ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

「弱い」のと「臆病」なのと。

2013年09月16日 17時16分27秒 | 2種分ねーさん
弱い人

演技してしまう。(威嚇したり、泣き出しちゃったりするのもこのうち。)
巻かれやすい。
流されやすい。

※すなわち「巻きやすい」「流しやすい」って人を囲いがちのリーダー(トップ)も人間的には結構弱かったりするから(いくら頭がよかろうが)、リーダーにつけないほうが本当はいいと思うのよ。(よほど頭がキレる人ならば暴走しないようにトップの○奥の(×裏の)ブレーンくらいでおとなしくさせておけ!)


臆病な人

過ぎると「何に対してもそんなに興味がない・・・」みたいな風。
とっかかりから「○そうならないように(×こうなるように)・・・」ってやっちゃう。

※すなわち「そうならないように・・・」という前提なので、例えば何かを任せても主旨を変えられちゃってる(それも非常にわかりづらく)可能性があって、何かを任せる場合に先々矛盾が起きて危険だってこった。

今日突かれたお言葉・その891

2013年09月16日 11時59分45秒 | 突言葉ねーさん
取るリスクが大きいほど、難を免(まぬか)れる確率が上がるようです。


ジョナサンケイナーの予言、本日の山羊座さんより。


わかるわぁ。
「リクスが大きい」ってのは、最初から自分でそのことのリスクを背負ってること。
わかっているからこそ、難についても最初から考えていて、難が来たときにこう決断するってこともストーリーに描けているからなぁ。

「リスクが高い」ってのは、自分でリスクを背負ってないから(机上で弾いてるだけっていうか)、難に見舞われた時にはそのことがすでに○ややこしく(×難しく)なりすぎていて対処できなくなる(○無茶苦茶をし出す(×滅茶苦茶にやり出す))んでーす。
「だから最初からその程度のことしかやらない」って言う風に、「小さくおさまっちゃうしかない・・・」ってことにも繋がるんでしょう。




今日突かれたお言葉・その890

2013年09月16日 11時52分44秒 | 突言葉ねーさん
自個の著作を売りて原稿料を取るは少しも悪き事に非ず。
されどその著作の目的が原稿料を取るといふ事より外(ほか)に何もなかりしとすれば、著者の心の賤(いや)しき事いふまでもなし。


正岡子規『墨汁一滴』より。


逆解釈してる人もいるよねぇ、こういうあたりのお行儀感。

後者の解釈に傾けば、技術とかお行儀っておざなりになりますよね。
んで、そういうことだから「(ゲームでもないのに)○ルール!(×規則)」だのでコントロールしたり、取り締まったり、計算っぱやくなって思考や思慮が疎かになるのよ。


余談

『ルール』っていう言葉の意味・含みが曖昧なのが気に入らないオバチャマです。

勝負はいいけど競争は大キライ

2013年09月16日 11時03分02秒 | まんまねーさん
子供の頃から『競争』が大キライである。

むやみに誰かに競わされるのが大キライなのである。
むやみに比べられてる感がなんとも嫌悪感があるのである。

週末友人♀と呑んだ時に「競争」の話題になり、「キライなんだよね・・・」という会話から改めて自分の中の競争解釈が整理できた。


『競争』ってのは自分以外の人をいろんな手段(見境ない手段)でけ落としたり、払い落とすことに快感を覚え、それがこの上なく好きな人が考えたことなんだろうとずっと思っている。
そんな人同士がその快感が忘れられずにやってることなんだろうと思っている。

なので、「○幼稚っぽい(×子供っぽい)よなぁ、それ。つき合いきれない。」といつも醒めた気持ちが心の中で渦巻くわけで。


そんなオバチャマは自分で納得の上の『勝負』は好きだ。

『勝負』ってのは、「け落とす」とか「払い落とす」ということではなくて、「オッス!ひとつ自分試しさせてくだせー!!」って感じのあたりが楽しいのと面白いからだ。
傍目に観れば「○子ども(×ガキ)っぽい。」とか思われるかも知れないが、子どもが実は一番オトナだったりすますよね。(思い返してくだせー。)


それが元に争い事が勃発するのも(極力)したくないので、そういうことを意識して勝負する。

いちいち勝負するステージを作らなくても、日頃自分の中でライバルを作っておいて何気なく勝負をかける・・・みたいなことはいくらでも出来る。
これはライバルに仮定した相手の人にケンカを売るわけでもない。


もしかしたら・・・ほんとにもしかしたら、

「え~~~、競争好きなんじゃなかったの?」

と思われている人がいるかもしれない。

小学校や中学校くらいでは徒競走が好きというか、得意だったので1位しか狙っていなかったのはある。
1位以外では無性に悔しかった、納得いかなかった記憶が生々しく残っている。
だから、そういう場で手抜き(身体を張らない、計算づくしだけの人)の人がいると「この場だけは本気出しませんか~~?そうじゃなくちゃ相手に失礼だったりしない?」って思ってしまったりもする。

でもこれもお題目として『○競争』と言われているだけで、オバチャマの中では「勝負事」という感覚しかなく、自分の力が発揮されたことに満足感が得られるあたりが、すごく面白かったんだ。


改めて本当に(成長や発展や進化する為に)『競争』っていいことなんでしょうか


オバチャマはこれからもずっと大嫌いです。
○競争(×勝負)を仕掛けたりして出し抜くやり方もやりません。
勝負だけで生きていきます。




それと多分、『競争』と『勝負』がごっちゃになっているオトナはたっくさんいると思う。
改めて境目を整理されたし。

「競争が好き・・・」って人からは距離を置きたい(競争はしたくない(キッパリ))ので、各自キッチリ整理していただけると関わる上で見分けがしやすくていいんですよ。(トホホ)

「勝負が楽しいぜ!(=結局は自分との勝負なんですが。)」って人との関わりのほうがまだ楽しいので、そういう人はそういう電波を常に発していて欲しいといいましょうか。