ねーさんとバンビーナの毎日

「静」→ 「淡」→ 「戻」→ 「無」→「休」→「解・涛」→「涛・停」→「抜」→24年「歩」 最終章序章スタート!

同級生44♀の怒り

2011年09月07日 18時56分54秒 | 知言葉
同級生5人(45~44歳)(昭和41年丙午組)での会話。



ホーントにさぁ、職場で日本語通じなくて、ちょっと頭来たのよねぇ。
でも、相手が年下の男の子だったし、「わたしがおねーさんになりましょう。」って思い直して、優しく諭したつもりがよ?
これが「全く通じない」って一体どーゆーことなんだ?って、もう、言葉失ったわ。
(↑去年あたりから子育てが落ち着いて本格社会復帰している友人)


でしょ、でしょ。
そんなのここ数年当たり前なのよ。
一昔前にあったっていうか私たち世代というか「こちら(オトナ)の言うことを聞いてない」ってのとはちょっと質が違うのよ。
あの子達「ロジックに落ちてないことは理解できない」みたいなのよ。
こういったら申し訳ないんだけど「どんだけバカなんだろう?」って、っとに、悲しくなるのよ。
ちなみに若くなくてもいるけどね。(笑)


あ~~~、あ~~~、あ~~~、それよ、それ。
なんかね、言うことはさもご立派なのよ。
おまけに立派な大学は出てるわ。
それとなんか他の勉強もして、つけた学だけは確かに素晴らしいの。


でもその就いてる職(生業)とは違う勉強でしょ?


そうよ、そう。
経営とかそういうことだけ。
おまけに「この職(老人福祉)にも初めて就いた」っていう30代よ。
前は別のことやってたみたいで。
だから、こないだの会議でさぁ、ひともんちゃくあったの。
「あんた上手に論点そらすなよ。」って現場としてはそういうことなんだけど、とにかくこちらの言葉の理解ができないみたいなのね。


わかるよ、言わんとしたいこと。
ニュアンス的なことを拾えないみたいでね、ああいう風な人って。


あるんだぁ、こういう現象。


大ありよぉ。
最近始まってないわ。もうとっくに。


現場の人間のほうが、「今リアルに親の介護してたり、子どもの子育てもしてたり」する人間が多かったりするわけよ。
ハッキリ言って、「あなたみたいな坊やより現実をわかってるんだぞ?こっちは。」って思うわけ。
それを経営ロジックだかなんだか知らないけども、「現場意見一切無視!金儲け第一!!」みたいな態度されるとさぁ。
いや、あちらさんは確かに経営側の人間だからね?
それもわからないでもないわよ。
でも、やってる商いは「老人福祉」な訳よぉ。
「なんだろう・・・」って考えちゃうわよ、実際仕事してて。


ちょっとそれるけど、給食費問題もあれ、ヘンに騒いで荒立てすぎなのもあるのよねぇ。
だって、わたしんところ、ちゃんと(公平に)システム化されてるもの。
今って、「給食or弁当持参のどちらかを選んでください。」ってなってるの。
うちは千葉だけどね?
だから本当に「給食費が払えません」ってウチは、弁当持参にすればいいだけだし、おまけに「給食にします」って給食を食べておきながら滞納したウチに対しては、自動的に弁当持参に切り替えるようなそういう規則になってるの。


あ、東京(町田)もそうよ。
でも、払わない人がいるんだよぉ、これがまた。
わたしはビックリしたわ、現実にウチの子どものクラスにいて。
でも決して払えないほど貧乏なんかじゃないのよぉ。
どうもなんか「教育制度に難癖つけたい親」って感じで。
「親のあんたはどうでもいいけど、子どもがそれで窮屈な思いをしちゃってるのが可愛そう・・・」って思うのよね。
「そこら辺のことを親のほうが考えないのかね?自分の考えだけ貫きたいならもっと他の方法があるだろう?」って思うんだけどね。
見てて、子どもが可愛そうなのよ、親のヘンな思想のせいでさ。
いや、そういう子に対して、「今月も払ってないんだって?」とか、からかう子も悪いかもしれないけども、そもそも親だって相当おかしいわよ。


まぁ、とにかく、ヘンよ。
「そこまで言葉なり理論付けをつけないと理解できませんか?」って唖然とする感じ。
父兄会でもいるのよぉぉぉ。
「何か(自分なりの)考えをぶつける」とかじゃないのよぉ。
とにかくルールだの規則に対して、「規則にああやって書いてないのがいけない」だの、どっちでもいい「揚げ足取り?」みたいなことを言うわけ。
「どーでもえぇわ~~~。」って思うわけよ、聴いててさ。
「こっちもい時間が長くなるからやめて欲しい・・・」って思うわけよ。







もう、オバチャマ世代でも親の介護はリアルな話題になってきてます、イヤ、マジで。
母親が先に亡くなったり病気で長期入院したりすると、残されるのが父親一人。
今って同居も少ないし、自分の家族の世話の他に、母親の世話、仕事、通いで父親の食事・掃除の世話までやってる。

「父親が残るってのは現実として娘としてはホント大変だわ・・・お父さんには申し訳ないんだけど・・・」って、この4人の中の2人が言ってる。

「看病してるほうが倒れたら大変だから何かあったら言ってきて。」といいつつ、なんか、同級生達って結構器用なんだか、お楽しみ(ヌキ)もしれつつの、上手にやってるんだよなぁ。感心しちゃう。

そういう自分も精神的には少々参った部分があったにせよ、お楽しみもいれつつ、やってたような。

女性ってなんだろ、割り切りの回転がスゴイわね。

「ノリ(そういう状況のリズムに身体が乗ってる感じ?)でやれちゃう」ってのはあるかもしれない。




あの頃チャンネル(2009年09月06日~2009年09月12日)

2011年09月07日 18時54分43秒 | 思い出ねーさん
あの頃チャンネル(2009年09月06日~2009年09月12日)



ソフトバンクのサイトに当時あった似顔絵作成ので似顔絵作ったら「これだった」っちゅう。(笑)



『スマートフォン』の括り

2011年09月07日 18時13分27秒 | 考えるねーさん
andoroidとiPhone等すべてをスマートフォンと括ってる人。

andoroidを搭載した携帯電話をスマートフォンと括ってる人。
iPhoneはiPhone。

オバチャマはandoroidとiPhone等すべてをスマートフォンと括ってる人。



おまけに「こんなブームはいい加減去らないのかね・・・去った頃にみんながやっと正気に戻るのかね・・・」と思ってるオバチャマは昨年末からイーアクセスの『Area』を使ってる(通称)ヘンな人。


つか、1998年頃に携帯電話を持ち始めて、東京デジタルフォン→J-Phone→Vodafoneがソフトバンク(孫)に買収されてからがもうなんかどーにもこーにもちょっと「わかるんだけど、なんかなぁぁーーー、演出いきすぎ~~~ぃぃぃ」感でしらけちゃって、変えたくなった訳。

まぁイーアクセスもソフトバンクにお世話になってるっちゃぁなってるんだっけか。


もう、携帯電話自体が、どーでもええや。
auもdocomoもどっちでもええや。(笑)


au(KDDI)は本来の衛星通信で頑張ればいい会社(技術別にしてお金を得る商売として)。
docomo(NTT)も本来の固定電話で頑張ればいい会社(技術別にしてお金を得る商売として)。


だから(あってもなくても困らない)携帯電話に関しては、全然関係ない(!?)東京デジタルフォンにしたっていうのがあるんですけどーーー。(CMも清志郎だったのもあるしね。)
たまたまその頃近場で携帯電話持ってた人らも「東京デジタルフォンだった」っていう。


「ここまで揺さぶればNTTも殿様だったこと身に染みただろ?」って感じで。




今日突かれたお言葉・その665

2011年09月07日 12時06分33秒 | 突言葉ねーさん
偉大な芸術作品や建造物の中には、意図的に未完成のままにされているものがたくさんあります。
クリエイティブな人にとって、「さあ、これで完成だ」と言うのはいつだって難しいことなのです。
何かを付け加えたい、調整したいという気持ちが必ずどこかにあります。



ジョナサンケイナーの予言、昨日の天秤座さんより。



2年くらい前だったか、もう3年前だったか、

「今ってモノをクリエイトするのが難しいでしょ・・・」

ってそう言ってデータベースシステムの構築を依頼してきたおとっつぁん63がいた。


「(おとっつぁんの言わんとしたいことわかるわ・・・おとっつぁん、わかってるわ・・・・と思いつつ)ホントですねぇ・・・(ヤレヤレ)」

と言い返して、お互いに意味アリの笑みをうかべて、うなずきあったことがあった。



クリエート【create】
創造すること。作り出すこと。



おとっつぁん63は一冊の仕事で使用する(その会社の従業員が使用する)冊子を差し出してきて、「これボクが8年ほど前にクリエイトしたのよねぇ、改訂2回目。」と言った。


改訂が入るってのは「(それだけ)使われてる」ってこと。
つか、このおとっつぁん63が自身で身につけてきた知恵が「○活用(×利用)されるのは当たり前だろう」と関わっていてつくづく思う。
言ってることとかやってることが「ただの参考書」じゃないからだ。

間違いの訂正ってより、「もっとここはこうしたほうがいいよね。」の改訂。
大元の骨格さえブレが無ければ、その後には実がついていくんだ、使われて。
骨格がないやつが改訂されてくと潰すハメに陥る(それがイヤだから体裁を取り繕うロジックが入っていってややこしくなる)から、必ず。


おとっつぁんもきっと意図的に未完成の部分を残してあったんだろうと思う。


そこらヘンの含みもあって、

「このお願いするシステムもさ、まずは骨格だけ作って、それを実際に使っていけば「さらにアレをつけてくれ」、「ここをこう調整してくれ」ってなるからさ。
そこら辺も考えて上手く商売(売上)に繋げていって。よろしくね。」

なんて言ってくれて。


「おとっつぁん、わかってるわ~~~っ」てことなんだけどもね。


いっぱいお金が儲かる仕事ではないけど、実際こうやってお金を得るくらいが相当なわけで、それを上手に演出してはガッポリ請求出すのはオカシイ話しだし、それに騙されちゃう客も愚の骨頂、「税金に持って行かれるよりお金払っちゃった方が・・・」って支払ってくれる客だとしても、「あ~あ、イイモノは出来ないや。まぁそれもそれか。ヤレヤレ。」ってすぐわかる。


モノをクリエイトするってのは技術者よりも職人の分野なんだと思う。

技術者は図面があったりロジックがあって、その上で充分洗練された技を使える人。
だからあんまりモノをクリエイトする分野とも違う。


モノを新しく作り出すってのは、「これで完成」ってより、「(これでひとまず完成だけども)これからだ。」って意識は(確かに)強い。

「付け加えたい」とか「調整したい」とかいう自分勝手な欲求より、「意図的に未完成の部分を残しておいてどこくらい食らいついてくるか?ホンネとか素がどこにあるか?」ってことを試したいって感じ。

それはやっぱりロジックで全てを完成(みんなで頭の中だけで完成を見ちゃうっていうか)させてしまうと、「人間側の動線をおかしくしちゃう(知らずに人間を改造してっちゃう)から」ってのがあるんだよね。