ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

因縁にすり替える技

2013年09月25日 19時31分27秒 | 観察屋ねーさん
以前いっしょに仕事をした人で、

「まぁ・・・(唖然(呆))」

となってしまう人がいた。


いっしょにやっていてその流れを目の当たりにしてる側にしてみれば、

「自分の指示ミス、言葉の使い方の問題、依頼してるのか愚痴を伝えているのかようわからんままだし、あれじゃあの人に問題アリアリなんだよなぁ。
仕事だし、なんかあったらどうするんだろう?」

と、日頃思うわけだ。


やっぱり行き違いになるわけだ。


するとどうだろう。


「自分の側には非が一切なく、あんたの間違えだ。」と言わんばかりの因縁にすり替えて相手を○問い詰め、攻め込んでいく(○追い込み、たたみかける)わけだ。


その技(抑揚とかタイミング選び)、その言葉選び、「どうやってきたらそういうのが身に付くわけ?(普通の会社じゃこういうのを教育しないだろうし、ご家庭のお育ちでしょうか?)」って疑問になるくらいのその感じ。
「ヤ○○の組かなんかで金の取り立てでもやっていたのか?それだってヤ○○の人のほうがまだ筋が通ってる感じだよな。」という感じなのだ。


依頼される相手の人によってはそういうところ(そういう性質の人だということ)がすでにわかっているから、先回りして色々とモレがないように確認し、そのように仕上げてきたりする。


すると今度は「余計なことをした」「言ってない」という因縁になる。


あぁあの方はまだあのままだろうか。
治らないよなぁ。



そういう本当に困る人が実際にいたという話。









きんさんぎんさんの娘さん達の会話から学ぶ。

2013年09月25日 19時10分10秒 | 味わうねーさん
この間の3連休のいつだったか昼間、きんさんぎんさんの4姉妹が出ている番組がやっていた。

その中で、長女の方と3女?の方が孫の為に浴衣を仕立ててあげることになって、長女の方が3女?の方のおうちに出かけ、さっそく仕立てに入った。

長女の方はまだ成長期だからこの先直しも必要になるだろうから、「たくし上げの部分を多く取って縫ったらいい」と言い出した。

そうしたら3女?の方が、「そんなの必要かねぇ?」と言い出す。
「この先着るかもわからないし、多分着ないよ。」とゲンキンなことを言う。

すると長女の方が、

「なんであんたはそういうことを言い出すかね?」

と怒り出し、まだ平然と「だってこの先着るとは思えない・・・」と超現実的な言葉を続けていると、さらに火を注いだらしく、

「どうしてあんたはそういうことを言うかね?
ケンカしてもいいだにっ!!」

と長女の方が怒りながら言い放った。


(要するに長女の方は「喜んで着てくれるものを仕立ててあげよう」という思い入れが沢山あるから、こういう現実的な「この先も着るかわからんよ。」みたいな作り手側への配慮に欠ける言葉にゲンナリというか怒りすら湧くのだろう。)


オバチャマはこれを観ていて「いいなぁ、やれやれ~~~ぇぃ!!」とウキウキしてきた。


「モノを作る」時の真剣さというのはこういうケンカになって現れるものだ。


長女の方の○思い入れ(×思い込み)はモノ作りの原点だと思う
そこにイロイロな意見がぶつけられて熱くなっていく。


思うに、このご両人のやり取りに、「母(長女側)と母の妹(3女側)」「母(長女側)と私(3女側)」に似てるかも・・・とにやけたのだった。(笑)






「点と点を繋げているような・・」と「この海の奥にいる未確認物体を探しているような・・・」

2013年09月25日 18時38分43秒 | 2種分ねーさん
自分というのは、三角形の頂点、いや、やじろべえというか、あるものとあるものの真ん中の点というような、「両天秤」みたいな役廻りが多い。

あの人とこの人の○面倒を見ている(×世話を焼いている)・・・という感じだろうか。
「点と点を繋いでいる」ようで、そうでもなく。



余談

「世話を焼く」のは本当に相当苦手というか、人間美学的にダメな部分があって、やりたくないのでやらない。

だから「面倒が必要なもの(=困っている、故障している、壊れている)」に関わるのは決心できても、「世話焼きが必要なものに関わる(=自身で普通に出来ることでも依存心から手抜きで、まわりに手を焼かせること。)」のはかなり二の足を踏む。

世話を焼かないといけない相手(人間でもモノでもなんでも)というのは、まわりと○依存(×共存)しているのがなんともうっとうしくてイラッとなってしまうからだ。
(世話焼き同士はどうやら波長が合うようだ。(見かける度に「それぞれ自分自身でやっちまえばいいじゃないのさ~~~ぁ、いちいち人に依存して、そういうのムダだと思うなぁ・・・。」と呆れる。))



「あの人とこの人」「あるものとあるもの」というのは喩えるなら『点』ではなくて『海(○○海といったような海域といいましょうか)』。
そこに意を決して「ザブーン!」と飛び込んでいき、まだ知らない未確認物体を探し続け、「こんなのあったどーーーっ!!!!!」「こんなんでましたけどーーーーっ!!!!」と言っては一喜一憂してきている感じだ。



吉井和哉氏の♪点描のしくみを聴いていて、

「あたしゃ点と点を繋いでいるようなことはしてきてないんだよなぁ・・・
人と人を繋げておく・・・みたいな役回りは確かにあってもなぁ・・・」

と考え初めてしまい。


♪点と点が線になって現在 どんな絵になってんだ
♪点と点が線になって全部 繋がって気づいたんだ