴を掘り、身をひそめる。

 一方、戻る清盛を義朝の子・義平(波岡一喜)は阿倍野で迎え撃とうと意気込んでいた。だが義朝は清盛との決戦を望み、動こうとしない。そんな中、ついに信西は発見され、自刃する。早馬で京に戻った清盛と重盛(窪田正孝)が京の入り口で見たものとは・・
(出典:NHK公式HP 抜粋)


(平清盛 肖像画)

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