ねーさんとバンビーナの毎日

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勝負はいいけど競争は大キライ

2013年09月16日 11時03分02秒 | まんまねーさん
子供の頃から『競争』が大キライである。

むやみに誰かに競わされるのが大キライなのである。
むやみに比べられてる感がなんとも嫌悪感があるのである。

週末友人♀と呑んだ時に「競争」の話題になり、「キライなんだよね・・・」という会話から改めて自分の中の競争解釈が整理できた。


『競争』ってのは自分以外の人をいろんな手段(見境ない手段)でけ落としたり、払い落とすことに快感を覚え、それがこの上なく好きな人が考えたことなんだろうとずっと思っている。
そんな人同士がその快感が忘れられずにやってることなんだろうと思っている。

なので、「○幼稚っぽい(×子供っぽい)よなぁ、それ。つき合いきれない。」といつも醒めた気持ちが心の中で渦巻くわけで。


そんなオバチャマは自分で納得の上の『勝負』は好きだ。

『勝負』ってのは、「け落とす」とか「払い落とす」ということではなくて、「オッス!ひとつ自分試しさせてくだせー!!」って感じのあたりが楽しいのと面白いからだ。
傍目に観れば「○子ども(×ガキ)っぽい。」とか思われるかも知れないが、子どもが実は一番オトナだったりすますよね。(思い返してくだせー。)


それが元に争い事が勃発するのも(極力)したくないので、そういうことを意識して勝負する。

いちいち勝負するステージを作らなくても、日頃自分の中でライバルを作っておいて何気なく勝負をかける・・・みたいなことはいくらでも出来る。
これはライバルに仮定した相手の人にケンカを売るわけでもない。


もしかしたら・・・ほんとにもしかしたら、

「え~~~、競争好きなんじゃなかったの?」

と思われている人がいるかもしれない。

小学校や中学校くらいでは徒競走が好きというか、得意だったので1位しか狙っていなかったのはある。
1位以外では無性に悔しかった、納得いかなかった記憶が生々しく残っている。
だから、そういう場で手抜き(身体を張らない、計算づくしだけの人)の人がいると「この場だけは本気出しませんか~~?そうじゃなくちゃ相手に失礼だったりしない?」って思ってしまったりもする。

でもこれもお題目として『○競争』と言われているだけで、オバチャマの中では「勝負事」という感覚しかなく、自分の力が発揮されたことに満足感が得られるあたりが、すごく面白かったんだ。


改めて本当に(成長や発展や進化する為に)『競争』っていいことなんでしょうか


オバチャマはこれからもずっと大嫌いです。
○競争(×勝負)を仕掛けたりして出し抜くやり方もやりません。
勝負だけで生きていきます。




それと多分、『競争』と『勝負』がごっちゃになっているオトナはたっくさんいると思う。
改めて境目を整理されたし。

「競争が好き・・・」って人からは距離を置きたい(競争はしたくない(キッパリ))ので、各自キッチリ整理していただけると関わる上で見分けがしやすくていいんですよ。(トホホ)

「勝負が楽しいぜ!(=結局は自分との勝負なんですが。)」って人との関わりのほうがまだ楽しいので、そういう人はそういう電波を常に発していて欲しいといいましょうか。

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