ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

やっぱりモリマリ20110909-09

2011年09月09日 23時34分43秒 | 紹介屋ねーさん
ヒッチコックが死んだ。
彼の作品の中で私が(遣るな)と感心した点を挙げれば限り(きり)がないが、その中の二つだけを挙げると彼の鋭さの例が一つと、ユウモアのある例が一つ。

鋭さの方は「断崖」で、夫が細君の部屋へ夜中に、洋杯(コップ)に入れた牛乳を持って長い階段を上がって行くところで、その洋杯の中の牛乳が、ひどく白く見えた。
細君が、夫が自分を殺すにちがいないと、思いこんでいる。
夫が細君のところに持って行く牛乳の、その白さは、細君がそこにいて見ていないでも、ひどく白く見えなくてはならない。

観客に、細君の心の中の恐怖を、ことごとに明瞭(はっきり)、印象づけなくてはならない。
ヒッチコックはその牛乳を入れた洋杯の中に豆電球を入れたのである。


ヒッチコックのテクニックにうまく引っかかったのである。

ヒッチコックの作品の中に数知れずあった、観客に恐怖を与えたテクニックの中のそれは一つだが、彼の巧妙なテクニックの、素晴らしい一例として挙げておく。

もう一つ、彼のユウモアの例を一つ挙げると(むろん恐ろしさの中のユウモアで、一つのブラックユウモアである)それは、題名は忘れたが一人の男を殺して、その死体を森に埋めた男が、その場所は危険だと思って又もう一遍掘り出し、別の場所に埋めかえる。

その時枯葉の中から掘り出されたり、又埋められたりする死体が履いている靴下が鈍い、薄い、水灰色で、爪先のところだけが鮮やかな赤なのである。
その薄い水灰色で先が鮮やかに、小人の帽子を被せたように赤い靴下に私は、恐ろしさの中に点じられたユウモア、恐怖の中のユウモアを感じた。

その映画を見たのは映写幕が昔の真四角に近い小型のものから広く大きなものに変った時期で、ヒッチコックは思う存分に深い、大きな森の中で、死体を埋めたり、掘り出して又埋めかえたりする場面を映して、観客を気味悪がせる腕をふるったのである。

靴下の爪先だけに変な可笑しさがある、面白い画面を楽しんだがこれも、ヒッチコックのやりての監督だった一例である。

たしかにヒッチコックは大した奴だった。
彼に哀悼の意をここに捧げる。






3Dという技術でテクニックを使っておもしろく出来るのだろうか。
果たしてね・・・。

技術ってのは面白みを出す為にはあんまり役立たずなんだよね。(実は!!)

テクニックって=知恵だもんね。

技術って知恵とも違う。
訓練さえすれば身に付くものっていうか。
別にその身に付いたモノをこれみよがしに見せられても「だから?」ってなるのはオチ。
で、それでいいものなんですよね、技術って。(黒子なの。)




やっぱりモリマリ20110909-08

2011年09月09日 23時13分44秒 | 紹介屋ねーさん
なんかノッて来たので、今日いけるところまで行こう。(なんだよ、それ。(笑))
「どこまで飽きずにいけるか?」の実験。



二十年位前のものらしい「用心棒」を見て素晴しいと思った。
だが凡手でない黒沢監督の力量がありあまって、画面の後に造り手の手が強く出ていて、すべての人物(端役の人物までが素晴らしく動いている)が、その手の傀儡になって動かされている感じがある。

さすがに三船敏郎と東野英治郎位はそこからはみ出していて、本人自身が動いているのだが。

黒沢作品はいくつか見たが、そういう感じは始めてである。
恐らく気が入りすぎたのか、乗りすぎたか、或は慢心が(この場合慢心は当然ともいえるのだが)兆しすぎたかだろう。




傀儡になっちゃダメなんだよねぇ。
今はその代表格に「企業」とか「政治」がありまさぁね・・・。

そこからはみ出している人に注目しないと。
でも、潰されちゃったり、追いやられちゃう訳ですわ。
都合が悪い人達がいるから。

あ、傀儡になって動かされちゃってる人より、傀儡にさせて動かしちゃってるような人には要注意。
こいつ、一っ番の悪っ。(笑)

別に自分の傀儡にさせてないのに「傀儡になってやってんだよ!」の態度の人も要注意。
こいつ、何か企んでるから。(笑)
「嫉妬深い」は「妬み深い」はで、ちょいと離れるが善し。


芝居を仕掛けてきて、芝居できるような関係性が一番楽しいし、価値が生まれるわ。


はみ出してる人に(本来は)救われるはずなのに、傀儡にさせてる側の人ってね。
それに気がつけない人間の愚かさたるや・・・。(失笑)


かいらい【×傀×儡】

1 あやつり人形。くぐつ。でく。
2 自分の意志や主義を表さず、他人の言いなりに動いて利用されている者。でくの坊。





やっぱりモリマリ20110909-07

2011年09月09日 22時32分25秒 | 紹介屋ねーさん
この機会に犀星(←室生犀星)の面白い話を書いておきたい。

犀星は怒ると顔の表情から、体全体が固まってしまう。

或日犀星から、亡くなった夫人の句集が送られて来た。
たいへんにいい句があった。

次に犀星の家に行った時、礼を言い、そのことを言うと、傍にいた朝子が「随筆集もあるんですよ」と言った。

すると犀星は、小さな手焙りに両手をかざしたまま固まってしまった。
こちこちになってしまって、自分でどうにもならないらしい。
真鍮の手焙りと一緒に全身が固まってしまって、まるで手焙りに掌をかざしている、犀星の銅像のよう
である。

朝子は大いに困って、あたふたしている。
二分位も経っただろうか、ようよう犀星の固まりは解けて、もとの生きている犀星に還った。
ふと、固まりが解けて、表情が還って来た時の、ホッとした気持は、忘れられない。
犀星は夫人の随筆集を気に入っていなかった。
それを私に言って貰いたくなかったのだ。


その二分程の時間の長かったこと、今思い出しても自分の体が固まって来そうになるほどである。




はい、こういう場面に遭遇して、

「何を怒ってるのよぅ、気に入らないなら「気に入らない!」ってハッキリ言っておいてくれればいいじゃないのぉ!」

って言うのは、情緒無しなのよねぇぇぇ。

察して黙って感じてるのがいいわけ。

おまけにそういうこと言ってしまうとこういう人って「追いつめられちゃう(気持ちがキツくなっちゃうの)」んだよね。(多分そう)

だから察して「多分こういうことなんだろうな・・・」って考えて、「フフフ・・・(可愛いわね・・・くらいに)」って思っておくくらいがいいんです。



やっぱりモリマリ20110909-06

2011年09月09日 22時30分03秒 | 紹介屋ねーさん
映画界にブルウリボン賞というのがあって、あるのはいいが、それを○○○○のような役者が貰っているというのは莫迦莫迦しくて怒る気にもなれない。



それが日本のブルーリボン賞ということでね。(苦笑)

やっぱりモリマリ20110909-05

2011年09月09日 22時04分10秒 | 紹介屋ねーさん
さて荒木一郎の、自分の遣ったことを正当化しようとする言葉を吐かないで、(あれは女に対する俺の挨拶だ)と、ふんぞりかえっていたことを、○田○郎の態度に比べて立派であり、そういう彼を本ものの、私の認める不良だと文芸雑誌に書いたが全く、○田○郎の態度にはおどろいた。

(大分前だが、荒木一郎の事件と同時に○田○郎にも同様の事件が起きた。その時○郎の方は懸命に自分の行為を正当化しようとしたのである。)

私は当時文芸雑誌に、あの場合娘が、ホテルに伴れて行かれる危険も承知で荒木一郎が現れる店に行ったこと(しかもご丁寧に母親も一緒である)は莫迦な行動であって、私が警察官に命令を下すことが出来る権限を持っていたのだったら、荒木一郎を逮捕するよりも先ずその母娘(おやこ)を痴呆罪で逮捕しただろうと書いた。

又私は「恋人たちの森」を書いた当時他の文章の中に、(私のあの小説は、莫迦げた街の不良たちに捧げるために書いたと言ってもいいのである)と書いた。

又、昭和三十六年度の(現在も全く同じで変化がないが)街の不良がかった連中が下北沢の駅の傍の暗がりに三三五五、芸もなく突立って、小声で「サツだ」とか「やばい」とか互いに囁き合っているのを見て、その阿兄ちゃん(あんちゃん)たちにこう言って遣りたいとも、書いた。

お前さんたちは、「恋人たちの森」に出てくるギドウとパウロのような洒落た言葉の投げ合いが出来るかい?
不良というものは困った存在だが、その代りに、善良な人間には出来ない、いきな言葉のキャッチボールを遣ることが出来たり、格好もいかすのでなくては駄目なんだ。
お前さんたちのようなデクノボーは存在理由(レゾンデートウル)がないんだよ
)と。

深夜テレビに出た荒木一郎は後へ掻き上げた、烏の濡れ羽のような真黒な髪で、真紅なエシャール(マフラー)だかシャツだかの上に黒のタィユウル(スウツ)の様子は、一流の不良の名をはずかしめなかった。

不良を褒める老婦人というのも珍しいが、私はこういう人間である。

(不良)ときいてげじげじか百足(むかで)を見たように眉をしかめる令夫人、令嬢(むろんほんとうの令夫人、令嬢もいるが)たちが荒木一郎の挨拶に内心あこがれているということもあり得ないことではない。




不良ってのはやっぱり一目置く価値はあるわけで、ただのヤンチャとは違うんだよねぇ。
不良の子のほうが情緒感が育っていく(=粋っていうか)っていうかね。

ただの目立ちたがりのヤンチャの子(気を引きたいだけの子)はいつまでたっても○幼稚(×子ども)でしょうがねぇ。
まぁそれすらわかってやらなきゃいけない事情は裏に必ずあるんだけども、こういう子ってね。

そう、寂しいのね。
その表現がひっくり返っちゃってるのね。
なんでかって、「何か自信が(まだ)ない」、「本来気が小さいのに(←これは直るもんじゃないね)大きく見せたい見栄が引っ込められない(←ここで取り扱いを間違えると厄介なことにつながるね)」、、、こうだったりね。